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20 選ばれた夜

それぞれが選び、そして踏み出す夜。

歴史の裏側で、誰にも語られない想いが、そっと形を持ちはじめます。


「私は、おまえの恋人になど会うつもりはないぞ」


「何でもいいから、とにかくついてこい!」


 忠信はそう言うと、馬を走らせた。館の自室で、思い切り泣きたい。しかし、忠信の声音はそれを許さない何かがあった。これは、罰かもしれない。自分の恋心から逃げていたことへの。月子は自虐的な気分に支配されながら、忠信の後をついていった。

 忠信が月子を連れていったのは、堀川館からそれほど遠くない四条室町にある館だった。


「ここは誰の館だ?」


 ためらう月子の手を無理矢理引っ張って、忠信はその中の一つの部屋に入っていった。


「まあ、忠信さま」


 彼を迎えたのは、やはり一人の女性だった。それだけで十分だ。月子は黙って去ることに決める。だが、できなかった。忠信が月子の手を離さなかったからだ。月子は、無理矢理部屋の中に座らされた。不承不承に座った月子の目に入ったのは、その部屋に掛けられている鎧直垂だった。その直垂は、胸の部分が血で染まっている。


「あの直垂は?」


「兄の――継信のものだ」


 そのとき初めて月子は女の顔を直視した。優しげな風情の女性だった。だが、その瞳は、かつてはあったであろう輝きが失せている。


「かやどのという。継信の恋人だった」


 忠信が言うと、かやは微笑んで見せた。しかし、その瞳の暗さは消えはしなかった。


「兄はそういうことに関しては無口だったから、恋人がいることは知っていたが、どこの誰だか分からなかったのだ」


 堀川館に向かって、ゆっくりと駒を進めながら忠信は言った。もう夜も更け、月が中空にかかっていた。


「いろいろ調べて、つい最近、かやどのであることが分かった。忠信という弟がいることは兄が話していたから、かやどのも会ってくれて……あの直垂を形見としてさしあげた。戦の様子を知りたいと言うので、何日かかけて話した」


 かやの暗い瞳を思い出しながら、うなずいた。おそらく、かやは心から継信を愛していたのだろう。あの瞳が輝くことは、たぶん、一生ない。


「まったく……俺はそんなにいいかげんな男ではないぞ」


 忠信の声は明らかに、怒っていた。


「俺は『待つ』と言った。言ったからには約束は守る。そんなに簡単に、他の女に走ったりはしない」


「だが、この前、もう待つのは止めた……と言ったではないか」


「そのとき、おまえは『別の女をさがせ』と言った。おまえは俺がその通りにしたと思ったんだろう? 俺がおまえの言う通りにしたのに、何でさっきはあんなに不機嫌になったんだ?」


「不機嫌になど、なっていない!」


 思わず叫んで、そして、素直になれない自分に歯噛みする。言ってしまえばいいのに……。好きだから……忠信を愛しているから、嫉妬したと。しかし、友人同士の会話が自然になってしまっている関係の中で、急に「女」に戻って告白することなど、とてもできそうになかった。


「そうか?」


 忠信は言い、それきり黙ってしまった。

 月子も、黙って駒を進めた。そうしながら、別のことに考えを巡らした。これ以上、自分の恋心と直面したくないと言う気持ちもあったが。かやに会ってからずっと引っかかっていたことがあったのも事実だ。継信の恋人だった女性……その「かや」という名前を、どこかで目にしていたような気がしたのだ。だが、すぐには思い出せなかった。

 堀川館に着き、馬を厩舎にしまったとき、月子は不意に「かや」の存在を思い出した。思い出したとたん、


「忠信!」


 と叫んでいた。ふりかえった忠信の顔を、月子はまじまじと見つめる。


「どうした、俺の顔に何かついているのか?」


 そう言って笑いかける忠信の顔を見ているうちに、月子の目に涙があふれた。


「どうしたんだ?」


 忠信は駆け寄って月子の顔をのぞき込んだ。涙は止まらない。忠信が途方にくれた顔で見つめているのに気づいていながら、月子にはどうしようもなかった。あとからあとから涙が溢れてくる。それでも、忠信から目を離すことができない。


「とにかく、ここは寒い」


 促されるままに、月子は忠信の部屋に入った。月子を座らせると、忠信は燭台に火をつけたり、火鉢の火をおこしたりし始めた。月子は涙にかすむ目でそんな忠信を見つめながら、自分の知識を整理する。怖いような気もしたが、しないわけにはいかない。

「かや」という名前があったのは「義経記」だ。


「義経記」――義経の生涯を描いた、後世の物語。


 その中で「かや」は忠信の恋人として登場する。京都に単身で潜伏している忠信を裏切って、北条時政に密告したのが「かや」なのだ。そのために忠信は、自刃に追い込まれる。

 もちろん、今日会ったかやと同一人物ではないだろう。なにより「義経記」はかなり後の時代になって書かれた物語なので、歴史的信憑性は薄い。「かや」という名前も、おそらく当時の女性としてはありふれた名前で、偶然の一致に過ぎないはずだ。


 だが、史実が一つだけある。佐藤四郎忠信が、京都に潜伏中に発見され、自刃した……ということだ。女性に関することで油断したというのも、事実らしい。本当にうっかりしていた――いや、うっかりで済むことではないが――忠信は衣川で義経とともに死んだと思いこんでいた。佐藤忠信は、義経の死よりも二年以上も前に京都で死んでいる。

 だが、そんな未来を迎えさせるわけにはいかない。彼を失うなど、耐えられない。


「飲め。落ちつくぞ」


 そう言って、忠信は杯を差しだす。

 月子は黙って受け取り、杯の中の酒を一気に喉に流し込んだ。その瞬間に月子の心は決まった。空になった杯に、忠信は黙って酒を注いだ。それも一気に喉に流し込む。そして、今度はその杯を忠信に向かって差しだす。忠信は笑って、酒を注いだ。


「まったく、飲みっぷりまで男勝りか」


 それも喉に流し込んだ。この世界に来てから、酒はほとんど飲んでいない。久しぶりの酒は、胃にも脳にも染み渡る。急速な酔いを感じたが、かまわずに飲み続けた。決心したことを口に出すには、勇気が必要だ。そのためには、多少なりとも酒の力を借りたい。


「忠信……頼みがある」


「なんだ?」


 忠信は、自分も杯を口に運びながら訊いた。


「京で……恋人を作らないで欲しい」


 忠信は、一瞬絶句した。次に、ひどく咳きこんだ。忠信の咳がおさまらないのを見て、月子は自分で杯に酒を満たした。今度は一気には飲まず、少しだけ口をつける。


「どういう意味だ?」


 やっと呼吸を整えて、忠信は言った。


「言葉どおりの意味だ」


 忠信はいっぺんで不機嫌になる。


「この単純な頭にも分かるように、説明してもらいたいものだ。ついこの前は『別の女をさがせ』と言い、今日は『京で恋人を作るな』と言う。そうめまぐるしく変わられたんじゃ、俺にはついていけない」


 そう言われて、月子はどのように話すか考えていなかったことに気づいた。決心はしたのだが……。うそはつきたくない。忠信にだけは。しかし、ありのままを話すことだけが正しいとは限らない。おそらく、忠信には理解できないだろう。月子の中の「喜多見月子」の存在は。

 仮に理解できたとしたら、忠信は知りたがるだろう。自分の……そして、義経の未来を。忠信が知れば、おそらく彼はまっすぐに行動に出る。頼朝を暗殺するとか、藤原泰衡を斬り殺すとか。そして、その性格から、成功しても失敗しても自刃するだろう。

 だからどんなに愛していても、忠信に真実は告げられない。忠信に納得できる理由で――しかし、未来を知っていることは知らせずに――説明するのは容易ではない。月子の長い逡巡に、忠信はしびれを切らした。


「酔っているのか?」


 月子は黙って首を横に振った。


「今度は、だんまりか……」


 忠信は、杯を空にした。


「俺をからかってばかみたいに笑ったかと思えば、突然不機嫌になったり、急に泣き出したり……。俺には、おまえという人間が理解できない」


「それぞれにちゃんと理由がある。忠信を翻弄するためにしているわけではない」


 自分でもあきれるくらい心細げな、小さな声だった。


「それじゃあ、その理由を一つ一つ聞こうじゃないか」


 容赦なく忠信は言う。しかし、言葉ほど辛辣な気分ではないらしい。忠信は月子の杯に酒をついだ。


「俺をからかうのはいつものこととして。不機嫌になったわけは?」


「不機嫌になど……」


「なってないとは言わせないぞ!」


 その顔には、笑みは少しも見られない。忠信が真剣であることは間違いない。その心は、受け止めなければならない。そして自分も、自分の恋心をありのままに受け入れなければならない……そう月子は決心した。それが、月子に対して、正直に気持ちをぶつけてくれる忠信に対する誠意だ。月子は忠信の目をまっすぐに見た。恥ずかしさに頬は燃えるようだ。しかし、逃げは許されない。


「不機嫌になったのは……嫉妬をしたからだ……」


「え?」


「嫉妬をしたんだ。喜三太が、『佐藤さまにも、ついに通う女性ができた』と言ったから。顔も知らないおまえの恋人に……」


「それは……」


「泣いたのは……自分の気持ちに気づいてうろたえたためだ」


 言い始めてしまった以上、最後まで言ってしまいたい。間をおかずに話を続ける。


「私は、忠信にうそをついていた。有盛さま――死んだ平氏の恋人が忘れられないと言ったことだ。忘れられないのは、確かだ。だが、それは今でも恋しているというのとは違う」


「俺は……そう思っていた」


 忠信の声に、わずかに不満の色が見える。


「忠信が誤解しているのを知って、わざとそのままにしておいた。お前とはいい友でいたい。そう思ったからだ。有盛さまが忘れられないのは、くわしくは言えないが、私が彼を傷つけてしまったからだ。」


「俺には、お前の気持ちがよく分からない。やはり、俺には複雑すぎるようだ」


 不意に心が軽くなる。すべてを理解されなくてもいいのだ。忠信は、忠信の目に映る月子を愛おしいと想ってくれているのだから。

 忠信となら、恋人同士になったとしても今までのようなつきあいが続けられる。そう思うと、自然と笑みが浮かんでくる。


「その単純なところが私には新鮮で、惹かれるのかもしれないな」


 およそ恋の告白とは思えない台詞を吐きながら、月子は何故かとても嬉しかった。有盛との恋は、死を目前にして常にはりつめた糸の上を歩いているようなものだった。だが、忠信とのそれは、こんな切羽詰まった状況でも余裕と明るさを失わない。


「惹かれる?」


 忠信は問い返した。この程度の皮肉では、もう動じなくなっているらしい。


「そうだ。私は佐藤忠信に惹かれている」


 忠信をまっすぐに見て言う。このことだけは冗談に紛らわさず、はっきりと告げなくてはならない。


「有盛さまを傷つけたから、もう、他の誰かを好きになるつもりはなかった。けれども、自分の気持ちを、止めることができなかった」


 忠信は震える手で杯に酒を注ぎ、飲んだ。頬がかすかに赤い。これが恋の告白だと、気づいたらしい。月子は、言葉を続けた。


「だから『京で、恋人を作るな』と言った。つまり、私以外の女を好きにならないで欲しいということだ。もし、忠信が……」


 忠信は、月子に最後まで言わせなかった。驚くほどの素早さで月子を抱きしめ、有無を言わせず唇を重ねた。口づけは最初から深かった。忠信に翻弄され、鼓動が早鐘のように打ち始めるのを感じる。口づけをかわしながら、忠信の手は月子の帯にかかる。彼の意図を悟る。


「いや……か?」


 忠信が、唇をはなしてささやく。いやだと言えば、忠信はやめてくれるだろう。無理強いするような男ではないから。その時、忠信の言葉を思い出した。


『俺には時間がない』


 月子は、さんざん忠信を待たせてきた。そして、忠信はいつでも、月子の意思を尊重してくれた。これ以上は待たせられない。決めたのだから……恋心に素直になると……心の中を覗いてみれば……忠信と同じようにそれを望んでいる月子がいた。

 月子は忠信の腕から逃れた。諦めに、悲しげに微笑んだ忠信の前に月子は立った。忠信の瞳を見つめながら、袴の紐をほどく。そう、忠信に分かってもらわなくてはならない。忠信に強いられたからではなくて、月子もそれを望んでいるということを。

 忠信は一瞬目を見張った。だが、すぐに月子の手を押さえ、その無骨な手で袴の紐をほどき始めた。忠信も教えてくれているのだ。月子が欲しいという気持ちを。


 そして……。

 忠信の愛し方は、初めての感覚を月子の身体から呼び覚ました。幸せが体の中に満ちていた。二人の心は、つながっていると確信できたから。


「月影……」


 忠信のささやきが耳元に響く。


「目を開けてくれ」


 いやいや……と、首を横に振る。喜びと恥ずかしさがない交ぜになって、目を開けることができない。

 しかし、忠信は繰り返す。


「目を開けて……俺を見てくれ」


 その言葉に、切羽詰まった気持ちを感じる。何があっても開けなければいけない……と月子に感じさせる何か……。大きく息を吸い込み、やっとの思いで目を開ける。

 忠信は、月子の瞳をのぞき込んだ。


「おまえの心の中にいるのは、俺だな? 目をつぶって、ほかの男を思い浮かべているのではないな?」


 はっとして、忠信の顔を見る。責めている様子はない。ただ穏やかに微笑んでいる。


「私の中には、もう忠信しかいない」


 そう答えた月子を、忠信は、その温かさで包んでくれた。


最後までお読みいただきありがとうございました。

次回からは、少しずつ景色が変わっていきます。

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