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ひらめきで勝つ天才と、時間で指す棋士―同門公式戦を境に成長した日向と、静かにタイトルだけを見続けた恒一  作者: 夜明けの語り手
新しい風

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59話 偶然

対局が終わってからも、遥はすぐに帰れなかった。


会場の外。


夕方の空気。


自販機の前で立ち止まる。


缶ジュースを買うか迷って、やめる。


まだ胸がざわついている。


渦間日向。


あの人は、あんな場所にいる。


自分は、まだ奨励会二段。


遠い。


でも――


「なに、難しい顔してんの」


背後から声。


軽い。


煙の匂い。


振り向かなくても分かる。


「……おっちゃん」


黒田律。


派手な和柄の羽織。

今日も自分で染めたらしい。


年齢より少し若く見える顔。

でも目の奥は静かすぎる。


律は自販機に小銭を入れながら言う。


「見に来てたんだろ、渦間の」


遥は一瞬固まる。


「なんで分かるん」


「顔に書いてある」


ガコン、と缶が落ちる。


律は開けずに手で転がす。


「どうだった」


遥は少し黙る。


うまく言葉にできない。


強い、じゃない。


凄い、でもない。


もっと、別の何か。


「……静かやった」


律の口元がわずかに緩む。


「だろうな」


「でも、怖くない」


「ほう?」


「なんか……優しい将棋やった」


律は初めて遥をちゃんと見る。


その目は、試す目。


「優しい、ねえ」


少しだけ笑う。


「お前、あいつと指したことあるだろ」


遥の心臓が跳ねる。


「……なんで」


「分かるよ。あの顔で見てた」


沈黙。


夕方の風。


遥は小さく言う。


「知らんかったんよ。あの人がプロやって」


「今日知ったんか」


うなずく。


律は缶ジュースを開ける。


プシュッ。


「ショックか?」


「……ちょっと」


遥は正直だ。


「あんな人が、あんな遠いところにおるなんて思ってなかった」


律は空を見上げる。


「遠いか?」


「遠い」


即答。


律は小さく笑う。


「じゃあ、近づけよ」


「簡単に言うなや」


「簡単だぞ」


遥が睨む。


律は肩をすくめる。


「夢中になればいいだけだ」


その言い方が、軽い。


でも重い。


遥は少しだけ迷って、聞く。


「おっちゃん、あの人と知り合いなん?」


「まあな」


「仲いいん?」


「腐れ縁だ」


少し間。


遥は踏み込む。


「……強い?」


律は笑わない。


「強いよ」


それだけ。


遥の目が燃える。


「勝てる?」


「誰が?」


「おっちゃんが」


律は一瞬黙る。


それから肩を回す。


「知らん」


本当に興味なさそうに言う。


「でもな」


視線を落とす。


「今のあいつは、楽しもうとしてる」


遥の心が動く。


「楽しむ……」


「昔は違った」


それ以上は言わない。


遥は少しだけ悔しそうに言う。


「うち、弟子やねん」


律が吹き出す。


「は?」


「勝手に」


「勝手すぎるやろ」


遥は真顔。


「でも、そうやねん」


律はしばらく遥を見て、それから言う。


「なら、ちゃんと裏切れよ」


「え?」


「弟子ってのは、いつか師匠を超えるためにいるんだろ」


遥は言葉を失う。


「コピーしてるうちは、勝てないぞ」


遥の胸がざわつく。


今、図星を突かれた。


日向の棋譜を並べ、

日向の形を真似し、

日向の終盤をなぞる。


それで強くなった気になっていた。


律は缶を飲み干す。


「渦間はな、お前が真似して喜ぶタイプじゃない」


「……」


「壊せ」


遥の目が大きくなる。



そのとき。


背後で、砂利を踏む音。


三人分の空気が、微妙に重なる。


律が先に気づく。


視線だけを横に流す。


「……噂をすれば」


遥が振り向く。


そこに立っていたのは――


渦間日向。


スーツ姿。

ネクタイは少しだけ緩んでいる。

対局後の顔。


感情は薄い。

だが、目ははっきりとこちらを見ている。


遥の喉が鳴る。


「……」


声が出ない。


日向は律を見て、小さく息を吐く。


「何してる」


「教育」


律は平然と答える。


「誰を」


そこで律は、にやりとする。


顎で遥を指す。


「こいつ」


間。


「お前の弟子らしいで」


空気が止まる。


日向の眉が、ほんのわずかに動く。


「は?」


短い。


低い。


遥の顔が、一瞬で赤くなる。


耳まで真っ赤。


「ち、ちが……いや、違わんけど……」


言葉が迷子になる。


律は面白そうに腕を組む。


「勝手に弟子らしい。熱心やぞ。棋譜並べまくっとる」


遥が律を睨む。


「言わんでええやん!」


日向は遥を見る。


静かに。


値踏みするようでもなく、

怒るでもなく。


ただ、まっすぐ。


「……君か」


その一言。


遥の心臓が跳ねる。


覚えられている。


あのとき、道場で指した。


名前も知らなかった自分を。


「はい……」


声が小さい。


日向は少しだけ首を傾ける。


「弟子?」


「……その……」


遥は俯く。


逃げたい。

でも逃げたくない。


「勝手に、そう思ってるだけです」


正直に言う。


日向は黙る。


律が横でくすくす笑う。


「どうする? 責任取るか?」


「取らない」


即答。


遥の肩がびくっと震える。


だが日向は続ける。


「弟子にした覚えはない」


遥の胸がきゅっと縮む。


やっぱり遠い。


やっぱり高い。


けれど。


「……でも」


日向の視線が、少しだけ柔らぐ。


「棋譜を並べるのは、悪くない」


遥が顔を上げる。


「ただ」


その目が、鋭くなる。


「真似するだけなら、意味はない」


律が横で小さく笑う。


「ほらな」


遥は唇を噛む。


図星、二度目。


日向は続ける。


「自分の将棋はあるのか」


問い。


重い。


遥はすぐに答えられない。


「……まだ」


正直。


日向はうなずく。


「なら、探せ」


冷たい言い方ではない。


突き放すでもない。


ただ事実のように。


「弟子を名乗るなら、まず自分で立て」


遥の胸が熱くなる。


否定されたはずなのに、

なぜか嬉しい。


律が肩を叩く。


「良かったな、半分合格や」


「合格ちゃうわ!」


遥は真っ赤なまま叫ぶ。


日向は二人のやり取りを見て、わずかに息を吐く。


それは、ほとんど笑いに近い。


「黒田」


「ん?」


「余計なことを言うな」


「面白いやろ」


「面白くない」


即答。


だが、その声は少しだけ軽い。


遥はその変化に気づく。


この二人は、本当に仲がいい。


戦う関係なのに、

どこか緩い。


「おっちゃん、次いつ日向さんと当たるん?」


遥が勢いで聞く。


律は肩をすくめる。


「さあな」


日向は視線を遠くに向ける。


「いずれ」


短い言葉。


でも、その“いずれ”に、

火がある。


遥は拳を握る。


(うちも、その場所に行く)


弟子じゃない。


コピーでもない。


いつか、同じ盤の前に座る。


日向が歩き出す。


すれ違いざま、遥の横で止まる。


「次は」


遥の心臓が止まりかける。


「顔を赤くしないで指せ」


一瞬の沈黙。


律が吹き出す。


遥は完全に真っ赤。


「む、無理や!」


日向はもう振り向かない。


夕暮れの中へ、静かに消えていく。


遥はその背中を見つめる。


悔しい。


嬉しい。


恥ずかしい。


全部混ざっている。


律がぽつりと言う。


「いい顔してたな」


「どっちが?」


「両方」


遥は何も言えない。


ただ。


胸の奥で、何かがはっきり燃え始めていた。

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