五話 介護士とはなんですか?
食堂の空気は、再び凍りついたように静まり返っていた。
その沈黙を破ったのは、カルネの震える息だった。
彼女はゆっくりと息を吸い込み、やわらかながらも力のこもった声で言った。
「リオン……介護士とは、その……どういうお仕事なのですか?」
俺は姿勢を正し、母の瞳をまっすぐに見据えて答えた。
「介護士とは――弱き者のそばに立ち、日々の暮らしを支える者です。
剣も魔法も使いません。
けれど、心と手で人を助けます。
食事を手伝い、体を清め、眠るまで寄り添う。
倒れた者には手を差し伸べ、
涙する者には笑顔を返す。
それは、人の命を延ばす術ではなく、
“人が生きる意味”を取り戻すための術です。
――それが、介護士です。お母様。」
その言葉が落ちた瞬間、食堂の空気がわずかに揺れた。
カルネの瞳が細かく震え、唇がかすかに動いた。
だが最初に声を上げたのは、兄レオンだった。
「……立派なことを言うな。
だが、貴族のおまえがやるような仕事じゃないだろう。」
俺はすぐに返した。
「貴族も庶民も関係ありません。
人の生き方を決めるのは身分ではなく、心です。
身分で人を見下す――それこそ“生き方の恥”です。」
その言葉に、父の眉がぴくりと動いた。
そして静かな怒気が、一気に爆発する。
「よかろう!! よくぞ言った!!
ならば出ていけ!!」
父は立ち上がり、テーブルを拳で叩きつけた。
「今日からおまえはデアハートの一族ではない!!
好きにするがいい! その“介護士”とやらを、思う存分やってみろ!!」
その言葉は宣告のように響き、
食堂の空気は一瞬で凍りついた。
――それでも俺は、背筋を伸ばしていた。
静かに、だが確かな決意を胸に。
最初に反応したのは、カルネだった。
「あなた!! 今なんとおっしゃいました!?
そんなこと、私は絶対に許しません!!」
しかし、レオンが静かに口を開く。
「母上。ここまで言ったのです。
彼のやりたいことをやらせてあげるのも、親の務めでしょう。
父上は間違っておられません。」
その言葉にカルネは顔を青ざめさせる。
ニルネは腕を組み、俺を見つめながら微笑んだ。
「ふぅん……少しは男らしいことを言えるようになったのね。」
そして、なぜか一番怯えたように震えていたのは妹のリリナだった。
「そ……そんな……冗談ですよね?
お父様……レオンお兄様……
リオン……あなた、本気なの……?」
俺は静かに微笑んで答えた。
「……すまなかった。
こんな出来損ないで。
でも、もう大丈夫だ。
リリナ……おまえも、きっとせいせいするだろう。
だから、笑ってくれ。」
その言葉を聞いた瞬間、カルネは崩れ落ちた。
「やめて……リオン!!
あなたまでそんなことを言わないで!!」
父は嘲るように笑った。
「よかろう。
それなら遠く離れた場所でやれ。
二度とこの屋敷には戻るな!!」
カルネは必死に叫ぶ。
「無理よ!!
リオンをひとりでなんて行かせない!!
せめて、私だけでも――!」
だが、その会話に割って入ったのは意外な人物だった。
低く落ち着いた声が響く。
「――では、皆様。
わたくしがリオンお坊っちゃまにお供いたします。」
全員が一斉に声の主を見る。
それは――執事ギュスターだった。
「よろしいですね?」
その言葉に、父とカルネを除いた全員が息をのむ。
ギュスター――
彼はただの執事ではなかった。
デアハート家の中でも、誰も逆らえぬほどの権威と力を持つ人物だった。
「じいや……いや、ギュスター……ありがとう。
でも、じいやはここに残らないと……」
ギュスターは首を横に振り、穏やかに言った。
「いいえ。
わたくしは、どこまでもリオンお坊っちゃまの執事です。
必ずおそばに仕えます。」
「……好きにしろ。」
父は短く言い放った。
カルネは少しだけ安堵の表情を浮かべ、涙を拭った。
「ギュスター……
あなたなら……リオンを守ってくれるでしょう……お願いです……」
ギュスターは深く一礼し、静かに答えた。
「――必ず、お守りいたします。」
その言葉は、
家を追われた少年の心に、
再び小さな光を灯した。荷造りを終え、
俺はゆっくりと屋敷の玄関へと向かった。
重い扉の前に立つと、
そこには思いもよらぬ二人の姿があった――
母カルネ、そして妹リリナ。
カルネはハンカチを握りしめながら、
涙をこらえるように微笑んでいた。
「リオン……こんなに急に行ってしまうなんて……
いいのよ、すぐに帰ってきて。
帰りたいときは、いつでも帰ってきなさい……ね?」
その声が胸の奥を締めつける。
何も言えずに立ち尽くす俺の前で、
リリナが頬をふくらませ、目に涙をためながら叫んだ。
「リオンのばか!!
ちょっとからかっただけなのに!!
ほんとに出ていくなんて!!」
「え……? リリナ……君、僕のこと嫌いなんじゃ……」
リリナは涙をぬぐい、顔を真っ赤にしながら叫ぶ。
「嫌いよ!! でも――遠くに行かないでよ!!」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が温かくなった。
ああ、彼女はただ――かまってほしかっただけなのだと。
俺はそっと手を伸ばし、
リリナの頭をやさしく撫でた。
「リリナ……ごめんね。
ろくでもないお兄ちゃんで。
でも……そう言ってくれて、嬉しいよ。」
そのまま手を離すと、
リリナは声を上げて泣き出し、
母カルネの胸にしがみついた。
泣きながら叫ぶ彼女の声が、
背を向けた俺の耳に、いつまでも残っていた。「お母様……!
リオンを止めてよ……うぅ、うううう……!」
リリナは泣きじゃくりながら、カルネの服の裾をぎゅっと握りしめていた。
その小さな手が震えている。
カルネはそんな娘の頭を、やさしく撫でた。
そして、静かに微笑む。
「リオンは……きっと立派になって帰ってきます。
だって――あの子は、とても優しい子ですもの……」
その言葉には、母としての祈りと信じる強さが込められていた。
リリナは涙に濡れた顔でうつむき、
母の胸に顔を埋めた。
その少し後ろで、ギュスターが一歩前へ出て、
深く、深く頭を下げた。
「どうかご安心ください。
このじいやが――お坊っちゃまを必ずお守りいたします。」
その低く静かな声に、
カルネとリリナの肩の震えが、ほんの少しだけ止まる。
ふたりは、涙ににじむ視界の中で、
去りゆくリオンとギュスターの背中を――
ただ、静かに見送った。




