涙雨に蟲を弔ふ
皐月といへば寒の戻りの心配も無くなつて、漸く爽やかな晴天が楽しめる物と思つてゐたが、そううまくは行かないらしい。矢鱈と雨が降ると思つたら、もう梅雨ださうだ。朝から晩まで湿め湿めとして、蒸し暑くつて、私はこの季節が大嫌いだ。しかも此処は雨が降つても滅法暑い。晴れてゐるならまだ耐えられよう物を、かうも曇りばかり、雨降りばかりじゃ気も滅入つて来る。そして雨の日の訓練と来たら、あゝ、止めだ止めだ。憂鬱なことばかり書ひてゐたら、益々暗く成るだけだ。
何か気晴らしに成る物は無いかと探してみたら、窓の直ぐ外に蝉の抜け殻を見付けたよ。早朝だつたからね、未だ黄土色に成つてゐない、白くて柔柔としてる奴だ。近くを探して見たけれど、中身が翅を乾かして居るのは見当たら無かつた。まさか蟻にでも喰はれて仕舞つたのかと足下を見たが、矢張り居ない。そうして抜け殻だけを持ち帰つてみたならば、その夕、一寸晴れ間が覗いた時、元気に啼く聲が聞こへて来たよ。一日気掛かりだつたから、その聲を聞いた時はほつとした。全く人騒がせな蝉殿だよ。
さういへば蝉といふのは、本の十日程の命らしいね。蟲にはおまへの方が詳しかつたが、確か、土の中で七年も八年も睡つて、やつと外に出て来たら交尾をして直ぐに死ぬのではなかつたか。
些か短か過ぎるけれど、単純な、良い一生だ。少なくともわれわれよりずつと健全だ。生涯唯一人の相手を夢見て、時が来たら出会ひ、家の事にも世の事にも煩はされず、後顧の憂ひも無く、唯一度きり、只管に交はつて、そして死ぬ。そんな生ならば、次の世は蟲に生まれて来るのも良いやも知れぬ。
人も蟲も、同じ様に死んだら何も無くなるならば、私は蝉の方がずつと好い。冥府だのあの世だのはまやかしだ。生きてゐる間に想ひを遂げずに死ぬことの、何と無為で、虚しい事だらう。
ふふ、われながら、可笑しなことを書いてゐる。お目汚しで済まんな。こんな風に湿つた気分に成るのは、屹度梅雨の所爲だと思ふ。この雨に免じて、どうか許してお呉れ。




