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ひらめきで勝つ天才と、時間で指す棋士―同門公式戦を境に成長した日向と、静かにタイトルだけを見続けた恒一  作者: 夜明けの語り手
第四章 虚しさと物足りなさ

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40話 勝っているはずの場所

勝っている。

 少なくとも結果だけを見れば、そう言える。


 公式戦の控室で、俺は記録用紙を二つ折りにした。対局が終わるたびに同じ動作をしている。癖になった、というより、意味を持たせないための作業だ。畳む。しまう。それだけで終わらせる。


 感想戦は無難に進んだ。相手は丁寧で、失礼もなかった。研究もしてきていたと思う。だが、盤を挟んで向かい合っている間、俺の中で何かが引っかかることはなかった。驚きも、恐怖も、焦りもない。


 手応えがない、というより、手応えを探そうともしなくなっている自分に気づく。


 勝ちは続いていた。

 連勝、好調、安定感――記事に並ぶ言葉はどれも正しい。タイトル挑戦が現実味を帯びてきた、と書かれたときも、頷けはした。


 なのに、胸が動かない。


 以前なら、勝った夜は盤を広げた。

 一手戻しては考え、別の分岐を探し、気づけば夜が明けていた。勝った対局ほど、反省点が気になった。もっと良くできたはずだ、と。


 今は違う。


 対局が終わると、盤を閉じる。

 それで終わりだ。


 帰り道、将棋会館の自動ドアが閉まる音が、やけに大きく聞こえた。人の出入りが少ない時間帯だったせいかもしれない。だが、その静けさに、懐かしさのようなものを感じてしまった。


 日向がいなくなってから、こういう時間が増えた。


 名前を見なくなっただけだ。

 引退会見も、声明もなかった。ただ、対局表から消えた。それだけなのに、盤の上の空気は確実に変わった。


 研究会でも、同じだ。


 誰かが新しい手を出す。

 みんなが驚く。

 検討が始まる。


 その輪の中で、俺は一歩引いている。正確に言えば、引けてしまう。全体が見える。危険も読める。だから、踏み込まない。


 安全な最善手。

 勝率の高い選択。

 間違えない将棋。


 それで勝ててしまう。


 昔、日向は言った。

 「それ、面白い?」

 ただそれだけだった。批判でも挑発でもない。ただの疑問。


 今なら分かる。

 あの問いは、俺に向けられていたんじゃない。将棋そのものに向けられていた。


 帰宅して、盤を机に置いた。

 駒箱を開ける。並べない。すぐに閉じる。


 別に疲れているわけじゃない。

 むしろ、余力はある。


 なのに、指したい手が浮かばない。


 勝つことが目的になった将棋は、こんなにも静かなんだな、と他人事みたいに思う。音も匂いもない。息遣いすら感じない。


 タイトルを取る。

 その言葉を頭に浮かべても、輪郭がぼやけている。


 俺は本当に、それを欲しがっているのか。


 答えは出ないまま、盤は閉じたままだ。

 勝っているはずの場所で、俺は少しずつ退屈になっていく。

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