16・疑惑
都に入った。
睡眠時間が多少短くなった以外に、さしたる問題の発生は認められなかった。昨夜、傭兵のネム、弓使いのアイと話した内容は少し重大なものであったが、旅を中断してレドのところに戻るほどのものではない。メーガンは予定通り、都に入って情報を集めることにしたのである。
この大陸でも最も大きい都。国王はここにいる。
都に入る際に衛兵に呼び止められたが、身分証を見せると簡単に通ることができた。その身分証は盗んだものであったが、特に問題はなかった。持ち主は今頃、山の中で野犬の胃袋におさまっていることだろう。そうした意味でも昨夜の戦闘は無意味でなかったといえる。
都は広い。のんびり歩いていては、端から端までたどり着くのに相当な時間がかかるだろう。区画の整理はされていて、大きな通りがいくつもある。それぞれの通りには特色がつけられており、ここには食料品が、ここには衣料品がといったように店の種類が分かれている。どこに行けば何が買えるのか、ダーティな箇所はどこなのかという目星はつけやすかったが、それを逆手にとって隠れ蓑にする者も多い。隠された情報を探すメーガンにとっては面倒なところだ。
旅衣装を着込み、マントを羽織って歩くメーガンはまっすぐ宿屋に向かった。まずは荷物を置いて、情報を集めたい。本格的な情報収集は夜だが、昼間からも動けないことはない。商人たちから話を聞くことはできるだろう。
中級程度の宿を借り、少ない荷物を一旦部屋に置いた。宿の主人は人相こそ悪かったが、愛想はよかった。一晩ぶんの宿賃を支払い、とりあえずは町の中を歩くことにする。
大きな都。普通なら、一日では探索できないだろう。
しかしそこは暗殺者としてならしたメーガンである。要点を絞って、効率よく情報を集める術を心得ている。それでも先述の理由により、苦戦は予想されていたが。
睡眠不足こそ多少感じるものの、活動に支障があるほどではない。商人のいる区域を探し当て、談笑にふけるふりをして情報を吸い上げていった。
「相変わらずにぎわってるじゃないか、平和すぎて退屈だろう。なんか変わった話はないかい」
そんな風に、商人たちの顔を見ながら話しかける。メーガンに見つめられた男は、大体口が少し軽くなる。この果物売りもそうだった。
「そうだなあ、俺らは長いことここでやってるけどよお。いつだって平和で困らぁ。お偉方のほうは、相続争いだとか派閥争いだとか、パーティがどうのこうの社交界がどうのって、面倒くさいこと毎日やってるみたいだけどな」
「私らには到底、縁のない話だね。贅沢なもんだ」
「あはは、そうだろ。俺らなんか着られれば毎日同じ服だって別にかまわないってのにさ。見栄が大事なんだろ、貴族様方は」
「金の無駄遣いだねえ。私なんかパーティ用のドレスを買うくらいお金が余ってたらもっといいもの食べるさ」
「違いねえ」
果物商はけらけらと笑い、メーガンに黄色い果実を一つ譲ってくれた。メーガンは礼を言ってそれを受け取った。
この果実は分厚い皮こそあるが、それをナイフで剥けば甘苦い味が楽しめる。後で味わうことにして、腰につけた小鞄に仕舞う。
メーガンは他の商人とも順次話をしていく。
次は武器商人、次は肉商人といった具合である。何人かは、変わった話題として「お偉方はいざこざがあって大変なようだ」ということを言った。
昼に集められる情報としてはこのくらいだろう。メーガンは食料を買い込み、宿に戻って仮眠をとった。
夜に備えて、睡眠をとっておくことは必要だったからだ。
日が暮れて、都の町が闇に覆われた。メーガンは目を開いて、荷物から水を取って飲んだ。
買っておいた食糧を噛み千切って嚥下する。マントを羽織った。
宿の主人は既に眠っているだろう。メーガンには顔に触れる空気だけで、深夜であることがわかった。既に、暗殺者の時間だった。
昼に得た情報を頼りに、貴族の館に忍び寄る。
いざこざというほどには大した問題ではないところもあったが、見逃せない事件もある。
例えば相続問題で、兄弟がもめているとかいうのはわかる話だ。しかし、争っているうちに体の弱かった弟が病死し、兄が遺産をまるごと相続したという話になってくるとどうにも胡散臭く感じられてくる。
さらに、監察官から脱税の疑惑をかけられている貴族が色々と言い訳をしているうちに、その監察官が亡くなったという話まである。当然、脱税疑惑は立ち消えになった。
そうした、胡散臭い死が溢れている。そのあたりに同業者のにおいがする、とメーガンは判断していた。暗殺のにおい。謀殺のにおいがする。
ゆえに、この深夜の都に身を躍らせる。
メーガンは、優秀な暗殺者である。
誰の手引きがなくとも、貴族の屋敷に忍び込むことが可能なほどに。昼の間に目星をつけておいたルートで屋敷の中に入り込む。
情報を集めるためにはもう少し早い時間に忍び込んだほうがよかったかもしれないが、それだと警戒が厳しい。
この屋敷にいる貴族は、脱税の容疑がかけられていた。メーガンはその証拠を探し出すつもりでいる。
およそ、重要書類の隠し場所はわかっていた。人間の習性というべきか、人に見せられないものの在り処はいつも同じなのだ。
引き出しの一番下、二重底の下、本棚の不自然な栞。それらを探る。
すぐに証拠は見つかった。無念の死を遂げただろう監察官が求めてやまなかったものが、あっけなくメーガンの手に落ちた。同じことを監察官がやれば犯罪だが、メーガンにはそのようなことは関係がない。
「あった」
古書に見せかけ、本棚の奥に仕舞いこまれている帳簿。
表紙こそ偽装されてはいたが、中身は裏金の帳簿だ。どこから秘密の収入があるのか、いかに国の目を欺いているのかということまで書き付けてある。帳簿というよりも、何かのメモ書きにつかっていたのかもしれない。
そこまでして得た資金の大半がどこに流入しているのか見てみると、およそ六割程度が遊興に使われている。高級娼婦を何度も買ったらしい。
貴族なのだからそんなことをしなくてもよさそうなものだが、とメーガンは思う。そこらの女くらいちょっとひっかけてそのままお楽しみ、なんてことをできるのが貴族じゃないのか。
だが、素人女と娼婦では技巧が違うらしい。話術も、閨の中での技術もだ。
男は馬鹿だ、とメーガンは思う。あきれながら帳簿に目をやる。
さらに読み進めると、残った四割の資金がどこに流れたのかわかった。王家に取り入っている薬師、オルックに流れているようだ。
このオルックという人物に流れた資金によって、この脱税が発覚しないようにはからっているのだろう。隠し収入の四割を支払っているのだから、相当な金額だ。オルックという人物が計らってくれる便宜がその金額に見合ったものなのか、それともオルックの方からこの額を要求してきていて、断ることができないのか。
いずれにせよ、オルックという人物によってこの脱税は巧妙に隠蔽されているはずだった。今回は運悪く、優秀な監察官が仕事をしすぎたらしいが。そのせいで、その監察官はオルックによって排除されたのだろう。
そうとしか考えられない。オルックとこの貴族の間に取引があるのは明白なのだから、監察官を処理するのはオルックの仕業になる。
「ここまでして女を買いたいのか」
嘆息をついたメーガンは帳簿を元の位置に戻して、部屋を出た。
夜は長いようで短い。メーガンは次の目的地を目指す。
さすがのメーガンも魔術師ではない。警備の目を盗んで屋敷に出入りするには時間が必要だった。
ゆえに、もうかなりの時間が経過してしまった。今夜の間に出入りできる屋敷は後一つだけだろう。
そこは比較的、警備が手薄だった。手薄というよりも皆無に近い。メーガンはたやすく屋敷の中に入ることができた。
相続争いに敗れた貴族の屋敷だ。敗れたというよりも、紛争の途中で病死してしまったというのが正しいかもしれない。しかし実際には紛争に敗れて殺された、というのが正しいだろう。商人たちもこのあたりの事情に詳しいものはそう見ていたし、メーガンも聞いただけの情報でさえそう判断する。
メーガンは屋敷の中の警備がほとんどないのをいいことに、あちこちを見て回った。灯りをつけることさえもした。
その結果、数箇所の壁や扉付近に傷があることがわかった。家具を運ぶ際に擦ってしまったという感じではない。明らかに剣を振り回した痕跡だ。
発表では病死ということになっている以上、さすがに剣で突き刺されて死んだわけではないだろう。しかしこのような痕跡があるということは、何度か狙われたということに他ならない。そうだとしたら、やはり殺された可能性が高まる。
そのように考えるメーガンの背後に、何か動いた気配があった。虫が壁を這いずるような、わずかな気配ではあった。
しかしメーガンは油断せず、その場を離れた。正解だった。
「ちっ」
舌打ちが聞こえる。自分が一瞬前までいたところを、白刃が通り過ぎていた。
冷静に短剣を抜く。
暗殺者のメーガンは決して気を緩めていたわけではない。警備が手薄なのは知っていたが、それでもその状況を把握していた。となると、メーガンを発見し、攻撃を仕掛けた相手はよほどの達人ということになる。
すぐにメーガンは灯りを消したが、敵の気配はその場を立ち去らない。メーガンの気配を読み、攻撃を仕掛けてくる。
相手の得物は長剣だった。部屋の中で振り回すには不向きなものだが、リーチの長さは確かにそれを補う。
「こそこそするな、ネズミめ。これ以上この屋敷を探っても無駄だぞ。ブンゴル様は清廉潔白の身だったのだからな、貴様らと違って!」
練れた太い声がその場に響いた。
メーガンは恫喝されたくらいではたじろがないが、相手の言葉の意味はしっかりと記憶した。
ブンゴルというのは死んだ跡継ぎの名前だ。清廉というより、悪を許せない性格だったらしい。それはいいのだが、やや締め付けが厳しすぎるきらいがあり、既得権益を失うことを恐れた周囲からの反発は強かった。そうした意味では清濁併せ呑めるもう一人の跡継ぎが全面的に亡き父親の地位を継承してくれることを皆が望んでいたのだ。
昼の調査でそうしたことはメーガンも知っていた。だからといって残った跡継ぎが悪であるとは感じないが、ここにもやはり暗殺の匂いを感じていた。
そして剣でできたと思われる屋敷の傷を見たことで、疑いが確信となった。その確信はこの襲撃者の出現によってさらに強固となる。
「ものども、曲者だ!」
長剣をもった男は力強くそう叫んだが、もともと手薄な警備なので誰も駆けつけてはこなかった。
しかしメーガンは逃げ出せない。相手の実力はかなり高そうだった。そうたやすく逃げられそうにはなかったのである。
ここはどうやら、戦うしかないようだ。
戦うといっても、無駄に剣戟をやる必要はない。相手から逃げ出せばそれだけでいいのだ。
「逃げられはせんぞ」
部屋の入り口をふさぐように、長剣をもった男は構えている。メーガンは短剣を握ったものの、この相手を打ち負かすのは難しそうだと感じていた。
相当な実力者だ。暗殺組織の幹部であった白髪の暗殺者でも相当に苦戦するだろう。
しかし、レドには及ばない。あれに比べれば、何とかなりそうだと思える範疇だ。
なんとか彼の注意を引いて、その隙に逃げるのだ。
メーガンは懐中から薬の入った壜を取り出す。それを振りかぶって、窓に向けて投げた。窓ガラスが割れる。
「そのようなところから逃げるつもりか」
あわてた相手は、構えを乱してメーガンに突き進んだ。部屋の入り口を折角ふさいでいたにもかかわらず、メーガンに飛び掛ってしまったのである。
それを見ることもせず、メーガンは部屋の中にあった本棚を倒す。足と腕で、器用な倒し方をした。剣を構える相手とメーガンの間に本棚が倒れ、相手の構える剣をかすめた。本がばさばさと乱れて床に散らばり、埃を巻き上げていく。
突然のことに、相手の動きが止まる。その一瞬を利用して、メーガンは相手の脇を抜けた。
ただすり抜けるだけではなく、すれ違う瞬間、厚く重そうな本を剣士の顔面に叩き込んでいる。
剣士は昏倒し、メーガンは逃げおおせた。
本の代わりに短剣を突き出していれば殺すこともできた。それをしなかった理由は、殺す必要を感じなかったからである。どうせ二度と会うこともないのだから、どうでもいい存在だった。
屋敷から出て、宿に戻るために走る。
夜明けは近い。今日の調査はこれまでだ。メーガンは考えた。
調査にはもう一日必要だ、と。




