17・闇蜂
日が昇った。宿で仮眠をとっていたメーガンは目を開き、行動を開始した。
今日でレドと離れてから何日目だろうか。確か、十一日目になる。今日、調査を終えれば約束した二十日の期限には間に合う。
調べるべきなのは、オルックという人物についてだ。一番怪しい人物である。
毒の王の評判に関しても調査する必要がある。ネムとアイの情報を元にして。
メーガンは井戸水で顔を洗い、マントを羽織って町に出た。
薬師のオルックの評判をそれとなく、商人たちに訊ねてみる。すると、彼らの返答は同じだった。
欲のない善人で、名医だという。
「オルック様かい、あの人はいい人だよ。うちの子供もあの人の施療院で診てもらったのさ。おかげで元気になったよ」
「悪い人であるもんか、素晴らしい人だよ。町中のみんながあの人のことを知っている」
「あの人は名医だね。なんでも王族が悩んでたっていう病を見事に根絶されたとかで、えらいたくさんの金品を下賜されたって話だ。しかし、オルック様はその金品で慈善の施療院をお建てになったんだ。ずいぶん安く病気や怪我を診てくれるっていうんで、このあたりの薬種売り以外はみんなオルック様に感謝してるよ」
何人目かの商人もオルックという薬師を褒め称えた。メーガンは彼がつくったという施療院の場所を訊いて、そこへ向かうことにする。
その周辺地域は商店、宗教施設が集まっていた。人通りもかなりある。
施療院はかなり大きな建物であったので、すぐに見つかった。メーガンはそれを遠巻きに見た後、今日の夜はここに潜入しようと決めていた。
評判どおりの人物であるなら、あれだけの裏金を受け取っているはずがない。そういう判断だった。
そういう評価をカネで買っているということはあるまい。となると、表向きは慈善事業をやっておいて、裏でえげつないことをやっているというパターンしか考えられない。
メーガンは経験からそのように推測した。あとはそれを裏付ける証拠を掴むだけだ。
一方、毒の王の評価については悪かった。
最悪といってもよいほどだ。確かに毒の沼の管理者であり、世界中に毒を分散させている悪人だという判断をされても仕方がないが、それ以上に評価は落ちている。
メーガンの知っている毒の王の評判は、毒の沼の管理者であり、剣を向けたものに対して執拗な報復をするという程度のものでしかない。その報復が一族郎党皆殺しというのはやりすぎにしても、基本的に手出しをしなければ害のない存在だといえる。だからこそ、毒の沼の影響地域に最も近いあの集落もあれだけの活気を保っていられるのだ。
毒の王が見境のない虐殺者という評判が支配的であるなら、古城の近辺にある村々は消えていたに違いない。
それなのに、都での毒の王の評価はひどい。明らかに人類に対して牙を剥いているのだった。
「毒の王といえば希代の極悪人だな。気に入らない奴を毒殺しちまうんだろ? それもただで死なないように時間をかけて苦しませる毒を使ってって話だ」
「この世の害悪ですね、彼は。一刻も早く誰かが彼を討伐しなければ、被害が増えるばかりです」
「なんでも毒の沼の近辺に城をたてて、人間を苦しませる毒を研究してるって話だったな。しかも、その毒が完成するたびに百人近い人間を無差別に実験対象にしちまってるとか。勇者様とやらがあらわれて、退治してくれればいいんだがな」
およそ、毒の王の評価はこうしたものだった。
ほとんど無差別に、罪無き人を一方的に毒殺している大量殺人犯。都での毒の王の扱いはそれだった。
しかも、これだけの憎悪と恐怖を向けられていながら、彼の存在が確固たるものとして語られているのである。半ば、いるのかいないのかもわからないような存在に対するそれではなかった。
都の人間は、毒の王を「伝説と化した孤高の毒使い」としては、見ていない。
あくまでも、「現実に存在する頭のおかしい大量虐殺者」という認識なのである。
こうまで毒の王という存在が歪められていることは、メーガンとしても不快だった。彼らがなんと言おうとも毒の王レドは古城で温泉に入り、暗殺者を撃退し、薬草を採取して暮らしている。毒の王という肩書きに比べてはつつましいとさえいえる。
なのに、勝手に殺人容疑をかけられて憎悪されているのだった。
レドはそのようなことをしていない。奴は無実だ。
メーガンは苛立つ。
毒の王は、そんな下劣な存在ではない。毒の王は、もっと高潔だ。
私が奴に挑んで、護衛を引き受けてからも結局一度も奴は劣情をみせていない。それでいて、私は何度も命を救われている。この私が護衛をしている毒の王が、ただの知識自慢の毒殺魔であるなどということは、認められない。
こんな汚名を被ったままでいることは我慢できない、とメーガンは思う。怒りを覚えている。
「おお、毒の王といえば……」
それでも我慢をして聞き込みを続けるメーガンだったが、毒の王がただの殺人鬼であるという以外の評価はほとんどない。しかし、一人くらいは毒の王の正しい姿を知ってはいないのかと願いを込めて話を訊き続けてみる。
それを八十近い人数に行って、ようやく違う反応を見ることができた。
毒の王は殺人鬼ではない、そう言ったのは動物の乳を売る、老婆である。
「五十五年前の、あの日をわしは忘れておらんよ」
もごもごと聞き取りづらい言葉で、老婆は話を始めた。五十五年前といえば、毒の沼が出現した年だ。その日から、毒の王は毒の王と呼ばれるようになったのである。
「彼はその馳せた希代の毒使い。彼は大陸に君臨した暴君、『痛みの王』と壮絶に戦った。結果として毒の沼の誕生と引き換えに、不死身を誇るかの、痛みの王を封じ込めた。そして彼はその功績を称えられ『毒の王』と呼ばれた」
「毒の王は英雄だったと?」
老婆の話を聞いて、メーガンは聞き返す。
その話が本当なら、少しは安心できる。都の住人全てが毒の王を嫌っているのではないと思える。
「痛みの王は暴君ではあったよ。だが彼が君臨し続けた場合の死者と、毒の沼による死者がつりあっているとは誰にもいえんの。そのときも、毒の王は決して英雄扱いはされておらん。都にもついに戻らず、古城にいるというしの」
なるほど。
メーガンは頷いた。この老婆が言っていることはおそらく本当だ。五十五年前の真実の一端だ。
痛みの王という暴君を倒すために、やむなく毒の沼をつくったのが初代毒の王だ。彼は英雄扱いされてはいないが、人のために戦ったに違いない。高潔な精神だ。結果から評価されていなくとも、間違いなく彼は人のために行動したのだ。
安心できる。メーガンは軽く息を吐いた。
老婆に質問を重ねてみる。
「その毒の王の名前は、なんと言うかわかりますか」
「おお、確か痛みの王に挑んだその毒使いの名は、ついにわからんかったの。それゆえに、ただ、毒の王と呼ばれている」
このあたりのことは、レドに訊けば教えてくれるだろうか。
とりあえずメーガンとしては毒の王を嫌う人間ばかりでないことがわかって安心したというところである。
都にただよう、暗殺事件のにおい。
そこにある、毒の王の評価のひどさ。
さらに、王家に取り入る薬師のオルック。
この三つは、全てが繋がる。メーガンはそう結論を下した。
だが、それはあくまでも推論である。必ずそうである、という証拠は存在しなかった。
証拠が存在しないのなら、見つけ出さなければならない。持ち出す必要はないが、確たるものを見たという証言をレドに届ける必要がある。
やはり、オルックの施療院に忍び込むしかない。あの建物が一番怪しい。
メーガンは武器を整備しながら、夜を待った。
その装備はやはり変わらない。短剣と弓、スリング。スリングはやっと新調することができたが、それまでと同じようなつくりのものを採用したものの、試し撃ちをしてみると微妙に狙いがずれた。しばらくは頼らないほうがいいだろう。
弓に関しては問題ない。足で射ってもそれなりの精度だ。短剣については握っている状態のほうが自然なくらいである。
さらに、手投げ剣をいくつか購入した。マントに隠しておく。
宿に戻って仮眠を取る。
昨日と同じように深夜に目覚めるはずだったが、メーガンはいつまで経っても宿から出てこない。
痺れを切らしたのは、彼女を待ち受けている男たちだ。彼らは、毒の王について探るメーガンに目をつけていた。すでに宿まで突き止めて、深夜に行動を開始するだろうと目星をつけていたのである。
ゆえに、多人数で宿を囲んでいた。どこからメーガンが出現しても一気に襲い掛かって拘束できるように。
彼らは長剣で武装していた。というより、それ以外の武装はない。普段着に、剣だけだ。顔も隠していない。とはいえ、人数だけはそろっていた。二十名近い。
そのように準備をしていたというのに、メーガンは出てこない。
やむない。彼らは寝込んでいるメーガンを拉致することに決める。一気に宿の中に押し入った。
窓を破り、部屋の中に何人かが飛び込む。続いて、扉から武装した男たちが入り込む。
激しい抵抗が予想されたためだ。しかし、そうした予想に反してメーガンは抵抗してこない。
仮眠をとった姿勢のまま、座り込んだまま。
拍子抜けしながらも、部屋に踏み込んだ男たちは剣をメーガンに向けた。
「立て」
床に座り込んで眠っているメーガンに剣を突きつけ、男たちが命じる。
しかし、メーガンは動かない。身じろぎもしない。
部屋の中には、何かが飛び回っていた。何かの羽虫か。
「どうした、立て。お前がこそこそと何かをかぎまわっているのはわかっている」
「おい、待て。何か変だぞ」
そんなことを言ったのは、一人の男。顔に虫がまとわったのである。
その虫が、あまりにも大きかったからだ。そして、硬い。決して羽虫などではない。
だがその言葉は聞き入れられない。
二十名という彼らの数が、不釣合いな自信と余裕を与えてしまっていた。
「なんだ、早く立たせろ。連れて行ってお楽しみの尋問じゃないのか」
「あ、ああ。立て、おい」
咽喉元に剣を当てる。少しだけでも肌を傷つければいうことを聞くだろうと思ったのだ。しかしその瞬間、座り込んでいたメーガンの体が倒れる。
メーガンだと思っていたものは、毛布を丸めて旅装束を着せただけの偽物。そうしたことを彼らはそのときに、やっと気づいたのだった。
羽音がその場にうなりをあげた。ぶおん、と飛び出す。
それは、夜の間でも活動する凶暴な毒蜂の羽音だった。メーガンが道中の山で、巣ごと掘り出した夜行性の毒蜂。
暗殺者のメーガンは、毛布の中に毒蜂を仕込みいれていたに違いなかった。その場に倒れた毛布から、次々と毒蜂が這い出て、その場に飛び出す。暗い部屋の中に、黒い体躯の毒蜂が雲霞のように舞った。
彼らの毒針は強力で、暗殺組織の人間を悉く屠ったあの毒蜂に匹敵する。
「うぎゃあっ!」
「蜂、蜂だっ!」
部屋の中が、地獄絵図に化けた。
彼らは出口に殺到するが、二十名という数のせいで、事態を把握していない人間が多数いた。そうした人間が逃走経路をふさいでしまっている。
無論そこでまごついて、被害が拡大する。
悲鳴がとどろき、毒蜂は外敵を存分に餌食とした。
そのような事件が起こっているとき、本物のメーガンが件の施療院に潜入していたことは言うまでもない。




