14 芽吹く想い
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物語は、静かに、しかし確実に次の段階へ進み始めます。
しばし、源平の世をご一緒いただければ幸いです。
翌朝、忠信は月子から視線をそらし、声もかけずにどこかへ行ってしまった。月子も何と言っていいか分からなかったので、そのままにしていた。しかし、それが何回も続くと、淋しくなってきた。とはいえ、どうしようという考えも浮かばない。とりあえずは、忠信のことよりも急を要する用件もあったので、昼過ぎに静の小館へ行った。明日の出発について、義経に相談したいことがあった。
館に近づくと、二人の人影が見えた。義経と忠信だった。引き返そうかどうしようか迷っているとき『月影が……』という声が聞こえた。月子は草むらに身を隠した。
「昨夜遅く、風呂場に灯りが見えましたので、何かと思って戸を開けました。そうしたら、月影が入浴していました」
忠信は、その後を言いよどんでいる。
「……女だと、分かったのか?」
「ご存じだったのですか?」
「彦島で初めて会ったとき、月影は斬りかかってきた」
「斬りかかった!」
忠信は叫んだ。
「あいつ……」
怒りに声を震わせる忠信を、義経は笑った。
「今頃怒っても、もう遅い。それに、何事もなかったのだから……」
納得していない様子の忠信にかまわず、義経は続けた。
「斬りかかってきたのを取り押さえたとき、女だと気づいた」
「……では、どうして?」
「本名は、平月子と言うのだ。父親の平時忠どのから聞いた」
「平時忠の娘?」
忠信は、二度の驚きに少し混乱しているようだった。
「御大将は、ご存じの上で、何故?」
「平氏の娘だということは、今の月影にとってよい運命をもたらさない。それならば、素性の知れぬものとして、私のもとにいたほうがずっとよいだろう……」
「しかし……女なのに……」
「月影は、自分が女であることを忘れたいのだろう。恋人を……平氏の公達だったそうだが、亡くしているそうだ。壇ノ浦で入水したと、時忠どのが言っていた。月影が女であることは、しばらく誰にも言わないでおいてくれ」
「……それは、かまいませんが」
「月影が男のふりをすると、忠信にとって困ることでもあるのか?」
義経の口調は、突然からかうような調子に変わった。
「そんなこと、ありません!」
むきになって答える忠信の頬は、夕暮れの日の中でも、はっきりと赤いことが分かった。
「月影自身が女に戻りたいと思ったら、戻ればよいのだ。それまで、待っていてやれ」
「御大将、俺は、何も……」
だが、義経は忠信に言わせずに、笑いながら小館に入っていった。
「御大将!」
忠信は大声で言った。しかし、義経が相変わらず笑っているのを見送ると、あきらめて、本館の方へ戻っていった。
* * *
「あら……もしかして、忠信クン、月子に恋しちゃった?」
朋人は、画面にアップになっている忠信の赤い顔を見てつぶやいた。こんなふうに大きく表情が映るのは、月子がそれだけ注目しているからだ。
「って、コトは月子も?」
まさかね…と、朋人は首を横に振る。月子は、本人は自覚していないが、「面食い」だ。喜多見月子時代に好きだと言っていた俳優は、みんなイケメンだったし、有盛の美しさは言うまでもない。
「忠信クン、たくましいけど、イケメンじゃあ、ないものねぇ」
そう口にしながらも、朋人の胸の中には苦い思いが広がっていた。忠信の恋心も、歴史を変える「パワー」になるのだろうか? たとえ、片思いに終わったとしても……。
* * *
「忠信!」
月子は忠信を追いかけ、小館から大分離れた所で忠信に声をかけた。何事もなかったようにするのが一番よいと、義経と忠信の話を聞いて思ったのだ。
忠信はめずらしく黙って振り返り、次の言葉を待っている。
「また、一緒に遠乗りに行かないか?」
つとめて明るく、何気ない調子で言う。忠信は明らかに、ほっとした顔を見せた。
この前と同じ所まで行き、この前と同じように並んで横になった。
「忠信。明日のことだが……」
「ああ。平氏の捕虜を、鎌倉に送り届けるのだろう?」
「おまえは、来るな」
「え?」
「おまえは、京に残れ」
「何だと?」
「頼朝どのから、命令が出ていただろう。墨俣川以東へ下向してはならぬと」
「しかし、あれは!」
忠信は、不満そうな声を上げた。
頼朝は、以前より、東国の武士は頼朝の許可なく朝廷から官職をもらってはいけないと言い渡していた。しかし、壇ノ浦の戦のあと、許可なく任官してしまった者が大勢いた。
頼朝はその者たちに対して厳しい命令を出した。それが「尾張・美濃の境、墨俣川以東へ下向してはならぬ。もし、背けば、所領没収、断罪に処する」というものだった。これは、明らかに義経に対する嫌がらせの意味が含まれていた。処分を受けた二十四名の中に義経の名こそなかったが、許可なく任官したのは義経も同じだったから。さらに、その名簿の中には、義経直属の郎等も含まれていた。忠信もその一人だ。
「分かっている」
忠信をなだめる。
「頼朝どのの命令は、理不尽だ。しかし、おまえがその命令に背けば、御大将の立場が悪くなる。ただでさえ、頼朝どのによく思われていないものを」
些細なことかもしれない。ここで、忠信ひとりが頼朝の命に従ったからといって、義経と頼朝の対立が避けられるとは思えない。だが、そんな些細な積み重ねこそが、歴史に対抗する力になるかもしれない。そんなふうに、考えていた。
「分かった。俺は京に残る」
忠信は、不承不承だったが、うなずいてくれた。
「月影は、行くのだろう?」
「ああ」
月影という名の郎等など、どの史料にも残っていない。それならば、自由に動いてもかまわないはずだ。
「では、よろしく頼む」
忠信は、しばらく黙って空をながめていたが、ぽつりと、
「畜生」
とつぶやいた。握りしめた拳に爪が食い込んでいる。
「御大将は、何も悪いことはしていない。ただ、源氏のために戦って、勝った。……ただ、それだけなのに。なぜ、頼朝さまは、御大将を……」
声が震えていた。怒りか、悔しさか……それとも哀しみか……。
言おうかどうしようか……悩んで……結局、月子は忠信の哀しみに負けて、口を開いた。
「――頼朝さまは、怖れているのだと思う」
「怖れている? 何を?」
忠信の目が、月子を捉える。そこには戸惑いの色があった。
「無断で任官したとか、命令に従わなかったとか……表向きの理由はいくつもある。だが、それは『口実』なのだと思う。本当の理由はただひとつしかない。頼朝さまが怖れているのは、御大将の……源義経というひとりの武士の力だ」
忠信は息を呑んだ。
「御大将は、戦では誰にも負けない力を持っている。武士たちは御大将に憧れ、法皇さまにも信頼されている。そこに、奥州の藤原秀衡どのだ」
忠信が、大きく目を見開いた。
「法皇さまと結べる。公家とも結べる。奥州とも結べる。それは――ひとつの『国』になるほどの力だ。頼朝さまから見れば、それは……脅威なのだろう」
忠信はなにか言おうとして口を開き……だが、何も言えず、歯を食いしばった。
「だから、まず『任官違反』で縛る。郎等を処罰して、周囲を削る。理由はたくさんあるようで、実は全部、同じところにつながっている」
月子は言い切った。
「頼朝さまは、義経さまを――怖がっている」
しばらく、風の音しか聞こえなかった。
やがて忠信がぽつりとつぶやく。
「……御大将に、そんなつもりはない。父上の仇を討ち、兄上に認めてほしかっただけだ」
その言葉は、忠信の胸の奥から零れ落ちたもの。ふたりが今よりずっと若かった奥州時代の心の繋がりが言わせた言葉だったのだろう。
それを思えば、昨日今日郎等になった自分に、言える言葉はない。
忠信は、月子をまっすぐに見つめ、宣言するように言った。
「俺は、御大将の郎等だ。何があっても、御大将について行く。すべての郎等が御大将の元を去ったとしても、俺だけは……」
静かに告げられたその言葉には、悔しさや怒りはなく、ただ、彼の決意だけを表していた。
月子は静かに目を閉じた。
どれほどの時が経ったのだろう。
不意に、忠信が口を開いた。
「よく、そんなことまで思いつくな。俺には、とうてい思いつかない」
いつもの、忠信の明るい口調だった。
ほっとする反面、少し、言い過ぎたかもしれない……と月子が思い始めたとき、同じ口調のまま、忠信が言った。
「しかし、何故だろう。おまえのように世の中のことがすべて見通せる者がいながら、何故平氏は滅びたのだろう……」
月子は黙っていた。答えようがなかったから。その沈黙を、忠信は怒りととったらしい。あわてて言った。
「いや、皮肉で言っているのではない。本当に……」
あわてている忠信の顔がおかしくて、笑ってしまう。
「わかっている。忠信の頭は、皮肉を言うほど複雑にはできていない」
忠信はよく意味が分からなかったらしく、しばらく考えていたが、やがて言った。
「それは、俺の頭が単純だということか?」
「あ、分かったか」
「あたりまえだ!」
忠信は手を振り上げたが、月子は笑ったまま身構えもしなかった。忠信は、振り上げた手を降ろした。
「まったく、逃げようともしないのか」
「佐藤四郎忠信は、女を殴るような男ではない。たとえ、それが男装している女でも……」
その言葉を聞くと、忠信は急に月子から目をそらした。
「帰るぞ!」
ぶっきらぼうに言うと、川原を駆け上がっていった。馬を並べて走っている間、忠信は一言も話さなかった。けれども、ときどき振り返って見つめる視線だけは、月子にも感じられていた。
義経は京都を進発した。表向きは平宗盛を始めとする捕虜を護送するためだったが、義経の本心は頼朝に直接会い誤解を解こうというところにあるに違いなかった。
月子ももちろん、義経と行動を共にした。義経自身は、頼朝に会いさえすれば解決できると希望を持っている。
月子としても、このふたりの対立を避けることが出来ればよいが……と思う。ただ、そうなれば、義経は奥州平泉に落ち延びることはなくなる。平泉に行かなければ、北行伝説の可能性もなくなる。それではこの時代に来た意味がないと『喜多見月子』ならば考えるだろうが、心は「義経を救いたい、辛く苦しむ顔を見たくない」と叫んでいた。頭は、『喜多見月子』の知識を利用していても、心は『月影』で占領されてしまったようだ。
とはいえ、現状を見る限り、ふたりの不仲は避けられそうにもなかったが……。
数日後、義経一行は相模国の酒匂の宿に入る。義経は郎等を先行させ、明日鎌倉に入ることを幕府に申し入れた。しかし、鎌倉から来たのは「鎌倉に入ってはならない。この辺りに逗留して、次の指示を待て」という知らせ。
そして、北条時政父子が酒匂に赴き、平宗盛ら平氏の捕虜を受け取った。これは、義経にとって大きな打撃だった。義経は、頼朝に会って話をしさえすれば誤解も解ける、そして壇ノ浦の勝者として歓迎もされることを期待していたのだから。だが、現実には会うことも許されなかったのだ。
「兄上のお怒りは、それほどまでに強いのか。私のしたことは、それほどの罪だったのか」
煩悶する義経に、かける言葉はなかった。
戦での独断や無断任官で、頼朝がここまで怒るとは思えない。やはり、頼朝は義経の能力を怖れているのだろう。
だが、忠信には言ったそのことを、義経には言えなかった。言ったとしても、義経にはどうしようもないし、むしろ義経の心を傷つけるおそれがある。
翌日、時政は宗盛らを連れ鎌倉に戻っていった。
同じ日に、義経とともに京都を発っていた一条能保が酒匂の宿に到着した。一条能保は藤原氏の流れをくむ公家で、頼朝の妹を妻にしている。今回は、義経とともに平氏の捕虜を護送する役目で妻子を伴い、鎌倉に向かっていた。
『何かあった……』
その夜、月子は床の中で思い出そうとしていた。酒匂の宿で、何か事件があったはずだ。
『いけない!』
思い出した瞬間、月子は宿所を飛び出した。
止めなければいけない。酒匂の宿でのあの出来事を……。
人の心が動くとき、歴史もまた、わずかに揺らぐのかもしれません。
次話もお付き合いいただければ幸いです。




