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蒐集家という名の棋士について  作者: 夜明けの語り手
第二章 一年後

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19話 師匠になると決めた夜

その夜、日向は対局室にいなかった。

研究会にも、道場にも行かなかった。


机の上に盤を置き、駒袋を開けたまま、

並べるでもなく、崩すでもなく、ただ眺めていた。


同門公式戦の棋譜は、もう何度も並べ直している。

序盤も中盤も、読みは尽くした。

どこで間違えたかも、どこで耐えられたかも、分かっている。


それでも、

決着の数手前だけが、いつも同じところで止まる。


先が見えないわけじゃない。

むしろ逆だ。


見えすぎて、指せない。


あの一手を指せば、

勝つか、負けるか、どちらかに転ぶ。

それだけのことなのに、

その結果を引き受ける覚悟が、どうしても湧かなかった。


日向は駒を一枚、盤の外に置いた。

桂馬だった。


「……違うな」


小さく呟いて、また盤に戻す。

置く場所は分かっている。

ずっと前から。


だが、指は動かなかった。


このまま続ければ、

自分は“指せない棋士”になる。

結果を恐れる棋士ではなく、

終わらせられない棋士に。


それは、

誰にも負けていないのに、

自分だけが負け続ける形だった。


日向は盤を片付けた。

駒袋を結び、盤を立てる。


その動作が、あまりにも静かで、

まるでずっと前から決まっていたように感じられた。


――誰かに教えるなら、ここまでだ。


教えられることはある。

定跡も、感覚も、勝ち方も。


だが、

越えなければならない一線だけは、渡れない。


日向は、佐伯師匠の顔を思い浮かべなかった。

連絡もしなかった。

理由を説明する気もなかった。


必要ないと思った。


次の日から、

日向は“指導する側”に立った。



夕方の道場は、昼より静かだった。


「師匠、ここ……どう受けますか」


門下生が盤を指さす。

日向は盤を見て、すぐに理解した。


「無理に受けなくていい」


そう言ってから、少し間を置く。


「ここは、指さない方がいい手だ」


門下生は戸惑った顔をした。

「でも、攻められませんか」


「攻められるかどうかじゃない」


日向は盤の中央を指す。

まだ触れられていない場所。


「ここが、まだ動いてない」


「はい」


「なら、意味もまだ来てない」


説明としては不十分だった。

それでも、嘘ではない。


門下生は黙ってうなずいた。


「……師匠は、どう指しますか」


日向は答えなかった。

駒を一枚持ち上げ、盤の外に置く。


「今日は、ここまで」


「え?」


「続きをやると、俺の将棋になる」


門下生は不思議そうにしたが、反論はしなかった。


盤が片付けられる。

駒音が、ひとつずつ消えていく。


「師匠」


呼ばれて、日向は振り返る。


「師匠にも、指せなかった手ってあるんですか」


一瞬だけ、視線が揺れた。


「ある」


それだけ言って、奥へ下がる。


教えられることは増えた。

終わらせ方だけが、残ったまま。


日向は知っている。

自分が師匠になった理由を。


逃げたからじゃない。

進めなかったからだ。


そしてそれは、

まだ終わっていない対局が、

自分の中で続いている証でもあった。

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