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15 心のささやき

いつもお読みいただきありがとうございます。

義経の郎等として生きる月子。

これからの彼女にもお付き合いいただければ幸いです。


 宿所を飛び出した月子が、馬をひきだしたとき、


「月影さま! どちらへ!」


 と、叫んだのは、雑色の熊野喜三太(きさんた)だった。


「ついてこい!」


 振り返り叫ぶと、喜三太は月子のあとから走ってくる。

 思い出すのが、ほんの少しだけ遅かった。「事件」はもうすでに始まっていた。それは、義経と、一条能保の家来同士の喧嘩だ。

 義経の郎等、伊勢三郎能盛(よしもり)と、一条能保に従っていた後藤基清(もときよ)。それぞれの家人・僕従を巻き込んでの喧嘩は、弓矢・太刀を使っての乱闘となっていた。やがて、後藤基清と伊勢能盛の一騎打ちになるはず。そうなっては、月子一人では止められない。月子は、喜三太に言った。


「御大将をお呼びしてくる。それまでに、伊勢が相手の武士と一騎打ちになるようなことがあったら、何としても止めてくれ!」


 宿所に駆け戻り、義経の寝所に声をかける。


「御大将!」


「月影か。何事だ?」


 義経は、床に入っていたが眠ってはいなかったようだ。息を整えながら、なんとか言葉を繰り出す。


「伊勢が……伊勢能盛が、一条能保どのの郎等と喧嘩となっております。些細な口論から、今では弓矢・太刀まで……このままでは……」


「すぐに行く。案内してくれ」


 宿所の入り口まで出ていくと間もなく、見慣れない武士が義経の馬をひいてきた。義経の郎等となってから、二か月近い。郎等の顔はほとんど見知っているが、この武士は初めてだった。じっと見つめると、彼は黙って頭を下げた。しかし、名乗ろうとはしなかった。歳は義経と同じくらいの二十七、八歳。そして、背格好もどこか義経と似ていた。彼に声をかけようとしたとき、義経が出てきた。


「行くぞ。案内を頼む」


 義経は、彼がまるでそこにいないかのように、月子にだけ話しかける。不審に思ったが、一刻を争う事態だったので馬に飛び乗った。


 喧嘩の現場に到着したとき、すでに一条能保の姿があった。能保は後藤基清をなだめていたが、基清は伊勢をまだにらんでいた。伊勢を止めているのは、喜三太だった。しかし、伊勢も興奮し、基清に向かって何か怒鳴っていた。

 義経は馬からおりると、つかつかと歩み寄り、いきなり伊勢の頬をしたたかに殴った。


「馬鹿者! こんなところで何の騒ぎだ!」


「御大将……しかし……」


 伊勢が言いかけるのを止め、義経はふたたび怒鳴った。


「言い訳無用! 家人たちを連れて、さっさと宿所に引き上げよ!」


 伊勢は、しおしおと家人を連れて引き上げていった。

 伊勢が去ったのを見届けると、義経は一条能保に頭を下げた。


「郎等がご無礼を働き、申しわけありませんでした。幾重にも、お詫び申し上げます」


 深々と頭を下げる義経に、能保は言った。


「判官どの、どうかお顔をお上げ下さい。こちらにも非はあったのです。幸い大きなけが人もなかったのですから、もうお気になさいますな」


 そう言った能保の視線が、自分に向けられたことに月子は気づいた。あわてて顔を伏せる。能保と『平月子』は、面識があると思われたから。平月子の家は「堂上平氏」と呼ばれ、公家と同じ立場だ。一条家とも交流があったはずだ。月子の存在に気づいたらしいが、能保はそのことについては何も言わなかった。月子はほっとした。「堂上平氏」の姫君が男装して、源義経の郎等になっているなど、思いも寄らないのだろう。

 能保は義経に微笑みかけると、後藤らを伴って自分の宿所に戻っていった。


 宿所に戻ると、すぐに伊勢の部屋を訪れた。ある予感があった。そして、月子が部屋に入ったのは、まさに、伊勢が自分の喉に刀を突き立てようとしている瞬間だった。伊勢に飛びつき、刀を取り上げる。不意をつかれた伊勢は、床に倒れた。そして、大声で泣いた。


「死なせてくれ!」


 泣き崩れる伊勢を見ながら、震える手で刀をさやに収めた。伊勢が本気で逆らえば、月子の力では勝てない。不意をつかれたのと、伊勢が月子の力の弱さを知らないことが幸いした。争いになれば、月子が武士ではないことが分かってしまう。運の良さに感謝しながら、月子は伊勢を見つめた。どう声をかけたらいいか分からない。


『忠信がいたら』


 自分の心のささやきに、少し驚く。しかし……忠信なら、伊勢を上手になだめることができるはずだ。忠信は一見無骨に見えるが、その誠実さから、郎等たちに絶大な信頼感を持たれていた。忠信の言うことなら、この伊勢も素直に聞くだろう。だが、新参者で、得体の知れない自分――月影では、伊勢は心を閉ざすに違いない。月子は途方に暮れた。


 心にあるのは困惑だけではない。妙な淋しさが心をよぎる。この淋しさは、旅に入ってからずっと感じていたものだった。その原因が忠信の不在にあることを、月子は今初めて知った。そして、忠信の不在がこんなにも自分を心許なくさせていることに戸惑った。

 月子が何も言わないでいると、伊勢の方が尋ねてきた。


「御大将が一条能保に頭を下げられたというのは、本当か?」


 うなずくと、伊勢はまた泣いた。


「御大将に恥をかかせてしまった……」


 伊勢は顔を上げ、手を出した。


「刀を返してくれ。死んでお詫びをするしか、俺には道がない」


 反射的に刀を背に回す。


「死んでどうなる。それより、喧嘩の原因は何なんだ?」


 原因は知っていたが、話題の転換のために訊く。


「よくはわからん。馬が足を踏んだとか何とか……」


「そんなくだらないことで……」


「それだけではないのだ。あいつらは、明日鎌倉に入ると言ったのだ! そして、おまえらは仕える主人が悪いから、永久に鎌倉には入れないと……それで、つい……」


 ためらったのち、伊勢の肩をたたいてみる。男同士、仲間内の動作としては適当だろうか……と思いながら。


「気持ちは分かるが、一条能保の妻は頼朝どのの妹。あんな事をすれば、御大将のお立場が悪くなるだけだ」


 どうやら、肩を叩いたのは悪くなかったらしい。


「分かっている! 分かっているからこそ」


 伊勢はふたたび手を差しだした。刀を返してくれという意味だ。首を横に振り、なるべくおだやかに聞こえるように言った。伊勢が少しずつ心を開いてくれている手応えが、嬉しかった。


「おまえが死んでも、御大将はお喜びにはならない。第一、これ以上御大将の郎等を減らしてどうするのだ」


 伊勢は、言われている意味がすぐには分からないようだった。もう一度伊勢の肩に手をやる。


「御大将には、直属の郎等が少ない。屋島や、壇ノ浦で戦った兵は、みな頼朝さまの郎等だ。御大将に何かあったとき、力になれる者はわずかしかいないのだ。今、おまえに死なれたら、御大将にとってどれだけ痛手になることか」


 その言葉に、伊勢は何かに耐えるようにうつむいていたが、やがて……座りなおし、月子をまっすぐに見て言った。


「分かった。この償いは、今、死ぬことではなく、いつか必ず命をかけて御大将をお守りすることで果たす」


 ほっと、安堵のため息をもらす。どうやら伊勢は、月子を仲間として受け入れたらしい。


「すまなかった、月影」


 伊勢は不意に頭を下げた。


「俺は、おまえを誤解していた。おまえは生き残った平氏の公達だという噂があって、俺はそれを信じていた。だから……」


「噂ではない。本当のことだ。私は平氏の生き残り」


 伊勢は、信じられないという顔で続けた。


「それならば、御大将は敵だろう。それを何故?」


 本当の理由は、もちろん言えない。それらしい理由……と考えていくうちに、これ以上ないよい言い訳を思いつく。詭弁と言ってしまえば、それまでだが……伊勢を煙に巻くのには、ちょうどいいかもしれない。


「伊勢、よく考えてみろ」


 伊勢の前に正座し、真面目な表情を作る。


「頼朝どのの周りにいる御家人……名前を挙げてみろ」


「北条時政、梶原景時、土肥実平、畠山重忠、和田義盛、河越重頼」


「今、おまえが名を挙げた者の多くは、平氏につながる者なのだ」


 伊勢は、驚きに声をあげた。

 伊勢を納得させるためだけでなく、もう一つの効果を月子はねらっていた。このことが、伊勢の口を通じて義経の耳に入れば……進む道が同じ破滅であっても、いくらかでも義経の心の傷は軽くなるだろう。自分を破滅に導くのが実の兄ではなく、敵の平氏なのだと。そう考えられれば、いくらかでも義経の心は安まるかもしれない。

 だが、それを直接言うことははばかれた。ただでさえ、時忠の話から、義経は月子は未来が見える『毘沙門天の遣い』と疑っている。自分の能力を義経に直接示すことはしたくない。伊勢や忠信に話して、それとなく義経に知らせるのがいい方法かもしれない……と思いついたのだ。


「それがどういうことか、わかるか? 頼朝どのは、平氏に担ぎ上げられた源氏の大将なのだ。頼朝どのの周りにいる源氏は、弟の範頼どのと御大将、そして、御大将と母を同じくする兄君、阿野全成(あのぜんじょう)どのだけなのだ」


 伊勢はすっかり飲み込めているというわけではないようだが、かまわずに続けた。


「周りの平氏にそそのかされ、頼朝どのは実の弟である御大将を遠ざけようとなさっている。そんなことだから、清和源氏は……」


 背後に人の気配を感じた。次の瞬間、後ろから声がした。


「清和源氏は……? どうなるというのだ」


 義経の声だった。


「御大将!」


 伊勢は、床に頭をこすりつけるようにして言った。


「申しわけありません! 俺は……俺は……」


 義経は伊勢のそばに座り、肩に手をかけた。


「もういい。気にすることはない」


 月子は黙って伊勢の刀を義経の前に置く。それを見て、彼はすべてを察した。伊勢に、


「何があっても、自害は許さんぞ」


 と言う。そして、月子には


「礼を言う」


 と頭を下げた。もう下がった方がいいと判断する。あとは、義経と伊勢が話し合えばすむことだ。立ち上がると、義経が言った。


「月影、あとで私の部屋に」


 部屋に行くと、義経は前置きなしに訊いてきた。


「さっきの話の続きがききたい」


 返事はできなかった。


「清和源氏は……? どうなると言うのだ?」


 月子は黙ったまま床を見つめる。義経がいつから聞いていたのかはわからないが、周囲に注意をはらわずあんな話をしたのは軽率だった。

 もちろん、その先を言うことはできる。清和源氏は、頼朝から三代限りで滅亡する。鎌倉幕府の実権は北条氏に移る。血縁関係にある義経を、そして、範頼さえも殺してしまったことが、この悲劇を招いたのだろう。


「月影、何故答えない?」


 義経は、少し強い口調で言った。


「申しわけありません」


 床に手をつき頭を下げる。とにかく、ここをやり過ごさなければならない。


「謝れと言っているのではない。おまえが伊勢にしていた話の続きが聞きたいと言っているのだ」


「いえ。御大将をこんなところで足止めなさっている頼朝どのに腹が立ち、つい言い過ぎてしまいました。他意はありません」


 こんな言い訳が通用するはずはないが、今度ばかりは良い案が思い浮かばない。


「本当は、知っているのではないか?」


 顔を上げると、義経は笑顔を見せる。


「時忠どのがおっしゃっていた『月子は未来が見える』というのは、本当なのではないか?」


 ふたたびうつむく。表情を見られるのが怖かった。


「私には、未来など見えません。未来どころか……」


「一寸先も読めない……この前もそう言ったな?」


「はい」


「分かった。そういうことにしておこう」


 義経は、穏やかな口調でそう言った。そして、部屋を去ろうとしている月子に、


「伊勢の自害を止めてくれたこと、あらためて礼を言う。これからもよろしく頼む」


 と頭を下げた。その時、月子は義経の馬をひいてきた郎等のことを思い出した。


「お聞きしたいことがあるのですが」


 もう一度座りなおし、尋ねる。


「乱闘に駆けつけるとき、御大将の馬をひいてきた人は御郎等の一人ですか?」


「ああ」


「堀川館では、あまり見かけませんでしたが……」


 義経は、それには答えずに、


「あれは、杉目(すぎのめ)小太郎行信(ゆきのぶ)という」


 とだけ言った。その名前はすぐに思い出せた。そして、すべての謎が解けた。



ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

今回の出来事が、今後の物語にどのような影響を与えるのか――

その続きも、引き続き見守っていただければ嬉しいです。

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