第二話
水晶宮と二の宮の間にある中庭で、エルネとフレードリクは日課の訓練を終え一休みしていた。
そこに第二王女であるイェリンが、彼らの前に現れて声をかける。
「アステグ卿。今日も精が出ますわね。大分お疲れのようですが、あまり無理しないことですわよ」
以前に比べてどこか優しげに声をかけるイェリン。
エルネは簡易な敬礼の仕草をして、イェリンに向かい合う。
「はっ! 王女殿下にそのようなお言葉をかけられ、臣としては光栄の極みです。今の自分に満足せず、さらに高みを目指し、王家の力となりたく思います」
「ふふふ、貴方が本当に力になりたいのは王家なのかしら?」
少しからかうように、イェリンはエルネに視線を向けた。
「はぁ……」
イェリンの思いがけない問いに、エルネは歯切れ悪く言葉を詰まらせる。
「あらあら、少し意地悪な質問でしたわね……まあいいですわ。ここには人目はそれほどありませんのよ? もう少し親しみ易い口調をわたくしは望んでいるのですが?」
「あ、はい、これは失礼しましたイェリン様」
イェリンはどこか満足そうに笑みを浮かべて、自分より上背のあるエルネを見上げる。
そこに、小麦色の肌を持つ少女シーヴが通りかかる。
「おおエルネ……と……むう……イ、イェリン殿ではないか」
少し歯切れが悪く二人に挨拶するシーヴ。
「……これはこれは大公女殿下、ご機嫌はいかがですか?」
イェリンはシーヴに向き直って、表面上は礼儀を守り挨拶をする。
「あ、ああ、今日我が父上から手紙が到着してな、私は気分が良いぞ。イェリン殿のほうこそずいぶんと機嫌がよいな」
シーヴもなにやら表に出したいことはあるのだろうが、それを抑えて表面上は取り繕い挨拶をする。
「ええ、わたくしはこうしてアステグ卿と少しお話が出来ましたから、ふふふ我が王家のために精進するアステグ卿はとても頼もしいですわ」
シーヴの心は一瞬で沸騰するも、何とか自制してそれを抑える。
「そ、そうかそうか、そ、それは頼もしいことだな。そ、それよりも聞きたいことがあるのだが……イ、イェリン殿はい、いつからエ、エルネとそれほど親しくなったのだ?」
口元をヒクヒクと引きつらせて、それでも何とか笑みを絶やさずシーヴは疑問をぶつける。
「あらあら……そうですわねえ……先月アステグ卿がわたくしのために避暑地で奮戦してくださった時からすっかり仲良くなりましたわ」
あえて「わたくしのため」という部分を強調して、からかうように言葉を向けるイェリン。
「は、ははは、そ、それはだな……べ、別にイ、イェリン殿一人のためというわけではなかろう。あ、あそこには私やシェシュテインお姉様もいたんだ」
「でも、あの時はアステグ卿はわたくしの専属護衛でしたのよ? でしたらわたくしのためというのが大部分を占めていると思いますけど?」
もはやシーヴのこめかみには青筋すら浮かんでいるようにも思えるが、シーヴは表情に出すことなく、耐えている状態だ。
シーヴを充分からかって溜飲が下がったのかイェリンはここで一礼する。
「それでは大公女殿下、アステグ卿、御機嫌よう。わたくしはこれで失礼いたしますわ」
そのまま背を向けるイェリン。
イェリンとしては、避暑地での騒動以来、シーヴが自分にあまり敵意を向けてこなくなっており、また、何か思うところがあるのか、以前のように表立ってシーヴに敵対するような真似はしなくなっていた。
しかしそう簡単にわだかまりを捨てられるわけでもなく、エルネと親しげなところを見せ付けたりしてシーヴをからかっているのだ。
イェリン自身はエルネに対し以前のように含むところはなくむしろ、友達として共感しているのでエルネと親しくすることは別に苦痛ではない。
王家という家に縛られている自分。
精霊の一族として重みを背負っていたエルネ。
全く同じというわけではないが、そういった部分にイェリンは共感してしまったのだ。
そしてエルネがその楔から解き放たれたことに、嬉しく思っている部分もある。
自分には出来ないことをやってのけた人に敬意を示したのだ。
そしてエルネもイェリンの背負っている思いを今では多少理解しているのだ。
ゆえに以前よりは親しく出来ている状態なのだが、それを歓迎しないものもいる。
そしてその人物は笑顔を引きつらせたままエルネに視線を向ける。
「さて、エルネよ、言い訳を聞こうか?」
笑顔のままそんな事を言うシーヴ。
さすがにエルネも少し呆れる。
「シーヴ様? なんの言い訳をしろと言っているのですか?」
「ほう、とぼける気か? 私というものがありながら他の女性にうつつを抜かすとは何事だ!」
笑顔から一転、頬を膨らませ涙目になりながらエルネに詰め寄るシーヴ。
「あのですね! 僕がいつうつつを抜かしたんですか? イェリン様と少しお話していただけのことですよ」
「ほう……とてもそうは見えなかったがな。鼻の下を伸ばしてしまりのない顔をしていたではないか!」
客観的に見てそんな顔はしていないのだが、恋は盲目という言葉がある。
シーヴにとってはそのように見えていたのであろう。
「シーヴ様。いいですか? 僕の好きな人はあの夜から変わっていません。少しは信用して下さい」
そう言われて思わず顔を赤らめるシーヴ。
「お、お前はい、いきなりな、何を言い出すのだ! そ、そんなことはわかりきっておるわ……お、お前は私のむ、む、む……」
言葉を詰まらせるシーヴを見て、クリスティーナとフレードリクは顔を見合わせて肩をすくめる。
傍から見ていればわかるようにどう考えても犬も食わないあれにしか見えないのだ。
そんな日常を彼らが過ごしていたが、数日後シーヴが大公家からの手紙を受け取ることによって、その状況は一変した。
びっしりと文字が書き綴られている文面のある部分に、こう書かれていたのだ。
「アステグ卿を我が家に招待する」と。
2
大公領は王都から見て南西側に位置している場所にあり、王都から約7~10日間の日数をかければ大公領に入る。
大公領からさらに4日ほどかければ、大公領の首都とも言える街、リッテンダムの街が見えてくる。
リッテンダムの街は王都に比べるとやや小さいが、港町ということもあり、各国の商人が様々な品を持って来るので人の出入りは王都よりも激しく、その分賑わいを見せている。
ここから南東に行けば貴金属の取れる鉱山であるスフル山脈遠くに見え、リッテンダムの街から見えるそれは、すばらしく、名を残すような画家が色々なタッチで絵を描いて名画として残されている。
スフル山脈からリッテンダムの街の真ん中を通るように川が横断しており、人々はそれを生活用水として使っている。
またこの川を使って街のいたるところに物を運ぶための船が数多く設置されており、水路としても活用されているのだ。
街は四角をイメージされて作られており、海に面する西側を除いて、塀が囲んでおり、また堀には水が流されて水掘りとして外敵の進入を拒んでいる。
軍隊用の大きな門と、いくつかに小分けされた小さな門が多く設置されていて、普段人々はこの門を使って出入りすることになるのだが、今日は珍しく軍隊用の門が開かれ、門から吊り橋が下げられた。
そして、橋を使い500人前後の軍隊が堂々と街の中に入っていく。
その軍隊に守られている馬車には4人の人物が乗っていた。
「おお、久々に戻ってきたが、以前とあまり変わっておらぬな。相変わらず様々な人が出入りしている。しかしこの潮風の匂いは懐かしいな。どうだ? エルネ? お主は海を見たことが無いと言っていたな。もう少し奥に入れば、港が見えてくる。あとで私が案内してあげよう」
シーヴが同じ馬車に乗っている黒髪の少年に目を輝かせて、話しかける。
シーヴにとっては約二ヶ月ぶりの帰省となる。
数字で表すとそれほど期間を経ているわけではないが、この二ヶ月彼女の周りでは様々なことが起きており、平穏とは言いがたい生活を送っていたのだ。
その分、懐かしさもこみ上げてきているのだろう。
さらに自分の想い人に、自慢の故郷を見せる事が出来る嬉しさもかなりあるのだ。
またエルネの生まれは王都から見て南東側に位置する場所にあるので、彼にとっては海は馴染みがないのだ。
ゆえに、その事をシーヴに話すとシーヴは胸を張って海を見せてやると、子供のように────実際子供なのだが────目を輝かせたのだ。
エルネの知らないことを自分が知っている。
仕方ないなあ私が海というものについて教えてあげようではないか。
というような気持ちだ。
今まで、クリスティーナや時にはエルネに色々とたしなめられ、自分が世間知らずということを少しずつ自覚していったのだろう。
しかしエルネが知らないことを自分が知っているという部分において、少し鼻が高くなったのだ。
その辺はまだまだ子供とも言えるような部分もあるが、王宮でイェリンを相手にケンカをしなくなったところを見ると、少しではあるが何かしら思うところがあり、成長を果たしているといえるかもしれない。
「シーヴ様、港への案内もよろしいですけどまずは大公様へのご挨拶が先ですよ」
クリスティーナが一言釘をさす。
「ああ、分かっておる。お父様と会うのも久しぶりだ。直接話したいことは山ほどあるぞ」
その顔には笑顔があふれており、本心から言っていることがうかがえる。
「大公様はどのようなお人柄なのですか?」
エルネが疑問を投げかける。
彼にしてみれば、なぜ自分がいきなり大公家へ招かれたのか未だ把握しきれていないのだ。
いや、薄々は感づいている部分はあるが、まさかな……という気持ちがある。
確かに、あの夜お互いの気持ちを確かめ合ったのは事実ではあるが、未だにキスのひとつもしていない関係だ。
それにシーヴからは「お前が私を助けてくれたことなどをしっかりと手紙にしたしめたゆえ、これでお父様も安心するだろう」と聞いていたのだ。
しかしシーヴの手紙の内容を知れば、さすがに頭を抱えたくなるかもしれない。
なぜなら確かに助けたことを書いてはいたのだが、それ以上にエルネへの想いが綴られており、挙句の果てには「時機を見て国王に仲人をしてもらい、近いうちに婚約を発表するのでお父様にその許可をいただきたい」と書いて伝えたのだ。
大公家にふさわしい仲人、もしくは媒酌人とも言えるし、それくらいの権利は大公家は持っている。
そして国王が媒酌人を務めるということは、ある意味勅命に近い形なので、そうなってしまえばもはや誰も口を挟むことが出来なくなってしまうのだ。
逆を言えば、それだけの人物を動かした場合、婚約を破棄するということは国王の顔に泥を塗る行為になってしまうので、どのような形であれ、最終的に結婚を行わなければならなくなるという、ある意味逃げ道をふさがれることにもなる。
大公はこの手紙を見たとき、頭を抱えベットに潜り込み、その日一日は食も取らず、仕事も手につかず、使用人に一言、アステグ卿の身辺を徹底的に調べるよう厳命した。
そしてエルネの先程言った疑問には当然、シーヴが答える。
「私の目から見ても立派な人物だと思うぞ。領民からは親しまれており、直接、下々の声を聞くこともある。また、スフル山脈を根城にしているいくつかの山賊や盗賊などを討伐した経験もあり、私はその話を子守唄代わりに良く聞かされたものだ」
そう言ってシーヴは苦笑する。
自分の武勇伝を娘に聞かせたいという親の心境を看破したことから来る苦笑だ。
「確かに悪い噂は聞きませんね」
これはフレードリクの言葉だ。
彼は彼なりに、大公家にお邪魔するということで、主のために情報を収集したのだが、欠点といえる欠点が見当たらなかったのだ。
異常なまでの親馬鹿ということは確かに欠点かもしれないが、それほど気にするような事ではないとタカをくくっている。
「けど、いきなり大公家への招待とはね……さすがにびっくりしましたよ」
「ふふ、私がお前のことをしっかりと言っておいたからな。きっとお父様もお前を素晴らしい若者と思い見てみたくなったのだろう」
シーヴがエルネに向かって満足そうに微笑む。
「はは、ありがとうございます。では僕もシーヴ様や大公様の期待に答えれるよう精進しないといけませんね」
にこやかな笑顔でエルネはシーヴに目線を送る。
その笑顔にシーヴはわずかに顔を赤らめるが、視線をそらすことなく満足そうにうなずく。
馬車に同乗している他2名と精霊は何やってんだか……と内心思うも特に口を挟むことなく、のろけに耐えていた。
馬車は街中の大通りを過ぎ、やがて大公家の屋敷の門へと辿り着いた。
そのまま門をくぐり、大きな庭園をゆっくりと進むと、一際立派な屋敷が目に入り、そこで馬車はようやく止まる。
馬車の扉が開かれ、エルネ達はようやく地に足をつけ、外の空気を吸い込む。
エルネには馴染みの無い潮の匂いが鼻腔をくすぐり、その空気はとても新鮮に感じられる。
屋敷の門が開かれ、幾人かを伴って一際立派な老年ともいえる歳の人物が駆け足気味にエルネ達に近づいてきた。
いや近づくどころか、そのままシーヴの元へ駆け寄り、彼女の体を両の手で持ち上げ掲げたのだ。
「おおシーヴ! 良く帰ってきたな! 待ちくたびれたぞ! 旅の間何か不自由することはなかったか? 王都では大変な目にあったと聞いている。ほんとに怪我は無いのか?」
とても老年とは思えない力強さで彼女の体を掲げる人物こそが現大公だとエルネは認識する。
というかその人物以外、大公女殿下であるシーヴにこのような真似ができるはずがないのだ。
「お父様? 人が見ています。恥ずかしいのでおろして下さい」
そうは言っているもののクスクスと笑っているので、満更でもなさそうだ。
そしてエルネとフレードリクは一瞬顔を見合わせる。
まるで今までのシーヴと口調が違うのだ。
え? 誰? とお互い思ったのだ。
「ははは、何を恥ずかしがることがあるのだ? わしとお前の仲の良さは誰にはばかることも無いであろう。どれもっと顔をよく見せておくれ」
今度はシーヴを地面に下ろして、両の掌で彼女の頬をやさしく包み込みじっと見つめる。
「もう、お父様? クリスが呆れた目で見ております。それに今日は他にも客人がいるのですよ? 私にばっかり構っていては大公家の恥になります」
やはりエルネ達は、誰? この口調の子? え? 中身入れ替わったの? と驚きに目を見張る。
シーヴのそんな言葉を受けてようやく大公がエルネ達に目を向けた。
「おお、アステグ卿。良く我が家に来れたものだな……あ、いや、よくわしの招待に応じてくれた。嬉しく思うぞ」
なにやら妖しげな光を目から放ち、エルネに視線を向ける大公。
エルネとフレードリクは慌てて膝を突き、最敬礼の姿勢を示す。
「は、大公家の御招待、我が身に対して有り余る光栄と思います」
「ははは、そのような謙虚な態度は無用じゃ。なに、そなたは客人であるからの、客人に疲れさせては本末転倒じゃ最低限の礼儀さえ守ってくれれば堅苦しい仕草などいらん」
「大公様の御心遣い大変ありがたく思います」
そしてエルネはその言葉に甘え最敬礼の姿勢を解き、立ち上がる。
立ち上がったエルネの両の肩に大公の両手がしっかりとおかれ、間近でじっと見られる。
大公はエルネよりずっと背が高いので、エルネは見下ろされる形となる。
「あ、あの? 大公様?」
異様な迫力に押されて後ずさろうとするも、大公の両の手には力が込められており後ろに下がることが許されない。
「いやいや、本当に良く来たなアステグ卿よ。ふふふふふ、まあ良い。時間はたっぷりとあるしな。お互いのことをよーく知っていこうではないか」
老年とは思えない力が込められて、エルネは肩の痛みに思わず顔を歪めかけるが、相手は大公なのだ。
彼にとっては挨拶かもしれないと思い直し、表情に出さないよう精一杯の笑顔を作る。
そんなエルネと父のやり取りを見ながらシーヴはクリスティーナに向かって満足そうに話しかける。
「どうだ? クリスよ。お父様はすっかりエルネのことが気に入ったようだ。さすがはエルネだな。お父様に会ったとたん、あれだけ気に入られるとは」
「いえ、シーヴ様。私の目にはとてもそうは見えないのですが?」
「何を言う、あれほど仲良く見えるではないか」
シーヴの目には仲良くしているように見えているし、客観的に見てもそう見えていることは間違いないのだが、クリスティーナの勘がそれは違うと告げており、クリスティーナはどうしてもそうは見えないのだ。
そうして一行は屋敷の中へと案内される。




