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3 滅びを知る者

ご訪問ありがとうございます。

静かな時間が少しずつ動き出します。

しばし、源平の世をご一緒いただければ幸いです。


 月子は、さらなる情報を求めて、建物の中を歩き回っていた。仮の宮とはいえ、この行宮はなかなかしっかりとできている。


 今は、冬。寿永二年が終わりを告げようとしている。

 平氏の勢いはかなり回復していたが、月子は二十一世紀の歴史の知識で知っている。

 これが平氏の最後の輝きであることを。

 そして、自分は義経の妻になる。それは、喜ばしいこと……のはずだったが、手放しでは喜べない気がした。平氏が滅びるのを、手をこまねいて見ていて、それでいいのだろうか。なにか……できることがないのだろうか……。そんなことを考えながら、海を見ていた月子に、近寄ってくる男の姿があった。


「もうすっかりよいのか?」


 振り返り、彼が誰だかを確かめる。遠くから姿を見て、兄に教えてもらったことがある。

 目に映ったのは、とても穏やかな微笑みだった。少し、意外に思う。これが、勇猛果敢で知られた平知盛(とももり)――。もう少し、荒々しい男を想像していた。


 平中納言知盛。


 平清盛の第四子にあたる人。知盛の母時子は時忠の妹、つまり月子の叔母なので、知盛は従兄弟にあたる。年齢は三十二才。凡庸な兄宗盛に代わり、実質的に平氏の総帥を勤めていると言っても過言ではない。時実から聞いた知識と「喜多見月子」の脳内情報は一致している。


「病に倒れたと聞いて、心配していたのだ」


 知盛は、穏やかな口調で言う。優しい微笑みを浮かべて。


「ありがとうございます。おかげさまで、もうすっかりよくなりました」


 そう答えながらも、ちょっと後ろめたさを感じる。確かに、身体は回復したが、心は、すでに「平月子」のものではないから。彼女の意識は、どこにいってしまったのだろうか?


「月子の元気な姿を見かけないと、何か物足らなくてな」


 知盛の微笑みが、優しいそれからいたずらっぽいものに変わる。時実から聞いていた。月子は、しょっちゅう、知盛と政事について論争していたらしい。それは、ずいぶん幼い頃からだったそうだ。叔母のもとに遊びに行くたびに顔を合わす、この十才年長の従兄弟に、最初は、政事を教わり、次第に論争するまでになったのだとか。それを聞いて、月子は誇らしかった。さすが、私の前世! と褒めてあげたい気分だった。和歌を詠み、恋にうつつを抜かしているだけの女性でなくてよかった……と。


 その時――。海の色が変わった。夕日が水平線に堕ち、青かった海が真っ赤に染まる……。その瞬間だった。


 胸の中に熱い塊が出来る。その塊は、喉元をつき上がり、涙となって頬を流れる。突然の涙に、知盛は驚いたが、それ以上に月子自身が驚いていた。


「どうした?」


 尋ねられても、答えられない。嗚咽で、声が出ない。涙で霞んだ向こうに、赤い海が見える。月子はそこに、幻を見ていた。赤く染まった海に、次々と入水する鎧武者。そして、唐衣に身を包んだ女性達。波間に漂う黒髪。海を染める赤い血。二年後の壇ノ浦。滅びゆく平氏の姿――。

 実際に見たものではない。二十一世紀に見た映画かドラマか……。それとも、前世である「平月子」の記憶か……。しゃがみ込んでしまった月子の背を、知盛が撫でさする。この温かい手も、二年後には冷たくなっている。


「すみません……部屋に……戻ります」


 温かい手にこれ以上触れているのは苦痛だった。

 差し出された手を拒み、月子は自室に駆け戻った。目の前にいる人の死を、自分だけが知っている。そんな自分が、たまらなく卑怯に感じた。


 その日の夜―。月子は、ひとつの決意をした。それは――。

 壇ノ浦で、平氏を滅亡させない。

 この世界に来るとき、歴史を変えようなどとは思っていなかった。『義経に会いたい』『北行伝説が真実かどうか知りたい』とだけ思ってこの世界にやってきた。死ぬかもしれない賭だったから、それ以上のことは考えなかった。


 だが、今の月子は、「平月子」では知り得ない情報も未来も知っているのだ。専門が平安時代だったから、それ以降の、たとえば戦国時代の戦術などは詳しくはないけれど、それでも、この時代の武士よりはいろいろな知識も深いだろう。平家のどんな猛将にも知将にもない力が、月子には宿っている。「未来を知っている」という能力だ。


 それなら、自分は、歴史を変えることが出来るかもしれない。


「出来る。私はきっと出来る」


 月子は、夜具の中で、繰り返した。心が……熱い。こんなに、強い気持ちを持ったのは久しぶりだ。ここ数ヶ月……いや、数年かもしれない。北行伝説のことで教授と気まずくなってから、研究に集中できなくなっていた。こんなに熱い思いを抱いたのは、北行伝説を卒業論文に選んで、それに取り組んでいたとき以来かもしれない。


 ここで、自分の力を発揮することは、公正ではないのかもしれない。タイムトラベルを扱ったSF小説を読んだことがある。そこには、こう書かれていた。

 過去を操作することによって、未来を変える。そうすると、必ずどこかに、タイムパラドクスが生じる。そんな過激な行動を、タイムトラベラーはしてはならない。そんなルールがあったはずだ。SF小説によれば、過去を変える者は、必ず罰せられる。自分の命をなくすこともある。だが、死ぬ覚悟は、とうに出来ている。


 月子の戦う相手は「歴史」。その膨大な存在に戦いを挑んで、討ち死にするなら本望だ。万に一つ、戦いに勝てれば、知盛をはじめとする平氏の武将たちの命を救うことができ、「特別な存在」になれるのだ。

 決断は早く、確固たる決心として月子の中に根付いた。「喜多見月子」の歴史的知識を駆使しよう。そして、自分が知っていた歴史とは、違う流れに変える。平氏を滅ぼしたのは、義経だ。その平氏を守ることは、義経に会いたいと思っていた月子の行動とは矛盾してしまう。

 でも……月子はさらに考えた。平氏を滅ぼした義経は、幸せになっただろうか? 答えは……否だ。平氏を滅ぼしたことは、義経の幸福には繋がらない。もちろん、その時は喜び、幸せを感じただろうが、その勝利によって、義経は不幸になる。あまりに鮮やかに勝ってしまったために、兄である源頼朝に不審を抱かせた。そして、朝廷――後白河法皇(ごしらかわほうおう)――がその力を利用した。ここで、平氏が義経に負けなければ……。それは、結果として義経の運命――悲劇へと向かう――を、変えることにもなるだろう。


 簡単ではないことは、もちろん分かっている。しかし、何もしないで手をこまねいていることだけはできない。急がなければいけない。平家の滅亡を防ごうと思うのなら、もうあまり時間はないと今の月子には分かっていた。まず、今の状態をもっと詳しく把握しなければならない。


 翌日。月子は、知盛を捜した。兄に聞いてもよいが、やはり、現状を正しく把握しているのは知盛だろう。「平月子」と知盛は、かなり親しくしていたようだし、政事についての論争さえしていたという。それなら、情報収集の相手としては、知盛が最適だろう。

 知盛はすぐに見つかった。声をかけると、知盛は、まず心配そうに訊いてきた。


「身体の具合はもういいのか?」


「はい。昨日はご心配をおかけしました。もうだいじょうぶです」


 微笑んだ知盛に、月子は尋ねた。


木曽義仲(きそよしなか)は……まだ京ですか?」


 知盛は、ふっと笑った。


「元気になったら、早速、政事の論争か?」


「知りたいのです。今の状況を。しばらく寝込んでいましたから」


「月子らしいな……。そうだ。木曾義仲は、京にいる」


 木曾義仲が京都にいるという情報だけで、月子は「今」が歴史のどの地点なのかが分かる。そして、素早く考えをめぐらせる。ここから、平氏の運命を変えるためには、どう動けばいいのか? 「戦の天才」義経が登場すれば、平氏の滅亡を避けるのは難しくなる。すでに十二月。義経は鎌倉を発ってしまっているだろう。


「二回の敗戦で、義仲軍の勢いは落ちています。今が京都奪回の好機かと……」


 運命を変えるためには、平氏全体を動かさなければならない。だが、平氏の一女性に過ぎない月子に、平氏を動かす力はない。今、平氏の頭領なのは平宗盛(むねもり)だ。だが、宗盛は凡庸すぎて、周りの者から信頼されていない。実質、平氏を動かしているのは、知盛。それならば、月子の考えを伝えて、知盛に采配を振るってもらうのが一番の近道だろう。


「確かに……好機だろう。京都奪回、出来ると思うか?」


 普通の女ならしない質問にも、知盛は普通に答える。月子が、こんな話題を振るのは珍しいことではなかったのだろう。やはり、「平月子」は、一風変わった女性だった。

 京都奪回……歴史上では実現できなかった。


「知盛さまは、木曽義仲をどのようにお考えになりますか?」


「義仲は大将軍の器ではない」


「そうです。本当にこわいのは、鎌倉の頼朝……そして、後白河法皇」


「さすが月子だ。いや、以前より、いっそう鋭くなっている」


 表情を読みとられないように、夕陽を見つめる。月子の中に「喜多見月子」が住んでいることは、知られてはならない。


「月子は、変わったな。以前の月子は、戦や政事を論じても、それは、単に論争を楽しんでいるだけに見えた。男を言い負かすことに喜びを感じているのではないか……と思う節もあった」


 それには、月子にも覚えがあった。高校時代など特に、男子生徒に負けないためだけに、勉強していた時期があった。


「今は、真実、平氏のことを思い、考えているように見える」


「清盛さまが生きていらしたときのようなわけには、いきません」


 知盛は、はっと目を見張り、そして……ゆっくりとうなずいた。


「本当に……月子くらいの分別のある者が、あと二、三人、若い男たちにいてくれたらよかったのだが……都落ちすれば、すっかり意気消沈して絶望的になる。そのくせ、水島や室山の戦で勝てば、もう以前の日の出の勢いの平氏に戻ったと思いこみ、奢り高ぶる」


「仕方ありません。平和な時代が長かったのです。平治の乱から二十年以上もたっていて、戦を知らない人たちばかりなんですから」


 知盛は、月子をじっと見つめた。

 しまった! 月子は心の中で歯がみする。今の考えは、歴史を上から見下ろす者の思考。二十二歳で、しかも平氏の中にいる女性の台詞としては、妥当とは言えない。

 だが、知盛は、不審には思わなかったようだ。


「月子、力になってくれるか? 平氏に若者はたくさんいる。教経(のりつね)のように戦にたけた者も、資盛のように知力のある者もいる。けれど、物事の本質を冷静に見ることのできるものはいない」


 知盛は、ほとんど日の沈みかけている海を見つめて言った。


「今の平氏は、決して楽観できる状態ではない。それが、月子にはわかるか?」


「……まわりの状況を見れば……」


「こんな話をすれば、女は泣き出すし、男は、信じなくて笑うか、怒るかどちらか……今の情勢というものを、まっすぐに見ようとする者は、一人もいない。月子が男で、そしてもう少し早く生まれていれば、心強かったろうに……」


「女ではだめですか?」


 知盛は首を横に振った。


「私には、いや、平氏には、月子が必要だ。力になってくれるか?」


「……私でお役に立ちますのなら……」


 月子の声はふるえていた。急に恐ろしくなってきた。自分のしようとしていることに。歴史を変えようとしている、事の重大さに。だが、やらなければならない。このままでは、平氏という一族の中に埋没しているだけの女になってしまう。


 待っていなさい、「歴史」。必ず、私は勝ってみせる。心の中でそう叫ぶ。やりがいのある戦いを、月子は楽しみに感じるようになっていた。


「月子、何かおかしいか?」


 気づかないうちに微笑んでいたらしい。首を横に振る。


「お役に立てるのが、うれしいだけです」


 そのときの月子は、気づいていなかった。そんな月子の様子を、じっと見つめている目があることに。

最後までお読みいただきありがとうございました。

月子の選択が、どんな未来に続いていくのか──

また次回も見守っていただければ幸いです。

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