40話 勝っているはずの場所
勝っている。
少なくとも結果だけを見れば、そう言える。
公式戦の控室で、俺は記録用紙を二つ折りにした。対局が終わるたびに同じ動作をしている。癖になった、というより、意味を持たせないための作業だ。畳む。しまう。それだけで終わらせる。
感想戦は無難に進んだ。相手は丁寧で、失礼もなかった。研究もしてきていたと思う。だが、盤を挟んで向かい合っている間、俺の中で何かが引っかかることはなかった。驚きも、恐怖も、焦りもない。
手応えがない、というより、手応えを探そうともしなくなっている自分に気づく。
勝ちは続いていた。
連勝、好調、安定感――記事に並ぶ言葉はどれも正しい。タイトル挑戦が現実味を帯びてきた、と書かれたときも、頷けはした。
なのに、胸が動かない。
以前なら、勝った夜は盤を広げた。
一手戻しては考え、別の分岐を探し、気づけば夜が明けていた。勝った対局ほど、反省点が気になった。もっと良くできたはずだ、と。
今は違う。
対局が終わると、盤を閉じる。
それで終わりだ。
帰り道、将棋会館の自動ドアが閉まる音が、やけに大きく聞こえた。人の出入りが少ない時間帯だったせいかもしれない。だが、その静けさに、懐かしさのようなものを感じてしまった。
日向がいなくなってから、こういう時間が増えた。
名前を見なくなっただけだ。
引退会見も、声明もなかった。ただ、対局表から消えた。それだけなのに、盤の上の空気は確実に変わった。
研究会でも、同じだ。
誰かが新しい手を出す。
みんなが驚く。
検討が始まる。
その輪の中で、俺は一歩引いている。正確に言えば、引けてしまう。全体が見える。危険も読める。だから、踏み込まない。
安全な最善手。
勝率の高い選択。
間違えない将棋。
それで勝ててしまう。
昔、日向は言った。
「それ、面白い?」
ただそれだけだった。批判でも挑発でもない。ただの疑問。
今なら分かる。
あの問いは、俺に向けられていたんじゃない。将棋そのものに向けられていた。
帰宅して、盤を机に置いた。
駒箱を開ける。並べない。すぐに閉じる。
別に疲れているわけじゃない。
むしろ、余力はある。
なのに、指したい手が浮かばない。
勝つことが目的になった将棋は、こんなにも静かなんだな、と他人事みたいに思う。音も匂いもない。息遣いすら感じない。
タイトルを取る。
その言葉を頭に浮かべても、輪郭がぼやけている。
俺は本当に、それを欲しがっているのか。
答えは出ないまま、盤は閉じたままだ。
勝っているはずの場所で、俺は少しずつ退屈になっていく。




