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ひらめきで勝つ天才と、時間で指す棋士―同門公式戦を境に成長した日向と、静かにタイトルだけを見続けた恒一  作者: 夜明けの語り手
第一章 ライバル

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13話 日向

盤の上から、意味が逃げていく。

日向は、それを追いかけることができなかった。


どこかに入口があるはずだ。

この形なら、ここから踏み込めばいい。

そう頭ではわかっているのに、指が動かない。


――おかしい。


日向は、自分の鼓動を確かめる。

速くない。

むしろ、落ち着きすぎている。


勝負の前にあるはずの焦りが、どこにもない。

それが、ひどく気味が悪かった。


向かいの恒一を見る。

表情は変わらない。

いつも通り、何も考えていないような顔。


だが、日向は知っている。

この人は、「何も考えていない」時間を、誰よりも長く持てる。


恒一の一手一手は、強くない。

鋭くもない。

自分なら、もっと攻める。

もっと評価値を動かす。


なのに、局面が崩れない。


――削れない。


日向は、そこで初めて苛立ちを覚えた。

攻めが通らない苛立ちではない。

「勝負を始めさせてもらえない」苛立ちだ。


速く指す。

間を置く。

長考する。


新しく身につけたリズムが、自然に出る。

相手を揺らすための、単純なやり方。

これまで、何人も崩してきた。


だが、恒一は揺れない。


揺れないというより、

揺らされる場所に、まだ立っていない。


――まだ、入ってこない。


日向は気づく。

恒一は、盤の内側にすら、完全には入っていない。


ここにあるのは、将棋の形だけだ。

勝ち負けも、評価も、意地も、

全部、外に置かれたまま。


それが、腹立たしい。


自分は、ここまで勝ってきた。

結果を出して、評価されて、

この一局に辿り着いた。


なのに、

向かいの男は、それらを持ってきていない。


盤面が、少し傾いた気がする。

日向は、はっきりとした理由もなく、

「今ならいける」と思う。


だが、その瞬間、恒一の手が出る。


強い手ではない。

正しいとも言い切れない。

だが、その一手で、流れが止まる。


日向は、はじめて時計を見る。

思ったより、時間を使っている。


――なんでだ。


負けていない。

不利でもない。

それなのに、

自分の将棋だけが、少しずつ削られていく。


恒一は、こちらを見ない。

盤だけを見ている。

いや、盤ですらない。


この人は、

「その先」を見ている。


日向は、はっきりと感じる。

この対局は、

勝つための場所じゃない。


自分が、どこまで行けるかを、

試されている。


それが、怖い。


日向は、歯を食いしばる。

負けたくない、ではない。

置いていかれたくない。


――始めろ。


自分に、そう言い聞かせる。

早く、勝負を始めろ。


だが、盤の上は応えない。


この将棋は、

まだ名乗りを上げない。


それでも、

何かが、確実に動き始めている。


日向は知らない。

この先で、自分が「なぜ負けたのか」と

何度も繰り返すことになるのを。


ただ一つだけ、確かなことがあった。


この男を、

「つまらない」と切り捨てるには、

もう遅すぎる、ということだ。


盤の中央には、

まだ意味はなかった。


だが、

意味が生まれる瞬間だけが、

静かに、こちらを向いていた。

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