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7 毘沙門天の遣い

お読みいただきありがとうございます。

一ノ谷の戦いが終わります。

それでは本編をどうぞ。


 歴史は、一分の狂いもなく進んだ。

 二月六日の昼過ぎ、有盛は兄の資盛とともに屋島に逃げ帰ったとの知らせがあった。

 月子の読んだ史書の通り、資盛・有盛・師盛の若い兄弟では、成すすべもなく。資盛、有盛は屋島へ渡り、師盛だけが、一ノ谷本陣に戻ろうとして、途中で殺されてしまう。


 やはり無理だった。戦の全く経験のない三兄弟に、大将が務まるはずもない。その上、相手は戦の天才・義経だったのだ。

 この時代……義経が現れる前までは、戦は一騎討ちが中心だった。だが、義経は、武士を集団として動かした。馬の扱いの上手な騎馬武者を、軍隊として手足のように使い、奇襲をかける。彼が歴史に名を残す名将であることを思い知らされた。


 義経は三草山で勝利すると、敗走する平氏軍を追いながら三木付近まで進んだ。軍を二分し、義経自身は鵯越の山道を福原に向かう。もう一方は、明石から迂回させ一ノ谷の西方から攻撃させる。


 義経軍が一ノ谷の背後に到着した翌朝、一ノ谷の戦闘は始まった。

 大手・生田ノ森を責めるのは、源範頼。平氏方の大将軍は知盛。

 この戦闘は、一進一退を繰り返していたが…。

 義経が奇襲をかけたことにより源平の均衡は崩れる。歴史的にも有名な、鵯越の逆落としだ。

 背後の絶壁をつかれ、平氏方は大混乱に陥る。正午頃には平氏の敗北は決定的になっていた。


   * * *


「有盛クン、がんばったけど、歴史変えるコトできなかったね」


 軽くため息をついて、朋人は心の中の彼に呼びかけてみる。


「このコも……この有盛ってコも、歴史の駒のひとつなのかしら? ……でも、駒なんかで終わらせたくないけどね」


 画面の中で、月子が、源氏と、そして味方である平氏の武将達相手に奮闘していた姿を思い出すが……。


「一ノ谷の戦が……もうすぐ終わるのね」


   * * *


 月子は、戦闘が始まったとき和田の海辺に浮かぶ船中にいた。同じ船にいたのは、総帥の宗盛、安徳天皇、その母の建礼門院、清盛の妻で月子の叔母にあたる時子など。つまり、非戦闘員はすべて大型の唐船の中にいた。状況が悪くなり始めると、すぐに宗盛は船を屋島に向けてしまった。


「もう少し、もう少しおとどまりください!」


 月子は宗盛に頼んだ。この時点で、源氏は海戦に対応はできないはず。海上戦に持ち込めば、勝てるかもしれないのだ。しかし、どんなに頼んでも、宗盛は聞き入れなかった。


「安徳天皇さまの、お命を守らなければ……」


 そう宗盛は言ったが、一番惜しいのは自分の命であることは目に見えていた。宗盛が退いたことがわかると、生き残った平氏の武将たちも先を争って海上に逃れ、屋島に引き上げていく。水軍を持たない源氏の軍はこれを追うことができず、ただ見送るばかり。


 この戦闘で、平氏方は多くの武将を亡くした。その中には、知盛の息子・知章(ともあきら)も入っていた。そして、有盛の弟師盛も。

 師盛の死は有盛を、そして、知章の死は知盛を、ひどく苦しめているだろう。ふたりの死を前もって知っていながら、月子には何もできなかった。そんな後悔と悲しみの気持ちを抱えながら、月子は、二、三日は、傷ついた武士たちの手当てに追われた。


 平氏の者たちは、悲しむ余裕もなかった。勢いに乗って源氏が攻めてくるのではないかと考え、迎え討つ準備に明け暮れていた。

 だが、源氏は――義経は攻めてはこなかった。義経たちが京都へ引き揚げてしまったとの確かな情報を得て、はじめて、亡くなった人たちを思って悲しむ余裕ができた。


 久しぶりに間近に見た知盛の顔は、驚くほど暗かった。有盛を送り出した夜の二の舞をしてはいけないと、とっさに思った。平氏を救うことができても、人の心を殺してしまっては何にもならない。


「……知章さまのこと……残念でした……」


 突然、知盛は大声で笑いだした。けたはずれの大きな声に驚き、返す言葉はない。知盛は笑いながら言った。


「最低の親もあったものだ! 世の常ならば、親が子をかばって死ぬのが本当であろう。それを、知章は父を……この私をかばって死んでいった。この父親は、目の前でわが子が殺されようとしているのに、助けることもできなかった。息子を殺した敵を倒すどころか、背中を見せて逃げ去ったのだ。こんな男が、平氏の大将軍なのだ。負けるわけだ」


 知盛の笑いは狂気を帯びている。止めなければ狂ってしまう……頭はそう思うのに、言葉は喉に張り付いて出てこない。


「どうだ、月子? おまえもそう思うだろう?」


 月子には黙って見つめることしかできない。知盛の狂笑を見つめながら、鼻の奥がつんとしてくるのを感じる。涙で、知盛がぼやけて見える。それに気づいたとき、頬に流れる涙の冷たさを感じた。

 月子の涙に気づき、知盛の狂笑は止まった。そして、今度は、声を殺して泣いた。月子の膝に頭をあずけて。震える肩を抱きしめる。感じた愛おしさは、恋人に対するものではなかった。


 十才も年長のはずの知盛が、守ってやらなければならない子どものように思えた。そして、その心のままに、頭をなで、背中をさすった。


「知盛さまは、平氏にとってはなくてはならないお方……それを一番よくご存じだったのが、知章さまだったのでしょう」


 知盛はじっと月子を見つめている。


「私には子はおりません。ですから、お気持ちがわかるとは言いません。でも、それが深い悲しみであると察することはできます。子を亡くした父の悲しみは、一生消えないものでしょう。でも……。悲しんでも……立ち止まらないでください」


「立ち止まるな……?」


「悲しみの中でも、一歩を踏み出していただきたいのです。そして、知盛さまはそれができるお方だと、私は存じております。知章さまも、ご存じだったと思います」


 知盛は、再び月子を見つめ、やがて、ふっと微笑んだ。


「そうだな……知章の死を無駄にしないためにも、平氏を守り通さなければ……」


 そう言った知盛の瞳の中に、もとの輝きを見つけ、安堵のため息をもらす。悲しみを乗り越えた強さを持つ輝き……知盛は、もうめったなことでは崩れないだろう。


「義経という武将は、いかがでしたか?」


「まれに見る名将、と言ってよいだろう。今度の源氏の勝利は、すべて義経の力によるもの……と言っても過言ではあるまい。我々には思いもつかない戦をする。……このまま一気に攻めてくると思っていたのだが……何故、義経は京へ引き上げてしまったのだろう」


 独り言のように知盛が言った。脳内検索をしてから、答えを口に出す。


「水軍です。屋島を攻めるには、水軍が必要です。けれど、源氏は水軍を持っていません。義経は、きっと水軍を編成するための時間を稼ごうとしているのでしょう」


「月子は……毘沙門天の遣いか」


 知盛は、月子を、まるで神をあがめるような目つきで見て……そして、言った。


「月子が変わったのは、病の後だ。あのときから、月子には不思議な力が宿ったのだろう。月子は、平氏を勝利に導く『毘沙門天の遣い』なのだ」


 知盛の評価はある意味では正しいが、過剰な期待は危険だ。


「私は、『毘沙門天の遣い』などではありません。そんな力は……ありません」


「そうかな?」


 知盛が、月子の顔をのぞき込む。すべてを見透かされているようで、思わず身を引いてしまう。知盛は、それ以上の追求はしなかった。


「『毘沙門天の遣い』かどうか、いずれわかるときが来るだろう」


 そう言うと、月子の肩を軽くたたき、その場を離れて行く。

 月子は、知盛の後ろ姿を見送るしか術はなかった。

 まだ戦いは続く。屋島……そして壇ノ浦では、歴史を変えなければならない。

 どうか、私に思いつかせて下さい……月子は祈りにも似た気持ちで思った。月子は無宗教だったから、祈る神を持ち合わせていないが、今は迷いがなかった。


「毘沙門天さま……」


 知盛の言葉通り、毘沙門天の遣いになれたら……どうか私に、あなたの力を貸してください……月子は、毘沙門天に祈りを捧げた。


 知盛の部屋を出たあと、月子は有盛の姿を捜すことにした。

 三草山から逃げ帰ったことで、有盛たちは、まわりからさんざんに責められていた。

 さらに、一番年下の師盛だけが一ノ谷の本陣へ戻り戦死したため、資盛と有盛への非難はいっそう高まっていた。


 三草山から戻ってきた有盛とは、一度も顔を合わせていない。出発の前の晩の気まずい別れ方が、有盛に声をかけることをためらわせていた。有盛も避けている節があり、すれ違う毎日。

 周りの非難が高まれば高まるほど、月子は自分が責められているようなつらさを感じていた。小松三兄弟が三草山に向かったのは、月子の進言のせいだから。


 それにしても、なにかがおかしい。


 自分の進言によって、歴史通りになった。黙っていれば、歴史は変わっていたのだろうか? それでも、歴史は変わらなかったのか?

 いずれにしても、有盛に会う必要がある。三草山の戦が、本当に歴史通りだったのかを確かめなければならない。有盛の精神状態も心配だった。気丈な知盛でさえ、あの荒れようだったのだから、有盛はおそらく生きた心地さえしていないだろう。屋島の行宮の中を捜し回り、有盛の姿を見つけた。


「死ねばよかった。師盛とともに、一ノ谷で死んでしまえば……」


 有盛の言葉は、絞り出すような苦しさを伴っていた。


「師盛さまのことは……本当に残念だと……でも……。何故、師盛さまだけ一ノ谷にお戻りになったのです?」


 そう尋ねたのは、歴史学者の「喜多見月子」。師盛だけが一ノ谷本陣に戻った理由は諸説あるが、真実はわかっていない。


「みなは言っている。一番年下の師盛にだけ、気概があり一ノ谷の本陣に戻ったと……」


 それも一説だが、月子には本当のこととは思えない。


「そんなはず、ありませんよね? 有盛さまが……有盛さまと資盛さまが、末の弟御をひとりで戦場に送るなんて、あり得ませんから」


 有盛の目から、涙が一筋流れ落ちた。


「……私の責任です」


 月子の頭に、もう一つの説が浮かんだ。


「もしかして……はぐれてしまったのですか?」


 有盛は驚きに目を見張り、それから何度もうなずいた。


「……でしたら、有盛さまの責任ではないでしょう?」


「いいえ、私の責任です。私は、師盛のすぐそばにいた。それなのに……私がもう少し気をつけてやれば……師盛を死なせずにすんだのだ。こんなことなら、三草山で死んでいればよかった。生きていても、何の役にも立たないのだから」


 うつむく有盛の顔をのぞき込む。


「何をおっしゃいます! 勝負は時の運。負けてしまうこともあります。それに、相手は源義経……怖ろしいほどの戦略家なのです」


 有盛は、月子の視線から逃れるように背を向けた。


「三草山に出陣する前夜、あなたに言われたことは全部確かだった。あれだけ確かな忠告を受けていながら、私は何もできずにただ逃げ帰ってきてしまった」


 その言葉に月子の後悔はさらに深まった。


「言葉で言うことは、誰にでもできます。でも、それを実際にすることは、誰にでもできることではありません。布陣したのが有盛さまたちでなかったとしても、おそらく結果は同じだったでしょう」


「本当に、そうお思いですか? 私を慰めるために、心にもないことをおっしゃっているのではないのですか?」


 それは本心だった。机上の論理では、何も変わらないのだ。忠告さえすれば、平氏の滅亡を防げるなどと考えたこと自体が傲慢だったのだ。


「そうならば、どんなに気が楽になることか……私は、平氏の誰に非難されてもいい……それだけのことをしたのだから……ただ、月子どのに軽蔑されることだけが、恐かった」


「軽蔑などするはずがないじゃありませんか! 三草山を退くことになっても生きて帰ってきてほしいと願ったのは、私なのですから」


 有盛は、ふいに月子の手を取る。痛いほど握りしめられる力の強さに、不安を覚える。

 さりげなくその手をひこうとした。けれども、有盛の哀願するような目を見つけてしまい、ふりほどくことができなくなる。


「本当に……私が生きて帰ってきてよかったと……そう思って下さいますか?」


『はい』と返事をすれば、有盛はまた誤解をするかもしれない……しかし、否定はできない。月子は黙ってうなずいた。その瞬間、月子は強く抱きしめられていた。

 思いの外、力強い腕……。そして、温かい身体。この抱擁を、私は知っている……と、月子は思った。平月子の身体が記憶しているのか、それとも、単なるデジャヴなのか、判断できなかった。ただ、抱きしめられる身体の温かさは心地よくて、月子は、心が安まるのを感じていた。


 この時代に来てしまってから、はじめて感じる安心感。誤解されるとわかっていながら、月子は、この温かさを手放すことができなくなっていた。

最後までお読みいただきありがとうございました。

月子の選択が、どんな未来に続いていくのか──

次回から最終話までは、週3回の更新になります。

よろしくお願いします。

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