第一章~一話
モンスリーン王国にある、ヴィクセル候領。ここで、ヴィクセル侯爵家の次男が無事生まれた。
母親の黒い髪を引き継ぎ、目の色は父親に似たライトグリーンの綺麗な瞳。名前はエルネスティ。愛称はエルネと呼ばれることになる。
この国では、エルネスティという名前は、空、天、あるいは星々というものを連想させる意味がある。
エルネの目がとても綺麗で、星のようだということに因んで付けられた名前だ。
この日、ヴィクセル家において盛大な宴が催された。
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「さあ、エルネ、今日はお前が七歳になる日だ。心の準備は良いか?」
エルネの父親、現ヴィクセル家当主のアーロンが、息子であるエルネにそう問いかけた。
「はい、父上、大丈夫です」
エルネは父親を見上げてしっかりと答えた。
彼らが今いる場所は、精霊の森といわれている場所だ。
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この世界には精霊と呼ばれている存在があるが、それは、その力で人々を助けたり、時には襲ったりと非常に気紛れなのだ。と、言ってもこちらから彼らの縄張りを荒らさなければ、特に害は無いが、いったん牙を向けられたら大変なことになる。
さらに、水害や暴風雨、そして日照りや猛吹雪と言った自然の猛威が、不自然に国単位で襲ってくるのだ。そんな事になれば、国としてはたまったものではなく、いつしか、精霊と人々が住む場所がはっきりと区切られ、住み分けられたのだ。
そして、人々は自然の恵みの感謝を精霊たちに捧げ、精霊たちは、その力で人々を助けてきた。
その人々の中からわずかにではあるが精霊たちの力を借り、超常現象を起こせる者たちが出てきた。
それが精霊術師と呼ばれる存在だ。
自然、つまり火、水、土、風の四元素に加えて、そこから派生する様々な自然現象を、それこそわずかではあるが自由に扱えるようになった存在。
どういったものが精霊たちから力を借り、そして受け入れられるかは、全く分かっていない。最近では自然に深く感謝出来る人間が、精霊と同調出来るのではないか? とも言われているが、真偽は定かではない。ある日突然、精霊が精霊術師を見限り、力を貸さなくなった、なんて話もよく聞くのだ。精霊たちは気紛れである。それがこの国の共通認識でもある。
そして、精霊術師の中でも、精霊そのものを具現化できる人間が、精霊騎士と呼ばれ絶大な力を行使できるのだ。精霊騎士になれる人間は、この国において六十人にも満たない。が、精霊騎士についている精霊たちは、決して精霊騎士を見限ったりしない。例え精霊騎士同士が戦うことになっても、遠慮なく相手についている同胞であるはずの精霊に牙を向けるのだ。
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「エルネ、いいか。精霊は気紛れだが、精霊への感謝の心さえ持っていれば我らにその力を貸してくれる。ましてや、わがヴィクセル侯爵家は代々精霊騎士を輩出してきたのだ。お前の兄はクー・シーと呼ばれる炎の精霊が、そしてお前の姉はツラ・フィンと呼ばれる氷の精霊に自らのパートナーとして認められたのだ。当然、母もそして私も精霊騎士だ」
ここで父親は一息入れ、しゃがんで、エルネと目線を合わせた。
「精霊と一番同調できる時期はお前の歳が一番だと言われている。もちろん精霊は気紛れだからな。ある日突然ということもあるが、精々それは術師どまりだ。七歳を過ぎたもので精霊騎士に、ある日突然目覚めた、など私は聞かないし、今までの歴史にも無かった。大抵はお前くらいの歳にパートナーとなり一緒に成長していくものなのだよ」
「父上、大丈夫です。必ず僕も精霊のパートナーになってみせます」
エルネの強い言葉を受け、父であるアーロンはエルネに笑顔を向けた。
「よし、では始めようか。と言ってもお前が精霊の声を聞くために集中するだけなんだがな。私の付き添いはここまでだ。この先に精霊の泉と呼ばれている泉が見えてくるはずだ。私はここでいったん引き返して、森の入り口で待っているよ。あまり余計な人が多いと精霊は姿を見せてくれないかもしれないからな」
「父上……帰り道に自信が無いのですが……」
不甲斐ないと思われるのかなと、少し自信なさそうに言うエルネに対して、アーロンは答えた。
「何、心配いらん。帰りはお前のパートナーが案内してくれるさ」
そう言って、アーロンは背を向けて森の入り口へと向かった。
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「ここが精霊の泉かぁ」
思わずエルネは感嘆の声をもらした。
その泉は青く澄んでいて、森の中で日の光がさえぎられているにも関わらず、キラキラと光を放っており、どこか心を落ち着かせるような優しい雰囲気だったのだ。
いつまでも見ていたい。そんな思いに駆られながらも、エルネは目を瞑り、集中を始めた。
心の中で精霊たちに感謝の念を表し、自分の声がどうか届くようにと願った。
やがて、何かが頭の中に聞こえてきた。男性のような声の気もするが、少年のような声かもしれない。女性のような声の気もする。
それがエルネの中に入り込んでくる。
『あはは、君は何で僕達を求めるのかな? 僕達を求めて君は何がしたいの? そして僕達に君は何をくれるの?』
突然の問いにエルネは困惑する。侯爵家次男としてある程度の教育は受けているものの、彼自身はまだ七歳の子供にすぎないのだ。いきなりの問いにすぐに答えが出るはずが無い。しかし黙っているわけにもいかない、精霊たちに見限られるわけにはいかないのだ。だからこそ心で会話を試みた。
(僕が君達に何をあげられるか、それは分かんないし約束も出来ない。だけどそれを一緒に探していけたらとは思っている)
その答えに精霊達はしばらく沈黙する。
(失敗したか?)
と、エルネは思ったが精霊達から再び声が聞こえてきた。
『うーんあまり褒められた解答じゃないよね』
『そうね、楽しくないわ』
『でも正直だよ?』
『どうしようか?』
どうやら精霊達は相談をしているみたいだ。
エルネ自身はどうしたらいいのか分からず、口を挟めない。
『あれ? この感じ、もしかしたらヴィクセル?』
『ほんとだ、ヴィクセルの匂いがするよ』
『あー今までのヴィクセルの中で一番強い匂いだ』
『懐かしいねー』
『うん懐かしいねー』
『じゃあ、僕がパートナーになろうかな』
『駄目だよ、だってこの子の感じなら、あの子がきっと喜ぶもん』
『そうだね、あの子が喜ぶね』
『ヴィクセル、僕達は残念ながら君のパートナーにはなれないんだ』
『うん、残念だねー─』
『だからさ、あの子を見つけてあげて』
『君のすぐそばにいるから』
そうして声は遠のいていった。
(ちょっと待って! あの子って誰? わかんないよ! 戻ってきてよ!)
しかし、いくら念じても、すでに精霊達の声は聞こえてこなかった。
エルネは、ポツンとただ一人泉の前で立ち尽くしていた。
(見限られた……? 嘘でしょ? 父上に何て言えば……──あ、どうやって帰ろう……)
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結果から言えば、エルネは森に取り残されることは無かった。エルネの帰りが遅いと心配した護衛とアーロンが探しに来たのだ。
泉の前で立ち尽くしていたことが功を奏したのだろう。
息子を見つけたアーロンはすぐに駆け寄り、なぜ森から出てこないのかを問いただした。
エルネは精霊達との一部始終を全て話し終えたが、アーロンは険しい顔をしていた。
「つまり、お前は精霊に見限られたわけだな?」
厳しい父の問いに思わずエルネは口ごもる。
「なんたることだ、我がヴィクセル家からこのようなことがおきるなんて」
「御当主様、まだそうと決まったわけではありますまい。聞けば坊ちゃまは精霊の声を聞いたと言っているではないですか。ならば望みは……」
「そんなものはない! コスティよ、お前ほどの者であれば分かるはずだ! 精霊に見限られたということがどういうことか。精霊術師にさえなれないのだぞ? まさか我がヴィクセル家からこのような落ちこぼれが出るとは……我が一族になんて説明をすればいいのだ!」
「しかし、御当主様、坊ちゃまの話では、坊ちゃまのパートナーはすでに精霊達の間で決められていたようです。ならばその精霊を見つければよいのでは?」
「ふん、そのようなものがおれば、もっと早くに精霊がエルネの前に姿を現しておるわ。精霊達がパートナーを断る口実にでも使われたのだろうよ」
父と護衛であるコスティのやり取りを聞いて、エルネはいたたまれない気持ちになった。
やがてアーロンがポツリと疲れたように、口を開く。
「もうこの場所には用はないな、あまり騒いでいると精霊達の迷惑にもなる。早々に引き上げよう」
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やがて家に帰り着き家族に事情を話すと、兄は複雑そうな顔をうかべ、姉はまるで別の生き物を見るような目でエルネを見据えた。
母は無言のまま首を振り、父は仕事があるといって執務室に引きこもった。
姉であるマルギットは、自分の部屋に戻る際にエルネに向かって言い放った。
「あらら、はは、あたしの弟なのに精霊に認められないなんてねー……なんか悪いことでもしたんじゃない? あーやだやだ。ほんとバカみたいね。実はうちの子じゃなかったりしてね」
エルネとマルギットは五歳離れている。現在、マルギットは十二歳だ。いままで意地悪なところもあったが基本的には面倒見のいい姉であったが、今のエルネにとって笑って受け流せるような言葉ではなく、心にズキリと痛みが走る。
当然、姉のこの行為にエルネは深く傷ついたが、これだけでは終わらない。姉に続いて、母親までもがエルネに対して厳しいことを言ってきたのだ。
「……近いうちにこの家から出て行ってもらうことになります。その覚悟だけはしておくように……」
そのまま、母親は寝室へ向かいマルギットも自分の部屋へと向かった。
慕っていた母親から、こんなことを言われては、七歳のエルネに耐えられるはずがなかった。
もはや、自分が何でここにいるのかな? とさえ思ってしまった。
そんなエルネを兄のベルトルドだけが、唯一慰めるように頭をなでてくれたが、エルネにとっては何の慰めにもならなかった。
「あまり気にしすぎるなよ。お前は長男でもなんでもないんだ。そこまで家名を背負う必要はないさ。何、母上やマルギットだって、今は気持ちの整理がつかないだけだ。少し時間が経てば元通りになるさ」
エルネは無言だったが、ベルトルドの手を振り払い自分の部屋へ駆け込んだ。
食卓に残されたベルトルドは執事やメイドと顔をあわせ、思わず肩をすくめた。そしてある指示を出して自分の部屋へと戻って行った。
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部屋に戻ると、ベッドに飛び込みうつ伏せになって泣きじゃくるエルネだが、せめて泣き声だけは聞かせまいと、枕を強くかむ。
しかし、どうしても嗚咽が漏れ、涙が次々とあふれてくる。
そんな時、扉がノックされ、そして返事がないにも関わらず、勝手に扉が開かれ、二人の人物がエルネの部屋に入ってきた。
エルネの部屋に入ってきた人物は、一人は金髪で三十歳を少し超えたくらいの中年の女性でありもう一人は、赤茶色の長い髪を後ろに束ねている、十五、六歳の少女だった。
「う、う、あ、」
必死で泣き声を抑えながら泣いているエルネは、ようやく二人の気配に気付くが枕から顔を離そうとはしなかった。
「へ、部屋に入っていいなんて……きょ、許可してないぞ」
嗚咽を押し殺しながらも、必死で抗議するエルネ。
「ベルトルド様に許可を頂きました。事情は聞きましたわ。私達ごときが、何か口を添えて、エルネスティ様のお心を癒せるとは思いませんが、それでも一時でも何か力になれればと思い、こちらに参りました」
三十歳過ぎの女性が、そう口を開いた。
「おそばによっても、よろしいですか?」
続いて少女が言葉を発する。
エルネは、二人に泣き顔を見せまいと必死に枕にすがり付いているが、やはり誰かにいてほしかったのだろう。
ましてや、この二人だ。断る理由はどこにもない。
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三十歳過ぎの女性はカイサといい、エルネの乳母を勤めた、もう一人の母親と言ってもよい女性でもあり教育係でもある。
貴族の親は基本的に忙しく、父は王宮と領内を行ったり来たりする日々が多い。母も、いわゆる貴族女性として、様々な貴族のサロンに出席したり、さらに父に付き合って、王宮の催し物に参加したりと、これまた忙しい日々を送っている。
そのために大抵の貴族は、乳母というのを雇い、自分達の代わりに子供の世話を任せるのがほとんどなのだ。とは言え、それは貴族社会において育児放棄とは違う。いわゆるそういうシステムとして出来上がっているのだ。
そのため、エルネにとってはある意味、母親以上に母親のような存在であるカイサを拒否する理由など、どこにもない。
そしてもう一人の少女はエドラといい、この子はカイサのお手伝いでもあり、また実の姉以上に、エルネに接してきた人物の一人である。これも、エルネにとってはある意味、頭の上がらない人物なのだ。
そしてこの二人をよこしたのは、エルネの兄であるベルトルドなのだ。何とかエルネを慰めてくれないか、と二人に頼みこんだわけである。
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カイサとエドラは、泣いているエルネのそばにより、カイサが優しくエルネの頭をなでた。
とたんにエルネはカイサにすがりつき、思い切り泣きじゃくった。
カイサは優しくただエルネの頭をなでるだけであり、何も言わない。
また、エドラも特に何も言わず、ただ傍らでエルネを優しく見つめていた。
やがて、泣き疲れたのか、カイサの胸ですーすーとエルネは寝息を立て始めた。
そんなエルネを優しくベッドに寝かしつけ、カイサはエドラに後のことを頼み、部屋から出て行った。
エドラは仰向けに寝ているエルネの額をなで、自分も同じベッドに入り、エルネが心落ち着けるように手を握って自らもそのまま眠りに落ちた。
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夜中に声が聞こえてきて、エルネは目覚めた。
(なんだ? 声?)
ふと横を見ると、エドラが自分の手を握って寝ているのがわかった。
思わず赤面してしまうが、今はその事にかまっているわけにはいかない。
ゆっくりとエドラから手を離しベッドから下りる。
そして、声の聞こえるほうへと向かって行く。
『こっちだよ、早く見つけてよ』
その声に導かれるように、すでに明かりの無い暗い屋敷を歩き回るエルネ。
『そうそうこっちこっち』
(このままじゃ外に出ちゃうよ……)
思わず心の中でそうつぶやく。
『大丈夫だよ、鍵は開けてあるから。君が見つけてくれるのをずっと待っていたんだ』
(君は精霊なの?)
『そうだよ、エルネスティ。君のパートナーだよ』
そして到着した場所は、ヴィクセル家の宝物庫だった。
(鍵は開いているって言ってたよな)
扉に手をかけると、大して力も入れていないのに、開いた。
(何にも見えないよ……)
『あはは、大丈夫。目印をだすから』
精霊がそう言うと、宝物庫の一角に淡い光がぼんやりと視界に入った。
エルネはその光に近づき確認してみると、それは一振りの長剣だった。
(これが君なの?)
『そうだよ、僕は剣の精霊。初代ヴィクセルのパートナーでもあるんだ。初代以外、誰も僕に気付く力は無かったんだ。おかげでずっと一人ぼっちだったよ』
(ちょっと待ってよ!精霊って自然にしかいないんじゃないの? なんでこんな人工物に……)
『さあ、僕にも分からないよ。気がついたらこの剣に宿っていたんだ。さあ僕を手にとって! そうすれば君のパートナーになれるよ』
そう促されて、取り敢えず半信半疑のまま、エルネは剣を手に取り、それを抜いた。
その剣は少し変わった形をしていた。この国で一般的に使われている長剣のようなまっすぐな刃ではなく、わずかに反りが入っており、柄の部分も、またこの国で使われているようなものではなかった。
七歳の彼にとってその剣を抜くのは一苦労ではあったが、なんとか抜いた。
その剣はどこにも光が無いにも関わらず、自ら光を放っていて、傷や汚れが一切無い。エルネはその作りと光に思わず魅入られていた。
『あはは、やった、ほんとに嬉しいよ! これでまた外の世界を楽しめる! よろしくね、エルネ』
精霊に声をかけられて、我に返るエルネ。
剣を抜いたとたん、エルネの体に何かまとわりつくような感覚が走ったが、それは不快なものではなく、逆に心地いいものとさえ感じた。
『うーん、久しぶりだから二割ってところかな。今の僕の力は』
(君の力?)
『うん、後で詳しく教えてあげる。でも、その前に君が僕を使いこなせるようにならないとね。僕の名前はソードだよ』
(そのままじゃないか……)
思わず心の中でつぶやくエルネスティ。
『精霊は名前にあまりこだわりは無いからね。何か別の名前がよければ君がつけてよ』
そう言われても、すぐに思いつくものではない、その件はいったん保留にした。
こうして一風変わった精霊とエルネの物語は幕を開けたのだった。