表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ひらめきで勝つ天才と、時間で指す棋士―同門公式戦を境に成長した日向と、静かにタイトルだけを見続けた恒一  作者: 夜明けの語り手
第一章 ライバル

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/59

3話 鋭くない手

観戦席から見ると、盤は少し平坦に見える。


 師匠は背筋を伸ばさず、壁にもたれるように座っていた。対局開始から、ほとんど姿勢を変えていない。ただ視線だけが、相川恒一の手元を追っている。


 恒一の将棋は、速くない。

 序盤から中盤にかけて、どの手も強く主張しない。受けでも攻めでもない、曖昧な形が続いていた。


 恒一は長考していた。


 盤面は互角だ。形勢判断をすれば、そう言うしかない。だが、均衡は薄い。恒一はその薄さを、言葉ではなく身体で感じている。少し指を間違えれば、崩れる。だから動かない。


 観戦席の後ろで、若い声がした。


 「鋭さがないですね」


 日向だった。

 十八歳。五段。将棋を速さで切り分ける世代の棋士だ。


 「悪くはないけど……正直、つまらない。どこを警戒すればいいか、全部見える」


 日向はそう言って、小さく肩をすくめた。彼にとって怖さとは、速さであり、強さとは鋭さだった。


 師匠は、何も言わない。


 恒一はまだ考えている。

 長考。

 時間が減っていることは分かっているが、急ぐ理由が見つからない。


 昨日の朝に浮かんだ一手が、頭の奥にある。だが、それはここではない。使えば局面ははっきりする。良くなるか、悪くなるか、どちらかに振れる。恒一はそれを望まなかった。


 勝ちに行く将棋ではない。

 だが、負けに行く将棋でもない。


 恒一は、少し形を整える手を指した。

 鋭さはない。

 だが、盤面は崩れない。


 相手は前に出る。

 恒一は下がる。

 互角のまま、終盤に入っていく。


 師匠の視線だけが、わずかに深くなる。

 恒一の将棋は、読める。だが、読んだ通りに進まない。少しずつ、予想より時間がかかる。思ったより、前に出られない。


 終盤、恒一は再び長考に入った。


 逆転の筋はある。

 だが、それは鋭い手だ。

 今の自分の手ではない。


 恒一は、安全な受けを選んだ。

 結果として、形勢は相手に傾く。


 数手後、投了。


 ほぼ互角だった。

 だが、負けは負けだ。


 恒一は盤を見下ろし、特別な感情を持たなかった。悪くない将棋だった。それ以上でも、それ以下でもない。覚醒した感触は、どこにもない。


 席を立つと、師匠が視線を外した。

 何も言わない。

 それが、この人なりの答えだった。


 廊下に出たところで、背後から声が聞こえた。


 「やっぱり、つまらないですね」


 日向の声だった。

 恒一に向けた言葉ではない。空気に向けた評価だ。


 恒一は立ち止まらなかった。


 鋭くなくていい。

 怖くなくていい。

 少なくとも、自分ではそう思っている。


 眠らせている手は、まだ静かだ。

 だが、盤の上には、確かに何かが残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ