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6 戦前夜に……

お読みいただきありがとうございます。

それでは本編をどうぞ。

 

 二月二日の夜、軍議は行われた。


「院を通して、源氏より使者がまいった。矢合わせは、二月七日、卯の剋、一ノ谷の東西木戸にて……とのことだ」


 知盛が言った。


「しかし、二月四日は、亡き清盛殿の祥月命日……法要をしなければならない。ゆえに、進軍はその後ということに……」


 宗盛が、つけ加えた。


『何をのんきな!』


 心の中で叫ぶ。法要などせず、さっさと京都に攻め入ってしまえばいいのだ。おそらくは、源氏は四日には進軍を始めるのだから。しかし、言えなかった。この時代の人々にとって、「法要」というものが、どれほど大事なものかは、知識として知っていたから。


「これより、布陣を申し渡す」


 知盛が言った。


「東の生田口は、この知盛が守る。副将軍は、本三位中将重衡。西の一ノ谷城には薩摩守忠度、左馬頭行盛。北方の夢野口に越前守通盛、能登守教経……」


 月子は待った。北辺の守備にあたる――三草山(みくさやま)に進軍する大将の名が呼ばれるのを……。

「一ノ谷の戦」で平氏が勝利をおさめるためには、義経の奇襲を阻止しなくてはならない。

 この三草山での戦いに、平氏はあっけなく敗れている。その大将は、平資盛、有盛、師盛(もろもり)の三兄弟。戦慣れしていないこの三人では勝てるはずがない。ここに、強い大将……できれば教経あたりが進軍すれば、勝てるかもしれない。


「……以上」


 知盛の話は終わってしまった。「三草山」の名前は出てこない。

 他にすべはない。月子は地図を指した。


「北辺は……この三草山あたりに布陣はしないのですか?」


「戦は、一ノ谷だぞ。そんな裏手で、いったい何を?」


 宗盛が、侮る口調で言った。


「源氏の大手軍は、確かに生田口を突破しようとするでしょう。しかし、搦手は……おそらくこの三草山を越えてきます。ここで、搦手を食い止めることができれば、一ノ谷の戦は、我々にとって有利に進められます」


「そんなことをしなくても、一ノ谷城はこの行盛(ゆきもり)が守ります」


 一ノ谷の西を守る行盛が、憤然として言った。


「搦手の大将は、宇治川の時と同じ、九郎義経とか言う、頼朝の弟だろう? 長い間奥州にいた田舎者……おそれるほどの者ではあるまい」


 軽蔑した口調で、教経も言った。宇治川の戦で、名前は知られるようになったものの、義経の本領はまだ発揮されていない。教経が見下した口調で言うのも、仕方のないことだろう。それでも、何とか三草山で食い止めてほしい……どう言ったら説得できるのか……考えあぐねている月子に、救いの手をさしのべてくれたのは、知盛だった。


「いや、月子の言うとおりかもしれぬ」


 知盛の口調は、あくまでも穏やかだ。


「北辺の守備は必要だろう。そこで源氏の搦手軍を止められれば……」


「しかし、誰が行くのだ?」


 渋い顔で言ったのは、宗盛だった。知盛に賛成されてしまったため反対はできなくなってしまったものの、やはり不満なのだろう。作戦に不満なのではなく、女の意見を採り入れたということに対する不満。そんな建前ばかりを繕っていても、勝てはしないのに。


「播磨まで行くには、少なくとも明日には発たねばならない。そうなれば、法要には参加できまい」


「誰か、行ってくれぬか?」


 しかし、答える者はいなかった。本隊を離れ、活躍できるかどうかもわからない北辺へ、自ら進み出る者はいない。


「仕方がない、私が行こう」


 しばらくの沈黙のあと、口を開いたのは、やはり知盛だった。


「とんでもない!」


 宗盛が叫んだ。


「知盛は、平氏の総大将。福原を離れてはならぬ」


「何をおっしゃいます、兄上。平氏の総大将は、兄上でしょう」


 知盛は微笑んだ。宗盛は赤面し、口ごもりながらも言った。


「私は、安徳天皇さまをお守りせねばならない。侍大将は、知盛に任せたはずだ」


「しかし、北辺へは、誰かが行かねばなりません」


「私が、参ります!」


 知盛と宗盛のやりとりをさえぎったのは、有盛だった。


「北辺へは、この有盛が参りましょう」


「有盛さま!」


 思わず叫ぶ。そして、次に言おうとした『いけない』という言葉を、どうにか飲み込む。有盛は月子の言葉を感謝ととったらしい。


「安心して下さい。三草山、この有盛が守って見せます」


 有盛が行くのでは歴史どおり、一ノ谷の敗戦を防ぐことはできない。だからといって、あなたではだめですとは言えない。それでは、有盛の面子をつぶすことになる。考えて、ためらって……やっと言葉を見つけだす。


「ですが、有盛さまおひとりでは、あまりにも……」


 こうなれば、他の武将が名乗り出てくれるのを待つしかない。


「大丈夫です」


 そんな月子の思いを裏切るように、有盛は言った。


「弟の師盛も一緒に連れて参ります」


 有盛の隣にいた備中守師盛もうなずいた。

 天を仰ぎたい気分をかろうじて押さえる。師盛は、わずか十四歳。十七歳と十四歳の若い兄弟で、義経にかなうはずがない。


「三草山に進軍するとなると、四日の法要には参加できまい。小松どの兄弟は、亡き兄重盛の遺児。いわば、源氏の嫡流ゆえ……」


 くどくどと言う宗盛の言葉を、凛とした声がさえぎった。


「法要は、三草山の陣中でもできまする。源氏を敗ること、それが亡き清盛さまの何よりもの供養となりましょう」


 そう言ったのは、有盛の兄、新三位中将資盛だった。その時気づく。最初に軍議に参加した時、「福原は遠すぎる」と軽蔑するように言ったのは、資盛だったはず。その資盛が、今は月子の提案に従おうとしている。


「よもや、この兄をおいて出陣するつもりではないだろうな」


「兄上!」


 三人が手を取り合う姿を見て、月子は思い出していた。


 ――小松兄弟。


 彼らの父、重盛は、清盛の長男。本来なら、平氏の中枢にいるべき一族であったはずなのに、重盛の早すぎる死によって、その座は宗盛に移った。

 平氏の嫡流という誇りがあるからこそ、今の立場はつらい。

 最初に名乗りを上げた有盛も、月子の提案に応えたい気持ちだけではなかったのだろう。これを機に、小松家を立て直したいという思いもあったはずだ。

 分かってしまえば、


「もっと戦慣れした大将を、三草山に」


 とは、口が裂けても言えない。今、それを言ったら、三兄弟の誇りを踏みにじることになる。

 歴史を変えようとして言った言葉が、かえって歴史どおりの道を選ばせている。

 月子は、歴史にからめ取られている自分を感じていた。


 軍議の後、月子は有盛を捜した。有盛にできる限りの情報を与え助言をし、勝てないまでも踏みとどまってもらわなくてはならない。あっけなく敗走されては困るのだ。

 ようやく有盛の姿を見つけ、声をかける。ふりかえった有盛は、月子の顔を見るとぱっとその表情を輝かせた。


「お話があるのです。有盛さまが出陣なさる前に……」


 有盛はうれしさを隠そうともしなかったが、近くにいる資盛、師盛の顔を見て、


「今は、ちょっと……」


 と口ごもった。月子は資盛や師盛にも助言したい誘惑にかられた。しかし、人一倍自尊心の強い資盛が、女の言うことを素直に聞くとは思えなかった。かえって反発をかってしまい、逆効果になりかねない。有盛なら素直に聞いてくれるだろう。


「では、あとで、私の部屋に来ていただけますか?」


 ささやくように言うと、有盛は驚きに目を見張りながら、


「はい、必ず」


 と言った。三草山の戦のことで頭がいっぱいの月子は、その表情の変化の意味に気づくことが出来なかった。

 有盛が、寝所の几帳(きちょう)をゆらしたのは、明け方近くのことだった。

 遠慮がちの声が、几帳の向こうでする。几帳を上げると、有盛の顔がそこにあった。


「遅くなってしまって……」


 と頭を下げる有盛を、几帳の中に招き入れる。こんなところを、資盛たちに見られてはいけない……月子は、そう思っていた。

 几帳の中に入ると、有盛はいきなり月子を抱きしめた。


「何を!」


 驚きに、つい荒々しく有盛の手を振りほどいてしまう。

 有盛の困惑の表情を見て、はじめて思いつく。一連の行動が、有盛の誤解を招いても仕方のないものであることに。「あとで、私の部屋に」とささやき、几帳の中に招き入れたのだ。そう思って当然なのだ。まして、二人は恋人同士だったのだから。

 歴史を変えることに夢中のあまり、有盛との微妙な関係を忘れてしまっていた。申し訳ない……とは思ったが、有盛の愛を受け入れるわけにはいかない。


「申し訳ありません」


 有盛の前に両手をつき、頭を下げる。謝るしか、方法は残されていなかった。


「そんなつもりでお呼びしたのではなかったのですが、そう思われても仕方のないことを、私はしてしまいました。お許し下さい。お話ししたかったのは、三草山での戦のことについてなのです」


 月子は一気に言った。有盛に口をはさませる隙がないように。

 長い沈黙があった。それは、もちろん、有盛の怒りの表れ……。叩かれても、なじられても、または無言のまま、座を蹴り去られても……。どれを有盛が選択しても、月子は甘受するしかない。けれども、有盛はどれもしなかった。

 長いため息が聞こえ、やがて有盛は口を開いた。


「どんなお話でしょうか?」


 顔を上げる。有盛の表情に、今は怒りの色はない。無理矢理の自制心で、押し殺したのだろうか? 

 もう一度謝ろうと開きかけた口を、月子は閉じた。謝ることは、有盛の自制心を認めないことになる。今は謝ることよりも、言わなければならないことがある。

 月子は、有盛の苦悩に気づかない振りをして、話を進めた。


「三草山に進軍する源氏の大将は、おそらくは源九郎義経。源氏は、騎馬による奇襲を得意といたします。くれぐれも油断なさらないように。それから、義経は兵の数を実際よりも多く見せることも得意です。火も使います。どうぞ落ちついて、敵の勢力の本当の姿を見極めて下さい。おそらく、その数で源氏は平氏を上回ることはないはずです」


 ここまで話を進めて、有盛の表情がますます暗くなっているのに気づく。


「有盛さま……?」


 有盛は、暗い表情のまま、ふっと笑った。


「ご忠告、かたじけなく、確かに伺いました」


 そう言うと、すっと立ち上がり、月子を見下ろして言った。


「正直を申せば、情けなく思います。我ら兄弟は、それほどまでに信頼がないのかと……。確かに、兄維盛(これもり)は、富士川の戦で、水鳥の羽ばたく音に驚き逃げ帰ってしまいましたが…」


 維盛とは、資盛の上の兄の名だった。四年前の富士川の戦で、頼朝軍と対峙したとき、水鳥が一斉に羽ばたく音を源氏の軍の襲来と勘違いし、一矢も報いずに京都に逃げ帰ってきたのだった。その後、倶利伽藍(くりから)の戦でも、木曽義仲に大敗。

 京都を退いたときは、維盛は平氏とともに屋島へやってきていたが、やはりいたたまれなかったのか、いつの間にか姿を消してしまっている。


「我ら兄弟は、いつか、あのときの汚名を返上せねばと……この四年間、そればかりを考えていたのです」


 それを聞いて、月子は、自分がこの兄弟の気持ちを全くわかっていなかったことを思い知った。

 有盛は、「三草山の戦で負ける」という役割を演じていただけの人間ではない。生きて、悩み、怒り、迷い、そして恋もする、温かい血の通う十七歳の若者なのだ。

 それを忘れていた。いや、傲慢にも無視したのだ。

 月子は、遅ればせながら、今気づいた。たとえ平氏を守ることができても、こんな風に踏みにじられた有盛は、決して幸せではない……と。


「差し出がましいことを、申し上げました。どうぞお許し下さい」


 両手をつき、額が床に着くまで頭を下げた。それは、月子の心からの気持ちだった。

 有盛は不意に座りこみ、月子を抱きしめた。そして、そのまま唇を奪われる。抵抗するだけの間は、与えてはくれない。唇から逃れることはできなかった。年下とはいえ男の力にはかなわない。有盛の唇は、荒々しく月子の唇を責め苛む。愛情の表れではない、怒りに任せた口づけ……。このまま身体まで奪われるのだろうか……そんな不安がよぎったとき、唐突に身体をはなされた。身体を支えきれず、床に崩れ落ちる。

 有盛は立ち上がると、月子のほうを見ずに言った。


「必ず、三草山は守ります。たとえ、この命をかけても……」


 そう言い捨てて、出ていこうとする有盛の指貫を、月子はとっさにつかんでいた。


「いけません!」


 怪訝な顔をしてふりかえる有盛に、月子は言った。頭で考えたのではなく、感情がそのまま口からほとばしった。


「死んではいけません。三草山を退くことになっても、それで有盛さまの命が守られるなら、どうぞ、退いて下さい。必ず、生きてお帰り下さい」


 手がまだ指貫を握りしめていることに気づき、頬が紅潮する。あわてて、手を離す。

 有盛はそんな月子の様子をじっと見つめ、やがて言った。


「必ず、勝って……そして生きて帰ります」


 顔を上げて、有盛の表情を伺う。けれども、月子がそれを見て取る前に、有盛の姿は几帳の中から消えていた。有盛がいなくなった几帳の中で、月子は自分の唇に手をふれた。有盛の唇に翻弄されたそこは、かすかに痛む。だが、月子が有盛の心に与えてしまった傷は、それ以上に深いだろう。


 いたたまれずに几帳の外に出る。回廊に立つと、朝日が昇り始めていた。

 月子の知っている歴史では、三草山の戦で有盛は死なない。敗走はするが、資盛、有盛は無事に屋島にたどり着くはずだ。ただ、師盛は、一ノ谷本陣へ戻ろうとして、途中で戦死してしまう。それを阻止するためにも、三草山で勝ってほしかったのだが、逆効果だったかもしれない。よけいな口出しをしたために、有盛は無理をするかもしれない。その結果、三草山で討ち死にするようなことになったら……有盛を助けたいと思ってしたことが、反対に有盛の死を早める結果になったら……。


「有盛さま……どうか、どうかご無事で……」


 月子は、日の出をながめながら、ひたすら祈った。


お読みいただきありがとうございました。

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次回もよろしくお願いいたします。

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