75話 夢の手再現
夜。
遥は布団の中で、目を閉じていた。
夢を思い出す。
三面盤。
恒一、律、そして――見えないもう一人。
あの局面。
呼吸が浅くなる。
起き上がる。
机の上に盤を置く。
夢の将棋を、再現する。
最初の一手。
……あれ?
止まる。
これは日向の形じゃない。
二手目。
三手目。
違う。
研究してきた渦間日向の棋譜の流れではない。
もっと荒い。
もっと不格好。
でも――
全部、自分で考えている。
夢の中の自分は、誰もなぞっていない。
途中で気づく。
「あ……」
夢の遥は、一度も“日向ならどう指すか”を考えていなかった。
ただ、
どうすれば勝てるか。
どうすれば崩せるか。
それだけだった。
駒を進める。
終盤。
あの最後の一手。
震えながら、盤に置く。
カチ。
静か。
成立している。
完璧ではない。
でも、逃げていない。
真似でもない。
“私の手”だ。
遥は盤を見つめたまま、動けなくなる。
ずっと、
自分は日向の弟子だと思っていた。
真似して、
吸収して、
近づいているつもりだった。
でも違う。
近づこうとしていたから、遠かった。
夢の中では、近づこうとすらしていない。
ただ、戦っていた。
その違い。
胸の奥が、すっと軽くなる。
「……打てるやん」
小さく笑う。
ずっと怖かった。
自分の手を出して負けるのが。
だから、強い人の形に隠れていた。
でも夢の中の自分は、
負けるかもしれない手を、
平然と打っていた。
それが一番、衝撃だった。
夢の私は、
もう誰の弟子でもなかった。
盤の前に座り直す。
今度は現実の棋譜を並べる。
高槻戦。
途中まで日向の流れ。
でも最後の一手だけ、違った。
あれは偶然だと思っていた。
違う。
あれは、出かけていた。
自分の将棋が。
怖くて、最後まで信じられなかっただけ。
遥は駒を握る。
「次は、最初からや」
なぞらない。
隠れない。
負けても、自分の形で。
それが怖いなら、
怖いままでいい。
胸の奥が静かに燃えている。
強くなりたい、じゃない。
追いつきたい、でもない。
“私の将棋を指したい”。
その欲が、初めてはっきりした。
窓の外はまだ暗い。
でも遥の中では、
夜が終わっている。
物語はまだ誰にも見えていない。
でも確実に変わった。
ここから、
水瀬遥は“弟子”を卒業し始める。
気づいただけ。
まだ未完成。
でも。
最後の一手は、もう他人のものじゃない。
私のものだ。




