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ひらめきで勝つ天才と、時間で指す棋士―同門公式戦を境に成長した日向と、静かにタイトルだけを見続けた恒一  作者: 夜明けの語り手
最後の一手は、私のもの

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77話 ミサンガ

奨励会三段昇格戦。


静かだが、空気は重い。


二段の終点。


三段の入口。


ここで多くが折れる。


水瀬遥は、会場の隅で正座していた。


手のひらが少し湿っている。


逃げたいわけじゃない。


でも。


ここは夢の延長線じゃない。


現実だ。


足音。


「緊張してる顔やな」


振り向く。


高槻。


あの日、最後の試合で遥に敗れた三段。


四段昇段目前で何度も跳ね返された男。


今日の相手ではない。


それなのに、ここにいる。


「なんでここに」


「暇やから」


嘘だ。


わかる。


高槻はポケットから何かを取り出す。


細い紐。


ミサンガ。


黒と深緑。


地味だ。


「これ、やる」


「……は?」


「お守り」


遥は眉をひそめる。


「宗教なん?」


「ちゃうわ」


少しだけ笑う。


「俺が四段上がる前にもらったやつや」


「……上がってへんやん」


「うるさい」


でも怒っていない。


静かな目。


「切れたら願いが叶うらしい」


「ほんまに?」


「知らん」


一拍。


「でもな」


高槻は続ける。


「お前は、浮いてる」


遥の胸がざわつく。


「自分の将棋やり始めてから、余計にな」


図星。


「それ、悪いことちゃう」


遥は顔を上げる。


「俺は浮けへんかった」


その言葉は軽くない。


「俺はずっと“正しい将棋”をやってた。失敗せんように。評価値通りに。無難に」


笑う。


乾いた笑い。


「だから四段の前で止まった」


遥は黙る。


高槻はミサンガを遥の手に押し付ける。


「お前は、失敗する」


「なんやそれ」


「でもな」


目がまっすぐ。


「失敗できる奴のほうが、上に行く」


静寂。


遠くで対局開始のアナウンス。


高槻は踵を返す。


「返さんでええ」


「え?」


「お前が四段なったら、俺がもらいに行く」


遥は何も言えない。


手の中の紐が、やけに軽い。


でも。


重い。


遥はゆっくりと左手首に巻く。


きつくない。


でも外れない。


深呼吸。


今日は守りじゃない。


今日はコピーじゃない。


負けるかもしれない。


でも。


自分で指す。


立ち上がる。


会場へ向かう。


高槻は振り返らない。


でも心の中で呟く。


「行けよ。浮いたまま」


遥の背中は、もう細くない。


まだ未完成。


でも。


物語は、ここから本気で昇る。

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