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4 忘れられた恋人

ご訪問ありがとうございます。

静かな時間が少しずつ動き出します。

しばし、源平の世をご一緒いただければ幸いです。


 知盛と別れ、急ぎ足で廻廊を歩く月子に、その目の持ち主は声をかけた。


「月子どの……」


 振り向くと、そこにいたのは、年若い武士だった。はっと、息をのむほど美しい若者――。もしかして……と、頭に浮かんだ名前は、若者の次の言葉で確信に変わった。


「長患いのせいで、私とのことをお忘れになってしまったと、兄上から伺ったのですが……それは本当なのでしょうか?」


 愁いを含んだ表情は、彼の美しさを際立たせていた。思わず、見とれてしまいそうになる。そして、思う。もしかして、私って、かなりの面食いだったとか?


「有盛さま……」


 時実から恋人だと聞かされていた若者の名前を口にする。

 すると、有盛の表情が、ぱっと明るくなった。


「思い出してくださいましたか? 私とのことを……」


 花が咲いたよう……とは、美貌の女性に使う表現なのだろうが、彼を表現するにはふさわしい言葉に思えた。「光源氏の再来か」と言われた兄・維盛。その兄に酷似し、美しさから後白河法皇に寵愛された資盛。このふたりの弟なのだから、当然かもしれないが。


「……申し訳ありません。思い出せません。有盛さまのことは、兄から聞きました。ですが、残念ながら……なにひとつ……」


 唇をかみしめる。目には涙が浮かぶ。そんな様子を見ると、さすがに罪悪感に胸が痛んだが……。だからといって、恋にうつつを抜かしている場合ではない。彼には申し訳ないが、諦めてもらうほかない。その方が、結果的に、彼のためになる。月子が歴史を変えられなければ、有盛も壇ノ浦の海に身を投じる運命なのだから。

 泣き言を言われるかと身構えたが、有盛は、けなげに涙を堪えている。


「病のほうは、もうよくなられたのですか?」


「ええ、すっかり……」


「そうですか。よかった」


 泣き笑いの表情をこれ以上見ていたくなくて、月子は軽く頭を下げ、立ち去ろうとした。


「知盛どのと、何をお話しでしたか?」


 呼び止められて、振り返る。


「何故、そのようなことを、お訊きになります?」


 まっすぐに眼を見つめて言うと、有盛はうろたえた。まだ少年のあどけなさを残す瞳を伏せ、小さな声で言った。


「すみません……お二人が、あまりに楽しそうになさっていたので」


 さすがにあきれた。真剣に平氏の将来を憂いて話し合っていた自分たちを見て「楽しそう」とは……。知盛の言った「月子くらい分別のある者が、あと二、三人、若い男たちにいてくれたらよかったのだが……」という言葉を改めて思い出す。

 有盛も、月子の沈黙が怒りの表れであることは分かったらしい。


「申し訳ありませんでした」


 と素直に頭を下げる。

 その瞬間、激しい後悔が胸に迫った。有盛は、確かにのんきすぎるかもしれない。しかし、まだ十七歳なのだ。彼に、三十二歳の知盛と同じ分別を求めるのは酷だ。

 しかも、その年齢は、平治の乱より三年後に生まれたことを示す。平氏の繁栄している時代に生まれ、その公達として育ったのだ。平氏が滅亡するなどとは、夢にも思わないのだろう。状況を把握できなかったとしても、それは有盛の罪ではない。

 そして、それは有盛には限らない。大半の平氏の武将が、有盛と同様だろう。いや、素直に謝ることの出来る有盛は、まだ、見込みがあるかもしれない。


 そう気づいた時、月子の心の中にある「情」が湧き上がった。わかりやすい言葉で表せば、弟を慈しむような気持ち。有盛は、知盛の兄にあたる重盛の子なので、月子にとっては「従兄弟の子ども」になる。しかし、知盛の母は月子の叔母の時子だが、重盛の母は別人なので、血のつながりはない。だが、同じ平氏だ。やはり、一番近い感情は、「弟」だろう。泣きそうな有盛の表情がかわいそうで、月子は、自然に優しい言葉を発していた。


「知盛さまとは、ただ、平氏の将来について話し合っているだけです。知盛さまは、女の意見も聞きたいのでしょう」


 有盛は、まだ涙を浮かべたままの瞳で微笑んだ。月子の言葉を、微塵も疑っていない屈託のない笑顔。知盛の会話を「楽しそう」と表現したのは、のんきさからではなく、子どもっぽい好奇心からだったのかもしれない。


「失礼なことを申し上げて、すみませんでした。では……」


 有盛はふたたび頭を下げると、走るようにして去って行った。その後ろ姿を見送りながら、有盛について、もう一度検索し直す。あまり歴史的に有名な人物ではない。「平家物語」にも、数か所名前が挙がっているだけだ。一ノ谷の戦に出陣していること……もちろん、源氏に負けている。そして、壇ノ浦で、兄弟とともに入水していること。


 少年とも言えるあどけない瞳を持つ彼が、間もなく命を落とす。おそらく、大人の男になることもなく……。そう思い至った瞬間、月子の心に再びあの反撃の気持ちが起こった。


 平氏を滅ぼしてはならない!


 純情で、そして素直に自分の感情を表に出す幼い有盛が、自ら身を海水に投じる姿など、見たくない。壇ノ浦の戦いで、平氏は滅びてはならないのだ。


   * * *


 はっと目覚めて、朋人は自分がいつの間にか寝落ちしてしまっていたことに気づいた。

 どのくらい眠っていたのかと、時計を見ると、驚くことに一昼夜過ぎていた。


「ウソ…」


 慌てて、パソコンの画面を確認する。放置していたせいで、スクリーンセーバーが動いている。急いでマウスを動かすと、一瞬だけ文字が見えた。


「恋が、変える(パワー)となる」


 文字はすぐに消え、画面に月子の姿が現れる。

 ほっとするのと同時に、さっきの文字はなんだったのかと朋人は考える。

 いったい何を「変える」パワーとなるのか……。その答えを思いつき、朋人は背筋に寒気を憶える。それはおそらく……。

 月子が源平時代にいるのは、自分の研究の成果のはずなのに、いつの間にか自分の手を離れてしまったような感覚が湧き上がる。朋人には計り知れない――人智の外にある力が働いているのかもしれない。


「まさかね」


 不安をかき消すように、朋人は首をブンブンと振ると、画面に意識を戻した。

 寝落ちする前、月子は、兄である時実と話をしていた。今、月子は、朋人の知らない若者と話をしていた。


「誰? この美少年は」


 ナレーションのように聞こえる月子の心の声で、若者の名前は分かった。


「へぇ。彼が有盛クンなんだ。月子の恋人。ふうん。……月子って、面食いだったんだ」


 だが、月子は彼に「恋」してはいない。彼に感じているのは、弟に対する「情」……。


「だけど……この子は、月子に夢中よねぇ……」


 はっきりしない画像でも、有盛が月子を見つめる瞳は、強い恋情を示していた。


「この子、本気で、月子に恋してる……」


 始まりは、年上の女性に対する「憧れ」に近い恋だったかもしれない。けれど、今は…。


「月子はニブいから、有盛クンが本気だって、全然気づいてないみたいね。かわいそうに、有盛クン……」


 有盛がいるあたりの画面をつつきながら、朋人はくすくす笑う。有盛は朋人好みの美少年だ。その彼が、年上の女性に恋して振り回される姿は、なかなか楽しいかもしれない。


「つまんないテレビドラマより面白いかも……」


 そう独り言を言ってしまってから、朋人はあることに気づいた。その瞬間、くすくす笑いは引っ込み、背筋におぞけが走る。


「恋が、『変えるパワー』になる」


 ということは、この有盛の『恋』も、『変えるパワー』になるのだろうか。一途に月子を思う有盛の恋心が月子に吸収され、それが月子の『恋のパワー』となる。もしそうなら、有盛の純情な気持ちさえ、利用されてしまうのだろうか? 

 そこまで考えて、朋人は再び首を横に振った。自分の怖気を振り払うように、わざと声に出していった。


「いったい、なにに利用されるっていうのよ? そんなはずないでしょ」


 そう言って笑おうとしたが……朋人は、どうしても笑うことができなかった。


   * * *


 翌日、月子は軍議の席に顔を出した。部屋に入った月子を武将たちは怪訝な顔つきで見たが、知盛が平然と自分の隣の席を示したので、文句を言う者はなかった。


「水島、室山の戦の敗戦で、木曽義仲の勢力は落ちている。今こそ、京都奪回の好機かと思うが、皆はどう思う?」


 平氏の頭領である内大臣宗盛は言った。


「まさに、その通り、一気に京に攻め上りましょう」


 能登守教経(のりつね)が、大声で叫んだ。

 確かに今が好機だ。もう少し待てば、義仲は義経に滅ぼされてしまう。義経が京都に入ったら、奪還は難しくなるばかりだ。しかし、今ここで攻め上って京都に入ったとしても、義経はすでに近江にいるはず。義経に攻められて、持ちこたえられるだろうか。義経だけではない、範頼(のりより)の軍も鎌倉を発っているはずなのだ。


「この屋島から、京は遠すぎる」


 沈黙を破ったのは、知盛の声だった。


「屋島と京の中間地点に、城郭を築くのがよいのではないかと」


「福原です」


 いきなり口を開いたので、武将たちは一斉に月子の方を見た。中には、あからさまに『女が何を……』という目つきでにらんだ者もいた。しかし、ひるんでなどいられない。

 隣では、知盛があたたかく見守ってくれている。心配そうに見つめる有盛の目も、今の月子には心強い味方だった。

 知盛と話し合って以来、月子は歴史をできるだけ細部に至るまで思い出す努力をしていた。そして、平氏が勝つ道を探っていた。

 屋島を出て、福原に居住するのは歴史どおりだ。それでは、運命を変えることはできないかもしれない。しかし、どう考えてもそれが最良の方法なのだ。今、むやみに京都に攻め上っても、それは平氏の滅亡を早めることにしかならない。

 その時、有盛の近くにいた若い武将が叫んだ。


「屋島から福原など遠すぎる!」


 すると、その武将の近くから「女の浅知恵とはこういうことか」という嘲りのつぶやきが聞こえる。月子は反射的に、


「福原でなければなりません」


 と、声を張り上げた。視線が自分に集中するのを感じ、一度呼吸を整える。感情的になってはいけない。それこそ「女はこれだから…」などと言われてしまう。


「福原は、亡き清盛さまが都を築いた土地。私たちにはなじみが深く、それだけに地形なども頭に入っております」


 知盛が地形図を広げ、月子の話を引き取る。


「福原の西は一ノ谷、裏手は断崖が厳しく、前線基地には最適といえましょう。福原の東は生田の森。南の前面は海。この辺りは、我々の勢力の及ぶところ。物資の補給には事欠かない。確かに、迎え撃つなら福原しかない」


 宗盛もうなずいた。


「それでは、福原に行宮を営み、一ノ谷に城郭を築くとしよう」


「さっそく手配いたします」


 知盛が力強く言った。


「それでは……」


 そう言って立ったのは、教経だった。


「教経どの……何を?」


 宗盛が問うと、教経はにやっと笑った。


「城郭を築く間に、教経はひと働きも、ふた働きもしてまいりましょう」


「淡路島……安芸の国の沼田……それとも伊予までいらっしゃいますか?」


 教経を見上げて、言ってみせる。少しは自己主張しておかないと、軍議のたびに冷ややかな目を向けられていたのでは、これからやりにくくて仕方がない。

 教経は驚きに一瞬黙り、月子を見つめていたが、やがて大笑いをした。


「知盛どのがあなたを軍議に参加させると聞き、何を血迷ったかと思っていたが……なるほど……そこいらの若造よりは、よほど目が利くと見える」


 教経が「そこいらの若造」と指した者たちの中には、有盛もいた。有盛はさっと頬を赤らめ教経をにらんだ。しかし、教経はそれを無視した。そして、月子の前に顔をつき出し、


「とりあえずは、淡路にまいる」


 と言うと、ふたたび大笑いをしながら出ていった。


最後までお読みいただきありがとうございました。

月子の選択が、どんな未来に続いていくのか──

また次回も見守っていただければ幸いです。

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