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ひらめきで勝つ天才と、時間で指す棋士―同門公式戦を境に成長した日向と、静かにタイトルだけを見続けた恒一  作者: 夜明けの語り手
新しい風

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56話 おじいちゃんとの将棋

控室は、静かだった。


さっきまでのざわめきが嘘のように消えている。


机の上には、検討用の盤。


まだ並びきらない駒。


相川恒一は一人、椅子に深く腰をかけていた。


負けた。


だが、不思議と荒れていない。


悔しさはある。


しかしそれよりも、胸の奥がざわついている。


削られた。


奪われたわけじゃない。


崩されたわけでもない。


ただ、足りなくされた。


「守ることも大事やで」


その言葉が、ふいに浮かんだ。


木の匂い。


蝉の声。


扇風機の回る音。


――夏の縁側。



回り将棋の駒が、ころころと転がる。


子どもの恒一は、つまらなそうに言った。


「これ、強いとかあるん?」


向かいに座る祖父は、目だけを上げる。


「ないな」


「ほな、なんでやるん?」


少し間があく。


「遊びや」


恒一は唇を尖らせる。


「他にないん?」


祖父は黙ったまま、立ち上がる。


押し入れから木箱を出す。


盤。


駒。


無言で並べ始める。


カチ、カチ、と乾いた音。


それが、やけにかっこよく見えた。


「これがほんまの将棋や」



最初の一局。


恒一は好き放題指した。


飛車を真っ直ぐ突っ込ませる。


角をぶつける。


勢いだけ。


祖父は受ける。


崩れない。


そして、静かに詰ませる。


「負けた!」


盤を叩きそうになる恒一。


祖父は無表情で言う。


「ほんまにここでええんか?」


次の一局。


また同じ。


飛車を突っ込ませる。


祖父は止める。


「大胆なんはええ」


初めて、少しだけ長く話す。


「飛車と角はな、大胆に動かせ」


恒一の目が光る。


「びびったらあかん」


だが続きがある。


「でもな」


盤を指でなぞる。


「取ることも大事やけど、守ることも大事やで」


その時は、よくわからなかった。


守る?


攻めた方が強いに決まってる。


そう思っていた。



祖父は負けず嫌いだった。


たまに手を間違える。


「……失敗した」


小さく呟く。


恒一が変な手を打つと、


「ほんまにそれでええんか?」


問いかけるだけ。


答えは教えない。


終わると必ず検討する。


「ここで金寄っといたらな」


「飛車はまだ我慢や」


縁側で、夕暮れまで。


毎日。


数年後。


地域の集会所。


祖父は他の老人たちと盤を挟んでいた。


無口のまま、強かった。


帰り道、恒一が言う。


「じいちゃん、強なったな」


祖父は前を向いたまま。


「夢中やっただけや」


努力とも言わない。


才能とも言わない。


夢中。



現実に戻る。


控室。


恒一は盤を見つめる。


さっきの律の将棋。


削るように見えて、崩れない。


大胆ではなかった。


だが、守りが厚かった。


自分は、攻めていた。


大胆に。


だが、守れていたか?


「守ることも大事やで」


ふ、と。


恒一の肩が震える。


笑いが込み上げる。


小さくない。


静かでもない。


腹の底から、こぼれる。


「はは……」


控室に響く。


久しぶりだった。


勝ったときよりも、深い。


負けて、初めて広がった世界。


勝つのが楽しいのか。


将棋が楽しいのか。


相手とぶつかるのが楽しいのか。


わからなくなっていた。


だが今はわかる。


まだ知らない将棋がある。


まだ高みがある。


削られる将棋もある。


守る将棋もある。


「じいちゃん、見てるか?」


静かな声。


答えはない。


だが、


どこかで扇風機が回る音がした気がした。


相川恒一は立ち上がる。


負けた。


だが終わりではない。


将棋は、まだ広がっている。


その広さを、初めて美しいと思った。

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