花笑ひ梅の香にくさめをする
立春など故郷ではまだ雪が融けぬから、何時も暦といふのは可笑しいと思つてゐた。ところが此処はどうだ。暦の儘に紅だの白だのの梅の花がもう咲き始めてゐる。
新しい配属先は九州の外れだ。私は南なんぞに来たのは初めてだからな、見る物聞く物何でも彼でも目新しくて仕方が無い。
黄色い梅が在るの、おまへは知つてゐたか。こいつの匂ひが滅法甘い。春が近づくと、その香が真先に漂ひ始めて、まだ寒い筈の風が心なしか温く感じられるやうに成るんだ。晴明たる明け方に、その黄梅が薫る様は、恰も処女が髪を掻き上げた瞬間に白い項がちらと覗いたやうな――まさに、春の予感としか云ひやうの無い感じがするのだよ。
おつと、これは失礼。堅物のおまへが顔を顰めるのが見えるやうだ。学生の時分は、おまへのその顔が見たいばかりに、私はわざと猥談をした物だつた。
この黄梅が咲いて暫くすると、昼間は外套の襟を緩めるほどに暖かく成る。白やら紅やらの梅も咲き始めて、蕗の薹まで顔を出すと、もういけない。私は涙とくさめが止まらなく成るのだ。おまへも知つてゐるだらう。學生の時分から、この季節に成ると何時もさうだつた。
あゝ、本当にあれは苦しかつた。此方は息をするのも儘ならんといふに、くさめをする度叱りつける教授は居るわ、目病み男の色香は躰に毒だなどと囃し立てる輩は在るわで、散々な目に遭つた。その上おまへは糞真面目な顔で手拭ひを取り出しては、私の目やら鼻やらを拭おうとする。全く、そんなもの何の足しに成る物か。他人と云ふ奴は如何してこう、此方の思惑やら都合など意に介さない物だと、つくづく思ひ知らされた。
あの頃私がさう云つて嘆くと、おまへは何時も笑つたな。他人が自分と同じことを考へてゐたなら詰まらんなんて嘯ひてね。それが強がりぢや無く心の底からの本音だとしたら、それはおまへ、随分とお幸せな身の上か、もしくは世紀の野暮天だ。片戀に胸を焦がした覚えのひとつも有ったなら、そんなこと、口が裂けても云へるまいよ。
さて、昔話だけぢやなく、今の話も書こうかね。ここでも結局、くさめをしては殴られ、左回りと云はれて右に回つては蹴られのくり返しサ。私は昔から運動は不得手なのに、如何して軍隊なんぞに入ることに成つて仕舞つたのか。こんな時代に生まれなければと、悔やんでも悔やみ切れん。
しかしひとつだけ、良いこともある。此処では飛行訓練が有るのだよ。空を飛ぶのは何とも心地良いな。往く先が死地でなければもつと良い。此方は晴れが多いから、何処までも碧い空を目掛けて上昇すれば、まるで、深い水底に向かつてぐいぐい沈んでいくやうな心持ちに成るのだよ。
配属先が変わつてゐないなら、おまへが居るのは此処から二時の方角だ。ふふ、良く覚えてゐるだらう。
もし、良く晴れた日に、日の丸を掲げた機体が急に現れたら、決して撃ち落とさないで呉れ給へ。くさめが聞こえたなら尚更だ。なあに、一寸おまへの顔を見たら直ぐに旋回して大人しく帰還するからサ。