25 決断のとき
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歴史が静かに動き出すなかで、月子は「二年」という期限を胸に抱えたまま、義経の決断を見つめます。
義経の言葉に、月子は一瞬絶句した。話は、もうそこまで進んでいたのだ。
「月影は、どちらがよいと思う?」
「私には、どちらとも……」
そう言いかけて、義経の表情が異様に暗いことに気づいた。
「御大将は、鎌倉との戦をお望みではないのですね?」
義経はうなずいた。
「いかに冷たく扱われているとはいえ、兄と慕った人と戦いたくはない。腰越で足止めされたときは、怒りにまかせて叛乱を口にした。土佐坊に襲われたときも、もう他には道がないと思い院宣ももらった」
「今は、そうではないと?」
「ああ。腰越で、月影に言われたな。『頼朝どのにも立場がある』と。あのときはよく分からなかった。しかし、今になって考えてみると、私にもいたらない点はあった」
「御大将は、どうなさりたいのでしょうか?」
月子は、ある意味でほっとしていた。自分が一番知りたかったことを、義経自ら話してくれているのだ。
「できることなら、この地で平穏に暮らしたい。だが、私が静かに暮らすことを、兄は許してくれるだろうか?」
「それは、無理だと思います」
「何故だ?」
自分がひどく残酷な人間のように感じる。しかし、言わねばならなかった。
「頼朝どのの望んでいるのは、御大将自身ではなくて、おそらく、この奥州です」
「奥州?」
「はい。金を産出し、名馬を生み出す、この奥州そのものです」
義経は黙っていたが、あえて話を続けることにした。言いかけてしまったのだから、最後まで言ってしまった方がよい。
「平氏は、奥州の藤原氏と共存共栄の道を歩んでいました。ですが、頼朝どのは、秀衡どのと共存するつもりはないのでしょう。奥州も、鎌倉の支配下に置こうとしています」
「兄は、いずれ奥州に攻めてくると?」
「すぐということはないと思います。奥州の財力、軍事力は、鎌倉にとっても脅威のはず。おいそれとは手が出せません。しかも、御大将が平泉に入ったのです。御大将の戦略家としての力を、誰よりもおそれているのは頼朝どのなのです」
「兄が、私をおそれている?」
「はい。でも、頼朝どのはおそれているだけではありません。ある意味では、御大将が平泉に入るのを待っていたのかもしれません」
「どういうことだ?」
義経は、身を乗り出した。頼朝が奥州を狙っていることは、義経にもある程度予想がついていただろう。しかし、これは、まったく思いも寄らないことなのだろう。
「罪人の……申しわけありません……源義経を匿ったとあれば、奥州を攻めるいい口実になります。そうやって朝廷をゆさぶり、圧力をかけていけば……」
「まさか!」
義経は声を荒げた。
「兄が、そんな卑怯な手を……」
返事はわざとしなかった。
義経はしばらく考えていたが、やがて言った。
「いや。月影の言うとおりだろう。鎌倉から、ずいぶんと探りが入っているようだ。秀衡どのも、基成どのも、今、月影が言ったように考えているからこそ、鎌倉との戦を決心なされたのだろう」
「戦われるのですか?」
義経が戦を決心したのなら、その方向で進まなければならない。
「今の私は、秀衡どのの居候の身。秀衡どのに戦えと言われたら、断れる立場ではない」
そうは言うものの、義経の気が進まないことは明らかだった。
「もう一つ、道がないわけではありません」
「道が? どうするのだ?」
「頼朝どのが攻めてくる前に、源義経の首を差し出すのです」
「……私に、死ねと?」
義経は、意外なほど驚かなかった。
その穏やかさに、月子は安心する。少なくとも義経は、冷静さを失っていないし、月子への信頼感も、思っている以上なのかもしれない。
「偽首で充分でしょう。そうしておいて、平泉を脱出する」
「月影ともあろうものが……」
義経は、自嘲気味に笑った。
「本朝のどこにも居場所がなくなって、この平泉に来たのだぞ。ここを出て、どこへ行くというのだ」
「世は、御大将がお考えになっているよりはるかに広いのです」
義経をまっすぐに見る。
「平泉を出て北に向かえば、逃れるすべはありましょう。北へ向かえば、蝦夷が島がございます。その先、海を渡れば、本朝とは比べものにならないほどの広い大地が広がっております」
義経は、信じられないものを見るように月子の顔をまじまじと見る。
「本当に、月影は思いもかけないことを言う」
そして、ふっと優しげな目をして言った。
「静が聞けば、その道を選べと言うだろう。無駄な血を流すなと」
義経が結論を出すのを待つ。
「私がその道を選べば、奥州は守れるだろうか? 兄は、奥州征伐を思いとどまるか?」
月子は目を伏せた。「はい」と言えば、義経は間違いなく後者の道を選ぶだろう。しかし、うそはつけなかった。
「いいえ。どちらにしても、頼朝どのは、いつかは奥州を攻められるでしょう」
「そうだろうな……」
義経は、目をつぶり考えていた。だが、不意に言った。
「私は、父の顔を知らない。父は、私がまだ赤ん坊の頃に死んだ。私にとって、父は誰だか分かるか?」
「秀衡どの……それ以前は、藤原長成どの……ですか?」
義経は、目を開けて笑った。
「月影には、何もかも見通されているのだな。母の常盤は、しばらく清盛の愛人であったが、その後、藤原長成どのに再嫁した。私は、幼い頃、長成どのが実の父だと思っていた」
「基成どのは、長成どのの親戚でいらっしゃいますね。確か、従兄弟の子ども……」
「そうだ。その縁を頼って、私は鞍馬山を抜け出したあと奥州に来たのだ。秀衡どのは父とも思う人……基成どのにも、恩義がある。秀衡どののご子息たち……國衡どの、泰衡どの、忠衡どの、頼衡どの……みな兄弟のようにして育った……」
「その方たちを、見捨てるわけにはいかない……と?」
「奥州藤原氏を滅亡の危機にさらしてまで、自分の命を長らえようとは思わない」
「承知しました」
義経の苦しい胸の内は分かる。実の兄と、大恩ある人たちとの間に挟まれて、辛い選択を迫られたのだ。
しかし、義経の決心がついたのなら、あとは、それに従うまでだ。
「で、どちらがいい?」
「は?」
「侵攻するか、迎え撃つか」
「迎え撃つのでは……」
間に合わない……という言葉を飲み込む。
「鎌倉が攻めてくるのを待つのは、賢明とは言えないでしょう」
「では、侵攻か?」
「それも、できるだけ早くことを進められた方がよいかと存じます」
『秀衡どののご存命のうちに』という言葉を、胸の奥に押し込める。人の生死に関することだけは軽々しく口にできない。
ただ、秀衡が死んでしまえば、事態は悪くなるだけなのだ。
「おまえには、すまない……と思っている」
急に、義経に言われ、何のことか分からず戸惑う。
「何が……でございますか?」
「私がこんなだから、おまえは忠信と幸せになれない」
忠信の名を不意に出され、頬が赤らむのを感じた。
胸の奥で、忠信の笑顔がふいに浮かんだ。あの夜の温もりまで思い出してしまい、月子は思わず唇を噛む。
そんな月子にかまわず、義経は、続けた。
「忠信が、おまえを北の方に望まないはずがない。にもかかわらず、おまえが高館にとどまっているのは、私の行末を心配してのことだろう?」
「そんなことは……」
言いかけた言葉を、義経はさえぎった。
「忠信にも、すまないと思っている」
後ろめたさを感じる。月子の行動は、義経一人を思ってのことではない。自然と頭が下がり、床に手をつく。
「申しわけありません。私は、御大将のためにだけこうしているのではないのです。御大将をお守りすることは、すなわち一の郎等である……」
「佐藤四郎忠信を守ること……」
「はい」
それが理屈なのか、本心なのか、自分でも分からなかった。けれども、顔を上げると、義経は微笑んでいた。そして言った。
「忠信は幸せだな。おまえのような者に想われて……」
月子は、何も言えなかった。
――二年。
その数字が、鎖のように胸に絡みつく。
義経が「鎌倉侵攻を選ぶ」と秀衡に返事をしたのは、その翌日のことだった。
戦の準備を始めた頃、突然鎌倉からの使者が来た。
秀衡は使者を伽羅の御所に迎え、そこから一歩も出さなかった。平泉の街を歩き回られたら、義経一行がいることが分かってしまうから。
使者が伝えた内容は、こうだった。
まず第一に、源義経は朝敵であるから、平泉にいるのならすみやかに引き渡すこと。
第二は、院の近臣であった前山城守基兼が清盛によって陸奥に配流されているが、これを京都に戻すこと。
第三は、大仏塗金のための砂金を三万両寄進すること。
これに対する秀衡の答えは、実にきっぱりとしたものだった。
「源義経は、奥州にはいない。現れ次第連絡をする。基兼が京都に戻らないのは、本人の意思なので関わり合いがない。砂金はここのところ採取量が減っているので、すぐに三万両は寄進できない」
言葉はやわらかだったが、すべての要求を拒否していた。これは、秀衡が頼朝の麾下には入らないと言う意志表示にほかならなかった。
使者は、確かに義経がいるという確信は得られないまま、鎌倉に戻っていった。しかし、その間、戦の準備が滞ったのは事実だった。
使者が鎌倉に帰ったのは九月のはじめだった。
秀衡は、開戦を十月と計画した。
しかし、それはかなわなかった。
秀衡が病床につき、戦は延期された。
秀衡は、病に倒れて約一か月後、永遠の眠りについた。六十歳を越えていたから、当時としては、むしろ長生きの方だったかもしれない。
その臨終の場には、妻や子どもの他に、義経も同席していた。秀衡は、
「義経どのを大将軍と仰ぎ、兄弟が力を合わせ、頼朝を攻略せよ」
と遺言を残したと言われている。
しかし、それが真実かどうかは分からない。伽羅の御所から戻った義経はふさぎ込み、そのことについては、誰にも何も話さなかったから。
秀衡には、成年に達している息子が四人いた。國衡、泰衡、忠衡、頼衡である。
年長は國衡であったが、母の身分が低いため、嫡子は泰衡となっていた。当然、秀衡亡き後、当主は泰衡が継いだ。
そのことに関して、國衡がどう思っているのか分からない。ただ、あまりいい感情を持っていないと考えるのが、自然かもしれない。
そして――。
その冬、杉目小太郎行信が、高館に姿を現した。義経の北の方・美野を伴って……。
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