第三話
「エルネスティ様、そんなお顔では、王宮に上がったときに、他の人から怪訝に思われますよ」
「僕の顔は元々こんな顔だよ」
そう言って、エルネはぶっきらぼうに答えた。
贔屓目に見ても機嫌がいいとは思えない。
「エルネスティ様、明日からこの屋敷を離れて王都で暮らすのですよ? そのようなお顔をなされていては、どこで他人の反感を買うか分かりません。もう少し、柔らかい表情をしてはいかがですか?」
エルネは現在、自分の私室で、エドラに髪を切ってもらっている最中だが、どうしても不機嫌な顔が表に出てしまっている。原因は自分でも分かっているが、それを口にする気は今のところ無い。
今年15歳になるこの少年は、吸い込まれるような黒い髪と、ライトグリーンの綺麗な瞳を持つ、この家の次男だ。
「せっかくのいいお顔が台無しになります。アンナリーナ様や、御当主様が見たら悲しまれますよ?」
エドラの説教はいまだに続いている。
「うるさいなあ、僕の顔は元々こんなものだって言ってるでしょ? それにあんな奴らなんてどうでもいいよ」
エルネの言った、あんな奴らとは、現ヴィクセル侯爵家当主であるアーロンと、自分の母親である、アンナリーナのことである。
「あいつら、せっかく僕が精霊に認められたのに……それにソードと会えなかったら僕はもしかしたら……なのに……まるで自分達の発言は無かったように振舞っちゃってさ。どうでもいいよ!」
エドラはここでため息を吐く。
この少年が幼い頃に受けた傷は思いのほか大きく、成長するにつれてその亀裂がより大きくなっていたことに心を痛めていたのだ。
当時、エルネは家族から浴びせられた言葉に傷ついたものの、ソードに認められた嬉しさもあり、そして幼さもあり、彼の心はあまりその事を意識していなかった。
しかし成長するにつれ、当時の言葉が理解できるようになり、それが少しずつ大きくなって結果、数年前からエルネは家族と距離を置くようになってしまったのだ。
「エルネスティ様……それでもこのままでいるというわけには行かないのではありませんか? 貴方様は侯爵家の人間ですよ? ずっと両親と……そしてマルギット様と距離を開けるわけには行かないのではありませんか?」
それでもエドラは何とか彼から家族に歩み寄らせようと言葉をかける。
しかしエドラ自身納得していないのも事実だ。
客観的に見て悪いのはエルネの言葉を信用せず、罵声を浴びせた家族であり、彼自身に非はないのだ。
ゆえにあまり強く言うことはできない。
それでも何とか出来ないかと頭を悩ませている状態だ。
一番いいのは両親やマルギットに謝らせることなのだが、彼女の立場でそれを言うのは難しく、また、エルネが家族の言葉の意味、すなわち精霊に認められなかった場合追い出されていたという事実を完全に理解したのが、ソードとパートナーになった直後ではなく、それから一年以上過ぎてからの話だ。
ゆえに、両親はそれまでまるで、あの時エルネに浴びせたきつい言葉を無かったような態度を取っており、謝罪をせずにここまで来てしまったのだ。
まだ、あの時の直後であれば、そして誰かが両親や姉に一言向ければ、すぐに謝罪する機会があったかもしれないが、一度謝る機会を失ってしまえば、中々に謝ることが難しくなる。
ましてや侯爵家当主となれば相当に忙しく、実の息子といえどそう簡単に顔を合わせる機会も無い。
だからこそ乳母を雇う必要が出てくるのだ。
そしてそのすれ違いが、エルネの心をいらだたせ、現在の状態となっているのだ。
「どうしても許せないのですか?」
「……」
エルネは無言で何も答えない。
「わかりました。でもせめて、顔だけはにこやかにして下さい。久々に家族が揃うのですよ? 余計な波風を立てることはありません」
「わかったよ……」
さすがに頭が上がらず、罰の悪そうな顔をするエルネ。
実を言えばエルネの機嫌が悪いのは何も家族に関することだけではない。
「向こうではお休みは取れるんですか?」
「うん、兄上が言うには、月に一度だけ四日間ほど連休が取れるらしいよ」
「でしたら、何とかなりそうですね。休みが取れそうな、詳しい日にちが決まりましたら、お手紙で知らせてください」
エドラはニッコリと微笑みながらそういった。
「エドラ……相手は……──その、いい人なんだよな? お前を泣かせたりしない人なんだよな?」
「ええ、何度も申し上げている通り、素敵な方ですよ」
「でも、男爵家なんて……お前ならもっといい縁談が来てもいいと思うんだけどな」
「エルネスティ様、私は元々、準男爵の家の出身ですよ? 過分な縁談だと思っております」
エドラは、元々平民であったエドラの父が、精霊術師になったことで、王家から準男爵位の爵位をもらった家の出身である。
この準男爵というのは、平民よりは身分が上だが、完全な貴族ではなく、いわゆる、仮の貴族という意味合いが強い。
平民が何らかの手柄によって叙勲される、貴族になるための第一歩の関門ともいえる爵位なのだが、一方で簡単に剥奪できる代物でもある。
エドラの父は精霊術師になったことで、わずかながら手柄を上げ、この爵位を叙勲されたのだが、急逝してしまい、またエドラの母も後を追うように亡くなってしまった。
当時わずか9歳だったエドラは孤児となり、困り果てていたところに、ちょうど次男が生まれ機嫌の良かったアーロンがその話を聞き、次男の侍女として拾い上げたのだ。
貴族の中には身寄りの無くなった貴族の女性を、侍女として奉公させるという不文律があり、身分の高い貴族ほど、それを率先していかなければならないのだ。
エドラの家は準男爵ということもあり、正確に言えば貴族ではないので、拾い上げる義務は無かったのだが、アーロンは特に気にしなかった。
以来、エドラはヴィクセル家に感謝の念を示し、エルネを弟のように可愛がり奉公してきたのだ。
そして、3年ほど前に男爵家の長男が、エドラを見初めて、ぜひ我が家にと縁談を申し込んできたのだ。
これは、貴族や王族に仕える侍女にとって一番の理想とも言えるものだ。
侍女たちは一生懸命、家に奉公して、そしていい所に嫁としていく。ここまでして、勤め上げたと初めて言えるのだ。
また、雇っている家でも侍女が嫁に行くというのは、ある意味、貴族同士の繋がりも出来るので、喜ばしいことでもある。
さらに細かく言えば、身分の高い貴族に仕えている女性ほど人気があるのも事実だ。しっかりとした礼儀や作法がなっていないと、勤めることは出来ず、ある一定の教育を受け、身元もしっかりとしているので安心して縁談を持ち込むことが出来るというわけである。
そのトップで言えばやはり、王妃や王女に仕えている侍女がブランドとして一番の人気を誇るだろうが、ヴィクセル侯爵家も中々のものなのだ。
最終的に物をいうのは、政略結婚というわけではないので、当人同士の気持ちの問題が一番になってくる。
ゆえに、エドラのこの縁談は恋愛から生まれたものなのだ。
そしてエルネはだからこそ、不機嫌な顔をしていたのだ。
エルネにとって、エドラは姉でもあり、初恋の相手でもあるのだ。
とはいえ反対も出来ない。なぜならエドラはすでに、24歳であり、この国においての女性としての結婚適齢期を少し過ぎているのだ。
それに彼女の慕情はエルネではなく、嫁ぐ先の男爵家長男に向けられているのをエルネは当然知っている。
「寂しくなるから、僕のそばから離れないでよ」なんて言葉はプライドもあり口が裂けても言えないのだ。
複雑な思春期の少年心とも言うべきか。
そしてその挙式は来月に迫っている。エドラとしては御当主夫妻は無理だとしても、せめて可愛い弟分に名代として出席してもらい、自分の晴れ姿を見てもらいたかったので、休みの確認をしたのだった。
「さ、終わりましたよ。さすがですねいい男っぷりです」
「お世辞はいらないよ」
やはり機嫌は微妙だ。
「はぁ、今日は久々に家族がそろうのに、ほんとエルネスティ様は……」
思わずため息が出るエドラ。
「あのさ、エドラ」
「はい?」
「あの……その……い、嫌になったらいつでも帰ってきていいんだからな。む、無理はするなよ」
その言葉にエドラは一瞬キョトンとするが、クスクスと笑い出した。
「エルネスティ様、あまり不吉なことをおっしゃらないでください。まるで離婚することが前提みたいじゃないですか。いやですわ。でもお言葉はありがたく頂戴します。さ、そろそろ食事の時間です。食卓に行きましょう」
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エルネが食卓に行くと、兄であるベルトルドと、姉であるマルギットはすでに来ていた。
「やあ、久しぶりだなエルネ。ずいぶんと成長したな? 背が少し大きくなったんじゃないか?」
ベルトルドはそう弟に声を向けた。
ベルトルドは現在、現役の精霊騎士として王宮勤めをしているが、長男ということもあり、たまに帰ってきて、父親の領地経営を手伝っていたりしており、領地と王宮を行ったり来たりと忙しい日々を送っている。
そんな兄にエルネは、笑顔を見せ席に着いた。
「そうかな? 自分じゃ良くわかんないよ。それより王都ってここなんかと違って凄く広いんでしょ? どんなとこなの?」
「そうだな、人は確かに凄く多いな。また王宮もこの屋敷とは比べ物にならん」
「へー、想像つかないや。もう王宮は全部見て回ったの?」
「全部はさすがに無理だな。基本王宮は4つに分けられていてな、俺が足を踏み入れることの出来る場所は、精々、二の宮までだな」
「え? でも精霊騎士の叙勲は陛下が直接やるって聞いてるよ?」
「そうだ。だから謁見や政治の場は全部二の宮で済ませているんだよ。一の宮……すなわち本宮は完全に王族のプライベート空間だ。よほどのことが無い限り足を踏み入れるのは無理だな。公爵クラスならいけるかもしれないが、その辺はマルギットが詳しいんじゃないか?」
そういってエルネの姉でもあり、自分の妹に声をかけるベルトルド。
マルギットは現在、公爵家の次女に護衛兼遊び相手として仕えている。
精霊騎士としての護衛の腕前、そして公爵家次女と年も近いということで、是非にとヴィクセル家に打診があったのだ。
公爵家とは王位継承権は低いものの王族の外戚であったりと、ある意味王族として扱われているので、ヴィクセル家としては公爵家に縁が出来るということで断る理由など無かった。
ゆえに現在、マルギットはアスプルンド公爵領の屋敷で世話になっているのだ。
「そうねー、さすがに私も本宮まで足を踏み入れたことは無いわ。というより、アウグスト様が王宮からの招待や催し物にあまり興味を示さないから私にも機会が回ってこないのよ。父上や母上ならさすがにあるんでしょうけど」
「そうか、ふむ……お前も立派に勤めを果たしているようで何よりだ」
そういってベルトルドはマルギットを労うが、エルネがここで口を挟んだ。
「いずれ、なんらかの粗相をして追い出されなきゃいいけどな」
ずいぶんと棘のある言い方だ。
その言葉にマルギットは応戦した。
「……相変わらずの態度ね……久々に会ったとたん、けんか腰とはまるで成長していないみたいね。いつまでそのままでいられるか、見ものだわ。精々そうやって不機嫌な顔を王宮でも撒き散らすといいんじゃない? 色々敵を作ることになると思うけど、そこではじめて気付くのもありだと思うわよ。自分の馬鹿さかげんにね」
まるでエルネを小馬鹿にするような、あるいは見下すようなそんな口調だ。
「ずいぶんと見下してくれるね。そっちこそ20にもなって縁談の、えの字も無いなんてさ。ましてや、うちは侯爵家だよ? 普通なら是非にって縁談がいくらでも舞い込んでもおかしくないのにさ、どっかに欠陥でもあるんじゃないの? 自分の魅力の無さにいつになったら気付けるかこっちこそ楽しみにしているよ」
舌端火を噴く、とはまさにこのことだ。さすがに女性として、なんらかの欠陥があるなんて言われればマルギットとしても見過ごせない。カチンときて頭に血が上る。
「へー……そこまで言うんだ。良く分かったわ。そうね、私もどこか貴方に遠慮していた部分があったみたいね。いいわ、このまま貴方が王都に行けば我が家の恥になるわね。ちょうどいいから少し教育してあげる」
席を立ち、静かに殺気を放つマルギット。
対するエルネも目から危険な光を放つ。
「上等だよ。王都で正式な訓練を受ける前に現役の精霊騎士と手合わせだなんて、こっちとしても願ったりだ」
不穏な空気が食事の場を包む。
「いい加減にしろ二人とも」
静かな言葉だが、そこには明らかに他を圧する威圧が込められている。
ベルトルドが二人の争いをいさめたのだ。
決して言葉の語調は強くは無いが、そこには二人が太刀打ちできないほどの意思が込められている。
その言葉を受けて、二人は思わず無言のままに消沈する。
「まったく久々に家族が揃ったとたん……いや、今は取り合えず争いごとは起こすな」
ベルトルドは二人の心のうちを知っているだけに、これ以上は余計な事を言わず、言葉を引っ込めた。
そうして不穏な空気が去った後に、タイミングよく当主であるアーロンとアンナリーナが姿をあらわした。
食卓は表面上はなごやかに進んでいるが、ぎこちなさをわずかにかもしだしている。
そんな中、当主であるアーロンはエルネに言葉を向けた。
「いよいよ、お前も明日から王都住まいか。よいか、王都では様々な貴族や、王族と接する機会もあるだろう。侯爵家として失礼にならないようにな。準備は出来ておるのか?」
「そうですね、嘘つき呼ばわりされない程度の心得は持っているつもりです。準備のほうもご心配なく」
瞬間、ぎこちない空気がさらに張り詰める。
ベルトルドは内心うなだれ、マルギットはもくもくと食事を口に運んでいる。
「エ、エルネはとてもハンサムですからね。王都で変な女に引っかからないように注意するのですよ。侯爵家にふさわしい伴侶と出会えればいいのですけど」
今度はフォローするように母親であるアンナリーナが口を開いた。
「ご心配には及びませんよ母上。変な女ならこの侯爵領で充分見てきてますから。見る目には自信があります」
そういって自らの視線を自分の母と姉に意味ありげに向けた。
再びぎこちない空気が食卓を包む。
食事をいち早く終えたエルネは席を立ち、家族に声を向けた。
「それでは、明日の準備の確認もありますので、失礼します母上、父上」
そういって足早に自分の部屋へと戻っていった。
エルネがいなくなったことによって、わずかに空気が緩んだ。
「はぁ……やっぱりあの子は恨んでいるのかしら……」
アンナリーナがわずかにため息を吐く。
「いや、恨んでいるわけじゃないと思いますよ。たぶんどう接していいのか分からないまま何でしょうね」
ベルトルドが母親に慰めの言葉を向けた。
「……侯爵家ものともあろう人間がいつまでも昔のことを気にしおって……」
これはアーロンだ。
「……いつか気付くはずですよ。まったく私達は自然と受け入れたのに……あの馬鹿は……」
マルギットがそう言い放つ。
「マルギット。それをお前に言う資格はあるのか? あいつだって侯爵家の一員だ。その程度の教育は受けている。おそらく分かってはいるはずなんだよ」
ベルトルドが妹をたしなめた。
「だったら、どうして! 確かにあの時は私も深く考えずにあの子を傷つけたわ! でもね」
「お前は謝ったのか?」
マルギットの言葉をさえぎり、再び静かにベルトルドが言葉を向けた。
「……」
マルギットは無言で答えない。
しかし何かしらは考えているようなそんな感じでもある。
「だが、精霊に認められないものを家に残しておくわけにいかないのもまた事実だ。それに過ぎたことを今更蒸し返す必要もなかろう。あいつがその意味を知っているというなら、それをどう受け止めるかはあいつ次第だ。……我々から譲歩はある程度しているのだ。これ以上卑屈になる必要など無い」
父親としての口調ではなく、当主としての口調でアーロンが再び口を挟む。
未だ自分達は悪くないと言い張る家族にベルトルドはさすがに頭を悩ませた。