第十二話
その日、エルネは貴族街の一角にある、ベルトルドの家に来ていた。
侯爵家嫡男の住む家としては、1階建てで、来客用の部屋が二、三あるだけでそれほど立派とはいえない作りだ。
しかし、ベルトルド自身、「無駄に広くても仕方ないさ」といって特に気にはしていないみたいだが、父親であるアーロンは、体面として悪くなるからせめて、使用人と従者くらいは付けてくれと、頼んであり、現在は同じ貴族街から、子爵の年配の男性が一人、まだ成人したての若い男爵が一人、そして侍女が二人、計四人がこの家に通っている状態だ。
国王直轄の精霊騎士であるなら、三の宮に居を構えることも出来るのだが、どうもヴィクセル家は堅苦しい場所を嫌う傾向にあるのか、ベルトルドはここで十分満足しているみたいなのだ。
「しかし驚いたぞ。大公女殿下をお救いしたばかりか、水晶宮に居を構えることが出来るなんてな。父上には手紙を送っといたぞ。さぞや喜ばれることだろう」
兄が何処か誇らしく、父親似のクリーム色の髪の毛を掻き上げながらその笑みを弟に見せる。
現在二十二歳の若者であり、またそのルックスから貴族のご婦人方の視線を独り占めしている若者の一人だ。
エルネはそんな兄に肩をすくめながら答えた。
「うん、僕もまさか、魔霊に襲われていた相手が大公女殿下とは最初、気付かなかったよ。ほんとにびっくりした。おかげでベッドから転がり落ちるわ舌は噛むわで、さんざんだったよ」
「おいおい、いくらなんでもそれは驚きすぎじゃないか? お前だってそれなりの教育は受けているはずだろ? 受け答えに何か失敗したのか?」
「それならまだ良いんだけどね。ノックもしないで部屋に飛び込んでくるわ、一緒に湯に浸かろうとか言ってくるわ、王太子殿下との昼食にいきなり誘ってくるわと、とても大公女殿下のなさる振る舞いじゃなかったからさ」
「……大公女殿下はもう十三歳になるはずだろ? それは……まあ、なんというか、とんでもない殿下だな」
「それ、僕がフレードリクに漏らした感想だよ……」
「はは、なるほどな。それでいろいろ疲れているわけか。大公殿下と一緒に湯に浸かった?」
ニヤニヤと意地の悪い笑みを見せながら弟をからかうような口調だ。
「そんなことできるほど、僕の神経は図太くないよ。どころで兄上は今日は休みなの?」
「ああ、休みというより、待機中かな。まあ交代制のちょっとした休みみたいなのようものだ。最近は
魔霊もあまり出没しなくてな。お前が王都に着く前なら、三日に一回は王都近辺にある森や、西にある川から魔霊が出たという報告を受けていたんだが、いったいどうしたのかね? あいつらも休みなのか」
最後は肩をすくめながら苦笑して言い放った。
「さあね、魔霊のことなんて良く分からないよ。それに今は水晶宮で身を縮めて暮らすのが精一杯さ」
「おいおい、かなりの名誉な事なんだぞ? まあ俺もそれほど羨ましいとは思えないが。そういえば第二王女殿下とやりあったんだってな? 噂になっているぞ」
「勘弁してくれよ……」
机に突っ伏すエルネ。
「心配ないさ。あの陛下のことだ笑って許してくれるさ。俺もかかわりがなく、噂でしか聞かないんだが、結構甘やかされて育ってきている部分があるらしいな。国王陛下自体もお忙しい方だし、基本教育は乳母と第三正妃によるものだからなあ。でもグスタフ殿下は陛下のご気性を引き継いでいらっしゃるし、それほど問題にはならんだろ」
そういって侍女が用意したお茶を一口飲む。
「だといいけどね……」
あの時の事を思い出したのか、力なく答えるエルネ。
「そういえば、フレードリクはどうしたんだ? 珍しく見ないな」
「ああ、大公女殿下の街見物に付き合ってもらおうと思ったんだけど、第一王女殿下まで来ることになって、冗談じゃありませんって思い切り訴えられたから、今日は買い物を頼んでいるよ」
「はは、なるほどね。あいつらしいな」
「そういうわけで今日は一人さ、さて長居したみたいだし僕はもう行くよ。それじゃまたね」
エルネはそう言って席を立った。
「なあ、エルネ……やっぱり許せないのか?」
ぽつりとベルトルドの言葉が、背中越しのエルネの耳に届く。
「兄さんなら許せる? 精霊に認められないって分かったとたん、他人扱いして、精霊と契約できたとたん今度は手の平を返したような態度をとってくるような家族をさ。一貫して態度を貫いている姉さんのほうがまだマシだよ」
「それは……!」
「しばらく時間を置かせて。それじゃ行くね」
そういって、エルネは足早に出て行った。
「八年か……」
ぽつりとベルトルドがつぶやいた。
彼としてはエルネの気持ちも分からなくはないが、また親の気持ちも分かってしまうだけに、複雑な気持ちなのだった。
将来、家名を継ぐ身としてあの時の親の気持ちが、わずかながらに理解できてしまったのだ。
「精霊の一族か……重いよなあ……」
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大公女殿下と第一王女殿下は、王都内にある東側のある広場に来ていた。
王都内にはこういった自然のある場所がいくつも作られており、平民が利用したりする。、また特別にくつろげるような場所には貴族専用の自然広場などもある。
今回二人が利用したのは、平民も利用できる自然広場だ。
これはシーヴが王都の人々の様子を見てみたいと言ったことから、このようになった。
護衛も相当数つくと思われたが、「治安の良い、この王都ではそれほど物々しくする必要はありません。またそのようにぞろぞろと来られては、臣民である皆様が驚かれます。最低限の人数でかまいません」と第一王女殿下、すなわちシェシュテインが黄金の髪を優雅になびかせながら言い放ったので護衛人数は二十人とかなり少数になった。
しかしその二十人の中には現役の精霊騎士も二人、ビルト卿とアールステット卿である。よほどのことがない限り危険などとは無縁のはずだった。
そして臣民達がお昼時に昼食を持ち寄り、食べている姿を、シーヴは満足そうに見ていた。
「うむうむ、どうやら王都の臣民達は幸せみたいだな」
「あら、何故そう思われるのですかシーヴ」
シェシュテインが微笑をしたままシーヴに問う。
「お父様が言っておった。民の顔に充実感がある街や国は、とても良い国だと。そして私は、今それを実感している」
「とても素晴らしいお父様ですね。うふふ、少し羨ましいですわ」
「ん? 何故だ? 私はシェシュテインお姉様のほうが羨ましいぞ。私にはお父様しかいないからな……」
「それでも、家族との仲がよろしいではありませんか。それだけでも私がうらやむのに十分ですよ」
相変わらず表情の読めない微笑みを浮かべて優雅に口を開くシェシュテイン。
「むう……お姉様は家族との仲はよくないのか……?」
「そうねえ……私の父である国王陛下は多忙ですから、それほどかまってもらった記憶はありませんし、私の母は、後宮内で、女性同士の権力争いに熱心ですからね。いいとはいえませんわ。家族がいてもそれが幸せとは限らないのですよ」
セリフだけを取ってみれば寂しそうな内容だが、彼女はまるでシーヴをからかうような口調でクスクスと笑いながら優しく答えた。
「ふむ……難しくてよくわからんぞ……」
シーヴは頭を悩ませる。
そんなシーヴの頭を優しくなでながらシェシュテインは、さらに言葉を紡ぐ。
「ふふふ、貴方にはたぶん知る必要のないことよ。それに貴方にはとても良く出来た侍女と、お気に入りのエルネスティ様もいますでしょ? ですから羨ましいのですよ」
「それだったら、お姉さまにも私がいるではないか。それにエルネのことを近いうちに紹介してやろう。お姉様も仲良く出来るに違いないと思うぞ」
エルネが聞いたら胃が痛くなるような会話であり、後ろではクリスティーナが諦めたのか、ご愁傷様と合掌していた。
そんな一行を遠くから幾人かの男達が見つめていた。
「おいおい……せっかく出てきたのに精霊騎士様つきかよ……用心深いにもほどがあるぜ」
自分達が今からやろうとしていることを棚に上げ、茶色と金色が入り混ざった入り混じったような髪をした男が大いに嘆いた。
「どうします? レンナルト様、今回は諦めますか?」
レンナルトと呼ばれた男は、くせっ毛の髪の毛を自らの手でクシャクシャとかき回しながら、猫科に属するような釣り目で声をかけた男を見据えた。
「バカか? お前は? こんな護衛の少ないチャンスなんて早々にあるかよ。とはいえ隙がねえんだよな……ったく精霊騎士様万歳だぜ」
「やはり難しいですか?」
先ほどとは違う男がレンナルトに声をかけた。
「力ずくでやれってんなら、精霊騎士を殺すって事だけに限定すれば、あの程度なら何とかなるぜ、手間はかかりそうだがな。んでもってその間に逃げられて計画がパーになる。それじゃ駄目だよな? 生け捕りを命じられていて攫ってこいって命令だろ? 追っ手がかかっちゃ意味がねえんだよ。騒ぎを起こさず誰にも見られずってな……泣けてくるぜ……お前達がもう少し使えるなら俺があの二人を相手にしている間に、お前達に任せるんだが、お前ら精霊騎士を抜いた、あの護衛どもを突破してお姫様を攫えるか?」
レンナルトの問いに、十人ほどいるの男達は無言で答えない。
「だよなあ……魔霊だって前回で使い果たしちまったから全然、姿が見えねえしよ……集めるのに苦労したんだぜあれ……あれで十分と思っていたのによ……予想より多く護衛兵が残ったもんだから手が出せなくなっちまったし……ヴィクセルの小僧も邪魔だったし、踏んだり蹴ったりだぜ。はぁーあ」
レンナルトはこういっているが、もしあの時レンナルトが襲えば、シーヴの命は確実に奪われていた。
しかし、レンナルトはあの時、魔霊がやられたことによって、さっさと退散してしまったのだ。
理由は、エルネに警戒し最後がどうなったのかを見届けなかったのだ。
ゆえに、その時はまだエルネが訓練前の精霊騎士予備軍とは知らず、同調することによって漏れ出した得体の知れないソードの気配だけで判断し、危険だと思い退散したのだが、エルネが倒れていたことなどを後から知り、舌打ちをもらしたのだった。
そして後に情報を集め、それがヴィクセル家の次男だと知ったのだった。そのことを思い肩を落としながらぼやくレンナルト。
そこで男達の中の一人がポツリとつぶやく。
「何か注意を引ければいいんですがね……」
その言葉にレンナルトは反応した。
「おいおいおい! それだよそれ! いやぁ俺もどうかしていたぜ。だよなあ、正攻法でやろうだなんて無理に決まってるよなあ。よしよし、お前らいいか? いまからちょい買い物に行って来い。んでもってな……まあうまくいくかは賭けだが、やらないよりはマシだろ」
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「ふふ、シーヴはほんとに美味しそうに食事をするのね」
ちょうど一休みし、王女と大公女一行は食事に入っているようだ。
食事の、内容は簡単なもので、パイ皮に肉や魚などを包み込み、この国で取れる香辛料を使って味付けした、ちょっとした料理であるが、王宮の料理長が腕によりをかけて作った料理でもあるのでその味はお墨付きだ。
「うん、うまいぞ。お姉様は食べないのか?」
「シーヴの食べっぷりでおなかいっぱいです」
こうしてみると、肌の色は違えど実の姉妹のようだ。
そしてそんな時、周りの平民達がざわつき始めた。その騒ぎ声を二人の少女は聞いた。
「火事だ!!」
「くそっ、井戸から水をありったけ持ってこい!」
「水の術師はいないのか!」
「んなもん探している暇があったら、そこらにいる役人に報告して来い!」
「ざけんな! 俺の家族があの中にいるんだよ! 誰でも良いから助けてくれよ!」
「なんで風もないのにこんなに火の回りが速いんだよ! 精霊様の怒りに誰か触れたのか!? くそったれ!」
そのような声があちこちからで飛び交っている。
瞬間、二人の少女は顔を見合わせる。
「お前達! 臣民たちを安全圏へ誘導するものと、火を消すものに分かれて彼らを救いなさい!」
シェシュテインが、間髪をいれず一瞬で判断を下す。
「クリス! お前の精霊の力で火を消し止めろ! デニスお前も手伝え!」
シーヴも負けてはいない。
そして護衛たちは即座に反対する。
「しかし、それでは王女殿下と大公女殿下の身の守り警護が薄くなります」
護衛の一人が進言する。
「大公女殿下をほうっておくわけには参りませぬ。まずは大公女殿下ご自身の安全を確保して下さい」
クリスティーナもそれに追従する。
「私達なら大丈夫です! 身の守りは数名だけで十分です。ビルト卿、あなたも水の精霊騎士のはずです。火を消しとめる手伝いをなさい。アールステット卿あなたは地の精霊騎士でしたね。土の力を使いビルト卿と同じように火を消し止めなさい!」
すでに煙がシーヴとシェシュテインの回りを襲いかけており、もはや猶予はない。
「お姉さまの言うとおりだ。二人ともいけ!」
二人の少女から発せられる強い意志を拒否できず、指示を受けた者達が慌しく走り始める。
「王女殿下、大公女殿下はこちらへ」
残った護衛の兵が誘導する。
しかし、煙と火の届かない安全圏に来たとき、茶色と金色の入り混ざった入り混じったような髪の若い男が、一行の前に立ちはだかった。




