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毒の王  作者: zan
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4・協定

 メーガンの目の前にはレドがいる。

 街で会ったときのままの、濃紺のシャツと黒いマント姿。

 疲労は激しかったがその手に短剣を握り締めて、メーガンはレドを見つめた。

「レド、お前が毒の王だったのか」

 ひとまずそう問いかけた。確認の必要はあったからだ。

 レドは武器らしいものを何も持っていなかったが、さらに両手を広げて見せる。その手は空手で、全くの丸腰であることがよく伝わった。

「そうだ、ぼくが毒の王だ」

 肯定して、立ち上がる。

「何か御用かな」

 マントを揺らして、玉座から進み出る。メーガンに近づいてくる。

「御用ではない、毒の王。私はお前を殺しに来たんだ」

「ああ、そうだろうと思っていた」

 平然とこたえたレドは、首を振った。

「しかし、ぼくには殺されるような理由がないのだが。君は何故ぼくを殺そうと思った?」

「問答無用。毒の王は邪悪であるゆえに、死なねばならない」

 毒の王であるレドは悠々と喋っているが、メーガンには時間がなかった。短剣を振るうのも億劫になるほど疲労がたまってきている。

 レドに向け、短剣を突きこんだ。気合を込めた一撃のはずだが、レドはそれをあっけなくかわす。

 ばかな、とメーガンは思った。

 短剣は最も暗殺に向いた武器だといわれたので、最も研鑽を積んだ。今の一撃も、決して手を抜いた覚えは無い。かわされるはずがなかった。ましてや、役人にしたがっていた傭兵にすら、いいようにやられていたレドに。

「まず、その前提からぼくは否定する。本当に毒の王は邪悪かどうか、というところだ」

 メーガンの短剣をかわしたレドは飄々とした態度を崩さず、首を振っている。どうしても問答にもっていきたいのか。

 だが、メーガンにとってはそれは余計なことだった。暗殺者であるメーガンは、標的を殺すことが至上である。いまや、あとにもひけないのである。どうあっても死ぬしかないという。退路を断たれたメーガンは、指令をこなすしかないのだ。

 会話などしている暇は無い。ただ、レドの身体に短剣を突き刺すだけだ。

 メーガンは、長剣を持っていなかった。持っている武器は短剣とスリング、弓だけだ。弓も小さなものであり、狙撃ができるほど性能がよくはない。

 もう一度、メーガンは攻撃を仕掛けた。突きこむ動作が失敗したため、次は切り払う動作に変えた。腕でも腹でも、傷つければ痛みで動きが止められると信じた。

「おっと、危ない」

 そう言いながら、レドは余裕綽々といった調子でステップを踏んだ。それだけで、メーガンの攻撃は空振りに終わる。

 メーガンはあきらめず、空振りに終わった短剣を振り上げ連続で攻撃にかかる。

「ぼくは確かに毒の王だが」

 レドは鹿のように跳躍して、メーガンの攻撃を次々と避けた。まるで追い詰められた様子も見せない、疲れた様子も見せない。

 暗殺者のメーガンにとって、それは非常に疲れるものであった。いくら武器を振っても、徒労に等しい。毒の城まで命を投げ打ってやってきたというのに、疲労と毒のせいで実力が発揮できないままに振り回されている。

 これでは、誰も毒の王を倒せないはずだ。

 そんな風に思えた。

 頭に血が上った。くらりと意識が薄れる。

「くっ」

 足を踏みしめ、なんとか倒れまいとする。左手を伸ばし、壁に手をついた。

 息が荒かった。全身から汗が噴き出していた。頬にも流れ落ち、口元を覆っている布を濡らす。

 こんなはずはなかった。メーガンは持久力にも自信があり、半日走ったくらいでへばるほどヤワではないと信じている。なのに、このざまであった。

 毒の沼の影響があるからか、それともレドが何かをしたのか。

「ほら、無理をするな。この城まで走って来れるだけでも大したものだとわかるが、それでピンピンしてたらそれはもう人間じゃない。だいぶ疲れているはずだ」

 レドが自分を気遣っている。敵に同情されているとは、情けない。

 暗殺者のメーガンは無言で気合を入れなおし、両拳を自分の膝に叩きつけた。しっかりと床を確かめ、短剣をレドに向ける。

 そうとも、最後まで戦う。あきらめない。

 毒の王を、倒すのだ。

 メーガンはそれだけを念じて、殺意をぶつけている。

 受けるレドは、丸腰のまま首を振った。

「すさまじい気迫だとは思う。しかし、君はあまりにも疲れている。今の君がぼくを死に至らしめることは不可能だ」

「やってみなくてはわかるものか」

 数秒、構えを維持しただけで膝が折れそうになる。メーガンはそれをなんとかこらえながら言い返す。

 だがレドはそれを尻目に悠々と玉座に戻って、座りなおした。その間、メーガンは攻撃を仕掛けることができない。疲労の極地にあって、膝が伸びないのだ。

「やらなくてもわかる。ぼくはこうしているだけでいい。君がこらえきれなくなって倒れるのを待つだけだからだ」

「そう思っていろ」

「君がその暗殺命令を大事にしているのはわかるが、それなら尚更ぼくの話に耳を傾けるべきだと思う」

「何が言いたい」

 言い返してはいても、気合を込めてはいても、メーガンはレドの言うことが正しいということに気づいていた。しかし、それを認めてしまえば自分が道化になるので認めずにぶつかっているのである。

 自分の死に意味をもたせたいと、メーガンは強く思っていた。そのためにはレドを殺すしかないのだ。あるいは、殺そうと努力をし続けるしかない。最期の瞬間までだ。

「君は疲れていて、ぼくと戦っても負ける。なら、休戦するべきではないかと思う」

「休戦だと。信用すると思っているのか、そちらに利益がない」

「信用しないなら、そのままそこで死ぬのを待つしかない。信用するなら、体力を回復する時間がとれる。一日歩いてきてお腹もすいているだろう?」

 レドは、興味がないように片手をひらひらと振った。この提案にのらないのなら、そこで勝手に構えていてくれと言わんばかりだ。

 その口ぶりからは、休戦するなら食事も用意してやるというようにうかがえる。実際のところ、メーガンは空腹である。朝食を摂ってから、水も飲まずに走り続けてきた。咽喉も渇いているし何かを食べたいとも思っている。

 そうした意味ではレドの提案は魅力的であった。というよりも、ここでこの休戦に応じなければ確実に無意味な死が待っている。

 メーガンは考えた末に、毒の王であるレドの提案を受け入れても自分にマイナスになる要素がほとんどないことに気づいた。が、受け入れるためには時間が必要だった。彼女が、彼女自身のプライドを説得する必要があったからである。

 しばらく、メーガンは無言で構えていた。しばらくしてからようやく短剣を下ろし、レドから視線をはずす。

「その、休戦したら補給を頼みたい」

「敵に物資を求めるのか」

 ようやく休戦に応じる構えを見せたメーガンに、レドはからかうような声をぶつけた。これに対して、メーガンは反撃できずに閉口する。かわりに顔が赤くなった。

 服の袖で顔の汗をぬぐって、メーガンはううんと唸る。

 ようやく、彼女の暗殺者としてのプライドが説得されたようだった。

「毒の王、休戦に応じる」

「期限は?」

「明日の朝まで」

 よどみなく、メーガンはそう言い切った。レドは頷く。

「わかった。食事にしよう」

 彼は立ち上がり、その部屋から出て行こうとする。あわててメーガンはその背に引き止めの声をかける。

「おい、どこに行く」

「食事の用意をする」

「この毒の影響の中でか?」

「ああ、言ってなかったな」

 レドはくるりと振り返り、扉を指差した。メーガンが開け放したはずの扉はいつの間にか閉じている。

「この城は地形と風のおかげで周囲より毒の影響が少ない位置に建てられている。加えて、扉は勝手に閉じるようになっているから、この中での毒の影響は微小なものだ」

「何、お前さっきそんなこと一言も言っていなかっただろう」

「もちろん、それが駆け引きだろう。商売人ならこのくらいはね」

 だまされた。

 メーガンが怒るよりも早く、レドはその部屋から逃げ出していた。さすがに追いかけてまで怒りをぶつける気にはならず、メーガンはその場に腰を下ろした。口元を覆っていた布をとり、大きく息を吸う。深呼吸をすると、少しだけ気分が静まった。

「毒の王か」

 短剣を仕舞いこみ、メーガンは座ったままで壁に背を預ける。疲労から眠くなった。

 空腹もあったが、疲労が先にあった。

 ぐったりとする。一度座ってしまうと、もう立てなかった。汗があごの先から滴り落ちる。

「暗殺に来たはずなのに」

 こんな体たらくは他の暗殺者に見せられたものではない。確実に寝首をかかれるだろう。そう思っても、動けずにいる。


 いつの間にか、心地よい闇の中に落ちてしまっていた。

 まどろんでいるメーガンの鼻を、食べ物のにおいがくすぐる。

 目を開いた。ぼやけた視界に、人間の足が見える。

 この人間は、レドだ。毒の王。

 休戦とは言ったものの、当人同士の口約束でしかない。片方が片方を殺してしまえば後には何も残らないのである。そもそも、暗殺者であるメーガンは約束を破ったことなど数え切れないほどある。そうして裏切り、だまし、標的を殺してきたのだ。

 レドはメーガンの短剣がとどく位置にいた。近すぎるくらいである。手を伸ばすだけで、首を絞められるくらいに。

「起きろ、もう起きてると思うが」

 しかし、そんな心を見透かすような声が落ちてきた。メーガンは何もせず、ゆっくりと立ち上がる。攻撃を仕掛けても無駄だと悟ったからだ。

「食事の用意ができた。案内する」

「わかった」

 先に歩いていくレドについて、メーガンも部屋を出た。

 いくつか扉をくぐった先に、両腕を広げたくらいの大きさのテーブルが用意されている。古めかしいがすわり心地のよさそうな椅子も二つあった。

 テーブルの上には布が敷かれて、それを覆うほど多量の皿が置かれていた。どの皿にも温かそうな料理がのっている。

 促されるまま、メーガンは片方の椅子に座った。テーブルと向かい合う。眼前の皿の両脇に、ナイフとフォークがいくつも置かれている。

「これは、レドがつくったのか」

「そうだな、口に合うかはわからないが。嫌なら保存食を出すが」

「とんでもない、いただくよ。いただくが」

 メーガンは、毒の王の顔を見た。レドは特に気を悪くしたようには見えない。

 レドがテーブルに置かれていたワインボトルをとって、その栓を抜いた。慣れた手つきで、メーガンのグラスに注いでいる。

「ちょっと甘いぞ。このあたりで作られてるワインはおよそこんなものでな、渋いのが好きならすまないことだ」

「いや別に味にこだわりはなくて」

「そうか」

 言いながら自分のグラスにもワインを注ぎ、レドはメーガンの対面に座った。

「それでは、いただくとしよう」

「いや、その、毒の王」

 メーガンは、あたふたした様子でレドを見る。

「どうした? 給仕はいないので我慢してもらえるか。ワインはまだたくさんあるから、全部飲んでも構わないぞ」

「そうじゃないんだが。その、こういうナイフをたくさんつかう食事はしたことがなくて」

 恥ずかしいことだと思っているのか、言いづらそうに言う。

「つまり、どうやって食べていいのかわからない」

「ああ、それは気がつかなくてすまない。といっても、この場にはぼくと君だけだ。気にしないから、がっついてもらっていい」

 すました顔で、レド。

 メーガンはその返答に安心する。ひたすら暗殺と組織内のごたごたに生きてきたメーガンが、テーブルマナーなど知り得るはずもなかった。

「なんだったら、教えるが」

「それはさすがに、またの機会に。じゃあ、いただく」

 気遣いはいらないと言われて、メーガンは食事にかかった。ワインは確かに甘いものだったが、好みの味でもある。

 がちゃがちゃとフォークを皿に突き立て、ナイフをキコキコと擦るさまは行儀がよいとはいえなかったが、レドはそれを見て小さく笑っていた。彼の料理を食べる人間がやってきたことが、嬉しいのかもしれない。

 しかし、メーガンはそうしたことに気付かない。とにかく空腹を満たすのが先だった。

 メーガンは料理を口に入れ、咀嚼する。

 ぱっとその顔が輝いた。嘘偽りの無い笑み。

「うまい」

 単純だが、率直な感想である。

 これを聞いて、その料理を作ったレドの笑みが強まった。

「そうか、好きなだけ食べてくれ」

「ごちそうになる」

 言葉通り、料理を片端から平らげていった。自分の皿の料理だけでは飽き足らず、おかわりを要求さえした。運動量に応じただけの食事をとったのである。

 しっかり食べておかないと、毒に負けてしまうという心配もあった。

 メーガンが全く遠慮なく食べていくので、レドは自分の皿の料理を分け与え、彼女の胃袋を満足させることになった。


 すっかり皿がきれいになってしまうと、レドはメーガンを見た。

 彼女は幸福そうな目をして満足そうに椅子の上で腹をさすっている。

「久しぶりの客人だった。おいしそうに食べてくれてうれしく思う」

 毒の王のレドは、メーガンにそう言った。正直な気持ちだった。言われたメーガンは何も返さない。ただ、照れたように頬を掻いただけだ。

「ところで君、ぼくが手をつける前からうまそうに食べていたが。疑わなかったのか?」

「疑うって何を」

「いや、ぼくは毒の王なのだが」

「そうだな、それがどうした」

 幸せいっぱいの気分にひたっている彼女には、レドの言いたいことが伝わらないようだ。

 直接的に言わなければ伝わりそうにない、とレドは思い直した。

「料理に毒を入れることも簡単だったと考えなかったのか?」

「あ、そういえばそうだ。そんなことをしたのか!」

 今気付いた、と言わんばかりの態度である。メーガンは真剣な眼差しでレドを見据え、腰の短剣を抜こうとした。が、満腹のあまりに成功していない。

 眠くなっているのかもしれない。

「するはずがない。君を殺すつもりなら、あのとき渡した薬は、致死毒になっているはずだ」

「あ、そうだな」

 暗殺者のメーガンはレドから気休めにともらった薬を思い出す。

 疑いもなく飲んでしまったが、薬師のレドが毒の王であることを知っていれば飲まなかっただろう。

「そうしたことを踏まえて考えてみてほしいのだが、ぼくは邪悪か?」

「レドは邪悪ではないと思う」

 メーガンは即答した。

 あたたかい料理を食べて、思考力はかなり回復しているといってもよかった。

「毒の王が邪悪であるゆえに暗殺するというのなら、その返答をもって終戦だ」

「それは違うぞ、レド。私はレドを暗殺にきたんじゃなくて、毒の王を暗殺にきた。個人名ではなくて、地位なんだ」

「毒の王という地位が邪悪だといいたいのか?」

「そうだ」

 周囲から善人として慕われている人物であれ、その仕事が悪徳領主の秘書であったりすれば、彼のプライベートを知らない人間からはやはり恨まれることになる。それと同じ理屈だ。

「それなら、やはり君には説明をしなければならない」

 レドは空になった皿を重ねて、テーブルの上を少し片付ける。

「明日の朝までは休戦状態だろう。それまでにぼくらは少し話し合いができる」

「そうだな」

 メーガンが頷くと、レドは

「期限までに君にぼくの暗殺を諦めてもらわなければならない。ぼくはそうなるように行動する」

 と言い切った。

「それはつまり、一晩で私を説き伏せると言っているのか」

「暴力は決してつかわないでだ」

「そんなに弁論に自信があるのか?」

「ないけど、そうしないと君を殺さなければならない。ぼくの料理を食べて、おいしいと言ってくれた人間を殺すのは気がひけるものだ」

 これを聞いてメーガンはレドに対する意識を改めた。

 弱者を殺して遊んでいる強者では決してない。それから、結構頑固な一面がありそうだ。

 休戦協定を破って、一方的にレドに襲い掛かるのは下策に感じられてきた。今現在でも、メーガンの最終目標はレドを殺すことである。しかし、それをして失敗した場合は敵に有利な口実を与えることになる。

 口実も何も、普通ならそのような理屈など暗殺者に通用するわけがない。理屈など知らない振り聞こえない振りで押し通して、暴力で相手を殺してしまえばそれで終わりだ。

 しかしメーガンの中に、そういった考えは欠落していた。

 理屈で押し切られたら負けな気がしている。ゆえに、一方的な協定の破棄は下策に思えているのだ。

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