愛妾サーラはもういない
「あのう、それ、多分王妃様は何も気づいてないと思いますよ」
私がそう言うと、この国で一番偉いという王様は、信じられないというような顔をした。
まずは、ここがどこかということと、私が誰かという話をしなければならない。
ここはレイヤード王国、資源豊かで、周辺国との関係の良好な大国だ。眼の前にいる金髪碧眼のイケメンはこの国の王様であるアレックス・レイヤード。
そして私は牧島ひかり。突然日本人みたいな名前が出てきて混乱させてしまったかもしれないけれど、それは中の人の名前である。さらに混乱させたかもしれない。
今の私の容姿は王様と同じ金髪碧眼の、まるでお姫様かと言うほどの美人だ。この美人の名前は、サーラさんという。数日前目を覚ましたら、私はサーラさんになっていた。牧島ひかりとしての最後の記憶は、信号無視をしたトラックが突っ込んできたところだ。
どうやら、転生というものを、したらしい。
「ではサーラ、私はどうしたらいい」
「いやあ……」
そして現在、絶賛恋のお悩み相談中である。王様と、その奥さんである王妃様の。
どうやらこのサーラという女性、この王様のお妾さんらしいのだけど、記憶によると恋愛関係にはないらしい。従兄妹であり、身体の弱いサーラさんを、保護するために王様が公務につかない妾として召し上げたらしい。ちょっと私の常識ではわからないんだけど、どうやらサーラさんを手籠にしようとする輩が後を立たなかったようだ。これだけ美人だから、まあ、仕方ないのかもしれない。
「こんなところで相談するんじゃなくて、王妃様のところに行けばいいのではないでしょうか……」
「それができたら苦労はしていない!」
王様は王妃様のことが大好きらしいけれど、夜はお渡りにならないし、公務以外のお話もあまりしないらしい。それどころか毎晩サーラさんのところに来て、「今日も王妃が可愛かった」「仕事ができてえらい」「一緒にどこかに出かけたい」なんて惚気ているようだった。
私の中にはサーラさんの記憶があるのだけど、王様がこんな調子なせいで、王宮では「王は愛妾にぞっこん」だなんてもっぱらの噂らしい。
この噂の厄介なところは、サーラさんがそれを否定しなかったところだ。なんとこのサーラさん、王様のことが好きだったらしい。
「どうしたサーラ、いつもはもっと親身に聞いてくれるじゃないか」
「はは……」
当然だ。私はサーラさんではない。とはいえ、あまりにも乖離してしまうと違和感を抱かれるかも知れない。こほん、とひとつ咳払いをする。
「アレックス様、まずは日頃の感謝を王妃様にお伝えしましょう」
「日頃の感謝……?」
「王妃様はアレックス様のために毎日ご公務を頑張ってらっしゃるんですよ。ちゃんと労わって差し上げないと」
「褒美は与えている」
「足りません!」
褒美というのは、宝石やドレスのことだ。「ご苦労」なんて言葉をかけて、好きなものを買ってあげる、みたいな。そんな現代の成金みたいなことを素でやっているのだ。そりゃ「王は王妃様に興味がない」なんて言われるに決まっている。
「た、足りない?」
「はい、まずは言葉です。『いつもありがとう』『君のおかげで助かっている』『愛している』とか」
「なるほど……!」
感心したように何度も頷いている。この人本当に王様やれてるのかな。いや、稀代の名君とか言われているらしいんだけど、とてもそうとは見えなかった。
「あとあんまり、毎晩ここに通わないほうがいいです」
「何故だ……!?」
「……王妃様より、私の方がお気に入りだと誤解されているからです」
胸がちくりと痛んだ。覚えのない痛みに、首を傾げる。
目の前の王様は、ショックを受けたような顔をしていた。
「では誰に王妃の話をきいて貰えばいいんだ!」
少なくともサーラさんではない。
サーラさんは毎晩、こうして王様の話を聞いていた。王様が自分のことを好きというわけでなくても、一緒にいられたからだ。噂を否定しなかったのも、せめて他人からは「愛妾」だと思われたかったからだ。それをこの王様は知りもしないけれど。
「側近か誰かに聞いてもらいましょう。私はもう、夜はゆっくり寝たいんです」
ズキズキと胸が痛む。この体が、悲鳴を上げている。いやだ、と叫んでいるようだった。
「そうか……」
申し訳なさそうに、王様が眉を下げた。なんだか罪悪感が湧いてくるけれど、ここは心を鬼にしなくてはいけない。このままじゃダメなのだ。王様と王妃様には、うまくいってもらわなくてはならない。
――サーラさんは、もういないのだから。
私がこの世界に「喚ばれた」とき、サーラさんは、一人でこの部屋で倒れていた。持病の発作が来てしまったのだという。そしてサーラさんは、霊体の私に頼んだのだ。「アレックス様とお別れをしてほしい」と。
ずっと好きだったアレックス様に、自分の代わりに思いを告げ、アレックス様が幸せになる手伝いをしてほしいと。
私がそれに頷くと、寂しそうに笑って、サーラさんは目を閉じた。私の意識もそこで途切れた。
そして、次に目を覚ました時、私はサーラさんになっていた。
というわけで、わたしはこの胸の痛みが自分を苛もうとも、アレックス様と王妃様をくっつけて幸せにしなければならないのだ。
この夫妻、あとひと押しさえあれば幸せになれるのはわかっていた。アレックス様と王妃様は幼いころからの婚約者で、相思相愛だったらしい。幼いころ、それはそれは仲睦まじく、将来は安泰と思われていたらしい。しかし、先王が崩御してアレックス様が王様になるというときに問題が起きた。そう、それがサーラさんの妾としての輿入れだった。
すでに王太子妃として王宮に入っていた現王妃様は、とてつもないショックを受けたようだった。無理もない。これから二人で国を盛り立てようというところで、急に夫が別の女を連れてきたのだから。
「まず王妃様に、ちゃんと私のことを説明してください。『サーラは保護のために王宮入りさせただけで、夫としての愛情はない』と」
「しかし、それはお前が言わない方がいいと……」
「……そうですね、ですが、私も考えが変わったのです。私のせいでお二人の仲に亀裂が入るのは、辛いです」
よよ、と泣きまねをしてみると、アレックス様は再度ショックを受けたように頷いた。
「そこまで思いつめさせていたのか……!すまない……!」
ちょろすぎる。サーラさんは、どうしてこの王様が好きだったんだろうか。
「なので、いますぐ王妃様のところに行ってください」
「今から!?し、しかし、もうこんな夜更けに……」
「王妃様は何時だってアレックス様をお待ちですよ。ほら、行ってください」
ぐいぐいとその背中を押して、部屋から追い出す。
しん、と静寂が部屋に広がり、一人取り残された。ちくん、とまた胸が痛む。まるでわたしが彼に恋をしているのではないかと錯覚するような痛みを手で抑えた。
「はあ……、これで良かったのかなあ」
私の呟きは、部屋の静けさの中に消えていった。
翌日の夜、またアレックス様が訪ねてきた。にこにこと上機嫌だった。
「サーラのおかげで、王妃とたくさん話すことができた!お互いに誤解もあったようでな、それを解消することができた」
「はあ、それで、どうしてアレックス様はこちらに?」
「サーラに礼を言いにきたんだ!」
この人、もしかして馬鹿なのかも知れない。
どうして誤解が解けて、お互いの想いを確認した翌日に妾の元を訪れようと思うのか。礼なら昼間でも良かったはずだ。私はこの昼、暇すぎて人気だという物語を二本ほど読み終えてしまった。
サーラさんは元々体が弱いのもあって、食事は特別メニューを部屋で食べていた。社交なんかもあまりしないらしく、ご機嫌伺いに来た人の面会もほとんど断っている。
こんな孤独の中で、きっとサーラさんは、アレックス様だけを頼りに生きていたのだろう。
「お互いの誤解が解けたのは良かったと思います。ですが、その翌日に私のもとに通うのはいかがなものでしょうか」
「駄目なのか?」
「王妃様はご理解されたかも知れませんけど、周囲はまだ私のことを愛妾と思っています」
「それは……」
「王様と王妃様の関係が悪いと思われているうえに、愛妾が権力を握っているなんて噂されているんですよ。それを払拭しなければ、また余計な派閥争いが起きます」
私の言葉に、アレックス様は考え込むように黙った。これは全部、サーラさんの記憶の中から引っ張ってきた言葉だ。サーラさんはわかっていたのだ、自分の存在がどれほど国務に不利益を与えているのか。それでも、彼女は自分ではやめられなかった。
しかし、死の淵で彼女は、愛する人の幸せと、愛する人の国の繁栄を願った。たとえそれまでのことがあったとしても、それは紛れもない事実だ。
「……わかった。しかし、サーラ、お前はさみしくはないのか?」
「え……?」
ソファから立ち上がったアレックス様が、真っ直ぐに私を見据えていった。
寂しいか、寂しくないか。そんなの、寂しいに決まっている。さっきからずっと、心がじくじくと痛んで、行かないで、と口から出そうになっているのだ。それをグッと抑えて、アレックス様を促している。
「お前は昔から俺にべったりだっただろう。だからこそ、叔父上や叔母上は公爵家の娘であるお前を妾とすることを認めたんだ。それなのに、俺が渡らなくなったら、誰に頼るんだ」
思わず、言葉を失った。
それがわかっているからこそ、この人はサーラさんのもとに通っていたのだ。彼女が、自分以外を受け入れられないことを、知っていたのだ。
「……これからは、社交だっていたします。最近は、体調がいいんです」
「……、そうか」
そう言ったきり、アレックス様は部屋を出ていった。
それから数ヶ月後、王妃様がご懐妊されたという話が聞こえてきた。
「久しいな」
「最近はお忙しそうでしたからね」
「お前も、だいぶ外に顔を出し始めたと聞いている」
「はい。いつまでも、引きこもってばかりはいられませんから」
ある日の昼下がり、アレックス様が訪ねてきた。あの日以降、彼は私の部屋にお渡りになることはなかったし、こうして昼に訪ねてくることもなかった。数ヶ月ぶりに顔を合わせると、やはり心の奥が踊った。まだ私の中に、サーラさんはいるらしい。
「今、俺は幸せだ。王妃とは仲良くやっているし、子もできた。懸念していた派閥争いも、叔父上のおかげで大きな問題は起きていない」
「そうですか」
「叔父上には、お前がとりなしてくれたと聞いている。……アドバイスといい、世話になりっぱなしだな。感謝する」
「いえ……」
感謝する、という言葉とは反して、アレックス様の表情は硬い。どくどくと、心臓が鳴り始める。アレックス様の瞳が、まっすぐ私を捉える。
「最近は、王妃とも仲がいいようだな、よくお茶をすると聞いている」
「はい、よくしていただいています」
それは事実だった。派閥争いや権力争いを避けるために、王妃と妾の間の関係は良好であるとアピールする必要があった。実際に誤解が解けてからの王妃様は優しいし、その繋がりで他の貴族夫人のお茶会に呼ばれたりするようになった。
もう誰も、王様と王妃様の関係が悪いだとか、愛妾にぞっこんだとかいう人はいない。
「お前は、サーラは、王妃を苦手だと言っていただろう」
「……私だって大人です。必要な社交はできます」
「王妃が言っていた。お茶会で出したアップルパイを美味しそうに食べていた、と」
「……?」
「サーラは、シナモンが嫌いだっただろう」
「!」
ずきん、と心臓が痛んだ。それと同時に、頭の中の引き出しの中に仕舞われていた、サーラさんが幼い頃にシナモンの効いたアップルパイを食べて吐き出した時の記憶が浮かんできた。どうして、私はこれに気づくことができなかったんだろう。
「わ、私は……」
「なあ、教えてくれ」
昏い瞳が、私を捉えた。
「サーラはどこに行ったんだ」
ぶわりと鳥肌が立つと同時に、心の奥底が歓喜で震えた。気づいてくれた、「私」が「私」でないことに。
どくどくと心臓が跳ねる。この歓喜は、私のものではない。サーラさんが、喜んでいる。
「サーラは、もういないのか」
目の前のアレックス様が、グシャリと自分の髪を掴んで、悲壮な声を上げた。私は何もいうことができず、ただその様を眺めていた。なんと、説明すればいい。どうしたら、信じてもらえる。
「……『サーラさん』は、……もう、いなくて」
「何故だ」
「発作が起きて、そのまま」
「っ……」
アレックス様が、息を詰めた。心臓が痛む。歓喜と、苦痛が一緒に訪れたような、感情がないまぜになって混乱する。
そして、仕舞われていた記憶がすべて浮かんでくる。シナモンが嫌いなこと、王妃様が苦手だったこと、本を読むのが嫌いだったこと。それはどれも、私がこの世界にきて積極的にしたことばかりだった。
ああ、きっとサーラさんは、気づいて欲しかったんだ。
私が、サーラさんでないということに。
「お前は誰だ、何故サーラの体に」
「……私は、別の世界で死んで、この世界に来ました」
「何?」
「信じてもらえないと思います。そこで、サーラさんに頼まれたんです」
訝しげに、アレックス様が眉を上げた。警戒心の解けない表情に、もう胸は痛まない。
「貴方が幸せになる手伝いをして欲しいと」
「……幸せになる、手伝い」
「サーラさんのもとに通うのをやめさせて、王妃様とうまくいくようアドバイスをしました。貴方の国が繁栄するために不必要な争いを取り除くべく、サーラさんのお父様に力を借りました」
サーラさんの両親には、すでに私がサーラさんではないということを告白していた。泣き崩れる二人を見るのは辛かったけれど、サーラさんの最後の望みだから、ときいてもらった。
「それで、叔父上は……」
「それから、もう一つ、……サーラさんから頼まれていたことがあるんです」
「……、なんだ」
すう、と小さく息を吸う。
「サーラさんの想いです。サーラさんは、貴方を愛していました、一人の男性として」
「……!」
驚いたように見開かれる瞳に、じわりと涙が浮かんで来た。
「貴方のことを愛していたから、彼女は最期に、貴方の幸せを願いました」
ぽたりと、涙の雫がドレスに落ちる。今となっては、私が悲しいのか、サーラさんが悲しんでいるのか、もうわからなかった。でも、私はこれで彼女の願いを全て叶えたことになる。この先、私がどうなるのかはわからない。
「……っ、サーラ……!」
アレックス様が、手で顔を覆い、泣いている。愛はないとはいえ、輿入れまでさせた従姉妹がもういないと言われて、受け入れることができる人はいるんだろうか。
しばらく部屋の中には、アレックス様の嗚咽が響いていた。
「……貴女の、名前は」
「牧島ひかり、です。ひかりが、名前」
「ひかり殿……」
再び顔を上げた時、目元は赤いものの、アレックス様の表情は何かを決意したように、光が灯っていた。
「俺は、この国の王だ」
「……はい」
「……、それと同時に、サーラの、夫でもあった」
ぐ、とその手が膝の上で握られた。指先が、白くなっているのが見える。どれほど強い力なのだろう。
「そのサーラが、俺の幸せと国の繁栄を願ってくれたんだ。俺は、それを、絶対に叶えなければならない」
「……はい、そうです」
私はサーラさんの思いがどれほど強かったか「記憶」の中でしか知らない。しかし、死の間際で願い、案じるのが自分以外のことだなんて、そう簡単にできることではない。それが「愛」でなければ何だというのだろう。
「貴女はサーラではない。しかし、サーラとして生きていくことになるのだろう」
「……おそらくは」
私がサーラさんの体に入ってから、発作や体調不良は起きていない。どんどん健康になっていて、食べられる量も、体力も増えていた。体が弱かったというサーラさんとは、まったく違っていた。それでも、元の世界で死んだ私が戻る場所はない。死んでしまったサーラさんが戻ることもないのだろう。そうなると、私は、この体で生きていくことになる。
「勝手を承知で言う。……これから、側妃としてこの国を支えてくれないか」
「側妃……」
「俺は貴女を愛することはない。だが、その血筋と、献身が必要だ。……このまま、ここに留まってほしい。」
「本当に勝手ですね」
その潔さに、思わず笑ってしまう。公爵家の血筋と、サーラさんの願いを叶えるために、アレックス様の幸せと国の繁栄を願った献身。……これを献身と言われると、少し困る。私は死の間際の人間の願いを聞いただけだ。この右も左も分からない世界で、居場所となる器の中で。
「わかりました、受け入れましょう」
「ひかり殿」
「……どちらにせよ、私は、ここで生きていくしかないのですから」
それからは早かった。
私は、妾から側妃として召し上げられ、公務に参加するようになった。事情を知らないながらも仲良くしてくれる王妃様と、相変わらず王妃様への惚気ばかりを言いにくるアレックス様に囲まれて、それなりに幸せに暮らした。
『ありがとう』
ふと、公務の合間にうたた寝をしていた時に、聞こえた気がして、目を覚ます。それは、数年前に私に、頼み事をした声と同じだった。
(私は、貴女の願いを叶えられたのかな)
その答えが返ってくることは、なかった。




