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義経を追って― 滅びの歴史に抗う恋 ―  作者: 初音 澪
第二章 郎等・月影
23/31

23 九月二十二日

運命の日は、静かに近づいていました。

第23話、どうぞお付き合いください。


「この恋は成就するのよね?」


 画面を見ながら、朋人はつぶやいた。

 朋人が危惧しているのは、ふたりの恋に『歴史』が水を差すのではないかということだ。

 最近、画面にノイズが走ることがない。文字も現れない。

 それは、『恋のパワー』が順調に働いているということなのだろうか?

 歴史が、二人にとってよい方向に進むのならよいが……。


「ふたりは真剣なのに、その恋を利用されるのは、ちょっといや」


 それは、自分のわがままかもしれない。

 月子が望んでいるのなら、歴史が変わることは喜ぶべきなのだろうが……。


「どっちにしても、ワタシには見守ることしかできないのよね」


 一抹の寂しさを感じながら、朋人は再び画面に目を戻した。


   * * *


 秋の終わりになっていた。


 忠信と二人で住む京都中御門辺りの隠れ家で、月子は完全に途方にくれていた。春に訪れたときには良い返事をしてくれていた公家たちが、今では一様に冷たい態度を示すようになっている。理由は、言われなくても分かっている。鎌倉からの圧力が、日に日に強くなっているのだ。しかも、義経の勢力は衰える一方。


 義経は、伊勢を出て比叡山に隠れ住んでいた。比叡山の悪僧と呼ばれる者たちが、味方していた。だが、その悪僧の一人も捕らえられている。そんな状況の中で、京都の公家には頼朝から何度も「義経を匿っているのではないか」という抗議の書状が送られているに違いないのだ。公家たちが弱腰になるのは仕方のないことだった。

 このままではいけない。このままでは歴史通りに、日本国中で義経の住める場所は奥州平泉しか残されていない……という状態になってしまう。


「忠信、今日は何日だった?」


「九月十五日だが……」


 忠信が自刃したとされる日は、九月二十二日。このままではこの隠れ家が北条の手の者に襲われるのを逃れることはできない。それ以前に京都を退けば忠信の命だけはとりあえず助けられるが、何の成果もあがらないまま退くことを忠信が承知するとも思えない。


 すでに手はうってある。喜三太を使いに出し、できるだけ郎等を集め九月二十一日には、京都に入るように言ってある。しかし、そうなったら、もう隠密裏に工作することは不可能になる。その前に味方をひとりでも見つけなければ、歴史の流れは変えられない。

 今、京都で力を持っている公家は、九条兼実(くじょうかねざね)と、一条能保だ。どちらも、頼朝側の公家だ。能保が完全に頼朝派であるのに対し、兼実のほうはまだいくらか義経に同情的である。だが、面識があるのは能保……。


「一条能保に会ってみようか?」


 悩んだ末、言ってみた。


「寝ぼけでもしたのか? 一条能保は、完全な頼朝派だぞ」


 忠信が驚くのも、当然だった。一条能保の妻が頼朝の妹であることは、忠信も知っている。酒匂での伊勢能盛との一件もある。


「わかっている。しかし、だからこそ鎌倉に対する力もあるというものだ。昔、何度か会ったことがあるのだ。この姿でなく……」


 月子が言いよどんでいると、忠信は言った。


「平月子としてなら、会えるというのか?」


「たぶん」


「危険ではないか?」


「まさか、命まではねらわないだろう……明日、行ってみる」


「俺は?」


「忠信はここに残れ。おまえの姿を見たら、おそらく北条時政に知らされてしまうだろうから」


 忠信は、眉をひそめる。


「断られたら、そのまま帰ってくる。そうしたら、京を退こう。もうここにいても、どうにもならないと思う」


 忠信は、考え込んでいたが、やがて言った。


「……気をつけろよ」


 心配そうな忠信に見送られ、月子は、翌日、女装束で一条能保の館へ出かけた。能保には、わりあい簡単に会うことができた。


「お久しぶりです。あの壇ノ浦でも生き延びられ、何よりです」


 それが本音なのか、皮肉なのか分からない。能保は公家だが政治にたけていて、頼朝も一目おいている。


「今日は、お願いがあって参りました。源九郎義経の件で……」


 前置きなしに切りだす。遠回しに言おうと、率直に言おうと、だめなものはだめだから。


「源義経の妻になったという話は、本当だったのですか?」


「そう考えていただいて、結構です」


 能保は、眉をひそめた。


「酒匂の宿で見かけたのは、やはり月子どのだったのですか。男装をなさっていたので、見間違いかと思っていましたが……」


「はい。事情があり、ごあいさつもいたしませんで、申しわけありませんでした」


 月子は深々と頭を下げる。この手の人間は、礼儀にうるさい。


「いやいや、そんなことは」


 能保は手をあげさせた。


「今日のご用件は、義経どのの命乞いと考えてよろしいか?」


「そうです」


「それは、なかなか難しいことですな。義経どのは鎌倉の頼朝どのに逆らってばかりいらっしゃるから……」


 月子が反論の口を開こうとしたとき、部屋に数人の武士が入ってきた。能保がうなずくのが見えた。抵抗する間はなかった。月子はたちまち、彼らに取り押さえられていた。


「一条どの、これは!」


 叫んでみても、能保は平然としている。


「京のあちこちに出入りしていることは、気づいていましたが……まさか、私のところにまでいらっしゃるとは……」


 能保の顔は、どこか悲しげだった。


「乱暴をするつもりはありません。あなた自身には罪はないし……平氏の姫君ですから。お父上のもとにお送りしましょう」


「父の?」


「それが一番いいでしょう。源九郎義経は、今はもう罪人なのです。いつまでも関わっていては、あなたのためになりません。義経とは別れなさい。能登で心静かに暮らされるのが、あなたのためです」


 閉じこめられた部屋は、能保の館の一室だった。牢屋のようなところではないにせよ、一日中、僕従が見張っている。逃げ出せる隙は、まったくなかった。唇をかみしめ、月子は思う。やはり、自分は甘かった……と。協力を得られる可能性は少ないと、覚悟はしていたつもりだが、まさか、いきなり捕らえられるとは思ってもいなかった。


 日の射さない部屋にいるので、ここに来て何日経つのかさえはっきりしない。運ばれる食事の回数で、少なくとも五日以上は経っていると思われる。忠信は、大丈夫だろうか……喜三太に応援を頼んだものの、詳しく話しているわけではない。間に合わなければ、忠信の命も危ない。そう考えているとき、ふと思った。『自分は……平時忠の娘は、歴史上では、どうなっていたのだろう』と。


 苦笑いが浮かんでくる。義経や忠信の運命にばかり気を取られ、肝心な自分のことは何一つ考えていなかったとは。

 一一八九年、平泉の高館で義経が自刃するとき、正妻と娘も死んでいる。この正妻は河越重頼の娘という説と、平時忠の娘という説がある。しかし、これはおそらく河越重頼の娘のことだろうと、今では確信している。


 静御前は鎌倉に連れられ、有名な「鶴岡八幡宮・静の舞」をした後、義経の子を出産する。その子が男の子であったために由比が浜に捨てられてしまい、その後の静の行方は分からない。出家して間もなく死んだ、という説が有力である。


 平時忠の娘の行末も、よく分からない。平泉で死んだという説や、京都で暮らしたという説。「父の配流先の能登で生涯を過ごした」という第三の説もある。

 このままだと、第三の説になってしまう。と思ったとたん、月子はひどく絶望的な気分に支配された。歴史の流れを変えるどころか、忠信とふたたび会うこともできないかもしれない。


「忠信……」


 名前を口にすると、自然に涙があふれてくる。どうにもこらえられず、そのまま泣き続けた。


 と、誰かが部屋に入ってくる気配がした。


「そんなに、泣くものではありません」


 月子が顔を上げると、能保が立っていた。


「能登へ向かう手配が整いました。どうぞ、こちらへ」


 言われて、素直に従うわけにはいかない。能保の顔をにらむ。しかし、能保がひるむはずもない。


「おとなしく言うことを聞いて下さい。手荒なまねは、できればしたくないのです」


 さとすような能保の口調に、ますます腹が立った。完全に子ども扱いされている。


「仕方ありませんね」


 能保の合図で、見張りをしていた僕従が部屋に入ってくる。男二人がかりでは抵抗しても無駄だ。月子はたちまちのうちに後ろ手で縛られてしまった。口には猿ぐつわをかまされ、引き立てられるようにして牛車に乗せられた。


『今日は、何日なんだろう』


 牛車の中で思った。せめて、忠信の生死だけでも確かめたい。会いたい……忠信に、もう一度だけ……何度も心の中で繰り返す。それが無駄だとわかっていても。自分の無力さが歯がゆい。そして、後悔してもしきれない、見通しの甘さ。何をおいても助けたかった忠信の命を、救うことのできなかった自分……その絶望感が月子の胸をふさぐ。


 牛車が進み出してしばらくたった頃、外が騒がしくなったのに気づいた。馬の蹄の音、何やら怒鳴る声……そして、矢のうなり、刀が合わさる鋭い音……。事情はわからないが、逃げ出す好機かもしれない。月子は何とか動こうともがいた。だが、牛車に乗せられてから、足首も縛られてしまったのでどうにもならなかった。

 その時、不意に牛車の簾がはね上げられた。そして、その向こうにいたのは……忠信だった。


「月子!」


 忠信はすばやく牛車に乗り込むと、月子の猿ぐつわをはずした。

 牛車の外では、喜三太をはじめとする郎等たちが、能保の僕従たちと争っていた。


「忠信……どうして?」


 尋ねると、忠信は言った。


「話は後だ!」


 そして、月子を軽々と肩に抱き上げると、郎等たちに叫んだ。


「月影が見つかった。これ以上の殺生は、無用!」


 忠信は牛車から飛び降りる。手も足も縛られたまま、月子は忠信の馬に乗せられる。郎等たちが刀をおさめ、それぞれの馬に乗るのが見えた。そして、呆然としている能保の僕従たちの姿も。それは、すぐに遠くになり、やがて見えなくなった。

 もう大丈夫と判断したのか、忠信は一度だけ馬の歩みを止め、月子の手と足を縛っていた縄を切った。女装束のままだったから、そのまま忠信の馬に同乗する。


「忠信……今日は、何日だ?」


 月子は慣れない横座りの居住まいの悪さに耐えながら、ようやく声を絞り出した。


「今日か? 九月二十二日だが……」


 その瞬間、月子は忠信にしがみついていた。自然と涙があふれ、それを見せないために、忠信の胸に顔をうずめる。昨日までのそれとは違う、嬉しさゆえの涙。


 月子は、はじめて――歴史に勝ったのだ。


 忠信は死ななかった。時政の手の者は忠信と月子のいた隠れ家に向かっているかもしれないが、忠信はここにいる。もう京都を出てしまっているのだ。


   * * *


「これって……」


 朋人は、急いで手元の本のページを繰った。「源氏を支えた武将」の項目の中から、「佐藤忠信」を探し出す。

 以前に確認している。そこには――。


【吉野山中で追撃された時、自ら身代わりを買って出て、義経と名乗って奮戦し、一行の逃亡の時間を稼いだ後、都に潜入。北条時政の討手に包囲され、奮戦の後、自害。】


 そう書かれていたことを記憶していた。しかし、後半の文章が変わっていた。「都に潜入」までは同じだが――。


【北条時政の討手に包囲されるが、辛くも脱出。その後、義経一行と合流し、衣川合戦の場でも、最後のひとりになるまで奮戦。義経の最期を見届けてから、自害。】


「歴史が……変わったの? 月子が歴史を変えたの?」


 朋人はスマホを取り出し、「佐藤忠信」と検索する。どのサイトを見ても、忠信は衣川で自害、となっている。

 おそらく、歴史に詳しい人間の記憶も変わっているのだろう。

 それなら、なぜ、自分の記憶は変わらないのか? いや、それよりも……。


「でも……まだ、義経は衣川で死んでるわ。変わったのは忠信クンの死ぬ時期だけ」


 すると、久しぶりに画面にノイズが走った。現れ出た文字は――


「これから」


「月子ががんばれば、まだ変わるってコト?」


 だが、画面の文字はすぐに消え、新たな文字は現れない。

 朋人は、複雑な思いで画面の中の月子を見た。月子は、忠信を守れたことに手放しで喜んでいる。一緒に喜んであげられない自分に、朋人はどこか後ろめたさを感じていた。


   * * *


 うれしくて、月子は何度も忠信の名を呼んだ。


「俺はかまわないが……」


 馬を上手に操りながら、忠信は言った。


「後ろには郎等がたくさんいる。俺にしがみついているところを見られたら、おまえが困るんじゃないか?」


 とたんに、喜三太たちの存在を思い出す。月子はあわてて忠信の胸から離れた。だが、急に動いたために釣り合いを失い、落馬しそうになった。


「だからといって、急に動くな」


 忠信は、素早く支えてくれる。


「すまない」


 頬が熱くなる。その顔を見て、忠信は大声で笑った。


「何がおかしい?」


「はじめて、おまえをやりこめることができたと思ってな。いつもいつもおまえにばかにされっぱなしだったから、いつか一本取りたいと思っていた」


 京の街を抜け、しばらく行ったところで忠信は馬を止めた。喜三太が月子の馬を連れてきていた。隠れ家に置いたままの荷物も持ってきてくれていたので、袴を身につける。

 馬を休ませている間に、忠信に尋ねた。


「あの牛車に私が乗っていると、よく分かったな」


 それを聞くと、忠信は意外そうな顔をして言った。


「おまえが、手配したんじゃないか……あの郎等たちを」


 あらためて見てみると、三十人近い郎等がそこにはいた。


「喜三太に命令したのは、おまえだろう?」


「確かにそうだが……」


「おまえは、一条の館に行ったまま戻ってこない。様子を見に行きたいが、おまえが何かしようとしているのに、俺がぶちこわしにしたらまずいと思った。どうしようかと思っていたら、喜三太が郎等を連れて京にやってきた。きけば、月影が、『二十二日に、京で兵が必要になる』と言っていたというではないか。これはもう、一条の館を襲えということだと思った。それで、郎等を引き連れ行ってみたら……」


「牛車が出てきた……というわけか……」


 微笑みが自然に浮かんでくる。自分が意図していたこととはまったく違っていたが、結果的には、忠信を助けることができたのだ。月子は、それで充分満足だった。


「俺は、おまえが、例によって何もかも見通してやったことだと思っていたが……」


 微笑みが、くすくす笑いに変わる。こうして、ふたたび忠信の隣に座っていることが、この上もなく嬉しかった。


「何を笑っている……俺は、何か勘違いしてたのか?」


 首を横にふる。


「助けに来てくれて、嬉しかった。あのままだと、私は能登に送られていた。もうおまえに会えないかと、絶望的になっていた」


 郎等たちに見られないように、月子はそっと忠信の手を握った。忠信はその手を握り返してくれた。その力強さとあたたかさに、月子はこのうえない幸せを感じた。


 そして、再び決意を固める。この温かさを守り抜いてみせると。

 今は文治二年。衣川合戦まであと三年足らずだ。時間はあまりないが、出来ることはあるはずだ。高館で義経を死なせたりはしない。義経の死は、忠信の死とイコールで繋がっているのだから。


「ずっと……ずっと、私のそばにいてくれ」


 しっかりとうなずいてくれた忠信の顔が、涙でにじんで見えた。


第二章 終

お読みいただき、ありがとうございます。

九月二十二日。

忠信の運命は、これまでとは違う形で動き出しました。

第二章、終了です。

次回、平泉で、第三章が幕を開きます。

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