22・剣士のネム
何のために、そんなことをさせようというのか。メーガンは首を振った。
「いちいち私が説明する意味があるのか、わからない。アイ、あなたの説明で彼女は納得しないとでも」
「ああ、納得しないと思っています。メーガンなら実体験を交えて説明ができるでしょう。私よりも説得力があると考えますが」
なるほど、動機はわかった。つまりアイは、ネムのことを心配している。
長年の相棒である彼女を死なせたくはないのだ。そこで説得したいが、自分では力が及ばないと感じたのだろう。
「私が毒の王に挑んだと?」
「暗殺組織をいつ抜けたのかは知りませんが、レドの護衛をしているということはそういうことなのでしょう。私はあなたを知っています」
これはこれは。
メーガンは目を細めたままでさりげなく右手を武器にかけた。アイが予想よりも自分を知っていたからだ。
暗殺組織に所属していたことを、知っている。これだけでも相当な切れ者であることが知れた。なぜなら暗殺組織は情報統制にかなり力を入れているからだ。構成員の名前や顔を知っているだけでも驚嘆に値した。
どこからそんな情報を得たのか。そしてそんな情報の重要性を知っている。
ゆったりと、そして悠然とメーガンが立ち上がる。油断のかけらもない動作でだ。
アイはその様子に気づいていたが、酒を飲む手を止めない。
殺されてもいいのか、とメーガンは判断した。抜いたら、近接戦闘での殺し合いになる。弓使いのアイには恐らく勝ち目がない。この距離なら十回戦っても全てに勝利できるはずだ。
根拠のない自信ではない、確かに勝てる。
「だから、あなたが毒の王に挑んだことは知っています。その上で、判断するに……。レドが毒の王なのではないですか」
アイは杯を持ったままでそんなことを訊ねてくる。メーガンは答えない。
「死ぬ気か?」
代わりにそう訊ねた。メーガンとしては、そう思うより仕方なかったからだ。
この自分の前で酒をあおり、戦闘力を低下させた上で挑発ともとれる言動をしたのだ。自殺としか考えられない。
しかし、アイは動かない。メーガンの瞳をしばらく見てから、やっと、ゆるゆると腰を上げた。それでも武器を手にしない。
「私は、殺してくれと頼んだ覚えはありません。ネムを止めてくれるように頼んでいるのです。私の命を代償に求めるというのなら、それは無理なことです」
「殺してほしくないなら無意味な挑発はやめることだな。代償が命でないなら、報酬は別に用意されているとでも」
武器から手を離さず、目をそらさず、メーガンはささやくような声で言う。
「報酬ですか。あなたはレドの護衛なのでしょう。それが必要とは思えませんが」
「なるほど」
口がうまい。メーガンは舌打ちをしながら手を下ろした。
毒の王であるレドの護衛をしている以上、毒の王を狙うことを諦めさせることは無利益ではない。やるだけの価値はあるということだ。
そこに報酬を求めるということをしても、仕方がない。やるしかないらしい。
面倒なことになった、と考える。とりあえず夜会の意味はそこにあったのだろう。最初からこの依頼が目的。
今も外で剣を振っている剣士のネムを引き止めるのか。
「やってみよう」
とりあえず、了解の意味で頷く。それから諦めの意味でため息を吐く。
「よろしくお願いいたします」
部屋を出るときに届いたそのアイの慇懃な言葉が、妙に心を逆撫でした。怒りをあらわにするほどではないが、心中に舌打ち。
ひとまずレドのいる部屋に戻って、経過を報告する。
「弓使いのアイがいうには、ネムを止めて欲しいそうだ。あいつは、あんたが毒の王だと気付いているようだぞ」
「別にそのことは本気で隠してはいないからな。気付く奴がいてもおかしくない」
部屋の真ん中で製薬をしていたレドは顔だけをこちらにむけてそんなことを言うが、負け惜しみにも聞こえる。しかし、メーガンが城までたどり着いたときにも自分からあっさりと「ぼくが毒の王だ」と白状しており、あながち嘘とも言い切れなかった。
もう少しからかってやりたいと思うメーガンだったが、このくらいのことでレドが狼狽するとも思えない。事実、彼はまるで表情を変えずにこちらに聞き返してくる。
「まあぼくの正体についてはどうでもいいが、その説得はうまくいきそうなのか」
「いや、いかないだろうが依頼は依頼だ」
軽く首を振って、答える。実際にメーガンはそれほど口がうまいわけではない。アイと口論したら勝てない自信があるくらいだ。
「じゃあ今から行くのか、あの子を止めるために」
「それで説得が成功したほうがいいだろう。明確にあんたを狙う存在が減る」
「それはそうだな。よし、ぼくも行こう。説得に加担してやる」
「何、レド。毒の王自らが出るのか。心の傷をえぐるようなことをするのか?」
旅の薬師に負けて、必死に剣を振りまくるようなネムだ。今頃半泣きになりながら無茶苦茶に身体を動かしているに違いない。放っておけば朝まで、あるいは倒れるまで止まらないはずだ。
その上、自分を負かした薬師に説教されるともなれば心が折れかねない。
「毒の王であることを明かすことも辞さない。というか、最初からそうしたらよかったかもしれないな」
「そんなことをしてもいいのか?」
「先代もしていたことだ。さすがに酒場の主人や行商の相手には知らせないが」
別に、自分が毒の王であることを秘匿する必要はないらしい。自分が生活していくのに問題ない範囲ならいいということだろう。
そんなことをしていいのなら、過去の毒の王の中には積極的に自身が毒の王であることを公言する者もいたのではないかと思う。が、即座にそれは理性が否定した。そんなことがあれば、毒の王の存在が半ば伝説化することはなかったはずだ。
逆に言えば、いくら「自分が毒の王である」と言ってみたところで信憑性があまりないということだ。毒の王というものが、そもそも存在するかどうかも怪しいのだから。
ともあれ本人がいいというものを止めようもない。メーガンはレドを連れて、外に出た。
その気配を察したのか、宿を出たところでアイが追ってくる。
「レドも協力してくれるですか?」
そんなことを訊ねてくるので、少し苛立った。メーガンは返答を拒否する。
しかし、レドは頷いて応えたようである。アイが嬉しそうに笑った。
「それなら大丈夫ですね。ネムは向こうの方にいますよ」
アイの指差す方向には、何か小さな灯りがある。一行はそちらに足を向けた。
「ところで、酒場ではネムに弟がいたということを言ってたな」
「ええ」
レドの問いに、アイが答える。
「しかし、ネムは天涯孤独なのだろう。メーガンが聞いた話の限りではそういうことだ。弟はどこから出てきた?」
「その話の後ですね。ネムが孤児の男の子を拾ってきたんです。彼の面倒をみることが、孤児院を作るきっかけになったともいえます」
「ほう」
レドはアイを横目に見て、それから声を細めて言った。
「ぼくはそんな幼子を殺したことはないがな」
アイはにっこり笑った。
「そうですね。そうだと思います。しかし世間的にも、ネムの中でももう彼を殺したのは毒の王ということで決まっています」
メーガンはそれを聞いて、思い当たるところがひとつあった。赤眼のラエニーだ。
ラエニーは周囲のものを積極的に利用にかかる性格だ。組織の首領を暗殺することになった際に、首領の腹心を騙して唆し、裏切りを誘発させるということも平然と行う。
『行きがけの駄賃』のような、もののついでという感じだ。何かの役に立つかもしれないという調子で、毒の王の仕業を装って弱いものを殺したのかもしれない。強者が身近にいる者を狙ってだ。彼らが敵討ちに燃えることを期待して。
そうしたラエニーの計略の一つして、ネムの弟が殺された可能性もあった。
しかしそうだとしても、そうでないとしても、ラエニーが既に死んでいる以上はどうしようもなかった。メーガンは黙って、足をすすめる以外になかった。
ほどなく、小さな灯りだけを頼りに、闇の中に剣を振り回すネムの姿が見えた。赤く長い髪はぼさぼさに乱れて、汗だくだ。
よほど、薬師のレドに負けたのが悔しかったに違いない。それを自分の実力不足だと認められないほどに、完璧な負けだったのだ。
息を切らしながらも、飛び散る汗も気にせずに一心不乱に剣を振る。そのさまは、研鑽をしていると言うよりも悩みを振り払おうとしているようだ。だが、どれほど剣を振り回してもその悩みは彼女に取り付いて離れないに違いなかった。そうでなければ疲労困憊の極みにあってなお、剣を離さないということにはならないだろう。
「ネム!」
アイが声をかける。
そうするまでもなく、剣士のネムは弓使いのアイに気付いていたことだろう。だが、彼女は声にも反応せずにいる。もうひとしきり、とばかりに剣を振った。
それからしばらくして、ようやくネムは剣を鞘に仕舞って振り返る。
汗に塗れて、肩で息をしている。今にも倒れそうなほど体力を消耗している。それでもこちらを見る目からは光が失われていない。
アイは持ってきた水筒を放り投げ、ネムはそれを受け取って蓋を開けた。中の液体を確かめもせずに咽喉へ流し込む。すっかり飲み干してから口元を拭って、水筒を投げ返した。
「気分は晴れましたか、ネム」
その言葉に、首を振る。そして腰を下ろして右腕をほぐすように軽く回し始めた。
「諦めたらどうですか。やはり毒の王を殺すことなど、できはしないのです」
「いや、それはダメだ」
荒い息を飲み込み、ネムはきっぱりと拒絶する。
固い意志があるものだ、とメーガンは思った。大したものだとも感じた。自分と何ら関係のないところであれば問題ないことなのだが、これからその固い意志を折らねばならないのである。面倒だった。
とりあえず、話しかけなければどうにもならない。メーガンはネムに近寄った。汗のにおいがする。
「ネム、あなたに言えることが一つある。私はつい最近、毒の王に出会って彼を殺そうとした」
「あんたが?」
少し驚いたように、ネムはメーガンの顔を凝視した。疲労の極みにあるためか立ち上がることはしなかったが、片膝を立ててさえいる。
「倒せなかったのかい、あんたが」
「倒せなかった。そればかりか、いいようにあしらわれてこのザマさ」
自嘲の色もなく、メーガンは淡々と事実を語る。それから忠告として言い放った。
「あいつを倒そうとしているのなら、やめとけ。倒せない。今のお前が二十人かかっても倒せないと断言できる」
実際にそうなのだから、断言できる。薬草を採取するレドに襲い掛かった暗殺者たちはいずれも一人前の実力をもっていた。少なくとも平均すればネムよりも上の実力だ。そうした暗殺者が二十人かかってもレドを殺すに至らない。虫刺されが数箇所できたくらいの被害ですんでいる。あの暗殺者達も浮かばれない。
しかし、そうした事実に基づいて語られたメーガンの言葉も、今のネムには根拠のない言葉にしか聞こえなかったようだ。
「そんなはずない。人間の怒りは、多少の戦力差なら覆すものだ」
怒りという言葉を交えてくるところを見ると、やはりアイの言葉どおり毒の王に対して相当な恨みがあるらしい。




