17 明かされぬ想い
ご訪問ありがとうございます。
堀川館に戻ったあと、物語は静かに、しかし確実に動き出します。
「忠信、遠乗りに行かないか?」
堀川館に戻った翌日、月子は忠信に声をかけた。忠信はうなずき、二人でいつものように河原を駆けた。鎌倉発つ前の日と同じように、馬を木につなぎ河原で横になる。
月子は、鎌倉への旅の経過を忠信に話した。できるだけ私情を交えないように気を配りながら。事実だけを話す口調が、淡々としすぎているのは分かっていた。忠信には冷たく感じられるかもしれない。しかし、感情を交えるとなにか失敗してしまいそうで怖かった。
月子の口調をどう受け取ったのか、話し終わると忠信は言った。
「おまえには不思議な力があるのだと……御大将が言っていた。平氏の中では『毘沙門天の遣い』と呼ばれていたと」
「やめてくれ!」
叫んでしまった自分に驚くが、次の瞬間、その理由を悟った。この世界に来て以来、一時も心の安まるときはなかった。いつもいつも、自分の歴史的な知識と現実との間に挟まれて苦しかった。それは、思いのほか月子を痛めつけていたのだろう。だが、忘れることのできる時間はあった。それがなければ、今頃、気が狂っていたかもしれない。その唯一の時は、馬に乗って駆けている時……そして、川原で忠信と過ごす時……。
昨日、堀川館に戻ったとき、月子は無意識のうちに忠信を捜していた。忠信の姿を見つけたとき、旅の間どんなにか忠信を求めていたかを知った。もちろん「恋」ではない。「月影」の初めての友人……心を許して、何でも語り合える友……。性格も、容姿も真逆だが、朋人に通じるものを、月子は感じていた。
そんな忠信には、普通の人間なのだと思っていてほしかった。歴史の重圧を忘れさせてくれる、そんな存在でいてほしい。その気持ちが、言葉の激しさになってしまったのだ。
語気の激しさに、忠信は驚いていた。
「気を悪くしたのか?」
必死に気持ちを鎮める。うろたえては、未来が分かることを認めることになる。
「どなったりして、すまなかった。そう呼ばれていたことは事実だ。だが、思い出したくないのだ、あの頃のことは」
忠信は、それ以上は何も言わなかった。
「私には……不思議な力などない」
念を押すように言うと、忠信は言った。
「分かった。もう言わない」
忠信は、約束は破らない男だ。それは確信できた。彼が『もう言わない』と言えば、本当に二度と口にしないだろう。
まだ残暑は残っていたが、夕暮れになると秋の風が吹いてきた。川から吹いてくる風は涼しく、横になっているとそのまま眠ってしまいそうになる。前日までの旅で、思った以上に疲れていたのかもしれない。心地よい秋の風と、忠信が隣にいるという安心感から、月子はいつの間にか眠りに落ちていた。
月子が目覚めたのは、息苦しさを感じたからだ。唇が誰かの唇にふさがれている。覚えのない唇の感触。……だが、その気配は、すぐそばにいた忠信のものだった。
意識は目覚めているのに、身体がまだ起きていない。口づけされていることは分かっているのに、押しのけることも目を開けることもできない。
何とかしなければ……指先に意識を集中する。そして、手をぐっと握りしめる。目を開け、唇の持ち主の胸をどんと押す。唇はぱっと離れた。目の前にあったのは、忠信の顔。
何か言わなければならない……そう気持ちは命令しているのに、言葉がひとつも浮かんでこない。その無言は、忠信を誤解させた。
「月影」
一度も聞いたことのないかすれ声でささやき、ふたたび唇を寄せてくる。肩に手を置き、やんわりと押し戻す。
「俺が嫌いか?」
忠信の表情は、真剣だった。
「嫌い……ではない」
答えた声は、情けないくらい震えている。
忠信はもう一度抱きしめようとしてくる。
「やめてくれ! 忠信のことは嫌いではない。ただ、友としてしか考えられない」
忠信が何か言おうとするのをさえぎって、月子は続けた。
「心の許せる、よい友だと思っている。正直に言えば、自分が女であることも意識していなかった」
「俺は違う。最初は気づかなかった。だが、きっと惚れていたんだと思う。女だと知った日から。もしかしたら、それよりも前に」
感じていたのは、崖っぷちに立たされているような思い。ここで忠信という友人を失いたくはない。しかし、男性として愛していない人の愛を受け入れるわけにはいかない。
「今は、そういう気持ちにはなれない。平月子という女としてではなく、月影という九郎義経の郎等としての自分しか、考えられない」
忠信は立ち上がり、月子に背を向けた。
「本当のところ、俺なんか身分違いと考えているのじゃないか?」
「身分違い?」
忠信は振り返って言った。
「御大将ならともかく、その一郎等にすぎない俺では……堂上平氏の姫君には」
「堂上平氏の姫君」という言葉が、槍のように月子の心に鋭く突き刺さった。
「私は、もう平氏の生き残りではない。月影という名の、九郎義経の郎等だ」
感情をできるだけ押し殺す。少しでも怒鳴ったりしたら、もう歯止めはきかないと分かっていた。忠信に「堂上平氏の姫君」と言われることが、これほどの精神的な打撃を与えるとは思わなかった。月子は信じていたのだ。月子がそう思っているように、忠信もまた、月子をひとりの人間として、よい友と思ってくれているものだと。
叫びだしたい気持ちを抑えるために、月子はさらに低く続けた。
「佐藤四郎忠信は、約束を守る男だと思っていたが……。昔のことはもう言わないと、約束したのではなかったか」
それだけ言うと、月子は忠信の返事も待たずに立ち上がり、馬をつないである木に向かって歩く。これ以上、ここにいては何を言い出すか分からない。
「待て!」
忠信の声は聞こえたが、月子は振り返らなかった。追ってきた忠信は、馬の手綱にかけた月子の手をつかんだ。
「はなせ!」
返事は、いっそう強く手を握ることで返ってきた。
「はなせと言っているんだ!」
だが、手ははなれていかなかった。
「すまなかった。許してくれ」
「私が平氏の出であることは、もう忘れてくれていると思っていた」
「だから、すまなかったと……」
忠信は不意に言葉を切り、うつむいた。
「すまなかった。俺は、たぶん……嫉妬していたんだと思う」
「嫉妬? 誰に?」
「おまえは、恋人を壇ノ浦の戦で亡くしていると聞いた」
忠信が、義経と話していたことを思い出した。
「忘れられないのか、平氏の……死んだ恋人が?」
月子はうなずいた。月子が「忘れられない」と言ったのは、忠信が考えているのとかなり意味が違っている。月子が忘れられないのは有盛に対する愛情そのものではなく、後悔と自責の念からくる心の痛み。歴史を変えようとしたために、有盛の心を傷つけてしまったこと。有盛を弟のように思い、その真実の姿を死の寸前まで見ようとしなかったこと。
月子がうなずいたことで、忠信は少なからず衝撃を受けていたが、それは、誤解から来るものだと分かっている。しかし、あえて忠信の誤解をそのままにしておく。
「月影は、死んだ恋人をまだ想っている」という方が理由としてはわかりやすいし、あきらめも早いはずだから。
忠信は、黙って月子の手をはなした。月子は、そのまま馬に乗った。忠信も自分の馬に乗る。
「月影。今すぐでなくていいから……いつか、亡くなった恋人を忘れられるときが来たら、俺のことを考えてくれるか?」
「たぶん……無理だ」
「何年先でもいいんだ。忘れられなくとも、少しでも心に余裕ができたら、真っ先に俺のことを考えてくれ」
そう言うと、忠信は月子の返事を待たずに馬にいきおいよく鞭を当て、走りだした。
月子は、そんな忠信を見送ることしかできなかった。
季節は秋になっていた。
この頃、源十郎行家が頻繁に堀川館を訪れ始めた。行家は、頼朝、義経にとって叔父にあたる。当初、行家は頼朝と協力し合っていたが、やがて不和になり義仲と通じ合うようになる。
だが義仲の勢力が落ちると後白河法皇に取り入り、そして今は義経と手を結ぼうとしている。行家は、独自に河内・和泉地方で勢力をのばしていたが、この行動が頼朝の逆鱗に触れた。
頼朝は行家を謀反人とし、佐々木定綱に行家追討の命令を出した。
同じ頃、義経は伊予守に任官された。この任官は、頼朝の推挙によるものだった。二か月前には所領を没収したのだから矛盾しているようだが、この推挙は四月に頼朝がしたものだった。頼朝は今さら取り消すこともできずに、朝廷に一任した。
義経自らが辞退すれば、頼朝の気持ちを少しは和らげることができたのかもしれないが、月子は、何も言えなかった。義経がいちいち月子に相談するはずもなく、相談されない限り、先んじて意見を言うことははばかれたからだ。
結果――頼朝はますます彼を敵対視した。
すべての出来事が歴史通りであり、それをただ見ているだけの自分を歯がゆく感じた月子は、一度だけ、
「行家どのをあまり信用なさいますな」
と進言した。すると、義経は笑って言った。
「最初は以仁王、そして頼朝、それから義仲……そんな風に転々と渡り歩いている人間を、信用したりはしない。ただ、私は兄とは違う。かりにも血のつながりのある叔父だ。切り捨てるようなことはできない」
そんな会話を交わして数日後、義経は重い病に襲われる。高熱を発し、意識も混沌とする状態が何日も続いた。静御前が必死で看病していたが、一向によくなる気配がなかった。
* * *
「なんか、ずいぶん重い病気みたいだけど……義経クン、だいじょうぶなのかしら?」
心配になった朋人は、歴史書を開く。
「確か、義経クンが死ぬのは、平泉で、『今』からええと……」
文治元年は一一八五年で、義経が死ぬのは……と、指を折って数えていたら――。
画面にまた、不穏なノイズが走った。
「え!?」
何か文字が現れたようだったが、あまりに速すぎて、読み取ることができない。
朋人の背筋に寒いものが走った。
「……もしかして……もう、歴史は変わっているの?」
変えるものが恋のパワーなら……。
「月子が義経に恋をすれば変わるってコト? でも、義経クンは、静ちゃんとラブラブで、月子に恋愛感情を抱くとは思えないけど……」
眠ることも食べることも忘れて義経の看病をしている静の姿を、じっと見つめる。静のほうが倒れてしまいそうな顔色だが、気力だけで看病し続けている様子だ。ふたりを心配する月子の表情には、義経に対する恋愛感情は欠片もないように見える。それとも、これから義経に恋するのだろうか?
「忠信クンといい感じなりそうだって、ワタシは思ったんだけど?」
挑むように画面を見る。
しかし、画面には文字も現れず、ノイズが走ることもなかった。
* * *
義経が倒れて十日ほど経った日のことだった。
月子は静の住む小館に詰めていた。静が心を許せる郎等は月子一人だったので、義経が倒れてから、静のそばをなるべく離れないことにしていた。その日、雑色の熊野喜三太が遠慮がちに声をかけた。小館の外に出ると、喜三太はすまなそうに言った。
「御大将に、お客さまが……梶原景季さまと、義勝坊成尋と名乗る方が……」
『そうだった』と月子は思った。義経の病気に気を取られていて、今が何日かなどと考えもしなかった。彼らは、「行家追討」の協力を義経に命じる鎌倉からの使者なのだ。義経は病気を理由に彼らには会わない。二日後に対面するが、彼らは「仮病である」と頼朝に報告している。
謎がまたひとつ解明されたな、と思う。仮病ではなく、本当の病気だった。しかし、嬉しいという気持ちは少しもない。心にあるのは、苦々しさだけ。月子の心の中にある「喜多見月子」の部分は、日に日に減ってきているのかもしれない。反面、ほっとする気持ちもあった。こんなところで義経は病死しないと分かっていたが、あまりにも悪い病状に不安になりかけていた。鎌倉からの使者が来たのだから、二日後には起きあがれるようになるのだ。
「月影さま」
喜三太は、月子が黙っているので不安になったらしい。
「それで、今はどうしている?」
あわてて尋ねる。
「佐藤さまがお相手していますが、どうにも納得されないようで」
本館に向かう。忠信の怒鳴り声は、回廊にまで響いていた。
「この佐藤四郎忠信が、うそをついていると申されるのか? 間違いなく、御大将は重病で、お会いすることはかなわないのだ」
黙って部屋に入り、忠信の隣に座る。
「それほどまでにお疑いなら、御大将にお会いになりますか?」
「会わせるというのか?」
「月影! 何を言う!」
梶原景季と、忠信が同時に叫んだ。忠信には答えず、景季に向かって言う。
「ただし、御大将は今、意識のない状態なのでお話はできません。それでもよろしければ」
「かまわぬ。案内せい」
景季は立ち上がった。月子は立たずに、景季を見上げた。
「何をしている? 早く!」
せかす景季をまっすぐに見つめる。
「本当に、よろしいのですね?」
「当たり前だ!」
「佐藤は『源義経は病床にある』と申し上げた。しかし、梶原どのはそれを信用せずに、あくまでも御大将にお会いになると言う。つまり、佐藤が虚偽を申し上げているととられたのだ。もしお会いになり、佐藤の申したことが真実だとおわかりになったなら、あなたはどうなさるおつもりか?」
「どうするとは?」
「佐藤四郎忠信は、源九郎義経の一の郎等。佐藤家は、藤原秀郷の末裔。その祖先には、鎮守府将軍藤原文脩、佐渡守佐藤公行、出羽守佐藤師清がおります。父は、信夫佐藤庄司元治。梶原どのと家格の点でも、ひけを取るものではない。さらに、自身は兵衛尉。その佐藤の申したことをうそだととられ、ご自身の目で確かめたいとおっしゃるからには、佐藤の言葉が真実であったときにはそれなりの御覚悟がおありなのでしょうな?」
この言葉は、景季をうろたえさせるには十分だった。
「私に、どうしろと言うのだ?」
薄笑いを浮かべてみせる。
「そこまで申し上げなければ、おわかりになりませんか? 梶原兵三景時どのの御子息ともあろうお方が」
景季の顔が、さっと赤くなった。
「帰るぞ!」
景季は義勝坊に言うと、足早に部屋を出ていった。その景季の背中に向かって、とどめを刺す。
「お帰りの前に、御宿所を雑色にでもお教え下さい。御大将が快癒し次第、ご連絡いたします」
景季と義勝坊の姿が完全に見えなくなったとたん、力が抜けた。味方でない人間に相対したのは初めてだ。知らず知らずのうちにため息が漏れる。この場はうまくおさめたものの、「仮病である」という報告は止められはしないだろう。
「大した度胸だな」
忠信は心の底から感心しているようだった。
「悪かったな。おまえを盾にしてしまった」
忠信は一瞬分からなかったようだが、やがて納得した顔で言った。
「かまわないさ。しかし、俺の祖先のことをよく知っていたな」
「間違ってはいなかったか?」
記憶に頼って言ったのだが、自信はなかった。
「いや、正確そのものだ。なんだかうれしかった」
忠信は微笑んでいた。
「俺に、まるで関心がないわけじゃないんだ……と思ってさ」
「ばかを言うな」
自分の頬が上気していることに気づき、うろたえる。
「必要にせまられて、覚えたのだ。おまえだけではない。伊勢も堀弥太郎景光も、片岡兄弟も、その出自は知っている」
赤くなった頬を見られないために、顔を背けながら早口で言う。忠信の方はがっかりとした様子を隠そうともしない。その正直さに戸惑いを感じる。正直でない自分に対する、後ろめたさとともに。
「御大将のご様子は?」
話題を変えたのは、忠信の方だった。
「変わりはない」
忠信は表情を曇らせた。その目には、涙さえ浮かびそうになる。忠信がどれほど心配しているかを思うと、胸が痛む。
「大丈夫だ」
忠信の肩に手をかける。
「おそらく、一両日中には、よくなられる」
「医者が言ったのか?」
「いや……私の……」
言いかけて、自分が忠信に近づきすぎていることに気づく。忠信の息が額にかかる。離れるために肩から手をはなし、立ち上がる。そして、またやってしまった失敗の後始末に言葉を繰る。
「何となく……そんな気がしただけだ」
部屋を出ていこうとする背中に忠信の声がかかる。
「月影がそう言うのなら、俺はそれを信じる」
記憶は間違っていなかった。義経は二日後に回復した。そして、景季と義勝坊に対面した。しかし「仮病である」という報告はやはりまぬがれなかった。
お読みいただきありがとうございました。
気に入っていただけましたら、ブックマークや感想で応援していただけると励みになります。
次回もよろしくお願いいたします。




