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毒の王  作者: zan
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3・決意

 酒場の主人はメーガンの姿を見ると、掃除をしている手を止めた。

「こんな朝から酒を飲もうって言うんですか」

 困った客だ、と苦笑いする。

 その様子は特に昨日と変わりなく、特段に困っている、窮地にあるといったものではなかった。どうやら、役人のリーグからの通達は特になかったものとみられる。

 薬師のレドはうまくやったらしい、とメーガンは結論付けた。

「昨日ここにきていた薬師の男のことなんだが」

 そう切り出し、レドが何をやったのか聞き出そうとする。だが、酒場の主人は首を振った。

「薬師さんなら今朝早くに行っちまったよ。あの人に会いたいなら、一ヶ月ほどしてからまた来るといい」

「一ヶ月後? そんなことがわかるのか」

「あの人は定期的な行商をやってるんだと思う。なんだかんだって言いながらも一月に一度はここにやってきてるから。多分、次もまた一ヶ月くらい間をあけて来てくれると思うがね」

 一ヶ月に一度はここに来るってことは、この集落を恒常的に中継地点にしているとみていいだろう。

 この集落から産出しているような薬は今のところ見出せないからだ。

 しかし、さすがに一ヶ月もここに留まるということはできない。メーガンに課せられた指令はそれほどのんびりしていてよいものではなかったし、仮にその必要があるとしても一度報告のために暗殺組織の長のもとに戻る必要があった。

 レドから情報が得られないとなれば、毒の沼の影響下にもっとも近い場所に平素から住む、この集落の住民達に話をきくのが良いと考えられる。

 メーガンは予定通り、情報集めのために住民への聞き込みを開始することにした。


 結論からいって、それらは全て徒労に終わった。

 やはり、薬師のレドが言ったことは正しかったのである。毒の沼に抵抗する術などなかった。

 住民の話によると、毒の沼の影響が広まる際そこに飲み込まれる集落も幾つかあったという。そうした集落の住民は影響の外へ転住を強いられたが、様々な理由からそれでもその場に留まる人もあったという。

 それらの、無理にも毒の影響下で生活することを選んだ人々がどうなったかといえば、レドが言ったとおりであった。彼らは半日も経たないうちに世を去ることとなったのである。どうにかそれを伝えにきた集落の生き残りもほどなく死に至り、つまり残ることを選択した者は全滅することになった。

 メーガンは毒物に対する抵抗力がある程度ある。しかしそれをもってしても、常人が半日ももたずに死ぬような毒の中を一日歩いて大丈夫かと言われて、平気ですとはこたえられない。

 実際のところ、メーガンとて人間であり、剣で刺されれば出血する。重要器官が破壊されれば苦しんで死ぬ。暗殺者として、自分の命が何より大事と考えるようなことはしていないが、間違いなく死ぬとわかっているところに突撃するほどの愚行をしたいとは思わない。

 それでも、この状況では気休めの薬と自分の抵抗力を信じて進むしかなかった。できるだけ食べて体力をつけ、なるべく呼吸を抑えながらも急いで毒の王の城まで行くしかない。

 唯一、今現在考え付くその方法を採用して、果たしてそれで毒の王を殺すことができたとしても、メーガンは生きて戻ることができない。確実にだ。

 命令を果たすためには仕方がないが、ため息のひとつと愚痴のひとつくらいは権利としてあってもいいだろうとメーガンは思う。

 徒労に終わった情報収集の疲れをとるため、彼女は酒場にいる。昨日と同じように蜂蜜酒を飲み、料理を食った。

 隣にレドがいないことは、昨日と違っていた。酒場の娘はそんなメーガンの隣にいる。

「やっぱりレドがいないと寂しいですか?」

 こちらの気も知らず、幼い少女はそんなことを訊いてくる。給仕をしてくれようというのはありがたいことだが、邪魔だよと言ってやりたい。

 なんで私が昨日ちょっと会って話しただけの男が今日いないくらいで、そんなに寂しがらないといけないのだ。最後の晩餐をゆっくりと楽しむこともできないのか。

 メーガンはため息をひとつ吐いた。それから自分の隣に座っている少女を見た。彼女は若い。自分に比べても尚、若い。幼いといえた。

 たぶん明日メーガンが死んだ後も、何十年も生きるだろう。自分が知らない未来を、この少女は生きるだろう。

 もっと強い酒を飲みたくなったが、メーガンはそんな酒を飲んだことがなかった。前後不覚になるほどの深酒をすることも、明日の自分の都合上できない。

 少しの間黙って、それからメーガンは口を開いた。少女に言い聞かせるような、ゆっくりとした声で。

 『適当な作り話』を、彼女はしようとしていた。


 それは、捨てられた子供の話だ。

 いうなれば、それは愚痴だった。明日には毒の中に突撃しなければならない自分の身を呪った、メーガンの愚痴だ。

 こんな年端もいかないような子供に聞かせてどうするのかと言われたら、多分彼女は二の句も告げずに唸るだけ。それでも、誰かに何か伝えたい。死ぬ前にこの世界に何かを残したいと考えたのか。

 酒の勢いに任せるように話し始める。


 話の内容は簡単なものだった。

 教会の前に捨てられた女の赤子が、拾われたのだ。修道女にではなく、悪魔のような男たちにだ。

 彼らに拾われなければ、その赤子はたぶん修道女に拾われて、神に仕える女となっていたに違いない。そうした場合、その手に凶器を握ることもなく、十字架を握って生涯を終えたはずだ。だが、彼女は何の因果か、悪魔に拾われたのだ。そして、彼らによって育てられることとなった。

 数年もすると、その赤子は武器を持たされた。短剣だった。鋭く磨きぬかれたその刃は、短剣の重みだけでやすやすと咽喉を切り裂くほどに鋭い。飾りも輝きもない、殺傷性の高い凶器だった。

 彼女は同じ武器を持った、同じ年頃の男たちと殺しあえと命じられて、そのとおりにしなければならなかった。できない者は殺されて、他の者の食糧となった。あるいは畑の肥料となった。

 元赤子の少女は必死になって生き抜いた。命令されたとおりに殺した。

 なんでも殺した。そうしなければ、生きていけなかったからだ。

 殺せと言われれば、善人といわれていた偉い人も殺した。自分の寝首をかこうとした仲間もいたので、そいつも殺した。

 それからというもの、安心して眠ったことなど一度もなかった。常に誰かが自分の寝首をかくために枕元を見張っているような気がした。

 殺して殺して、殺すことにかけては高い技術をもつようになった。ただ、元赤子の少女には、それ以外のことが何もできなかった。教えられなかったからだ。本を読む楽しみも、仲間と冗談を交し合う楽しみも、触れさせてはもらえなかった。

 赤子を拾った悪魔のような男たちは、金をもらって暗殺することを生業とする組織だった。殺すことにすっかり慣れたころには、元赤子の少女にもそれがわかっていた。

 だが、その組織を抜けることは死を意味するものだ。もはやここ以外に居場所はない、と判断するしかなかった。

 その居場所を確保するためにも、殺さなければならなかった。おそらくは自分と同じように、知らぬままに連れてこられて増えていく子供。それが成長して、自分の居場所を脅かす。自分に取って代わるために、寝首をかこうとする。

 そうした兆候のある者は、殺さなければならなかった。周囲はそうしていたし、それが普通だった。

 血なまぐさいばかりで、色恋沙汰も何もなかった。

 常に血と鉄の匂い。臓腑の生暖かい感触と、死体の冷たい感触。

 それが、その元赤子のたどってきた道のり。

 最後には、死ぬとわかっている場所へ行ってこいと放り出されて、それで終わり。組織から、命令のために死ねと言われて、おしまいだった。

 滑稽なものだ。


 メーガンはそう言い捨ててから蜂蜜酒のおかわりを頼んだ。

 酒場の娘はその話を熱心に聴いていたが、最後にこう言った。

「その赤子は、最後の命令をうけたあとにどうして逃げなかったのかな」

「逃げる、か」

「死ぬとわかってる場所にいくよりも、逃げ出して生きていたほうがいいと思うんだけどなあ」

 逃げ出したものを、暗殺組織は生かしておかない。必ず殺されることになる。

 それでも、確実に死ぬことがわかっている場所に命令だからと行くよりも、そのほうがよいと言っているのだ。

 確かにそうかもしれないが、とメーガンは思う。

 逆らえない。

 メーガンは、組織に逆らえないのだった。命令に従うということを、幼いころから刷り込まれて育った結果、彼女は組織に従う以外の生き方を発見できない。

 欺瞞と疑念、それに血と殺意に満ちた暗殺組織であるが、そんな場所でも帰属意識はある。

 そこには自分の居場所が確かにあったのだ。

 裏切ることなどできるはずがなかった。暗殺者としての矜持もある。

 毒の王の暗殺を命じられることは、名誉なことでもあった。メーガン自身、名誉に対する執着は特になかったが、そうした栄誉を与えられていながら逃げ出すという行為がどれほど自分の名や組織に泥を塗ることになるのかも承知していた。

 もう、自分でもどうしようもないのだ。

 元赤子の暗殺者、メーガンとしても。


 最後の晩餐を酔いの回った舌で味わい、メーガンは宿屋に戻った。

 そのまま、寝台に倒れこんで沈んだ。彼女は、酔っていた。酔っていたのだ、暗殺者のメーガンが。

 自分でも異常なことだとわかっていた。しかし酔わずにいられなかった。

 酒場の娘が提示した『逃げる』という選択肢をどうしてああも、魅力的に感じたのかということを考えたくなくて。酒に逃げるしかなかったからだ。

 強い酒を避けていても、同じだった。結局は深酒となった。

 失態である。

 暗殺者というものは命令を確実に遂行するために、いつでも神経を張り詰めていなければならないというのに。何かあればすぐに敵の命を刈り取れる冷徹な心をもっていなくてはならないはずなのに。

 だが今、そんなものは、なんになるのか。

 命令を遂行しろというのなら、明日の心の平静を保つために今日酔いつぶれるくらいどうだっていいことのはずだ。

 自分の思考を麻痺させるために、酔ったのだ。

 暗殺者は使い捨ての道具にすぎなくて、いつかは自分も死ぬことになると知っていた。命令を受けたときから、これが自分の最後の任務だということはわかっていたはずだ。

 レドと、あの酒場の娘さえいなければ多分、こんな気持ちにはならなかったはずだ。

 メーガンはそんな言い訳をした。

 何も考えたくない、と強く思った。考えれば考えただけ、心が重くなるということはわかっていたからである。

 たっぷりと飲んだ蜂蜜酒は、メーガンに眠気を誘っていた。

 ぎゅっと目を閉じて、自らを抱くようにした。意識がはやく闇に落ちるように祈った。

 だが、いつでも覚醒できるような眠り方に慣れすぎた暗殺者の体がそのような眠りを許さない。

 メーガンは、わずかな浅い眠りを繰り返して、朝まで悶々とすることになった。


 朝起きて、昨日と同じように朝食を摂った。

 暖かいミルクの甘い味が、今日はひどく悲しく感じられて仕方なかった。

 もう、このミルクを二度と飲むことはできないのだと思った。

 今まで数多の命を殺してきたというのに、いざ自分が死ぬともなればこのざまか。

 暗殺者のメーガンは、そう思い直して気を強くもった。どこまでも自分は悪なのだ。そういう風に育てられたとはいえ、もう二度と日の当たる道はいけない悪の者だった。

 それにふさわしい死に様が与えられているだけである。それに、幸運にもその死ぬ時期まで自分で決めることができるというものだ。

 これ以上何を望むのか。

 無理にもそう思い込み、逃げたいと心のどこかで思っている自分を叱咤した。

「ああ、もう十分だ」

 口に出して、嘘を吐いた。

 レドにもらった薬を飲んだ。後戻りはできない。

 そうして、暗殺者のメーガンは毒の沼の影響下へ、足を踏み入れたのである。


 予想以上に、毒の王の城へたどり着くことは困難だった。

 口元を布で覆ってみてはいるが、それで毒を防げるとは微塵も思っていない。これも気休めだ。

 水を飲むことも避けた。外気に触れた瞬間、水も汚染されると思ったからだ。とはいえこれも気休めである。

 どこまでいっても、毒の正体もわかっていない以上、すべて推測にすぎず、気休め以上のことはできなかった。それがメーガンの精神を削っていく。不安というかたちで、いつまでも心に残り続けて削り続ける。

 疲労も予想以上の速度でたまっていた。

 毒の影響か、地形が険しいためか。疲れやすかった。

 半日しか時間はないのだが、どうにも進まない。このままでは自分の最後の仕事が、ぶざまに終わる。

 植物の姿も見えず、動物など虫すら見当たらない。

 メーガン以外には誰もいない。完全に毒の沼の影響下だった。

日が傾き始める。メーガンは半日の時間制限を思い出して、焦る。

 急いだ。疲れて動かなくなる足を叱咤し、腕を無理にも握り締めて急いだ。

 毒の王の城は、見えているのだ。目標が見えているだけ楽だ。そう思い込み、ただ思い込んで足を動かした。

 体全体を引きずるような気持ちで動いた。


 毒の王の城。

 その門までたどり着いた段階で、メーガンは疲弊しきっていた。

 半日はかかっていなかった。まだ日は沈まない。

 暗殺者のメーガンの覚悟と頑張りが、彼女のプランよりも短い期間での到達を可能としたのである。

 しかしこれで終わりではない。

 メーガンは、閉じられた門にすがりついた。中に入り、毒の王を殺さなくてはならなかったのだ。

 門は閂もかかっておらず、外から開けることができた。門を開けると、城の中に通じる扉も開放されていた。

 誰でも入っていい、と言っているようである。

 疲弊しているメーガンは、一刻も早く勝負をつけねばならなかった。これだけ毒の影響下にいてはもはや彼女は助かるまい。だが、それでも毒の王だけは殺しておかなければと思う。

 城の中を、まっすぐに進む。直線的に向かった。

 突き当たった部屋の扉を開く。

 おお、カギもかかっていなかった。

 中には玉座があった。

 その玉座に座っているのは、汚れたマントをかけた姿の、つい昨日見た姿だった。

 かすれかけた視界の中央に、メーガンはその姿をとらえる。

 薬師のレドが、そこに座っていた。間違えようもない、彼だった。

「本当にここまでやってきたのか、君は」

 彼はメーガンを見て、心配そうな声を発した。

 メーガンは崩れかける膝を立たせ、右手に短剣を握り締めた。わずかに指先がしびれるが、問題はなかった。

 レドが毒の王であるなら、殺すだけだ。そう思っている。

 自分の、たった一つの最後の指令なのだ。必ず遂行してみせると決めていた。これが、世界のためだと信じていればこそだ。

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