始まり
女はいつものように作り笑顔を貼り付けて職務についていた。
「あら、斉藤さんそんな貼り付けた笑顔じゃ疲れちゃうわよ、リラックスしなさいね」
職場のおばちゃんの言葉にも貼り付けの笑顔を変えずに対応する。
「ありがとうございます」
女はただ金の発生するこの時間を黙って耐える。だが職場の雑音はどれだけ音を遮断したとしても耳に入ってくる。
「斉藤さん3年付き合った彼氏に振られたらしいよ」
「それに、彼氏の数百万の借金の連帯保証人になっちゃって今借金取りに追われてるらしいよ」
「えー怖ーい」
何度も聞くと慣れてくるものである。女はなんの感情も抱かなくなっていた。ヴーと入口の開く音が聞こえた。そちらに視線を向けると長身の黒髪の男がズンズンとこちらへ向かってきた。
「あの…ご要件のある方はそちらの番号札を取ってお待ちください」
とカウンター横に置いてある機械をさす。
「いや、ご要件はあるけど順番は待てないかな」
男の作るちょっとした笑みに反応する後ろの野次馬がうるさい。
「ちょーイケメン、対応変わってもらおうかな私ー」
「私の科に来てくれないかしら、そしたら私が対応するのに」
男はコートの懐のポケットに手を突っ込んだ。自然と女もそちらに目をやる。男はポケットから取り出したものを女の額へ突きつけた。
「俺、銀行強盗なんだ。ここにあるお金全部ちょうだい」
「えっ」
銃を見て女の表情が驚きに変わった。そして周りの静かな歓声も悲鳴に変わる。
「君あまり顔に出ないね」
「出ていますよ、ただ思っていた銀行強盗とあまりにも違ったのでフリーズしてただけです」
男はすぐに会話の興味を失い女の後ろを見て言った。
「ねーまだー?俺無駄な時間嫌いなの」
と床に1発撃ち込んだ。それに反応して悲鳴が上がる。すると小太りのスーツを着た男が焦りながら、男の用意したカバンに入るだけお金を詰めてカウンターに置いた。そしてまた奥に逃げていった。
「どこに行くんですか?」
女は問うた。
「教えないよ、警察の回し者なの?」
「あっ」
そんなこと考えもしなかった女は焦りを出してしまった。すると男はまじまじと女の顔を覗き込む。
「お、やっと感情が見えた」
ニコッと笑うと後ろの方へ視線をやる。
「ねえ、お姉さんあんなのと一緒にいて楽しい?あんな奴らより俺にしなよ」
翳りを帯びた笑みで女の方へカウンターを乗り越えてきた。
「えっ」
女がたどたどしく何も出来ずにいると、男は女の手を握った。握られた手は女が今まで感じたことの無い優しさを感じていた。優しくでも強く引かれ、女はされるがままに足を踏み出した。男の乗ってきたであろう車に乗る。
「あの…どこに行くんですか?」
男はハンドルに腕をかけこちらを見て言った。
「そんなに気になるの?」
「いえ、そんなに」
男は軽快な笑い声をあげる。笑い声の後にサイレンの音が近づいてくる。女が音のする方へ目をやると、男が近づいてきた。
「怖い?」
と聞きながら助手席のシートベルトを閉め、自分のシートベルトも閉めた。不思議と女の中に怖さはなかった。
「怖くないです。私、今貴方よりもタガが外れた人達に追われてるんです」
女が口を開いたと同時に車も走り出す。女はふとミラー越しに後ろを見たが警察車両はいなかった。
「5年間付き合った彼氏が借金してて、最近別れたんですけど。私が連帯保証人になってたみたいで…」
女は身の上話をし始める。今まで誰にも言えなかったこと、横にいるこの名前も知らない男にはスラスラと話すことができた。
「なんか俺たち似てるね」
「そうなんですか?」
「俺も逃げてるんだ、今」
「じゃあ逃避行ですね」
女がしばらく見せなかった笑みを浮かべながら、嬉しそうに呟いた。




