19 夜に問う
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今回は、史実と感情が交差する回になります。
「月子にしてはめずらしいじゃない」
あっさり、自分の恋心を認めるなんて……画面に目を据えながら、朋人はつぶやいた。
その瞬間、画面にノイズが走る。
今度は、文字が読み取れた。
「月子はすでに月影」
「それって、別人になってるってコト?」
思わず、声を上げてしまう。
すると、次の文字が浮かぶ。
「本来の姿」
つまり、本来の姿に戻ったということらしい。
朋人は気づいていた。「義経に会いたーい!」と、叫ぶときの月子が本来の姿なのではないかと。研究者という殻の中には、恋に憧れる、可愛い女が隠されていたのだと。
「平安時代のほうが、月子は正直に生きられるのかもしれないわね」
ちょっと羨ましいかも……朋人は自分のつぶやきを耳にしていた。
* * *
月子は本館の客間に走った。そこに武器があったのを思い出したから。太刀と、自分にも持てそうな軽い刀を取って門に向かう。
喜三太の矢は、尽きようとしていた。
「喜三太!」
と叫び、太刀を投げる。喜三太がそれを受け取ったとき、馬に乗った義経が現れた。
「門を開けよ!」
喜三太は太刀を構えながら、門を開けた。しかし、土佐坊たちは攻め入っては来ない。彼らにしても、義経の手勢がわずか三人とは思わないのだろう。門の向こうから様子をうかがっている。義経は太刀を抜いた。月子も同じように刀を構える。
「月影、大丈夫か?」
「はい」
月子は義経を安心させるために答えた。戦で戦ったことはもちろん、刀を振り回したこともない。だが、そんなことは言ってられない。他の者が戻ってくるまで、何とか持ちこたえなければならない。
やがて、土佐坊の一隊から矢が射かけられ、何人かは門の中まで入ってきた。喜三太が門のところで太刀を振り回してくれたおかげで、義経や月子のところに来る者はわずかだった。それでも、月子にとっては初めての体験だ。よりどころになるのは、「喜多見月子」の時代に聞いた大学教授の言葉だけだった。
「この時代、鎧の善し悪しで勝敗が決まる。巴御前は木曽義仲の妻だから、いい鎧を身につけていたのだろう。いい鎧さえ着ていれば、あとは適当に刀を振り回していれば、それに劣る鎧を身につけている雑兵を倒すことができる」
ともかく、自分はいい鎧を身につけている。だから、死ぬことはないだろうと月子は思った。夢中で刀を振り回していると、門の外がにわかに騒がしくなってきた。はっとして、義経と顔を見合わせる。その耳にはっきりとした声が聞こえる。
「遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ! 我こそは、藤原秀郷が末裔、信夫佐藤庄司が子息、佐藤四郎兵衛忠信なり」
月子は、胸にぽっと灯がともるのを感じた。来てくれたという安堵。そして、こんなにも早く来られたのだから、忠信は、それほど今の恋人に夢中というわけではないのだろう。
……そう思いたかった。それが本音に近いかもしれないが
ほどなく、伊勢三郎能盛や、堀弥太郎景光、片岡次郎常春、八郎為春の兄弟などの名乗りが、次々と続いた。それを聞いて、義経の顔にも微笑みが広がる。そして、月子に近寄り、ささやく。
「あとの戦は男に任せて、館の中に戻れ」
抗議の言葉を口にしようとすると、義経は言った。
「静のそばについていてやってくれ。怖がっているだろう」
翌日、義経は院へ出向いていった。無事を知らせるためと、再度「頼朝追討」の院宣を願い出るためだった。
忠信ら郎等たちは、土佐坊を追っていた。昨夜、義経の郎等たちが次々と戻るのを見て、勝機はないと悟った土佐坊は、残っていた手勢を率いて逃げていった。それを追うのは郎等にまかせ、義経は院に出向いたのだ。
月子は、喜三太をはじめ、傷ついた者たちの手当てにおわれていた。
忠信たちが土佐坊を見つけ出し、六条河原で梟首して戻った日のことだった。
「院宣が出たのだって?」
帰ってくるなり、忠信が訊いた。
「ああ」
「そうか……これで、天下晴れて、頼朝を討てるというものだ」
うれしそうに言う忠信を見て、月子は思わずため息をもらした。
「どうした? 浮かない顔をしているな?」
「『頼朝追討』の院宣を、院が本気で出したと思っているのか?」
「違うのか?」
忠信は、驚きを隠さない。
「本当に、忠信の頭は単純にできているんだな」
さすがの忠信もむっとする。
「悪かったな」
「気にすることはない。単純なのは忠信一人ではないから……」
確かにそうだ。院宣がおりたと知ったときの堀川館に残っていた郎等たちの喜びようは、あきれるくらいだった。後白河法皇の出す院宣くらい、あてにならないものはないのに。
忠信は、怒ったような口調で言った。
「この単純な頭にも分かるように、説明しろ」
そう言われて、思わず吹き出す。月子にとって、本当に久しぶりの笑いだった。忠信は、ますます怒った。
「月影!」
と怒鳴ったのを見て、月子は笑いをこらえながら言う。
「すまない。ちゃんと説明する。だが、こんなところでは……」
月子たちは、堀川館の庭にいた。
「遠乗りに行こう。いつもの川原なら、誰かに聞かれることもない」
「人に聞かれたら困るような話なのか?」
忠信は眉をひそめた。
二人で厩舎に向かい、遠乗りに出た。いつもの川原で並んで座ると、すぐに話を始める。
「一ノ谷の戦の前、院は平氏に和平を持ちかけていた。しかし、その一方で『平氏追討』の院宣を頼朝どのに出していた」
「そんなひどいことを……」
忠信は口をつぐんだ。
「院とはそういうお方なのだ。もっとも、騙そうとまでは思ってはいなかったのかもしれない。どちらにも都合のいいような顔をしていたら、結果的に騙すことになったのかもしれないが……」
「しかし、法皇ともあろう人が……」
「忠信のような正直者には、信じられないだろうが……」
「それは皮肉か?」
「いや、ほめているつもりだ」
「素直にほめ言葉とはとれないな」
「少しは、頭が複雑になったのか?」
こうして、再び忠信と話ができることが、ひどく嬉しい。たとえ、恋は実らないにしても……。友人としてのつきあいだけは、変わらないという証明。しかし、笑われるのは、忠信にとっては愉快ではないらしい。不機嫌そうな顔で言った。
「もういい。続きを話せ」
「今、京にいる武将は御大将一人だ。ここで御大将に背かれたら、院を守るものは誰もいなくなる。だから、院は仕方なく『頼朝追討』の院宣を出したのだ。当座の難を逃れられればいいと考えたのだろう。そして、頼朝どのから抗議があれば、その時点で言い訳をすればいいと思っているのだ」
「だが、そんな言い訳が通用するのか?」
「しなければ『義経追討』の院宣を出せばいい」
「まさか!」
忠信はすっかり考え込んでいる。月子は、忠信の考えがまとまるまで待つことにした。突然の話なのだから、受け入れるまでには時間がかかるのだろう。しばらくして、忠信が言った。
「御大将は、どうするおつもりなのだろう」
「最初は、京で旗揚げするおつもりだったのだろうが……」
「だめなのか?」
忠信は心配そうな顔で言った。
「兵が集まらない」
川の流れを見つめながら言う。義経を唯一無二の主と仰いでいる忠信にとっては、つらい話になる。
「何故だ? 御大将は、あんなに人望があるではないか」
「人望といっても、公家や民衆では戦力にはならない」
「そんなことはない! 武士にも……」
忠信の言葉をさえぎる。
「平氏追討の時でさえ、頼朝どのが鎌倉を離れなかったわけが分かるか?」
忠信は首を横に振った。
「頼朝どのは、平氏追討のような先駆けは、範頼どのや御大将にまかせた。その間、自分は鎌倉に留まり体制を整えていたのだ。おかげで、東国に築き上げられようとしている幕府は磐石だ。武士の頭領たるもの、郎等たちを養わなければならない。心情的には御大将に共鳴できても、郎等たちのことを考えれば危ない橋は渡れない。どうしても、鎌倉の大勢力に身をゆだねることになる」
忠信は黙っている。
「分かったか?」
と月子は念を押した。
それでもなお、忠信は沈黙している。もしかしたら言い過ぎたかもしれない……と、月子が後悔しかけたとき、ようやく忠信はうなずいた。そして、
「ならば、どうしたらいいのだ?」
と訊いてきた。
「御大将は、最悪の場合、法皇さまを盾として京に立てこもるつもりだったらしいが」
「なるほど! それならば……」
忠信は、勢い込んで言ったが、月子はみなまで言わせなかった。
「今は、そのおつもりはもうないだろう」
「何故だ?」
忠信はくってかかる。月子はつとめて穏やかに言った。
「静御前が進言なさった。『京を戦火にさらさないで下さい』と」
「そんな、女の言うことなど……」
今度はわざと笑ってみせる。
「その女の言うことを、真剣に聞いている者もいるが……」
忠信はぱっと頬を赤らめた。
「……おまえは……特別だ」
「そんなことはない。静御前の言うことは正しい。『頼朝追討』の院宣が出たと知れば、頼朝どのとて黙ってはいないだろう。おそらく義経追討軍はもう鎌倉を発っているはずだ。その軍隊は、かなりな数になるはず……いくら院を盾にしても、こちらはわずかに二百騎あまり。かなうはずがない」
「くそ!」
忠信は、川原の草をちぎって投げた。
「我々には、もう残された道はないのか!」
「御大将は、今、別の院宣を願い出ている。西国……つまり、山陽道、西海道の荘園を支配する権利を源義経に与えるというものだ。西国ならば平氏の残党もいるし、それほど鎌倉の力も強くない。兵を集めることもできるかもしれないし、別の国を作ることも可能かもしれない」
「そうか!」
忠信は立ち上がった。そして、喜びを隠しきれない顔で言った。
「俺の故郷――奥州は、藤原秀衡どのの力で、独立をした王国といえるものが築き上げられている。御大将も、きっとそれに似たものを西国に作られるつもりなのだろう」
忠信はうれしそうだった。喜びを共有できない後ろめたさに、月子の心は痛んだ。その望みが海の藻屑と消えることを、知っていたから。
「どうした? なんだか、暗い顔をしているな」
「いや、べつに……」
月子はそう答えて、もうこの話は終わりにした方がよいと判断した。そして、ふと思い出したふりを装って、忠信に尋ねた。本当のことをいえば、いつもいつも心のわだかまりとして残っていたことだ。問い質したい気持ちをずっと抑えていた。喉に固まりのように引っかかっていた問い。
「土佐坊が襲撃した夜、おまえはどこに行っていたのだ?」
「どこにって……」
「喜三太が言っていた。佐藤どのにも、通う女ができたと」
忠信の表情には、はっきりと狼狽の色が見える。
「……その……女と言えば、女なんだが……」
絶望感が、月子の胸をふさぐ。
「そうか。それはよかった」
失望した顔は見られたくない。その思いから言い放った言葉は、まるで忠信にたたきつけるように響いた。それでもかまわない。本心を悟られ、同情されるよりは……と、立ち上がることでこの話にけりを付ける。そして、月子は忠信のほうは見ないようにして馬に向かって歩き始めた。
「待て!」
忠信が追いかけてきた。振り返り、顔を見る勇気はない。このまま一緒にいて気持ちを悟られない自信は、もっとなかった。
「私はこのまま、堀川館に帰る。おまえは……」
視線は、沈みかけている夕陽に。叫びだしたい心は、手綱を解くことに集中して抑えた。
「その愛しい人のところへ行けばよい。もう、十日も会っていないのだろう。きっと待っている」
「そうじゃない! 話は最後まで聞け!」
忠信が叫んだので、月子は仕方なく手綱をほどく手を止める。忠信は、
「つまり、女と言っても……」
と言い始めたが、
「くそ!」
と言って黙ってしまう。
「どうしたのだ?」
仕方なく聞き返す。
「俺は、おまえと違って、うまく話せない。見せた方が早い。ついてこい」
そう言って、忠信はさっさと自分の馬に乗ってしまったが……。
月子は、このまま堀川館に帰ってしまいたかった。
忠信は、嘘をつくことが得意ではありません。
けれど、黙ってしまうことはあります。
次回、その理由がはっきりします。




