第二話
「このっ!」
木刀が空を切る。
「ははっ、それじゃ遅いな! そらっ」
相手の棍が8字の軌道を描き、円を中心として次々と襲い掛かってくる。
「どうした? もっと踏み込まないと間合いに届かないぞ」
円を描いた棍が斜めに振り落とされエルネの肩を襲おうとするが、エルネは後退ではなく、むしろ踏み込むことを優先し、左足を前に踏み出し、体を半身にしてそれを回避しつつ、体を回転させ、木刀を横一文字に繰り出すが、相手は手元を交差させ、短い動きで棍の逆端を跳ね上げ、エルネの持っている木刀を跳ね上げる。
木がぶつかりあう鈍い音が響き渡るが、木刀を跳ね上げられたエルネはその力を利用し、すばやく木刀を背中に回して、刀身を体で覆い隠し、背中で右手と左手で持ち替えて、左手で逆手に持った木刀を相手に突き出す。
背車刀と呼ばれる、かつて滅んだ国にあった、カタナを使う上での一つの技だ。
「これなら!」
そして突き出された木刀を相手は紙一重でかわし、棍を相手の頭の上でピタリととめた。
「あ、危なかった……以前その技を見ていなかったら今のでやられてたかもな。前に見たときよりスムーズになったんじゃないか?」
ようやく決着がつき、エルネの相手であるベルトルドが冷や汗を掻きながらエルネに言葉を向けた。
「あー、くっそー……かなり自信あったんだけどなあ……」
エルネは大地に体を投げ出して、ぼやく。
ここは王都。三の宮にある訓練場だ。
現在、ここでエルネと彼の兄であるベルトルドが訓練を行っていた。
正確に言えば、ベルトルドがエルネをしごいてるといったところだ。
エルネの体を良く見てみると、動きやすく丈夫な訓練用の皮の鎧を着けているのにもかかわらず、相当傷だらけであり、顔にも擦り傷などが出来ており、訓練の激しさを物語っている。
額からもわずかに血をにじませており、エルネ自身はもはや肩で息をしている状態だ。
兄もエルネほどではないが、汗をにじませており、息も少し乱れてはいるが、傷などは負っていなく綺麗なものだ。
「もう少しだと思ったんだけどな……」
「まだまだ弟に負けるほど弱くは無いよ。現役なのに成人していないひよっこに負けてしまったら、俺の立場がなくなるじゃないか」
内心、最後の技に冷や汗を掻きながら、表情には出さず、弟に笑みを向けるベルトルド。
「でも今まで一本もとったことないしさ、やっぱ悔しいよ」
「やれやれ、いくらなんでも気が早いんじゃないのか? 大体お前の訓練に他のやつらがついていけないから俺が付き合ってやってるんじゃないか……今でも充分すぎるほどだろ……全く」
彼の言うとおり、エルネはベルトルド以外の現役精霊騎士とも多少の手合わせをしていたのだが、ここ最近は先輩達の面目が立たないほどの頭角を現してきており、現役最強のベルトルドが相手をしていたのだ。
「さて今日はどうする? その様子じゃさすがに動けないだろ?」
「まだまだ行ける! と言いたいところだけどさすがに無理だね」
エルネもダメージと体力の消耗でさすがに動けないようだ。
「さすがのお前でも、もう動けないか……いや助かったよ。お前につき合わされるとこっちもつらいからな。そうだ、もうしばらくしたらなアスプルンド公爵の次女が王都に来るらしい」
「へ? なんで?」
体を起こし兄に目線を向けるエルネ。
「ああ、もう夏だろ? 北側にある高原の避暑地にいくんだって、そのついでに王都によって陛下に挨拶するらしい」
「あーじゃあ姉さんも来るんだ……」
「そんな顔をするなよ、お前の姉でもあるんだから」
「どうせ通り過ぎるだけでしょ? 別に関わりあう気にはならないから気にしないよ」
とても気にしないよ! という感じではない。
本当に気にしないのであれば、無関心になるはずなのだ。
「まあ、鉢合わせてもトラブルは起こすなよ」
そう言って肩をすくめた。
──────────────
水晶宮と二の宮の間にある中庭でシーヴとクリスティーナは散歩をしていたが、そこに第二王女イェリンが彼女達の前に立ちはだかった。
「……クリスよ道を変えるぞ……あやつは好かん」
相手に聞こえるように自分の従者にはっきりと言うシーヴ。
「あら、わたくしも貴方のことが好きにはなれないわ。道を変えるなど、ずいぶんと自分の立場をわきまえているのですね。そのように謙虚な態度であれば、わたくしも心穏やかにいられるというものです。早々に視界から消え去りなさい」
第二王女イェリンと大公女殿下シーヴ。立場としてはシーヴのほうが上なのだが、お互いまだ子供であり、よほどのことが無い限り問題視されないということではあるのだが、この二人は昔から折り合いが悪く、顔をあわせるたびにお互いを敵視している。
正確に言うなら、イェリンがシーヴに絡むという構図なのだが、その理由は単純に言えば嫉妬だ。
イェリンとは違い、いずれ大公領を引き継ぐことの出来るシーヴ。
イェリンはいずれ政略の一環としてどこかに嫁がされる身である。
ゆえにイェリンはこの少女を憎んでいるのだ。
逆恨みに近い形ではあるが、人の心というものは中々に厄介なものである。
そして挑発を受けたシーヴが目を吊り上げて応戦した。
「勘違いするでない。私はお前に譲るのではなく、他にやることが多いのでな。水晶宮に引きこもっているばかりで、暇なお前が羨ましいくらいだ。貴族筆頭の名代として様々な事柄にあたらねばならん。お前は一日中その辺の花でものんびり愛でているがよかろう。クリス行くぞ」
実際はそれほど忙しくは無く、また名代としてやることも大してないのだが、シーヴは言われっぱなしなのが我慢できなかった。
「お待ちになりなさい。その方の言う事の意味。わたくしはとても許容できる意味合いのものとは思えませぬ。もしかして、その方は第二王女であるこのイェリンを虚仮にしたのですか?」
シーヴの言った意味とは、遠まわしに所詮貴様はお飾りの人形に過ぎないので、人形らしく好きなだけ花を愛でていろ。という意味合いに近いものがあり、それが分からないほどイェリンは鈍くは無い。
「だとすればどうだというのだ? 私は別に間違ったことなど言ったつもりは無いのだがな。それとも何か? 貴様は貴様で何かやるべきことでもあるのか? ならばこんなところで暇をつぶしてないで早々に自分の仕事に戻るが良い。何、私のことなど気にする必要など無いであろう」
そしてここで、口を挟んだのは第二王女の侍女であるクララだ。
「大公女殿下の物言い、とても淑女とは思えませぬ。よいですか? 淑女のたしなみというのは、年上に敬意を払い、また……」
「その辺にしておくのですねクララ」
ここで現れたのは金色の髪を持ち、見るものを間違いなく感嘆させる容姿を持った女性、第一王女シェシュテインであった。
「いかに貴方がイェリンの侍女とはいえ、大公女殿下に対してのそのような物言いを見逃すわけにはいきません。陛下は多少のことであれば目を瞑るかもしれませんが、大公女殿下シーヴはわが国の国賓ですよ? 聞くところによると貴方は以前にもシーヴに対して少し度が過ぎた真似をしたみたいですね。いくら陛下でも、そう何度もお許しになられるとは思いませぬ。自分の身の上が大切であるならば、少し分をわきまえる事です。いいですか? 忠告はいたしましたよ?」
シェシュテインの言葉により、うつむくイェリンの侍女クララ。正論なだけあり、また相手が第一王女ということでさすがに何もいえないようだ。
そしてその彼女をかばうのは、やはり第二王女イェリンである。
「しかし、お姉様、いくら国賓であろうと、我が王家を侮辱に近い形で虚仮にした者をそのまま見逃すというのですか? そこまで我が王家はこの娘に譲らなければならないのですか? それではお父様が取っておられる政策がまったくの無意味になるのでありませんこと?」
「イェリン、現在、我が王家と大公家は良好な関係を結んでおります。それに私が見ていた限り道を譲ろうとしていたシーヴを引き止めて挑発したのは貴方の方ではなくて? 確かにシーヴの最初の物言いもあったやもしれませんが、あの程度の挑発であれば聞かなかったことにも出来るのではなくて? 貴方もお父様から言われているはずでしょう? シーヴはわが国の国賓であり、多少のことであれば譲ってやれと。ならばやはり非は貴方にあるようにも思えるのですけど?」
「……クララ行くわよ……」
そうしてスカートを翻し、イェリンはシーヴとシェシュテインに背を向けて立ち去っていった。
去っていくイェリンの姿を見てため息を吐くシェシュテイン。
「ごめんなさいね、シーヴ。あの子も色々と不安定な時期なのです。私にも似た経験がありますからね」
「シェシュテインお姉様が謝る事ではないと思うのだがな……こっちこそお姉様の手を煩わせたことを詫びねばならん」
大好きなお姉様の心を騒がせたことで罰の悪そうな顔をするシーヴ。
「ふふふ、貴方がそんな顔をする必要はないですよ。もう少し堂々としてていいくらいですからね。そうそう、もうすぐこっちにアウグストが来ます。せっかくですから貴方にも紹介しておきましょう。それに、最近ようやく外出の許可が下りそうなのです。もしかしたら北の高原避暑地にいけるかもしれません」
彼女達は先月に誘拐されるという事件によって、しばらくの間王宮から出ることが許されず、水晶宮で引きこもっていた状態だったのだが、事件が落ち着き、ようやく外出の目処がたってきたのだ。
「アウグスト? ふむ……確かアスプルンド公爵の次女とは聞いておるが……」
「ええ、そうですよ。女だてらに剣と馬を使いこなす、ちょっとした女性騎士でもありますの。私も彼女から乗馬を良く教えてもらったわ。シーヴも教えてもらうと良いですよ」
「しかしな……馬は高いし怖くてな……」
「あらあら……そうですね、なんでしたら、エルネスティ様に教えてもらうのはどうですか? 殿方とお近づきになることも出来ますよ」
やはりいつものごとく、からかうような口調でシーヴを焚きつけるシェシュテインだが、シーヴの反応がいつもとわずかながらに違うことに気がつく。
「ぬっ! そ、そうか? ふむ……お、お近づきになれるのか? それはいい事を聞いた」
───────────
「さ、シーヴ様。私の手をどうぞおとりになって下さい。大丈夫です。何があっても、私がお守りしますから」
「う、うむ、そうであったな。エルネはいつも私のことを守ってくれたな。よ、よしでは私の体を離さぬよう、しっかりと捕まえているのだぞ?」
「ええ、もちろんです。おっと危ない! 慌ててはなりませんよ、シーヴ様」
「す、すまぬ……わ、私は少し緊張していたようだ。もう大丈夫だ。体を少し離してくれてかまわぬ」
「いえ、どうやらシーヴ様のお体は、まだ緊張しているようです。少しその緊張をほぐしましょう」
「エ、エルネ顔が近いぞ……」
「シーヴ様……目を閉じて下さい」
「エルネ……」
────────────
「えっと……? シーヴ? シーヴ?」
シェシュテインが別の世界に旅立っているシーヴに声をかけるが、シーヴはふやけた顔の状態のままだ。
「クリスティーナ、これは一体どういうこと?」
仕方なしに彼女に侍女に問う。
「はい、どうやら最近になって色々と目覚めたみたいでして……特にエルネスティ様の初恋の相手の事を聞いてからは……」
「それで自覚して舞い上がっていると? 今更?」
「はい……お恥ずかしい話ですが……」
別世界に旅立っている少女を尻目に二人の女性はどう反応して言いか分からず、ため息だけを吐いた。
───────────────
水晶宮。第二王女イェリンの私室にてその私室の主である彼女は苛立っていた。
理由は明らかだ。大公女殿下シーヴの存在だ。
──────昔から何かと気に食わない女だった。
何故、あの女は私が手に入れられないものを手に入れることが出来るの?
もしかしたらあの女は大公領だけではなく、将来の伴侶さえ自由に出来る立場かもしれないのに、王族である私は何故?
今のところ縁談話は舞い込んでは来ていないが、それは恐らく時間の問題だろう。
下手をすれば、この国を離れて他国に嫁がなければならなくなるやもしれない。
なのにあの女は……
許せない。悔しい。ずるい。───────
そんな思いが彼女の胸中を襲う。
「クララ」
そしてそばに控えている侍女に声をかけた。
「はい、イェリン王女殿下」
返事をするクララ。二人きりにもかかわらず、公式名称で呼んではいるが、彼女達の関係は決して悪いものではない。
「あの女をどうにかして、やりこめる方法はありませんこと?」
クララはわずかながらに考え込む。
第一さっきシェシュテインに言われたばかりなのだ。
とはいえ自分の主がそれを望んでいるのであれば、やはり忠告するより、追従するのが彼女のスタイルだ。
ゆえに、イェリンに案を発する。
「毒を持っての暗殺。誰か信用できるものを雇っての暗殺。あるいは彼女を攫いその身を汚す……他には顔に毒物をかけ一生の傷跡とする……」
「バカですか? 貴方は! そのようなことをして内戦になってしまったらどうするのです! またその行状がバレてしまえば私達の首すら危ういのですよ? お父様は身内にすら容赦しないのですから」
どうやらその程度の事は一応理解しているらしい。
ならばシーヴに対する挑発をやめればいいのだが、それが出来るほど彼女は大人ではない。
「まったく……仕方ありませんね。お兄様に知恵をお借りします。ついて来なさい」
そういって部屋を出た。
─────────────
エリオット・モンスリーン。この国の第二王子であるが、顔にはにきびが出来ており、また体格もいい……というよりは良すぎて栄養過多が心配されるほどの体つきでもある人物だ。
丸い顔に、にきび面、どう考えても女性に嫌われるタイプではあるのだが、その中身はかなりの切れ者であり、彼の外見に騙されて痛い目にあった者はかなりの数に上る。
現在、彼は19歳でありながら、執務室を王からもらい受け、内政に関する作業に没頭していた。
「ふむ……こちらの土壌では作物は育たぬか……致し方あるまい。あまり精霊の住む地には人の手は広げられぬしな……なれば精霊に伺いを立て、どこか別の土地を恵んでもらうか……父上にも相談せねばな……」
この国において、食糧事情というのは水も豊富であり、また精霊の加護もあるので、他国に比べるとかなり優秀な部類に入るが、それだけ豊富だと人が増えるのも当然であり、そのためには10年先を見据えての土地開発が必要となってくるが、むやみやたらに開発してしまうと、精霊の怒りに触れる恐れがあるため、森林伐採など行うときは精霊と交信できるものが精霊に伺いを立て、開発に乗り出すという手順を踏まなければならない。
現状ではこの国の人々が食っていくには充分すぎるほどであり、むしろ他国に食料を輸出しているくらいなのだが、10年後はどうなっているか分からないので手を打っておくに越したことは無い。
そのための書類作りを行っていたのだ。
そんな時、扉がノックされ、彼は返事をしてその客を招きいれた。
「イェリンか……残念ながら今は仕事中だ。お前の相手は出来ないぞ?」
「あら、お兄様。冷たい事を言わないで下さる? わたくしお兄様に冷たくされるのがとても心苦しいのですよ?」
どこか甘えるような猫なで声で彼女はエリオットに声を向けた。
「……何が狙いだ? お前がそんな声を出すときは、何か悪巧みをしようとしている証拠だろ? もう14になるんだ。子供の悪戯ではすまされないことだってあるんだぞ?」
しかしイェリンは兄の言葉を気にすることなく、椅子に座っている彼の背に回りこみ、後ろからその太い首ごと抱きしめた。
「それでもエリオットお兄様は、わたくしに知恵を授けて下さいますわ。そんなお兄様を私は愛していますから」
そして悪戯心が含まれているのか、彼の耳に吐息をかけるように、そしてささやくように言葉を紡ぐ。
彼女の言う愛とは、男女の愛ではなく家族として愛しているといっており、またエリオットもそのことを充分理解している。
「くすぐったいからよせ。わかったわかった。その調子でずっと絡まれては仕事にならん。話すだけ話してみろ」
その言葉を聞き彼女は離れるどころかむしろ力を入れてエリオットを抱きしめた。
「だからお兄様は大好きなのです!」
そうして事の事情を聞いたエリオットは、やはり苦い顔をしている。
「イェリン……お前が大公女と折り合いが悪いのは知っているがな、さっきも言ったが、もう子供のケンカではすまされない状態なのを理解していないのか? むこうは大切な国賓であり我ら王家はそれを大事にしなければならないのだよ?」
「理解しているからこそ、お兄様に知恵をお借りに来たのではないですか。わたくしとて分かっていますけど、そこまで王家が譲る姿勢を見せてしまうと、他の貴族が増長する恐れが出てくるのではありませんこと? ですからある程度の牽制は必要だと思いますの」
物は言いようとはよく言ったものだが、彼女の言ったことも、またありえる事実だけにエリオットは少し悩む。
もちろんイェリンが真から発した言葉ではないと分かってはいるが……
「そうだな……お前の言うことも一理あるが、今は波風を立てる時期ではない……下手に火をつけることもなかろう」
「お兄様ぁ……」
頼りにしていた兄にたしなめられ、思わず悲しげな声を発するイェリンだが、エリオットの言葉はさらに続いた。
「待て待て、そう結論を急ぐな。確か大公女はヴィクセル家の次男と仲が良かったな?」
そう言われて、イェリンはエルネの事を思い出した。
王家に忠を誓っていながら、大公女をかばった嫌な男だ。
これが彼女の認識だ。
「ええ、そうですわね。それが何か?」
「ふむ、まあ彼の情報を収集しているとだな、かなり優秀な部類に入る人物のようだな」
大好きな兄から大嫌いな男が褒められる。
イェリンは表情を隠すこともせずに、兄に向ける。
「そんな顔をするな。俺と違って美しい顔なんだからもったいないぞ?」
「お、お兄様、早く本題に入ってくださる?」
ほんの少し顔を赤らめながらイェリンは先を促す。
「まあ、簡単な話だ。将来はどうなるか分からんが、彼らは男女だ。分かるな? 下手をすれば精霊の一族の血が我が王家よりも先に大公家に入ってしまう可能性もでてくるわけだ。そして父上は先月の事件の褒美としてヴィクセルの次男にお前を与えようとしたが、彼は断ったそうだ。その事からも分かるように、我が父上はなんとか精霊の血を王家に入れようと画策している。あとは分かるな?」
つまり、イェリンにエルネを誘惑しろと言っているのだ。
エリオットとしては別にイェリンに誘惑しきれなくても、それがきっかけでエルネと大公女が距離を置く様になれば、それはそれでいいのだ。
しょせんまだ子供の恋愛に近いものがある。
何がきっかけで関係が崩れるか分からない。逆になにがきっかけで恋愛に発展するかも分からない。
そんな思惑がある。
もっと言えば、本音はさらに別のところにある。
「わたくし、あの者を愛せるとは思えませんわ……」
「別に愛する必要など無いさ。それにうまくいけば、お前とて他国に行かずにすむかもしれん。俺も可愛いお前が他国に行ってしまっては寂しくなるからな」
「お兄様……もう嫌ですわ。でもそれも良いかもしれませんね。あの女が味方だと思っている殿方を私の側につける。ふふふ、さぞや痛快なことでしょう。さすがお兄様ですわ。仕事中失礼しましたわ」
最後にエリオットのにきび面の頬に軽くキスをして部屋から出て行くイェリン。
「やれやれ、我が妹ながら難儀な者だ……しかしアステグ準伯爵か……まあ、頑張れ」
彼としては、別にエルネがシーヴとくっつこうが王家のものとくっつこうが、はっきり言えばどちらでもいいというのが答えである。
確かに大公家が精霊の一族の血を取り込めば、多少ややこしくはなるが、言ってしまえばその程度だ。
王家がしっかりと大公家をコントロールできていれば問題はないし、そこは自分達、王族の手腕にかかってくるので、そこさえきっちり抑えておけば目くじら立てることも無い。
では、なぜイェリンを焚きつけたかと言うと、簡単に言えば彼女の目をそらすためだ。
あのままだと、万が一の確率ではあるが大火になる恐れもある。
王家としてはわずかな不安要素も取り除いておかねばならない。
ゆえにイェリンの矛先をシーヴからエルネに変えさせたのだ。
しょせん小手先であり、一時の時間稼ぎにしかならないが、それでもほうっておくよりはマシだと考え誘導したのだ。
あくまでこれはエリオット個人の考えであり、国王にはまた別の考えもあるだろうけど、その辺は仕方なしと言うところだ。
生贄に選らばれたエルネはご愁傷様というところか。
エリオットは苦笑しながら最後はそんな一言を発し仕事に戻った。
────────────
「さて、エルネよ。すでに聞いているかも知れぬが、我々は明日高原避暑地に出向くこととなった」
水晶宮と二の宮の間にある中庭で、シーヴがエルネにそう切り出した。
「ええ、聞いていますよ。僕も同行することになってますからね」
「うむ、その通りだ。私が陛下に掛け合って、お主も連れて行けるように頼んだのだ」
エルネはこの少女の無茶振りに慣れたのか、苦笑しながら答える。
「大変ありがたいご好意,感謝いたします」
本来エルネはまだ見習いの身であるので、彼女達の警護に行くのは認められないのだが、先月の事件などで実力を証明し、さらにはシーヴが国王に頼んだことによって、特別に警護につく事となったのだ。
「そ、それでだな……そ、その……なんだ……馬が緊張してほぐれるわけだから……わかるな?」
はっきり言ってわかるわけがない。
が、エルネは言葉の意味を何とか理解して、口を開く。
「ああ、向こうで乗馬を教えてほしいわけですね。分かりました。まあ警護の任務の合間にでしたら恐らくかまわないと思いますよ」
「う、うむ、そうなのだ! さすがはエルネだな。私の言いたいことを良く理解してくれる。ふふふふ、うんうん。よ、よし約束したからな。わ、私はこれから明日の準備もあるゆえ、一度部屋に戻る。ではな」
そういってそそくさとその場を後にするシーヴをエルネは見送った。
「なあ、フレードリク……僕の勘違いでなければ、シーヴ様は馬以外に目的があるような気がするのだが?」
「ええ、たぶんあっているでしょうね……」
「一時の気の迷いということは?」
「それもありえると思いますよ」
ここでエルネはため息を吐いた。
「さて、これから僕の取るべき行動を従者である、お前の口から聞こう」
「部屋に連れ込みますか?」
「そして大公家から狙われるか? 笑えない冗談だな」
「しかし、侯爵家である貴方であれば引けは取らないと思いますが?」
「……侯爵家か……やっぱりどこに行っても付きまとうんだよなあ……」
その一言にフレードリクはピクリと反応する。
「エルネスティ様?」
「ん? ああ、すまない少し考え事をしていた」
「シーヴ様のことではないようですね……やれやれ」
二人の少年ががそのような会話をしていると、赤毛の髪を腰より下に伸ばし複雑に編みこんでいる女性が、二人の目の前に現れた。
第二王女イェリンである。
二人は厄介ごとはごめんだ。と思い以前のような簡略式の敬礼ではなく、膝を折り、正式な敬礼の仕草を見せた。
「あらあら、以前とは態度が大違いですこと。そうしていれば何も問題は起きないのですよ。貴方がたにもようやくそのことが伝わり、わたくしはとても気分がよろしいわ。ゆえにその敬礼をを解き、わたくしと同じ目線で話すことを許します。さ、体を上げなさい」
黒髪の少年は、敬礼の姿勢を解き、立ち上がるも、従者にすぎないフレードリクはそのままの姿勢だ。
「さて、アステグ準伯爵。そなたに命じます。明日の高原避暑地へ赴くさい、わたくしの専属の護衛の一人として任務を遂行しなさい」
さすがに驚くエルネだが表情に出すわけにはいかない。
「は、我が明日の護衛の任務を決めるものは、アスプルンド公爵であり、私はそれに従う身でしかないので、その儀は了承できかねます」
「その件でしたら問題はありませんわ。わたくしからアスプルンド卿に伝えておきます。いいですね」
言葉を発しながら、エルネの体に近づくイェリン。
エルネは後退するわけには行かないので、その場に留まらなければならないのだが、結果、体が密着に近い形になる。
「は、確認次第、その任務につきます」
「ふむ……まあ良いでしょう。ふふふ、楽しみにしておりますわ。アステグ卿」
なにやら妖しい視線を送り、クララをつれてイェリンはその場を後にした。
「なあ、フレードリク……僕の勘違いでなければ、なにやらとてつもなく嫌な予感がするのだが?」
「ええ、たぶんあっているでしょうね……」
「ただの勘違いで済む可能性は?」
「それはありえないと思いますよ……」
二人の少年はため息を吐き、明日の準備へと向う。
───────────────
水晶宮シーヴの私室。
「クリスよこのような服ではどうであろう? 以前エルネに褒められた服と似ておるだろう?」
シーヴの取り出した服は、もう見事なまでの催し物様のドレスであり、それは見事なものなのではあるのだが、すでに似たような服を7着ほど選んでいた。
「シーヴ様……ええ、確かにそういった服も必要になっては来るとは思いますが、乗馬用の服もお選びにならないと、肝心の手ほどきを受けることが出来ませんよ?」
「う、うむ、そうであったな緊張で馬の顔が近くならなければならないのだからな」
もはや支離滅裂である。
「シーヴ様、少しは落ち着いて下さい。エルネスティ様は何処にも逃げたりなどしませんから」
「そ、そんなこと分かりきっておるわ。あやつは我が親友なのだからな」
「そう、お思いであるなら、深呼吸して心を静めてください」
この期に及んで親友と言い張るシーヴを尻目にクリスティーナは頭を抱える。
──────────
次の日、王宮正門前には約500騎の騎馬隊と700の歩兵に500の荷駄隊が勢ぞろいしており、シェシュテイン、イェリン、シーヴ、そしてアスプルンド次女であるアウグストを含む貴族30名前後を守るように陣を組み高原避暑地へ向かって出立した。
約2000のちょっとした軍隊だ。
総指揮を取っているのは現アスプルンド公爵であり、すでに父が隠居しているので、32歳の長男が爵位を継いで指揮をしており、その中には、ベルトルド、マルギット、エルネスティのヴィクセル侯爵
家の三兄妹の姿もあった。
この他に精霊騎士は20人ほどおり、さらには訓練を受けた術師も何人か組み込まれている。
エルネはイェリンの専属護衛ということで、彼女の馬車に護衛としてついているが、不満を持つものも当然いる。
小麦色の肌を持つ少女、大公女殿下シーヴだ。
「なぜエルネがあやつの護衛についておるのだ!」
馬車の中で大いに不満を漏らすシーヴ。
「仕方ありません。総指揮を取っていらっしゃるアスプルンド公爵のお決めになられたことです。エルネスティ様とて逆らえるはずがありませんでしょう」
「し、しかしだな……わ、私とて護衛が必要な身のはずだぞ?」
「ですからエルネスティ様の兄君であるベルトルド様が護衛についていらっしゃるではありませんか。それにデニス様もいらっしゃいます」
「だ、だがな、ぬう……あやつの護衛に何もエルネをつけることなど無かろう。精霊騎士など他にもいるのだから……」
「もう決まったことですよシーヴ様……」
クリスティーナはシーヴをたしなめながらも、内心、やられたと思っていた。
これは恐らくイェリンの嫌がらせの一環であり、昨日のうちに根回しを済ませていたのだろうと確信していた。
シーヴのやったことはあくまで避暑地にエルネを連れて行くことであり、エルネを自分のそばに置くための根回しをしていなかったのである。
もっといえば、別に根回しなどしなくても、普段であれば彼をそばに置くのが当たり前と認識していたので、そのための人事を尽くす必要がないと考えていたのだ。
しかし分からないこともある。
イェリンはエルネに対して、あまり良い感情を持っていなかったはずだ。
嫌がらせといえど嫌いな人物をそばに置くことを、あの王女はよしとするのだろうか?
そんな思考がクリスの頭の中を巡る。
「クララ、見ましたか? あの女の悔しそうな顔。ふふふ、わたくしはとても気分がよろしい。ほほほ」
「王女殿下イェリン様の魅力を持ってすれば、アステグ準伯爵といえど骨抜きになるでしょうね」
侍女がイェリンを褒め称え、イェリンはますます気分がよくなる。
「ふふふ、いずれアステグ卿は私に結婚を申し込むことになりましょう。まあこの国から離れるのは嫌なので、その時は受けても良いと思いますが、愛の無い私に彼は苦しむことにもなります。笑いが止まらないわね」
イェリンの馬車の近くに馬を寄せているエルネは背筋に冷たいものが走り、思わず身震いする。
専属護衛の一人なので、彼女のそばにいるのは当然だ。
もちろん彼だけがイェリンの護衛というわけではない。
あくまで幾人かいる専属護衛の一人だ
「いかがいたしましたか?」
彼の従者であるフレードリクが声をかけてきた。
「いやなに……とてつもなく嫌な予感がしてね……」
「ほんとに何事も無ければよろしいのですがね。それよりマルギット様に、ご挨拶をしなくてほんとによろしかったのですか?」
「ああ、向こうも気にしてないだろ。下手に顔を突き合わせると、どうせケンカになるに決まっている。他の人の目が在るところで怒鳴りあって、恥をかく必要など無いさ」
「エドラ様にも言われたでしょう……和解の機会をと……」
「うん……まあ分かってはいるんだけどね……タイミングを見て話しかけてみるよ」
「あは、あの子があんたの弟なんだ。へー、なるほどなるほど……うん生意気そうな顔だけど雰囲気はあんたそっくりだね」
そう言って自分の護衛であるマルギットの話しかけているのは、シーヴと似た銀色の髪を女性とは思えないほどに短く刈り込み、ちょっとした男装の麗人を思わせるような雰囲気を漂わせている、アスプルンド公爵家次女、アウグストである。
「アウグスト様、あのような不肖な者と一緒にはされたくありません」
「おやおやぁ、そういう割には、あんたの口から良くあの子の話題が出るのはなぜかなー? 普通はほんとに気にしていないんだったら、悪口さえ出てくるようなものじゃないと思うんだけどなぁ」
マルギットは表情を変えず兄と同じようなクリーム色の髪をたなびかせながら、馬車から顔を出しているアウグストに、馬上から視線を向ける。
「それは、アウグスト様の邪推です……それよりも公爵家に連なる方が、あまり窓から顔を出していると女性としてのたしなみが、疑われます」
「あのねー、いまさら取り繕ったって、あたしに関する噂は変わらないわよ。まあ確かに自分でも男勝りなところはあると思うし、気にしなくて良いんじゃない? 兄上や父上だって笑って許してくれているしね。だいたいあたしは、こんな狭い馬車に揺られているより、馬に乗ってあんた達と一緒に駆けた方が楽なんだけどねー、それに女性としてのたしなみなら、あんたも人のこと言えないんじゃない? いくらヴィクセル家でもさ、そこらへんの男より強いだなんて、男性の面目丸つぶれだよね」
「アウグスト様……」
「ああ、ごめんごめん別に嫌味じゃないからさ。しっかし王族に大公家に公族だなんてね。はは、こりゃ警備の人も気が抜けないね」
様々な思惑の中、一行は高原避暑地へと歩を進める。




