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異世界介護士 スキル恩返しで生きていく  作者: くりょ


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8/11

七話 ギルドに向かう前に。


 街道から少し歩いた先、小さな宿屋が姿を現した。

 二階建ての木造の建物で、看板には簡素な紋章が描かれている。


 扉を押し開けると、油の灯りが揺らめき、木の香りと人の気配が混ざった空気が流れ出てきた。


 カウンターの奥から、店主らしき中年の男が顔を上げる。


「いらっしゃいま――」


 最初に目に入ったのは、貴族風の服を着た俺と、きっちりとした執事服のギュスター。

 店主の瞳が一瞬にして輝き、口元には営業用の笑顔が浮かぶ。

 だが――

 ギュスターの腕に抱えられたグランの姿を認めた途端、

 その笑顔はぴたりと固まり、目の色が変わった。

「え、ええと……これは……どのようなご用件で……?」


 戸惑いと警戒と嫌悪。


 それらが混ざり合った声音だった。

 俺は優しく、しかしはっきりと告げる。

「三人で、二部屋借りたいんだ。」


 そう言いながら、懐から小さな袋を取り出し、金貨三枚を掌に転がしてみせる。


 油の灯りを受け、黄色い光が眩しく跳ねた。

「これで、どれくらい泊まれる?」


 金貨三枚の輝きを目にした瞬間、店主の呼吸が止まる。

「え……えぇ……こんな大金……!

 い、いえ! 三名様でしたら……

 少なくとも、一ヶ月は……」

「一ヶ月、だと?」


 ギュスターの声が静かに低く響いた。

 その瞳は、一瞬で氷のような冷たさを宿す。

「一泊、いくらで考えている?」

 店主の喉がびくりと跳ねた。

「ひっ……!

 い、いえ……その……

 一泊でしたら……小銀貨三枚ほどで……」


「では、三ヶ月は泊まれる計算だな。」

 間髪入れずにギュスターが答えを導き出す。


 店主は苦しげに目をそらし、額にじっとりと汗を浮かべながら、必死に言葉を探していた。

「……お、お二人であれば!」

「?」

「お二人だけでしたら! 一ヶ月どころか、半年でも一年でも泊まっていただけます!

 ですが……そちらの……その方は……」

 グランを一瞥し、店主は声を潜める。

「死臭と……腐臭が……その……

 他の部屋にまで残ってしまいます。

 もしその方を泊めれば……

 その部屋は長い間、客がつかなくなります。」


 言っていることは、理解できる。

 宿という商売にとって、匂いは致命的だ。

 だが――

「つまり、グランさんがいるだけで、

 この宿全体の価値が下がるって言いたいんだな。」

 俺は淡々と確認する。


 店主は、何も言い返せなかった。

「わかった。

 なら別の宿を探そう。」


 俺はグランのほうへ向き直り、できるだけ穏やかに声をかけた。

「グランさん。

 少し遠くなるかもしれないですが……歩けますか?」


 グランは、申し訳なさに押し潰されそうな顔で首を振る。

「そ……そんな……わしのせいで……

 あなた方に……ご迷惑を……

 なにもお返しできぬ身で……

 お、思いだけで……じゅうぶん……」


 そのとき――店主が慌てて身を乗り出した。

「ちょ、ちょっと待ってください!!」


 情けないほど裏返った声だった。

「わ、わかりました!

 泊まっていただいても結構です!!

 ですが……条件があります!」

「条件?」


 俺は店主を見やる。

「その方には、門の近くの一番端の部屋を使っていただく。

 隣の部屋を、お二人に使っていただく。

 それなら……三ヶ月でも泊まってください!!」


 そこで店主は声を落とし、言い淀みながら続ける。

「ただし――

 その方が万が一亡くなられた場合、

 その後始末はすべて、あなた方に責任をとっていただきたい。

 それでしたら……」


 俺は穏やかに頷いた。


「ありがとう。

 むしろ、そのほうが都合がいい。

 部屋を案内してくれ。」


 店主は安堵と不安の入り混じった表情で頷き、急いで鍵を取りに奥へと消えた。

 グランを抱えたギュスターと共に、俺たちは一番端の部屋――門部屋へと向かう。


 案内された部屋は、豪華さとはまったく無縁だった。

 小さな窓がひとつ。

 粗末だがしっかりとした木製のベッドがひとつ。

 壁には飾りひとつなく、家具も最低限。

 けれど――

 雨風は凌げる。

 静かで、外の喧騒も遠い。

 “休む”という目的だけなら、十分すぎる場所だった。


「グランさん、ここに座りましょう。」


 俺は枕と掛け布団を丸め、グランの背に当てて支える。

 少しでも姿勢が楽になるよう、角度を何度も微調整した。


「ギュスター。

 グランさんの着替えをお願い。」

「かしこまりました。」

「店主さん。


 タオルと、できれば温かいお湯をたくさん用意してもらえますか。」

 銀貨二枚を差し出すと、店主は目を丸くし、慌てて頭を下げる。


「は、はい!! すぐに!!」


 忙しなく去っていく足音を聞きながら、俺はグランへと向き直った。


「グランさん。

 ここなら……さっきよりは、だいぶ楽に過ごせそうですね。」

「……こんな……

 こんな場所にまで入れていただけるとは……」

 グランの目が、さっきよりもわずかに柔らかさを帯びていた。


 ほどなくして、湯気の立つ桶と、山のように積まれたタオルが運び込まれた。


 室内の空気が、ほんのりと温かくなる。

「グランさん。

 服を脱がせますね。

 痛くないようにしますから。」

「……は、はい……」

 慎重に布を外し、汚れた衣服を脱がせる。

 現れた肌は、痛ましいほど痩せ細り、傷と痣と汚れに覆われていた。


 タオルを湯に浸し、固く絞ったあと、ゆっくりと肌に当てる。

 強くこすれば皮膚が破れそうで、ひと拭きごとに力加減を調整した。


 タオルはあっという間に黒く染まり、床に置かれた桶の湯は、すぐに濁り始める。

 それでも、俺は手を止めなかった。

 額。首筋。腕。胸。背中。

 脚。足先。

 少しずつ、少しずつ、積み重なった汚れを拭い落としていく。


 その様子を見ていたギュスターの目には、驚きと敬意が宿っていた。


「リオン様、こちらを。」


 ギュスターが清潔な衣類を差し出す。


 俺はできるだけ柔らかく、丁寧に、グランの体を新しい布で包んでいった。

 着替えを終えたグランは、まだやつれてはいるものの、

 さきほどまでの “捨てられた老人” ではなくなっていた。

「ギュスター。

 髭……剃れないかな?」

「お任せください。」


 ギュスターは小さな刃と布を用意し、慎重に、だが手際よく髭を剃っていく。

 刃が肌を滑るたびに、グランの顔から“諦めの影”が少しずつ削がれていった。

 やがて――そこにいたのは、

 “厄介払いされた老人”ではなく、

 “多くを背負ってきたひとりの男”の顔だった。

「……では、横になってください。」

 俺はそっとベッドへと寝かせ、掛け布団をかける。

 折り畳んだタオルを手首や足首の下に敷き、圧迫が少しでも和らぐように位置を調整した。

「これで、楽になりましたか?」

「ええ……ええ……

 先ほどよりも……ずっと……」

 グランの声には、ほんの少し安堵の色が混じっていた。

 散らばった使い終わりのタオルや汚れた衣服を集め、水場へと運ぶ。

 桶の中の水は、ひどい悪臭を放っていた。

 ギュスターは思わず顔をしかめる。

 それでも、俺は気にも留めず、黙々と手を動かし続けた。

 汚れをこすり落とし、何度もすすぎ、絞り、干す。

(前の世界でも、何度もやってきたことだ。)

 俺にとって、これは“特別な善行”ではなく、ただの“日常”だった。


 そんな俺の背中を見つめながら、ギュスターは小さく震える声で呟いた。


「……なんと……立派な……

 リオン様は……

 一体……」


 洗い終えた布を干し終えると、俺は再びグランの部屋へ向かった。


「グランさん、入ってもいいですか?」

「は……はい……」


 ドアを開けると、グランは静かに目を閉じていたが、俺の声に気付き、ゆっくりと瞼を開いた。

 俺は手首と足首の下に敷いたタオルをもう一度整え、圧迫が強くなりすぎていないか確かめる。

「さっきより、痛みは少ないですか?」

「ええ……ええ……

 本当に……

 ずいぶんと……楽になりました……」


 その表情は先ほどよりも穏やかで、どこか救われたような色を帯びていた。

 その様子を見たギュスターが、何かを悟ったように目を細める。


「……リオン。

 少し、この方と話をしてもよろしいでしょうか?」

「もちろん。ありがとう、ギュスター。

 でもグランさんは疲れてるだろうから……」

 俺は少し考え、ぱん、と手を打った。

「そうだ。

 何か食べ物を用意してもらってくるよ。

 いや、僕も一緒に手伝ってくる。」

 そう言って軽く会釈し、部屋を後にする。

 扉が静かに閉まる。

 室内には、ギュスターとグラン――ふたりだけが残された。


「……グラン殿。」

 ギュスターが口を開いた。

 先ほどまでよりも、いくぶん改まった声音だった。

「いえ……こうお呼びしたほうがよろしいでしょう。

 あなたは――

 リオネル王国の、元・騎士ではありませんか?」

 グランの目が、大きく見開かれる。

「な……なぜ……

 わしのことを……?」


 震える声。

 長い年月の中で忘れ去られたはずの“過去”を、突然掘り起こされた男の声。


「あなたの体つき。

 傷の位置――剣を握り、盾を掲げていた者のものです。

 そして、その眼差し。

 すべてを失いながらも、なお折れきってはいない。」


 ギュスターの言葉は静かだったが、その中に揺るがない確信があった。


「あなたは……

 そしてあの少年――リオン様は、一体……何者なのですか……?」

 グランの問いかけに、ギュスターはふっと微笑む。

「――それは、これからあなたが目にすることになるでしょう。」

 こうして――


 グランとギュスター、二人だけの静かな対話が、ゆっくりと幕を開けた。

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