表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ひらめきで勝つ天才と、時間で指す棋士―同門公式戦を境に成長した日向と、静かにタイトルだけを見続けた恒一  作者: 夜明けの語り手
新しい風

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

69/85

68話 神社

対局室の空気は、まだ熱を残していた。


駒は片付けられているのに、盤上だけが静かに戦いの余韻を持っている。


「負けました」


遥が頭を下げる。


恒一は軽く会釈する。


「ありがとう」


声は穏やかだった。


遥は少し戸惑う。


もっと鋭い何かが来ると思っていた。


もっと圧があると思っていた。


けれど、ない。


恒一は盤を見ながら言う。


「最後、あそこ変えただろ」


遥の心臓が跳ねる。


「……はい」


「なんで?」


責める声ではない。


純粋な疑問。


遥は迷う。


本当の理由を言うかどうか。


「真似、やめようと思って」


恒一の目が、初めて少しだけ動く。


「日向の将棋、好きなんだろ」


「……はい」


「でも、あれは日向の正解だ」


遥は息を飲む。


「お前の正解じゃない」


静かに言われる。


強い言葉なのに、柔らかい。


遥は悔しくなる。


でも、うれしい。


ちゃんと見られている。


対局室を出る。


廊下は静かだ。


夕方の光が長く伸びている。


しばらく無言で歩く。


恒一がぽつりと言う。


「最近、ゼロからやり直してる」


遥は横を見る。


「さっきの将棋も?」


「ああ。前の俺なら、あそこは踏み込んでた」


「なんでやめたんですか」


少し間。


恒一は笑う。


「楽しくなくなったから」


遥は足を止めかける。


あの恒一が。


勝ち続けていたあの人が。


「律に言われた。夢中なだけじゃないかって」


遥は小さく笑う。


「おっちゃん、余計なこと言いますね」


「助かったよ」


外に出る。


空気が冷たい。


夕方の街の音が戻ってくる。


遥はふと見る。


恒一の顔。


少しだけ、柔らかい。


前に見た試合のときより。


「あの」


遥が声をかける。


「どこか、寄りません?」


「どこに」


遥は少し考える。


勢いだった。


でも、口が動く。


「神社」


恒一が眉を上げる。


「神頼み?」


「たまにはいいじゃないですか」


少し挑むように。


少し笑いながら。


恒一は数秒考える。


断る理由は、ない。


「行くか」


それだけ。


並んで歩き出す。


沈黙。


でも重くない。


遥は横目で恒一を見る。


さっきの対局中とは違う。


駒を握っていない恒一は、思ったより丸い。


「なんか、変わりました?」


遥は言ってしまう。


恒一は少し笑う。


「そうか?」


「前より、怖くない」


「それは弱くなったってことかもな」


「違います」


遥は即答する。


自分でも驚くくらい早く。


「……なんか、余裕があります」


恒一は何も言わない。


でも、少しだけ目を細める。


信号を渡る。


夕焼けが濃くなる。


二人の影が長く伸びる。


まだ距離はある。


でも。


さっきより、ほんの少しだけ近い。


そのまま、住宅街の奥へ。


小さな鳥居が見えてくる。


神社の石段。


遥が一歩、先に出る。


遥が言う。


「たまには神頼みも、いいんじゃないですか」


恒一は少し笑う。


「将棋で神頼みはしたことないな」


「今まで強すぎたんでしょ」


「いや、怖かっただけだ」


遥は横目で見る。


怖い。


あの恒一が、そんな言葉を使う。


二人は賽銭を入れる。


鈴を鳴らす。


遥は目を閉じる。


強くなりたい。


ただ、それだけ。


恒一は目を閉じる。


楽しめますように。


少しだけ間がある。


願いが、違う。


風が吹く。


木の葉が鳴る。


遥がぽつりと聞く。


「もし、いつかタイトル戦で当たれたらどうします?」


軽い声。


冗談みたいに。


恒一は少し考える。


「その頃には俺の方がいないかもな」


遥は笑わない。


「逃げるんですか?」


「違う。たぶん、形が変わってる」


「将棋が?」


「俺が」


遥はその意味を深く聞かない。


まだ、そこまで届かない。


石段を降りる。


遥が一段先に立つ。


自然と、そうなっただけ。


恒一は下から見上げる形になる。


ほんの一瞬。


ほんの一瞬だけ。


遥の目が鋭くなる。


「もし私が、本気で倒しにいったら、嫌ですか?」


空気が少し止まる。


恒一はすぐには答えない。


遥の目を、まっすぐ見る。


「全力で来いよ」


声は柔らかい。


でも。


ほんのわずかに。


ほんのわずかだけ。


視線が揺れた。


遥は気づかない。


恒一も、自分では気づいていない。


石段を降りきる。


並んで歩く。


遥が前を歩く。


恒一はその背中を見る。


まだ細い。


まだ未完成。


なのに。


なぜか――


少しだけ、遠く見えた。


風がまた吹く。


誰も、何も、気づいていない。


でも。


物語だけが、知っている。


ここから追いつくとは。


まだ誰も思っていない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ