11・挑発
赤眼のラエニーという暗殺者は、暗殺組織内では非常に名が知られていた。しかし、一般市民の間にまでそれが浸透しているわけではない。
ラエニーの名を知っていた商人は、暗殺組織について何か知っている可能性がある。
「その剣を持っていた暗殺者は?」
ひとまず、メーガンはそれを訊ねた。レドはやってきた森林の方角を指差した。
「殺した。死体はそのままにしてあるから、確かめてくるなら好きにするといい。その剣も、報酬として君に譲る」
「報酬? 何の」
「ぼくの護衛としての給金は出来高制にすると言わなかったか。君は今日よくやってくれたから、それに対する上乗せ分と思ってくれればいい」
メーガンはラエニーの短剣を渡されたが、困った。これは暗殺組織内ではあまりにも有名になりすぎた剣だ。高価な品ではあるが、処分のしようがない。かといって、自分が使うにもいまひとつである。メーガンが振り回すにはやや重く、装飾が過剰なのである。
処分の方法は後で考えるとして、もらえるものはもらっておくべきかもしれない。ここで押し付けあっても仕方がない。メーガンは後で受け取るからと言ってレドに短剣を返す。さらに、できるだけ報酬は金でお願いしたいとつけくわえておいた。
それにしてもレドがラエニーを殺したというのは本当らしい。レドが強いのは知っていたが、ラエニーを倒してしまうとは。
幹部であるはずの白髪の暗殺者を倒しているのだから、ラエニーに勝っても不思議でないといえばいえる。しかし、メーガンの中にある驚愕はまだ消えていかない。
しばらく後に、ようやく驚愕の念が消えた後には毒の王レドに対する畏敬の念がつのるばかりである。
「明日の朝も早いから、さっさと休んでくれ」
考え事をするメーガンを尻目に、レドは必要なことをし終わるとマントを脱いでさっさと寝台の中に入ってしまった。
ラエニーのことを知っている怪しい人物が商人団の中にいる、という話をしたばかりなのに、無防備に寝てしまったのである。メーガンはもはや彼に何を言っても無駄だと感じていたので、起こそうとは思わない。代わりに自分がマントを着込んだまま、壁際に座り込んだ。ごく浅い眠りをとりながら、周囲を警戒している。旅慣れたメーガンがよくやる眠り方だった。
毒の王を暗殺に出向いたときは危険をそれほど感じなかったのでしなかったが、敵地に乗り込んだ際にはよく使っていた。敵地でなくとも、森林の中で眠るときには必須のものだ。
レドは一部屋しかとっていなかったが、寝台は二つ用意されていた。普通に考えればわざわざ床で座って寝る必要などなかったのだが、メーガンは護衛である。まさか敵がいるかもしれないところでいびきをかいて寝るなどということはできようはずもない。
深夜に、メーガンは部屋の扉が開く気配を感じた。薄く目を開いて、扉に目をやる。
そこにいたのは商人団の一人で、手に何かを持っている。
それが弓であるということを確認した瞬間、メーガンは飛び出し、即座に短剣を抜いた。商人は、闇の中から飛び出してきたメーガンをかわすことができず、まともに攻撃を受けた。
本来であれば短剣を胸に受けて死んでいるはずだったが、メーガンは咄嗟の機転で短剣の柄での打撃に切り替えている。殺すのはまずい、と判断したからである。打突を受けた商人は転がるようにして倒れ、強く咳き込んだ。
メーガンが心配するほどの強敵ではなかった。というより、荒事にも慣れていない素人だと感じられた。
何故だ、と思う。このようなズブの素人に何を期待してレドを狙わせたのか、わからないのである。
考えながらではあるが、メーガンは襲ってきた商人を無力化するために彼を縛り上げる。手近な紐がなかったので、彼自身の服を破いてそれで縛ることにした。経済的である。力が入りにくいように、縄抜けできない縛り方をしていると、アダークがやってきた。
「何かあったのか」
騒ぎを聞きつけてやってきたらしい。メーガンはアダークに事情を説明した。
彼と相談した結果、襲い掛かってきた商人に対して事情聴取することになる。二人で刃物をちらつかせながら質問を浴びせたところ、商人はラエニーの短剣を奪おうとしたのだと白状した。
「ラエニーの短剣というのを、どこで聞いた?」
メーガンは商人に訊ねた。弓をもってレドを襲おうとしていた商人は若く、メーガンよりも年下だと思われた。彼はふてくされたように黙っていたが、メーガンに短剣を突きつけられると怯えきって、聞かれていないこともべらべらと喋り始める。
「そっちの薬師が盗賊の一人から奪っているのを見たんだ。刀身の赤い、玉石のついた短剣だ。それに狙われたものは三日もたたずに殺されるって噂は知っていたから、高く売れると思った」
それを聞いてアダークはあきれたように首を振った。
「お前、それならレドの腕前もわかったろうに。こっちの護衛が手加減してくれたからよかったものの、下手したら殺されていたぞ」
「どうしても金が必要だったんだよ、親父はいつまでたっても俺のことを認めてくれないしよ。金さえあれば自分の店をもてるだろ、そうすりゃ親父も見返すかと思っただけだ、本当だ」
商人は頼むから殺さないでくれとばかり、自分の事情を語った。しかしながらその内容は自分勝手なものといえる。メーガンは彼を許す気になれない。殺した方があとくされがない、正当防衛だと言い張ることもできる。
「お前はラエニーという名前をどこで聞いたのか、と訊いているのだ。お前の事情などどうでもいい」
「それは、その。どうでもいいだろう」
「そうか、では死ぬか」
メーガンは話す気がないのなら死ねとばかりに、商人の顎を左手で掴んだ。右手に短剣を握って、咽喉を突こうとする。焦った商人は縛られた手足でなんとか逃げ出そうともがきながら、必死に声をしぼった。
「待て、話す。話すから待てっ」
「早く言え」
「裏通りの盗賊団たちだ。そいつらがこそこそ話しているのを聞いた。有名な暗殺組織の中に、ラエニーって奴がいると。それだけだ」
「盗賊団か。本当だろうな」
「本当だ、誓ってもいい」
メーガンはあまりにも必死に懇願する商人を見て、嘘はついていないと判断した。短剣を仕舞いこみ、左手を突き放した。縛られて動けない商人は呻いたが、知ったことではない。
アダークに後は任せて、メーガンは部屋に戻った。同じ姿勢で、再び睡眠をとる。
夜も明けないうちから、メーガンは起こされた。今度はレドが起きだしたからだ。
「出かける」
目を開いたメーガンに、レドはそう告げた。全く睡眠時間は足りていないが文句は言わず、メーガンは腰を上げた。
「まだ日の出前だが」
「この時間でしか、採れないものがあるからだ。昨夜もご苦労だったが、ついてきてくれ」
「わかった」
マントを引き摺るようにして、レドに続いて部屋を出た。
右腕の痺れは消えている。一晩で抜けるだろうというレドの診察は正しかったわけだ。とはいえ、毒に強いはずのメーガンで一晩であるから、常人ならどれほど回復にかかったかわからない。
薬師のレドは旅装束を調えて、さっさと宿を後にする。彼の後を追って、メーガンは歩いていく。昨日の商人はどうなったのか、と考えたところで日が顔を出した。世界に色がつき、眩しさに少しだけ目を細める。
「レド、深夜にお前を襲った商人があった。彼はどうする」
前を歩くレドの背中に、それを問いかける。
「ああ。奴は商人団が適当に処置するだろう。放っておけばいい」
レドは淡々と応じて、集落の外へ向かって歩いていく。その口ぶりからすると、やはり襲撃されたことは気付いていたらしい。
知った上で、自分が起きだしてどうこうすることもない、と判断して眠り続けたのだろう。それほどメーガンを信用しているということでもあるだろうが、無責任ともいえる。
昨夜も凄腕の暗殺者であるラエニーに襲撃されているというのに、自分一人を護衛につけただけでうろうろしているレドに、警戒心というものはあるのだろうかと疑問に思ってしまう。とはいえ、レドの力があまりにもありすぎるので、ラエニーを凄腕と感じられたかどうかは疑問だが。
メーガンが考え事をしている間に、レドは集落を出て森林に分け入っていく。
どうやら何かの植物の採取らしい。メーガンは手伝おうかと声をかけたが、素人には判別が難しいと一蹴された。仕方がないので採取をレドに任せて、周囲の警戒をする。
ようやく日が昇ったばかりの森林で、しゃがみこんで何かを採取しているレド。その背後に立ち、何かがやってくる気配がないかと気を配る。
実際、気を配るまでもなかった。
「隠れる気も無いらしい」
思わずそう呟いてしまった。メーガンに感じられるだけで、両手の指に余るほどの数の襲撃者がいたからだ。
自分たちの存在を隠すつもりもなく、そしてレドやメーガンを逃がすつもりもない。これほどの人数の襲撃者の存在に気がつかなかったのは、彼ら全員がメーガンよりも優秀であるからだと考えられた。
かなり腕の立つ刺客である。それがこれほどの大人数。確実にレドを仕留めるために用意されたのであろうことは確実だった。
普通なら逃げる方法を考えるところだ。
メーガンは思う。彼らを殲滅するというのは、無理な話だ。暗殺者のメーガンは暗殺組織の中では優秀な存在であるが、同時に何人もの人間を相手にして勝てるほどではない。素人や、荒事に慣れていない連中ならば気迫で押し切れば怯ませることができる。その間にどうとでもできるが、今自分たちを囲んでいる相手は、いずれも劣らぬ実力の暗殺者だ。
どうする。逃げなれば。
「レド」
「もう少し待て、あと少しで終わる」
薬師のレドは包囲されていることに気付いているはずだ。しかし、植物の採取をやめようとしない。その間にも、全方位から襲撃者は歩んでくる。
逃げ場などない。
敵の暗殺者たちの半数は黒装束に身を包み、手に短剣を構えていた。残りの半数は弓を構えている。つがえた矢に毒が塗られていることは言うまでもない。
メーガンも短剣を抜くが、勝機はほとんどなかった。
採取を終えたレドが立ち上がる。
同時に、襲撃者たちの矢が放たれた。それをかわすために、レドとメーガンは同時に飛び上がる。全方位から狙われたので上にしか逃げ場がなかったのだ。
手近な巨木の枝につかまりながら、メーガンは考える。
レドは、毒の王だ。暗殺組織は彼の暗殺を引き受けている。ゆえに、自分が送り込まれた。白髪の暗殺者もこれに挑んだ。しかし、失敗している。現に、レドは生きている。
そしてついにラエニーがレドに挑んだ。彼も敗れた。
ここまできて、ようやく組織は多数の暗殺者を一度に投入することを決めたのかもしれない。
敵は暗殺者である。レドが得意とする毒は効きにくいと思われる。
メーガンは掴んだ枝を支点にして、大木にしがみつく。そのまま幹を上り、茂みの中に逃げようとした。
しかしその瞬間、何かが地面に落ちる音が響く。そちらに目をやると、レド。
レドは、飛び上がった勢いそのままに襲撃者へと反撃をかけたらしい。何をしているのか。敵はこちらの十倍近くいるのだ。一人と剣を合わせている間に弓で射殺される。
いかにレドが武勇に秀でていても、できることに限界はある。闇雲に突撃しても数の不利は覆せない。
したがって、レドが突撃したことは愚かな行いだと言わざるを得ない。
だがメーガンは、レドの護衛であった。少しでも彼に群がる暗殺者を減らさなければならない、と感じた。
「くそっ」
悪態をついて、メーガンも木の上から飛び降りる。即座にスリングを使って石を放った。近くにいた暗殺者を狙ったが、その石はかわされる。
メーガンは七人の暗殺者が自分に向かってくるのを感じた。そのうち、弓を引き絞っているのは三人。
こうも絶望的な状況に陥ったことは、なかった。どうすればいいのかまるでわからないが、それでもレドをなんとかして護らなければ。
そのとき不意に、何かが壊れる音がした。




