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蒐集家という名の棋士について  作者: 夜明けの語り手
第一章 ライバル

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7話 流れの外

対局開始から、空気は日向 湊のものだった。


 指し手が速い。

 盤上に迷いがない。


 「今日は、日向ペースですね」


 解説席の声が、場内に流れる。


 恒一は、深く考えていないように見えた。

 受けて、かわして、形を保つ。


 だが、気がつけば駒の主導権は日向にある。


 攻め筋が通り、観戦席がざわめく。


 「相川、苦しいですね」


 誰かがそう言った。


 恒一の表情は変わらない。

 時計を見る。

 まだ、時間はある。


 日向は、心の中で確信していた。


 ――ここだ。


 踏み込む。

 一気に畳みかける。


 相川の将棋は、耐えるだけ。

 切れ味はない。

 今日も、そうだ。


 そう思った瞬間だった。


 恒一の指が、止まった。


 盤の上を、ゆっくりとなぞる。


 長考。


 観客は息を詰める。


 この局面で、受ける手は限られている。

 逃げれば、悪くなる。

 攻め合えば、分が悪い。


 解説者が言う。


 「ここは難しい。相川九段、正確さが求められます」


 恒一は、盤を見ていた。


 だが、見ていたのは局面ではない。


 ――ああ、これか。


 そんな感覚が、ふと浮かんだ。


 昨夜、夢の途中で途切れた局面。

 道場で、師匠と指したときの違和感。

 負けた将棋の、詰まらなかった一手。


 それらが、一本に繋がる。


 考えたわけではない。

 狙っていたわけでもない。


 ただ、指が動いた。


 形勢を変える一手。


 解説席が、沈黙する。


 数秒遅れて、声が上ずる。


 「……え?」


 日向は、盤を見た。


 違和感。

 攻めが、続かない。


 駒は取れている。

 なのに、前に進めない。


 「……何だ、この手」


 恒一は、相変わらず静かだった。


 そこから先、将棋は急がなくなった。


 日向の時間が、伸びる。

 指し手が、遅れる。


 局面は、五分。

 いや、少しずつ――。


 終局。


 日向は、盤の前で固まった。


 「……負けました」


 言葉が、重く落ちた。


 恒一は一礼する。


 会場がざわつく。


 「予想、外れましたね」


 「日向有利だったはずですが」


 メディアは混乱した。


 速報記事の見出しが、書き換えられる。


 ――若き天才、敗れる

 ――相川恒一、またも静かな勝利


 解説動画では、問題の一手が繰り返される。


 「理屈では説明しづらい」

 「偶然とは思えない」

 「準備していた手でしょうか?」


 恒一本人は、インタビューで首をかしげた。


 「特に、意識していません」


 それは、嘘ではなかった。


 控室で、佐伯が恒一を見る。


 「……出たな」


 恒一は、意味が分からない。


 ただ、いつもより少しだけ、疲れていた。


 眠らせていたものが、

 ひとつ、目を覚ましただけだということを、

 まだ知らない。

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