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ひらめきで勝つ天才と、時間で指す棋士―同門公式戦を境に成長した日向と、静かにタイトルだけを見続けた恒一  作者: 夜明けの語り手
第三章 違う方向へ

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39話 静かに終わる

同門公式戦の再戦から、数日が過ぎていた。

勝ったとも、負けたとも言い切れない結果は、将棋界ではすでに別の話題に押し流されつつあった。


日向は、将棋会館の前に立っていた。

中に入るつもりはなかった。ただ、前を通っただけだ。


ガラス越しに見えるロビーは、いつもと同じだった。

急ぎ足の若手、資料を抱えた職員、静かに頭を下げ合う棋士たち。

そこに、自分の居場所がまだあることは分かっていた。


――だからこそ、入らなかった。


日向は踵を返し、会館から離れる方向へ歩き出した。


同門公式戦の盤上で、恒一と向き合ったときのことを思い出す。

あのとき、自分は確かに全力だった。

だが同時に、どこかで「これ以上は踏み込まない」と決めていた。


無我の境地に、もう一度入ろうとはしなかった。

あれは探しに行くものではない。

取り戻すものでもない。


日向は、それをようやく理解していた。


「将棋から離れる」


その言葉は、思ったよりも軽かった。

恐怖も、後悔も、覚悟も、すでに通り過ぎたあとだった。


離れるのは、逃げるためじゃない。

嫌いになったわけでも、負けを認めたわけでもない。


ただ――

自分という人間を、もう一段深くするためだ。


将棋盤の上で考えてきたこと。

勝ち負けの中で削ってきた感情。

合理性の名のもとに捨ててきた、どうでもいいはずの迷い。


それらを、一度全部、盤の外に持ち出してみたかった。


日向はスマートフォンを取り出し、電源を切る。

対局予定も、研究会の連絡も、しばらく必要ない。


橋の上に立ち、川の流れを見下ろす。

夜風が、思ったより冷たかった。


「……俺は、将棋だけでできてたわけじゃない」


声に出してみると、妙にしっくりきた。


恒一の顔が、ふと浮かぶ。

目を合わせられなかった、あの一瞬。

あれは悔しさではなく、別れに近かったのだと思う。


同じ場所に立ち続ける限り、

また同じ形でしか交われない。


だから今は、交わらない。


日向は深く息を吸い、ゆっくり吐いた。

そして、将棋界とは反対の方向へ歩き出す。


背中に、盤の感触はもうなかった。

だが、将棋が消えたわけでもない。


それは、胸の奥で静かに残っている。

いつか、違う形で使うために。

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