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お読みいただきありがとうございます。

今回は月子が源平時代で目覚めた場面から始まります。

どうぞお楽しみください。


 硬い床に寝かされていた。周囲には、人の気配がする。背中にかすかな痛みがあるが、呼吸はちゃんとしている。どうやら、死んだりはしなかったようだ。おそるおそる目を開けたとたん、周囲から声があがる。のぞきこんでいたのは、一人や二人ではなかった。

 年老いた医師らしい男と、何人かの女たち。


「大納言さまにお知らせを……」


 女の一人が走り去っていった。


「姫さま……ご気分は?」


 医師が訊いた。

「姫さま」と呼ばれている。つまり、月子はかなり身分の高い女性ということになる。それは、ありがたかった。庶民では、義経に近づく機会がない。


「……少し……頭が、痛い……」


「姫さまは三日三晩、こんこんと眠り続けていらっしゃったのです。ああ、お父さまやお母さまが、どんなに心配なさったか……」


 父、母…? それは誰で、ここはどこなのだろう? もう少し情報が欲しくて、月子は医師に尋ねた。


「ここは……どこですか?」


 医師は、表情を曇らせた。


「お覚えではありませんか? ここは屋島です」


 屋島。

 脳内検索が導き出した答えを口にする。


「屋島の行宮(あんぐう)……ですね」


 京都を追われた平氏が、安徳天皇(あんとくてんのう)を奉じて行宮を営んでいる地だ。


 つぶやくと、医師はほっとしたように表情を緩めた。それを見て、月子もほっとする。だいたいの場所と時間はわかった気がする。

 空気が冷たい。季節は冬だろう。だとしたら……。


「今は……寿永……二年でしたね?」


 医師が、安堵と不安がない交ぜになった表情でうなずいた。

 そのとき、三人の人間が姿を現した。――中年夫婦とその息子らしき若者。


「月子、ようやく目覚めたのか……」


 え? 月子は、声にならない声を上げる。自分の名前は「月子」だったのか。名前が同じなのは、偶然か……それとも……やはり輪廻転生しているからだろうか。


「大納言さま」


 医師が平伏する。

 月子は確信した。ここが寿永二年の屋島なら、「大納言さま」は、間違いなく(たいらの)時忠(ときただ)だ。

 交わされる会話の情報から、後のふたりも確定する。平時忠の妻・(そち)の局と呼ばれた領子。そして、その息子・平時実(ときざね)

 では、この身体の持ち主――つまり、自分は……。


 平時忠の娘、平月子。


 奇跡のような逆・輪廻転生だと思った。

 朋人が知ったら、びっくりするだろうな……と考えて、月子はクスッと笑ってしまった。

 時忠が不審そうに顔をのぞき込む。

 いけない。ここはうまく「平月子」にならなければ……と、身を起こそうとしたら、背中に激痛が走った。


「あまり、ご無理をなさらずに」


 医師が身体を支えてくれたが、頭痛はひどくなるばかり。

 いろいろ考えなければならないのに、頭の中がグラグラして、それを邪魔する。焦ることはない。寿永二年なら、まだ時間は充分にある……はず。


「お父さま、お母さま、お兄さま」


 おそるおそる口にしてみる。この呼称でだいじょうぶだろうか? 三人の顔に安堵の色が広がるのを見て、月子もほっとする。


「ご心配おかけしました」


 頭を下げると、母である領子が、泣きながら月子の身体を抱きしめた。



 ――数日後。月子は、自室で今の状況を整理していた。

 『平時忠の娘』ならば、義経の三人の妻のうちのひとり。だから、彼女についてはよく知っている…はずなのだが、月子が知っている情報は、平氏滅亡後、彼女が義経の妻となった以降の物だけ。それ以前のことはわからない上、どんな人物であったのかも詳しくは残されていない。


 どうにもならないので、「熱病のせいで、記憶がまだらになってしまった」と、両親や兄、侍女達から話を聞いた。

 そうやった話を聞くうちに、自分が好条件で転生できたことは、偶然ではないかもしれないと思うようになった。

 前世が『平時忠の娘』だったから、二十一世紀の喜多見月子は、あれほどまでに義経に執着したのかもしれない。つまり、朋人の『輪廻転生説』は、正しかったのだろう。


「しかも、名前まで同じなんて……」


 この時代の女性の名前は、記録に残らない。特に身分の高い女性は。義経の三人の妻のうち、はっきりと名前が残っているのは「静御前」のみ。これは、彼女が身分の低い白拍子だったからだ。正妻である『河越重頼の娘』も、側室の『平時忠の娘』の名前もわからない。それがわかっただけでも、単純にうれしい。


 平月子が生まれたのは、平氏の全盛の時代。叔母は平清盛の正室、時子だったので、暮らしは贅沢そのものだった……らしい。二十才の時、平清盛が死に、平氏の力は衰え始め、やがて京都を追われる。


 現在の月子は二十二才。喜多見月子よりは多少若い。とはいえ、この時代、この年齢まで嫁いでいないのは珍しい。その理由は、兄である時実が教えてくれた。


「月子は変わり者だからな。男と恋を語るより、政事(まつりごと)を語る方が面白い……などという娘だから」


 それでも、平清盛の縁続き。しかも、父・時忠の家系は「堂上(どうじょう)平氏」と呼ばれ、公家に近い。当然のごとく、縁談は持ち込まれた。


「それを片端から断っていたんだ。父上も、月子には甘いから無理強いはしなかったしな」


 まあ、私らしいかも……と、月子は思った。同じ人間なら、おとなしいお姫さまであるとは考えにくい。月子は、心の中で微笑んだ。恋よりも政事を語る「平月子」という女性……嫌いじゃない。だが、その微笑みは、次の時実の言葉によって、吹き消されてしまう。


「もっとも、最近になって、恋人はできたがな」


 月子はあることに思い至り、心臓がいやな鼓動を刻むのを感じた。聞きたくない…と思いながら、それでも月子の口は、無意識に質問を繰り出していた。


「あの……お兄さま。私に妹はいますか?」


 自分に妹がいれば、年齢的にも、彼女のほうが義経の妻にはふさわしいかもしれないと思ったのだ。もし、そうなら、自分は義経の妻にはなれない。


「私の知る限りではいないな。父上が、余所に作っている可能性は否定できないが……」


 そう言われて、少しだけ安堵する。義経の妻になる娘の母は「師の局」であることは記録に残っていたから。安堵のため息をついた月子を見て、時実はいぶかしげに笑った。


「やはり、変わり者だな、月子は。普通、恋人がいたら、それが誰なのか尋ねるものだろう? それを聞きもせずに、いきなり、妹などと……」


 自分が義経の妻ではないかもしれないという危惧にばかり気を取られていたことに気づき、自分の頬が熱くなるのを感じる。


「いえ……その……誰なのですか?」


「まるで覚えていないのか。ずいぶんがっかりするだろうな、有盛(ありもり)は……」


 その名前を脳内検索する。平有盛……平清盛の長男の故・重盛(しげもり)の四男。兄に、維盛(これもり)資盛(すけもり)がいる。


小松少将(こまつしょうしょう)平有盛……」


 つぶやくと、時実が笑った。


「なんだ。ちゃんと憶えているんじゃないか」


 憶えているのではない。知っているのだ。そして……彼は……。


「有盛さまは、今、おいくつなのですか?」



「確か、十七歳だが……」

「五つも歳下ではありませんか!」


 二十一世紀なら、高校生だ。とうてい恋愛対象にならない年齢。


「まあ、ほだされたんだろうな。有盛が月子に夢中なのは、誰が見てもわかった」


 歳下の恋人……どう考えても、自分に似つかわしくない……。


「なぜ、私に会いに来ないのでしょう。病は癒えましたのに」


「ああ、それなら、私が釘を刺しておいた。月子には記憶がなかったからな。それに……」


 月子と有盛の関係を知るものはごくわずかしかいないし、小松兄弟の立場は微妙だから、父に知られると、まずいことになるかもしれないから……と時実は説明した。


「確かに……そうかもしれませんね」


 『小松兄弟の微妙な立場』は、月子にはおおよその見当がついた。歴史的に見れば、確かに、窮地に立たされている。


「それは、わかるんだな」


 時実に言われて、月子は苦笑した。確かにわかる。平氏の今の状態も、これからのことも。恋人である有盛の顔もわからないのに……。


   * * *


「どういうことなの?」


 朋人は、コンピュータの画面を食い入るように見つめながら、独り言を言った。

 画面には、時実と会話している月子の姿が映っている。古い映画のようにひどく不安定な白黒の画像だが、月子の姿や表情ははっきり分かる。そして、心の声が、音声として流れてくる。月子の脳波を測定するラインが、このコンピュータには繋がれていた。月子が見ているもの、感じていることが、画像と音声になって映画のように映し出されている。朋人は、月子の様子を見続けていた。ごくわずかな睡眠を取る時間以外は、ずっと……。


「義経以外の人と恋人同士になってるらしいじゃないの。 月子は、義経に憧れて、平安時代に飛んだのよ? 平有盛だっけ? どうして、十七歳のガキが恋人なのよ? 月子は歳下好きじゃないし。そんなガキと恋愛するために、命をかけたっていうの?」


 答えは返ってこない。朋人は不満を胸に抱えたまま、画面を見続けていたが……。


「え…?」


 朋人は、ログに残る一つの漢字が、妙に浮き上がって見えることに気づいた。


 その漢字は……「恋」。


「なに、これ?」


 そうつぶやいた時には、ログは通常に戻っていた。自分の見間違えだったのか? それとも、なにか意味がある変化だったのか? 今の朋人には判断できなかった。


 朋人は、月子と恋について、考えをめぐらした。人は非力だ。だが、時に、信じられないほどの強い力を持つ。その元になるものは欲だ。物欲であったり、名誉欲であったり……ときには、親に認められたいなどという欲であったりもする。だが、月子は、物にもお金にも執着しない。地位や名誉にも興味はない。そして、恋にも興味はなかったはずだ。


 朋人は、画面に目をこらした。そこにいるのは、いつもの月子。恋愛などに興味はないと言い切った、朋人の知っている月子だった。

 けれど、明らかになにかが違っている……そんな予感がした。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

次回もお付き合いいただけましたら嬉しいです。

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