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ひらめきで勝つ天才と、時間で指す棋士―同門公式戦を境に成長した日向と、静かにタイトルだけを見続けた恒一  作者: 夜明けの語り手
第一章 ライバル

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8話 負けの輪郭

投了のあと、日向 湊は立ち上がれなかった。


 盤はもう片づけられている。

 駒は箱に収まり、時計も止まっている。


 なのに、あの一手だけが残っている。


 「……なんでだよ」


 声に出しても、答えは返ってこない。


 あそこは、勝っていた。

 読みも、構想も、間違っていない。


 相川恒一は、追い込まれていた。

 はずだった。


 なのに、流れが消えた。


 自分の将棋が、突然、意味を失った。


 控室の鏡に映る顔が、嫌だった。

 自信に満ちていたはずの目が、揺れている。


 「俺の将棋……浅かったのか?」


 問いが、胸の奥に沈む。


 この負けは、ただの一敗じゃない。

 自分が信じていた強さを、壊した。


 あの手は、鋭くない。

 派手でもない。


 なのに、抗えなかった。


 「……つまらない将棋だと思ってた」


 口にした瞬間、苦くなる。


 つまらなかったのは、

 自分の見ていた世界の狭さだった。


 帰りの電車で、日向は何度も棋譜を見返した。


 負け筋は、どこにもない。

 それが、一番つらい。


 数日後。


 日向は、ある道場の前に立っていた。


 佐伯道場。


 相川恒一の師匠の名前が、看板に刻まれている。


 ドアを開ける前に、何度も息を整えた。


 「弟子にしてください」


 そう言ったとき、声は震えていなかった。


 佐伯は、しばらく黙って日向を見た。


 「理由は?」


 日向は、正直に答えた。


 「……負けたからです」


 「誰に」


 「相川恒一さんに」


 佐伯は、初めて少しだけ笑った。


 「自信を失ったか」


 「はい」


 「それでも、続けるか」


 日向は、迷わなかった。


 「続けます。

 あの将棋を、理解できるところまで」


 佐伯は、頷いた。


 「なら、いい」


 その日から、日向は佐伯の弟子になった。


 恒一には、まだ言っていない。


 言えなかった。


 対等な相手として向き合えるまで、

 名乗る資格がない気がしたからだ。


 夜、日向は一人で盤に向かう。


 あの一手を、何度も並べる。


 分からない。

 だが、目を逸らさない。


 自己肯定感は、底まで落ちた。


 それでも、不思議と逃げたいとは思わなかった。


 怖いのは、相川恒一ではない。


 追いつけないかもしれない自分だ。


 日向は、静かに言った。


 「……次は、負けない」


 その言葉は、誓いではない。

 祈りでもない。


 初めて生まれた、

 本物のライバル意識だった。

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