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ひらめきで勝つ天才と、時間で指す棋士―同門公式戦を境に成長した日向と、静かにタイトルだけを見続けた恒一  作者: 夜明けの語り手
第一章 ライバル

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15話 同門公式戦 後編

王手の音が、意味を失っていく。


それは脅しでも、詰めでもなかった。

確認でも、計算でもない。


ただ、

そこに次の一手があるという事実だけが、

淡々と盤に落ちていた。


恒一は、何も考えていなかった。

いや、正確には――

考えているという感覚そのものが、消えていた。


勝ちたいという言葉も、

負けたくないという恐怖も、

段位も、評価も、

師の視線すらも、

すべてが、どこかへ置き去りにされている。


盤と、駒と、

目の前の人間だけが残った。


日向も、同じ場所にいた。


早いとか、遅いとか、

鋭いとか、甘いとか、

そんな区別は、もう存在しない。


次の一手が見える。

だが、それは「見えた」のではない。

在った。


恒一が指す。

日向が返す。


王手。

王手。


音だけが続く。

会場のざわめきは、遠い。

記録係のペンの音も、意味を持たない。


将棋が、

ようやく、

将棋として呼吸を始めていた。


この瞬間、

二人は初めて、

「同じ場所で」将棋を打っていた。


年齢も、立場も、

過去の勝敗も、

未来の期待もない。


あるのは、

ここまで来てしまった二人の人間と、

逃げ場を失った盤だけ。


恒一は、ふと気づく。


自分が、

何一つ、捨て惜しんでいないことに。


眠らせていた手も、

温めてきた時間も、

勝ちへの欲も、

負けを選ぶ冷静さも。


すべてが、

この局面に溶けている。


――これでいい。


その思考すら、

もう遅れてやってきた残響にすぎなかった。


日向もまた、

「なぜここまで来たのか」を思い出せなくなっていた。


勝つためでも、

証明するためでもない。


ただ、

この相手と、

この盤で、

打ち切るためにいる。


王手。

王手。


詰みは、まだ見えない。

だが、逃げ道も、もう関係がない。


勝敗は、

この瞬間には、

もはや属していなかった。


それは、

後から名前をつけるものだ。


記録には残る。

結果も、いつか整理される。


だが、

今この時間だけは、

どこにも保存されない。


将棋は、

無我の境地へ、

二人を連れて行った。


そこでは、

勝つ者も、負ける者も、

まだ生まれていない。


ただ、

指す者がいるだけだった。


――王手。


その音を最後に、

試合は、静かに幕を閉じる。

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