21 命がけの恋
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守りたいものを見つけたとき、人は歴史に逆らう覚悟を持てるのかもしれません。
忠信の胸で月子がうつらうつらし始めたとき、忠信が訊いた。
「しかし、あれはどういう意味だったんだ?」
「何が?」
半分眠りかけながら、聞き返す。
「ただ『恋人を作るな』というのなら分かるが、『京で』と言っていただろう? 何故、京なんだ? 京以外なら、たとえば西国や奥州でならいいということか?」
「それは……」
決心に基づいて「京で……」と指定した。だから、別の場所でならかまわないはずだ。そう答えようとしたとき、月子の中の『女』が猛反撃をした。
「だめだ!」
忠信の胸に顔をうずめ、手を背中に回し強く抱きしめる。
「私以外の女に心を移してはだめだ。忠信の女は、私一人……」
忠信は月子の頭を撫でると、優しく言った。
「分かってる。大丈夫だ。言ったろう? 『俺は、百人の女より、おまえが欲しい』と。しかし……」
月子が顔を上げると、忠信は微笑んだ。
「おまえが、こんなに嫉妬深いとは思わなかった」
「そうだ。おまえが他の女に心を移したら……忠信を殺して、私も死ぬ」
忠信は、声を出して笑った。
「おまえを恋人にするのは、命がけだな……」
笑い続ける忠信の胸は、小刻みに揺れている。それを頬に感じながら、『忠信の生きているあかしだ……』と月子は思った。
* * *
「月子、よかったね。生涯でただひとりの人に巡り会えたんだね」
忠信の胸で微睡む月子を見ながら、朋人はつぶやいた。
生涯でただひとりの恋人――唯一無二の運命の人――いつかきっと、そんな人に巡り会える……などというのはおとぎ話だと、現代人なら言うだろう。朋人自身もそう思っていたし、現代に生きていた「喜多見月子」もそう思っていただろう。
だが、月子の目を通して忠信を見て、月子の心を聞いた今――。朋人は、それは真実ではないか、と感じていた。その真実が、現代にあるかどうかはともかくとして、少なくとも、平安を生きる月子……いや、月影の身には訪れている。
「ワタシも、そんな恋がしたいな」
つぶやいても、答えは返ってこない。
自分にはそんな恋は訪れないのだと、朋人自身諦めているところもある。
「それはそれとして……。私は月子の『恋』を守ってあげる。月子の『恋』が歴史の駒として消費されたりしないように」
じっと画面を見つめるが、いつものようなノイズも出ないし、文字も現れない。
ちょっとため息をついた朋人は、
「がんばって」
と、画面の中の月子の頬をつついた。
「月子の『恋』を守れたら、ワタシにも、ステキな『恋』が訪れるかもしれないじゃない」
* * *
寝息を立てている忠信を見つめながら、月子は心の中で言った。
『そうだ。命がけだ』
月子は、あらためて歴史に挑戦する決意を強く固めた。
佐藤忠信の唯一無二の恋人として。彼を生かし、幸せにするために。まず、忠信の京での死を阻止する。「義経記」の中の話なので、恋人が裏切るというのは信憑性はない。しかし、忠信の恋人が京にいなければ危険性は減る。
もし忠信を救うことができたなら、今度は義経を衣川から逃がす。北行伝説を、伝説でなく史実にするのだ。義経のためではない。忠信を生き延びさせるために……。
月子は、忠信の唇に自分の唇をそっと重ねた、ささやいた。
「忠信が死んだら……その時は、私も死ぬ」
歴史の歯車は巨大で、一人の人間など所詮それにからみつくだけの細い糸にすぎないかもしれない。それでも、命を懸けて絡ませれば、その歯車をわずかでも狂わすことができるかもしれない。
佐藤四郎忠信を生かすために。愛する男を守るために。そして、自分はもう二度と……現代には……喜多見月子には戻らない。
忠信は、目が覚めると、がばっと飛び起きあたりを見渡した。月子は部屋の隅で髪を結いなおしていたが、その姿を認めると、ほっとしたように、
「そこにいたのか……」
と言った。月子は微笑みが、自然にわいてくるのを感じた。だが、次の言葉は生真面目な忠信らしいものだった。
「御大将に、お話しせねばな。こんな事態だから、浮かれているわけにはいかないが、とにかく……」
うれしそうに話す忠信に、月子は心苦しさを感じながら言った。
「しばらくは……今まで通りでいたいのだ」
忠信から顔をそむけた。まともに見てはとても言えなかった。
「源九郎義経の郎等のままで。月影という、男として、もう少し仕事がしたい。夜は……おまえが望んでくれるなら……おまえのそばにいる。だから……」
忠信はしばらく黙っていた。やがて、あきらめたように言った。
「仕方ないだろう。『だめだ』と言って聞くようなおまえではないし……そんなところにも惚れているのだからな」
さらっと「惚れている」と言われ、頬が熱くなる。
「それに、月影に郎等から抜けられたら、御大将にとっても痛手だろう。……まあ、せいぜいばれないように注意するさ」
その言葉に、月子のいたずら心がまた持ち上がる。
「そうしてくれ。忠信はばかがつくくらいの正直者だから、感情がすぐ顔に出る」
忠信はあきれ顔で言った。
「それが後朝に、女の言うことか?」
思わず、吹き出していた。
「何がおかしい?」
忠信の不機嫌そうな顔がおかしくて、笑いは止められない。
「いや。忠信でも『後朝』なんて言葉を知っているのかと思ってな」
「月影!」
忠信は月子のそばに歩み寄り、腕に手をかけた。文句を言おうとして……しかし言えなかった。
「二人だけの時には……『月子』と呼んでくれないか?」
と、月子が囁いたから。
「……月子」
乱れた髪を直しながら、月子は尋ねた。
「忠信……杉目を知っているか?」
「杉目小太郎行信か?」
予想通りの答えだった。杉目は、藤原秀衡の郎等だったのだから、忠信が知らないはずはなかった。ただ、杉目の役割――影武者――を知っているかどうかを確かめたかった。
「杉目も俺と同じで、奥州から御大将について来た郎等だが。杉目が何か?」
「いや。御大将によく似て、整った顔立ちをしていると思って」
「俺は、御大将や杉目と違って、おせじにもいい男とは言えないからな」
予想外の答えに、月子は忠信の顔をあらためて見つめた。どちらかと言えば丸に近い輪郭、眉は濃く、目つきも鋭い。決して都好みの顔立ちではない。だが、容姿のことなど、気にしたことはなかったし、忠信がそんなふうに考えているとも思っていなかった。
しかし……ふと思いついて言ってみる。
「京の公家が、御大将のことをなんと噂しているか知っているか?」
「いや」
「木曽義仲とは違い、思いのほか都慣れしているが、平氏の公達と比べればその選屑よりもなお劣っている」
「失礼な話だ! 御大将のどこが!」
忠信はすねていたことも忘れて、本気で怒っていた。
「まあ、そう怒るな」
月子はやんわりとなだめた。
「事実ではないとも、言えないのだから」
「おまえも、そう思っているのか?」
「少なくとも容姿の点では、平氏の公達はみな美しかった」
「御大将でさえ選屑にされてしまうんだから、さしずめ俺などは、人間とは思えないと言われるかもしれないな」
月子は笑った。しかし、忠信は笑わなかった。
「おまえの……死んだ恋人も……か?」
ぼそっと言った口調の暗さに、一瞬驚く。このたくましい男が、これほどまでに自分の容姿に劣等感を持っていたとは……。いや、有盛に嫉妬しているだけかもしれないが。だからこそ言わなければならない……と月子は思った。
「有盛さまには兄上が二人いらっしゃったが、上の兄上は『光源氏の再来』と言われていた。下の兄上は、後白河法皇に寵愛されていた……美しかったからだ。当然、御自身も目の覚めるような美少年だった」
「美少年? 一体いくつだったんだ?」
忠信は、訊いてから、『しまった』という顔をした。しかし、月子はかまわずに答えた。
「死んだときは、十七だった」
忠信は、黙りこくってしまう。月子も黙っていると、しばらくしてぽつんと言った。
「信じられないな」
「十七なら、別におかしくはないだろう」
月子がそう言うと、忠信は不機嫌さを隠そうともしないで言った。
「歳のことを言ってるんじゃない。普通、昔の男のことを、そんな風に平気で褒めるか?」
まったく、予想通りに反応してくれて、嬉しい限りだ。
「おまえが訊いたから、答えただけだ」
「同じ人間とは思えない……。夕べは……」
みなまで言わせず、月子は忠信の目の前に座り、顔をのぞき込む。
「何だ? あらためて、不細工だとでも言いたいのか?」
「容姿の点では……と私は言ったはずだ。美しいだけの男は、もう見飽きている。私が惹かれたのは、おまえの……ここだ」
まっすぐに忠信の胸――心臓のあたりを指す。
「正直で……誠実、温かく、勇気に満ちている」
忠信は、目を見張った。そして、すぐに耳まで赤くなった。それを見届けて、月子は立ち上がった。部屋の外に出ようとしたら、忠信に呼び止められた。
「杉目のことだが、あれは御大将の影武者だ」
「そうか。ありがとう」
やはり、忠信は知っていた。それなら、いろいろ事がやりやすい。月子はほっとした。出ていこうとする背に、忠信の声がかかる。
「今夜も、来てくれるな?」
振り向かないまま、月子はうなずいた。
庭に出ると、喜三太が落ち葉をはいていた。忠信の部屋から出てきた月子を、喜三太は怪訝な目で見ていた。
「おはよう」
月子はつとめて明るい声で言った。
「おはようございます」
挨拶を返した喜三太に、月子は何気ない調子で言った。
「忠信と飲んでいたら、そのまま酔いつぶれてしまった」
「月影さまが? めずらしい……」
ちょっと驚いた顔をした喜三太に、にやっと笑ってみせる。
「御大将には内緒だぞ。この一触即発という時期に、不謹慎だと思われるからな」
「承知しました」
喜三太は、うれしそうに返事をした。堀川夜討ち以来、彼は月影に心酔しているらしい。約束は守ってくれるだろう。
「さて、自分の部屋でもう一眠りするか」
月子は喜三太にも聞こえるようにつぶやき、西門近くの自室に引き上げた。しかし、もちろん寝たりはしなかった。紙と筆を取りだす。そして、記憶をたどり、この後の義経の年表を書き始めた。誰に見られても大丈夫なように、西暦と、ローマ字を使って……。
忠信との関係が、ひとつの線を越えました。
彼は史実の中では、あまりにもあっけない最期を迎える人物です。
だからこそ、この物語では「生き延びる可能性」を描いていきます。
義経の北行が伝説で終わるのか、それとも――
その鍵を握るのは、忠信と月子の「選択」になる予定です。




