2・暗殺者のメーガン
食事を終えたところで、メーガンとレドは連れ立って酒場を出た。
少女に見送られて店を離れ、集落の中央付近まで歩く。酒で少々火照った体に、夜風が染み入った。
マントを揺らして、レドと並んで歩く。
その身のこなしを見る限り、ただの薬師とは思えない。メーガンは、レドの顔を眺める。
しばらく見つめてみるが、レドは意にも介さずに平然と歩き続けた。視線に気づかないはずがないのだが、彼は自分のペースを乱さない。
つかみどころがないようにも思えたが、役人のリーグに一泡吹かせたところを考えると事なかれ主義というわけでもないのだろう。
不思議な男だ、とメーガンは思う。
「ところで、本当に毒の沼に近づくつもりでいるのか」
レドがそんなことを訊ねてきた。
当然である。メーガンにとって、それは至上の命令なのだ。
「ああ、どうしてもしなければならないことがある」
「毒の王でも、殺しに行くのか?」
ずばりとレドが核心を突いた。メーガンは動揺を隠しつつ、曖昧にごまかそうとした。
「いや、その。そういうことはないぞ」
「それ以外にあそこに入る理由が考えつかない。仮にそうでないとしたなら自殺か、勢いあまって殺してしまった男の死体を埋めに行くとか、そういうのだ」
「目的はいいじゃないか。き、訊くな。それより毒の沼に抵抗できるような薬はないのか」
強引に商売の話にすりかえる。
メーガンは広場の中央で立ち止まった。月明かりに二人の姿は映し出されている。
「薬師なら、商売をするべきだと思うぞ」
「ふむ」
レドは右手を持ち上げて自分の口元に触れた。少し考えるような仕草をしたあと、彼は抱えていた皮の鞄から小瓶を取り出す。
「毒の影響のある地域に入る前に、これを飲んでおけば少しは気休めになるかもしれない」
「気休めなのか?」
小瓶を受け取りながら、メーガンは訊き返す。
「気休めだな。そもそもあの毒の沼がどういうものなのか、わかっているのか」
「毒霧の発生装置だろう」
毒の王の居城を守るための、とメーガンは心中で付け加えた。
しかしレドは首を振った。
「あれは、混沌の毒だ。様々な毒が混ぜ込まれた凄まじい毒。もしも万一、あの毒の沼の水を飲んだ場合、どういう処置をとっても助からないとまず言い切れるくらいの致死毒だ」
「そんなに強力な毒なのか?」
「警告しておくが」
レドは、メーガンを半眼で見ながら両腕を下ろした。
「毒の沼の影響下に、連続して半日以上滞在しないほうがいい」
「半日?」
「それ以上、あの蒸気を吸い続けると肺を強く病む」
「どうなるんだ、具体的に」
「肺をやられるんだぞ。呼吸が満足にできなくなって、酸欠で死ぬ」
それは困る、とメーガンは呻いた。
現在のところ、古城にたどり着くのに日の出から日の入りまでかかる見込みなのだ。半日以下で古城まで行って戻ってくるというのは無理な話である。
メーガンも暗殺者であり、指令のためには自分の命を捨てる覚悟もあった。古城に入って毒の王を殺してしまった後はその場で倒れても構わないといえるが、それでも半日という時間制限は難しかった。
「仮に、仮にだ。毒の王の城まで行きたいという場合にはどうすればいいんだ」
考えてみたものの、半日以内でたどり着く方法が見つからなかったメーガンはレドに水を向ける。
「あんなところにいっても、仕方ないだろう。毒の王に何か用事でもあるのか?」
「だから仮の話だ」
「随分、仮のお話が好きなようだな。ぼくはそこまで付き合っていられない」
レドは小さく息を吐いた後、メーガンに背を向けて歩き出した。
今彼に立ち去られては困ると思ったメーガンがその背に声をかける。
「お、おい。この薬の代金は」
「気休めだと言っただろう、そんなものはタダでいい」
背を向けたまま、レドがひらひらと右手を振った。
「せいぜい気をつけてな」
結局レドはそのまま振り返らず、メーガンの視界から消えていった。
メーガンは手元に残った小瓶を見た。気休め程度と言っていたが、ないよりはいいと思える。
だがレドの言っている事が本当であれば、半日で古城にたどりついて毒の王を殺さなければならない。
不可能任務だ。
今の情報だけで考えれば、無理なことだった。
もう一日、集落に滞在して情報を集めなければならない。メーガンはそう結論する。
集落の中には宿泊施設が一軒だけ存在した。酒場の店主からその場所を聞いていたので、メーガンはそこに向かう。
暇そうに本を読んでいた女に、二日間の滞在を告げて銀貨を支払った。
二階の部屋を借りたメーガンはそこに向かう。
部屋は、丁寧に掃き清められている。寝台も綺麗に整えられていて、よく眠れそうだった。
久しぶりに気分の良い目覚めを迎えられそうだ、とメーガンは喜んだ。夜も更けている。このまま眠ってしまってもよかったが、少しくらいは身体を動かしておくべきかとも思う。
メーガンは武器を確かめて、それから外に出ようとする。その途中で気付いたが、他の部屋には人のいる気配はない。
主人らしき女に確認をとってみた。やはり今日の宿泊客は、自分ひとりだけだった。
では、レドは?
あの男は旅の薬師のはずだ。ここ以外に、どこに泊まるというのだろうか。
野宿というのではあるまい。夜の間に他の集落に向けて旅立ったか、懇意にしている女のところへ転がり込んだか。そんなところではないか。
メーガンはそんなことを考えて、すぐに頭を振った。薬師のレドはメーガンにとって有益な情報を持っていそうな存在だが、あまり追いかけ回すのもよくない。
とりあえず身体を鈍らせないために短剣を振りにいこうと考え、宿を後にした。夜風が吹いて、マントを揺らしてくる。
しばらく歩いて周囲に人がいないことを確認した後、メーガンは闇の中で短剣を抜いた。
取り回しやすく、片手でも扱える武器だ。払うには不向きだが、突き刺すには必要十分な威力を発揮してくれる。メーガンは右手に短剣を握ってそれを振り回した。
敵の攻撃を防御し、そこから反撃する流れをイメージしながら短剣を振り、突く。
メーガンは暗殺者である。数多の人間を今までこの短剣で殺してきた。
その中には数分前まで味方であった者も含まれているし、最後までメーガンを味方だと信頼していた者もいた。
メーガンのいる暗殺組織は、常に裏切りと強奪、そして死に満ちていた。力が足りないものは死に、頭が足りないものも死に、冷静さが足りないものも死んでいく。
精鋭だけが少数いればよいという暗殺組織だった。
その中で地位の低いものは奴隷同然の扱いであり、そこから抜け出すには力をつける必要があった。力をつけても認められなければ、上位のものを殺せばよかった。
実際そのようにして皆が地位をあげているし、下位の者に殺されぬように警戒もしている。
暗殺組織の中には友情など存在しなかった。常に打算と猜疑の狭間で人間関係が展開されている。
この人間を生かしておいても自分に利益があるかどうか、という一点で他人は判断された。誰もが、いつ自分を裏切るかわからない。他人に隙があれば殺してしまうほうがよい。そうした風潮、空気。
その中にあって、メーガンは周囲を疑い続けることで今日まで生き延びてきた。そうしなければ、生きて来れなかった。
信じられるのは自分自身だけ。自分の味方は自分だけだった。
ゆえに、その唯一の味方である自らの力を正確に把握し、常に鍛え続けなければならない。
しばらくの間、メーガンは無言で短剣を振り回し続けた。
汗が頬に流れた。ハッと気がついて、メーガンは動きを止める。
これから休むというのに、こんなに大汗をかいてどうするというのか。
短剣を仕舞い、額の汗を拳で払った。宿に戻って、汗を拭いたら休もうと決めた。
のんびり歩き出したところで、人の気配に気付く。
月明かりのおかげで、その人物が見えた。先程、酒場で見た兵士二人。
役人のリーグにやとわれたのだと思っていたが、彼らは武器を腰に下げたままでどこかに急ぎ足で歩いていく。
恥をかかされた役人が、酒場を潰すために兵士たちを差し向けたのかとも考えたが、方向が違っている。酒場は逆方向である。
どこに行くのかと彼らをつけてみる。
メーガンは、気配を殺しながら兵士たちを追う。
酒場に行くのでないなら、レドを探しているのかもしれない。直接役人に危害を加えたのが薬師のレドであることは明白だったからだ。
しかし狙われているとしても、あの薬師がそう簡単に殺されるということは考えにくい。案外簡単にあしらってしまうかもしれない。
そこまで考えて、急激にまぶたが重くなった。思考が鈍くなり、身体から力が抜ける。
あわや倒れるというところで、メーガンは踏みとどまった。咄嗟に自分の頬を強くつねる。それから頭を振って、睡魔を追い出す。今日一日確かに歩きっぱなしで、酒も飲んだというものの。急激過ぎる睡魔だった。
なんとか持ち直し、顔を上げて兵士たちを見る。
すると、彼らもどうやら睡魔に襲われたらしい。すでによろめいている。
メーガンはなんとか踏みとどまったが、彼らはそこまでの力を持たなかったようだ。ふらふらと足をもつれさせてそのまま地面に倒れこんだ。
自分の二倍は体重があろうかという兵士達だったが、完全に地をなめている。
しばらく待ってみても、彼らが動き出す気配はない。メーガンは周囲を警戒しながら彼らに近づいた。
兵士二人は完全に眠りに落ちている。
同時に眠くなり、子供のように走っている途中で眠ってしまったなどということはない。薬物によって眠らされたと考えるしかなかった。
「レド」
その名前が思い浮かぶ。確信に近い。これはあの薬師の仕業だと。
となれば、彼は近くにいるのか。
周囲を見回してみる。しかし暗殺者のメーガンにも、誰かが潜んでいるような気配は感じられない。
しかし、闇の中に突然それは出現した。まぎれもない、薬師のレドがあらわれたのである。その直前まで、彼は気配を感じさせなかった。
「よく会うな」
まるで、偶然出会ったように彼はそんなことを言った。
メーガンは首を振った。
「そうだな。お前は眠り薬もあつかっているのか。それもこんなに強力なものを」
「麻酔だよ。君はよく眠らなかったな。薬が効きにくい体質なのか?」
こいつ、とメーガンは眉間に皺を寄せた。レドは明らかに、メーガンがいることをわかっていながら眠り薬を撒いたのだ。
メーガンが暗殺者でなければ、おそらく薬にかかって倒れていたに違いない。メーガンのいた暗殺組織では、毒物を少量ずつ飲むことで毒や薬に対する耐性をつける訓練があった。彼女が眠らなかったのはそのおかげである。
「こいつらは、レドを追っていたのか」
「そうさ」
レドは小さく笑って、倒れている兵士達に触れた。彼らを引き摺って、手近に生えている大樹の根元に運んでやる。
兵士達に比べると身体の小さなレドは、多少の苦労をしながらも彼らを運んでいた。メーガンもただ見ているだけではなく手伝ってやった。
「さっきのことを逆恨みしてきたんだろう。彼らは金で雇われただけだから殺す必要はない」
「ああ、あんたは旅の薬師だろう。さっさとこの集落から出て行ったほうがよかったんじゃないのか?」
「ぼくが出て行ったらあの宿屋が狙われていただろう。念のために残っていて正解だったみたいだ。あの役人さんには下痢くらいじゃ薬が軽すぎたみたいだな」
レドはそう言いながら、西の方角に目をやった。役人の住む家がある方向ではない。
その方角は、都を向いている。
何かえげつないことをするのだろうということは、メーガンにもわかった。
だが、あの役人の横柄な態度と領民への当り散らしをあげつらって都に言いつけたところで、それで果たして何が変わるのかともいえる。都へ手紙を出してもそれが届くまでに日数がかかり、そもそもこのような毒の沼に隣接するような地の果ての集落の一役人程度に、有能な人物が派遣されてくるはずがない。
そうしたことを、メーガンはレドに話してみた。中央に言いつけるだけではおそらく無為だと。
それを聞いて、レドは首を振った。先ほどメーガンがそうしたようにだ。
「役人のリーグ氏には大いに反省してもらうさ。ぼくはこう見えて、顔がきくのでね」
言い終えて、すぐにレドは歩き出す。メーガンは彼を追っていた。
「どうするっていうんだ」
「別についてこなくてもいいんだが」
レドは振り返りもしないままメーガンを突き放した。
「何をする気だ、役人を殺すつもりなのか?」
そうだとしたら、面倒なことになる。おそらくは犯人探しが始まり、最悪の場合集落が封鎖されるというようなことになりかねない。
暗殺者のメーガンにとって、その封鎖を抜けることはたやすいことだと考えられたが、毒の沼に関する情報収集のために動き回りづらくなることは明白だった。そうした事態は避けたいので、メーガンはレドの動きが気になったのだ。と、彼女自身は考えた。
実際のところ、なぜかレドが自分の知らないところで動こうとしているのが気に食わなかっただけである。役人が殺されては面倒になる、というのは彼女が自分を納得させるために考えたものにすぎない。
「殺さない」
「じゃあどうするんだ、また薬を盛るのか」
「とんでもない、ぼくは薬師だよ。さっきのことがあったから、こんな夜中にもかかわらず役人様のところへ往診にいくんだ。もしかしたら、新しい病気が見つかるかもしれないけれど」
淡々とした調子でレドはそんなことを言ってのけた。
明らかに、変則的な肯定だった。
メーガンは足を止める。行かせたほうがいい、と感じたからである。
自分がついていくよりも一人のほうが、彼はきっとうまくやるだろう。その結果についてもおそらく心配しているようなことにはならない。
レドは足を止めずにそのまま、闇の中に消えていった。暗殺者のメーガンは、その背中を見送ってから宿に戻り、汗を拭いて寝床にもぐりこんだ。
翌日、メーガンは早朝に目覚めた。
主人はもう起きているようだ。階下から包丁で食材を刻む音が聞こえる。
睡眠時間が足りない、とは感じなかった。水を汲み、顔を洗った。乱れた髪を櫛で整える。
朝日が目に差し込む。気分はよかった。
あれほどやわらかな寝床はいつぶりだっただろうか。いい眠りだったといえる。
一通り身なりを整えると、装備を確かめた。宿を出ようとしたところで、朝食を食べていかないかと主人に言われたのでその厚意をうけた。
あたためたミルクがやけに甘くて、メーガンの舌をよろこばせる。
彼女は一口でそのミルクが気に入った。
今日一日は情報収集にあてるつもりでいる。少なくとも明日の朝、もう一度これを飲む機会があると考え、それだけでメーガンは幸せを感じられた。
朝食を終えて、まだ口元に微笑が残ったまま、メーガンは集落の中を歩く。
昨晩、騒ぎのあった酒場にまず向かっていった。ここに来ればレドがあの後何をやったのか、わかると思ったからである。