8・演舞
結局、メーガンはレドの提案を受け入れることにした。
毒の王レドの護衛として、この城で生活する。もはや暗殺者としての仕事をすることはない。
これからは逆に、暗殺者達からレドを護る生活をすることになるのだ。
出来高払い、という契約である。要するに最低限の給金しかレドは支払わない。三食昼寝つきという好条件がついてはいるが、賃金自体は安いのだ。そのかわりに、実際にメーガンが暗殺者を撃退すればそれだけ賃金を上乗せするというわけである。一人撃退すればかなりの上乗せがあるということだが、メーガンとしては賃金にはそれほど魅力を感じない。
というよりも、彼女は迷っている。暗殺組織から切り離された自分の行く道を、自分でまだ発見できていない。
レドの提案を受け入れたのも、何をするにも先立つものが必要だという説得に負けてのことだ。なるほど金はいくらあっても困るものではないだろうと感じたメーガンは、自分がしたいことを見つけたときのために金を稼ぐことにしたのである。
そのためにレドの護衛という任についたわけであるが、まだその「したいこと」が見つかっていない。したがって、賃金がいくら出るということになっても、あまり興味を惹かれなかった。
さらに、レドの指示は適当きわまるものだった。
メーガンの裁量で自分を護ってくれればそれで良いというだけで、細かな指示は皆無だ。夜は必ず部屋を見張れとか、周囲の警戒を怠るなだとか、そうしたことさえ言わない。全てをメーガンに投げていた。
レドはメーガンを超える技量をもっているため、こうした指示になるのも仕方がないかもしれない。彼はメーガンより力の劣る暗殺者に殺されるようなことはまずないからである。要するにメーガンが気を入れて仕事をしようが手を抜こうが、無意味ではないのかと思えるのだ。
が、仕事として任されている以上、メーガンとしてはそうした理由をつけて手を抜くつもりはない。
とはいえどういうふうに護ればいいのかというところを、こちらに丸投げにしてよいとは思えない。少なくともメーガンからしてみれば。
自分の本職は暗殺者なのだ。殺す側なのだ。
それから昨日今日足を洗ったような人間に、さあ逆側のことをやってくれというのはいささか無茶というものだ。
メーガンは部屋の前で座り込み、ため息をついていた。
その部屋の中は、研究室ということになっている。膨大な量の資料が壁を埋め尽くし、同時にあらゆる毒の貯蔵庫でもあった。その中でレドはどういう手段で何をしているのか、毒の研究を進めているということだった。聞いた話では彼が毒の王である以上絶対にしなければならないことであるらしい。
一日中玉座に座って呆けているだけが仕事ではなかったのか、とメーガンは思う。
そうしながら、武器を確かめた。昨日洗った自分の服はすっかり乾いていて、着替えることができた。
今朝まで着ていたローブは趣味のいいものではあるが、やはりこの服に比べると動きづらい、と感じる。服の中の装備を確認して、軽く息を吐いた。今のところ周辺に怪しい気配は存在しない。
こうして自分が警護をすることで、レドはある程度研究に集中することができるのだろう。いちいち暗殺者の相手などしていられないのでお前に任せるという、そうした意味でメーガンに護衛を頼んだものと思われた。
しかしそう考えても、メーガンは手持ち無沙汰だと思った。
何しろここは毒の王の城である。毒の沼から発される毒の蒸気によって完璧なまでに護られている。このようなところにやってくるような存在はほとんどないといえた。
つまりそれがあるとするなら、少なくとも自分以上の存在であるということになる。しかしそのような連中はそうそういない。
現在、メーガンの所属する暗殺組織の連中がやってくる可能性があると指摘されてはいるものの、それもいつになるか怪しいものだ。何しろ組織の中でも腕利きであった幹部の一人がレドによって殺されている。つまりそれ以上の暗殺者がやってこなければレドは殺せない。
それほどの暗殺者をそうやすやすとここに派遣できるわけがないとメーガンは思うわけである。
そして実際に、メーガンの予想の通りであった。
実に二週間もの間メーガンによるレドの護衛は続いたが、一人として彼の命を狙うものはあらわれなかったのである。
いい加減に張り詰めていることもない、とメーガンは考えるようになる。レドが研究ののために部屋にいる間も、玉座に座っている間も、無理に近くにいる必要は無いと判断するようになっていた。
その間何をしているのかといえば、洗濯なり掃除なり、家政婦のようなことをやっていた。毒の王の城は広かったので、いくらでも掃除をするところはあったし、地下にある温泉も気持ちよく入浴するために清掃の必要はあった。
また、決まった時間になると自身の鍛錬も忘れずに行う。敵が来ないからといって腕を鈍らせることは暗殺者としてしてはならないことであったし、護衛として怠慢すぎると感じる。また、メーガン自身のプライドがそれを許せなかった。
訓練をする場所としては、玉座のある部屋を使っている。適度に広く、家具もほとんど置かれていなかったからである。
そこには玉座に座って、何かを考えながらすごしているレドがいる。が、彼に見られていることを特に気にすることなく、メーガンは短剣を抜いて振り回していた。訓練の準備運動として、軽い演舞をしてみせているのだ。
実用性一点に重きを置いたその演舞に華麗さはほとんどなかった。敵の死角から不意討ちを仕掛ける、死の一撃を見舞うためだけのもの。あるいは左に相手の注意を向けておいて右から突きこむなどの卑怯とも言われかねない戦法。そうしたものの集大成として作られた演舞であるので、舞というよりは暗殺の動きを再現しているようでもある。
一通り演舞を終えても、メーガンはひたすら短剣を振り回す。今度は演舞ではない。単純な動作の反復練習、筋力増強のための鍛錬であった。仕上げには仮想の敵を相手に戦うこともしてみせる。
そうした訓練をレドは見ているのか見ていないのか。彼が何も言わない以上、メーガンはそれを気にしなかった。
彼はただ玉座に座っている。文句をいうこともないし、褒めもしない。
メーガンがこの玉座のある部屋で訓練を行っているのは、護衛の都合でもある。レドに対して見せびらかそうと思っているわけではない。
訓練の最後に、いつもメーガンは仮想の敵と戦っている。その戦いに勝利することもあれば、敗北することもある。その仮想の敵として想像するのは、たいていの場合レドであった。
これは彼女が挑んできた相手の中で、レドが最強だからである。白髪の暗殺者なども相当な実力であったが、今のメーガンの中では彼女の本気の突きをあっさりとかわしたレドがもっとも脅威であると感じられていた。彼が本気で攻撃に転じたとき、どのようなことになるのかとメーガンは想像して仮想の敵をつくっている。
自分の中で、何度となく彼を打倒した。しかし想像上のレドにいくら勝ったところで、それは自分の想像が足りていないだけであるとも感じる。そしてまた、想像上の勝負であるにもかかわらず何度となく敗北している。
今回は敗北した。集中を今ひとつ欠いたことが原因であるかもしれない、と自己分析する。
短剣を下ろして、息を吐く。頬に流れ落ちてきた汗をぬぐって、風呂に入ろうかと考えた。
しかし、そのメーガンの前にレドが立つ。
「熱心だな」
彼は、いつものように考えの読み取れない表情でそう言った。
「あんたが自分を護れというから。有事に備えて自己鍛錬は必要だろう」
少しだけ乱れた息を整えながら、メーガンはこたえた。それから、レドを見てふと感じた疑問をぶつける。
「そういえばあんたはいつ訓練をしている? 研究ばかりしているように見えるけど、それでは衰えていくだろうに」
「早朝に少し。不安なら手合わせしてみるか?」
レドが珍しくもそんな提案をしてくる。メーガンは断らない。訓練の直後ではあるが、こんなものは疲労のうちにはいらなかった。
互いに、短剣を握った。木で作られており、もちろん刺すことも斬ることもできない。訓練のためのものである。
レドは棒立ちのままで、構えることもしなかった。メーガンは腰を落として短剣をレドに向ける。
構えもしないレドに対して、メーガンは軽く武器を突き出して誘ってみる。しかし、敵は動かない。
どうやらメーガンの攻撃を待っているようだ。相手の攻撃に合わせて反撃を繰り出し、後の先をとろうという腹積もりなのだろう。
なら、こちらもそれに合わせて待つか?
メーガンは持久戦を覚悟する。だが、レドに対して持久戦というのは無謀な気がした。明らかにレドの技量は自分を上回っている。自分としても気を抜くつもりはないのだが、それでも時間をかければかけるだけ、自分ではわからない隙が生まれる可能性が増える。そこを突かれて負けるかもしれない。
となれば、やはりこちらから仕掛けて終わらせるしかない。
いやまて、勝つことを目指してどうする。どうせ勝てないのはわかっている。だとしたら、とにかく仕掛けていってレドの動きをみることが重要なのではないか。後につなげるためにもそうするべきだろう。
メーガンは少し考えてからそう結論し、結局自分から仕掛けることを決定した。
すっとその双眸を細めて、一気に武器を突きこんだ。
想像通り、レドはそれに合わせて短剣を繰り出す。
きた。
想定どおりの動きだった。これをかわすのだ。無理やりにも身体をひねり、レドの攻撃を避ける。
自分の短剣は引き戻さず、そのまま横に振り回す動きに変えた。無茶な動きではあるが、これでも本物の短剣なら、首くらい切り裂くことができる。
しかしこれも相手が予想していたのか、かわされた。くそ、と心中で悪態をついて身体を戻す。
無茶苦茶な動きで、一瞬の攻防。しかしこれは最初だけだ。
体勢を戻すと同時に、メーガンはレドに飛び掛った。相手の間合いに飛び込み、勝負を仕掛ける。
メーガンが振った短剣を、レドも短剣で防いだ。直後に襲い掛かってくるレドの反撃を、どうにか防ぐ。そうしたことを繰り返す。
互いに振り回す短剣がかち合い、まるで古い打楽器のような鈍い音を響かせる。
しかし打ち合えたのも数合だけだった。十秒もしないうちに、メーガンの咽喉にレドの短剣が当てられたのである。
見事な敗北であった。
「以前よりよくなっている。自己鍛錬でそれだけ上達するとはさすがだな」
レドはそう言って木の短剣を仕舞いこむ。
褒められたのだが、メーガンとしては素直に喜ぶ気になれない。護衛対象よりも弱いということがさらに明確になったからである。
「そりゃ、ありがとう」
とりあえずそれだけを言って、握っていた木の短剣をレドに渡す。最後の一撃は、メーガンには見えなかった。気がついたらすでに咽喉に武器が当たっていたのである。
これが本物だったなら、確実に殺されていた。少し前まで自分はレドを暗殺するつもりでいたはずだが、どうやってこんな奴を殺すつもりでいたのだろうかと思ってしまう。
ため息をつこうとして、それをどうにか我慢しているとレドが口を開いた。
「ああ、それと明日は出かける」
「出かける? どこに行くつもりだ、この毒の中を」
当然の疑問をぶつけた。毒の王の城を包む毒の蒸気は、消える気配を見せていない。またしても命の危険をおかして、あの中を駆け抜けなければならないのかとメーガンは心配するのだった。
だが、毒の王のレドは首を振る。
「メーガン、薬師が一月ごとにあの集落に出向いてるって話を聞いているはずだろ」
「ああ、そうだった」
確か、酒場の主人がそんなことを言っていた気がする。ということは、一月ごとに毒の蒸気の中を往復するというのか?
「それだけ頻繁に移動する以上、対策はたててある。あまり心配しないでいい」
「あ、そう。それは結構なことだな」
毒の王はそう言ったが。だとしたら、自分が必死になって毒の影響下にある地域を走り抜けたのはなんだったのかということになる。
その対策というのを知りたいような、知りたくないような気分であった。
「君にも当然、来てもらう。ぼくの護衛をしっかり頼んだ」
「そう来るだろうと思っていた」
毒の王の城から出れば、当然ながら暗殺者に狙われる確率は増える。こうして集落に出向くときが仕事になるときかもしれない、とメーガンは思った。
いずれにしても出かけるのは明日である。今日は入浴のために、レドの傍におらずとも問題ないだろう。
「汗を流してくる」
メーガンは玉座のある部屋を出て、すっかり勝手を知った毒の王の城の中を歩き出した。