13 月光が明かした秘密
静御前、ついに登場しました。
義経、静御前、そして月子……
ここから、少しずつ関係が動き始めます。
数日後、馬の世話をしていると忠信がやってきて言った。
「やはり、ここか」
「佐藤……」
言いかけて、言葉をのみこむ。忠信がじろっとにらんだので。
「忠信」
言い直すと、忠信は満足そうにうなずいた。
「御大将が、お呼びだ」
馬を厩舎に入れて出てくると、忠信が待っていた。いつもなら、さっさと行ってしまうのに、今日は月子が出てくるのを待ち、そして、黙って歩き出した。
「どこへ行くのだ?」
忠信の行く方向が館でなく、庭の方だったので月子はきいた。
「御大将の所だ」
よく繁っている植え込みをぬけ、水の流れにかかっている小さな橋を渡った所に、小館が見えた。堀川館で暮らすようになってから十日近くになっていたが、こんな館のあることは気づかなかった。忠信は小館を指し、
「あそこに、いらっしゃる」
と言うと、自分は戻っていこうとする。
「どういうことだ? あそこは、いったい?」
「行けば分かる。とにかく、御大将はあそこにいらっしゃるのだ」
そう言うと、忠信は立ち去ってしまった。仕方なく、小館の方へ進む。小さな造りだが、新しく建てられたものらしく、きれいな館だった。少しためらいながら、声をかける。
「失礼いたします」
「はい」
奥から涼しげな女性の声がして、戸が開いた。そこにいたのは、小柄な、そして透き通るように美しい女性だった。とまどっていると、その女性は、
「月影さま……でございましょう?」
と、にっこりと笑いかけた。
「義経さまがお待ちです。どうぞ、中へ」
彼女に案内され部屋に入ると、義経が待っていた。直衣姿の、すっかりくつろいだ様子だった。
「お呼びと、うかがいましたので」
義経は、
「まあ、座れ」
と、自分の前を目で指した。
月子が座ると、さきほどの女性が白湯を運んできた。ただ白湯を置くだけなのに、その動作は舞を舞うように優雅だった。小柄で、ほっそりとした身体つき、肌は抜けるように白い。黒髪はしなやかで、ほのかな香の香りがただよっている。あまりの優雅さに目が離せず、彼女が部屋を出て行くまで目で追っていたらしい。
義経が、笑いを含んだ声で言った。
「どうした?」
「美しい方ですね……」
まだ、夢心地で答える。義経は、優しく……そして、どこか自慢げに言った。
「あれは、静という」
「静御前?」
思わず叫んでいた。
「喜多見月子」が卒論に選んだテーマ……源義経と、彼をとりまく三人の女性……川越重頼の娘、静御前、そして、三人目は自分――平月子。
「知っているのか?」
義経に尋ねられ、月子は、失敗に気づく。しかし、義経は都合よく誤解してくれた。
「そうか。月影は都育ちだからな……」
ほっと胸をなで下ろす。
静御前は、白拍子――都の男たちを夢中にさせる女性。平氏の公達なら、名前くらい知っていても不思議はない。
「喜多見月子」の胸は高鳴っている。史料の中でしか知ることのできなかった三人の女性が、今ここで生きている。
「生き残った平氏の人たちだが……二日後に、鎌倉へ護送する」
「そうですか……」
「会わなくてもいいのか?……平時忠どのに」
平静を取り繕う余裕はなかった。驚きのあまり、声も出せない。平時忠の娘であることを、義経は知っていた。
「……何故?」
「悪いとは思ったが、時忠どのに尋ねた。『平氏の中に男装している女性はいなかったか』と。時忠どのは『それなら、娘の月子だ』とおっしゃった」
こんなにも簡単に、「平月子」であることが分かってしまったのか……。
そんな月子の表情を読んだらしい。義経は、
「平月子に戻れと言っているのではない。そうしたいのなら、『月影』のままでいてかまわない。女であることも、私の胸一つにしまっておく」
と言ってくれる。
「……よいのか? 会わなくとも」
重ねてたずねる口調は、穏やかだった。月子をためしているわけでも、暗に責めているわけでもない。本心から心配し、父に会う気はないのかときいているのだ。
「今は、会いたいとは思わないのです……ただ、私は無事で……」
月子は義経をまっすぐに見た。
「そして……幸せに暮らしていると、お伝えください」
義経はうなずいてくれた。
「兄にも……鎌倉の頼朝どのにも、助命を頼んでみるから……」
「ありがとうございます」
月子は、深々と頭を下げた。心からの気持ちだった。
「時忠どのがおっしゃっていた」
急に明るい口調で義経が言う。
「月子は、『毘沙門天の遣い』と呼ばれていたと。月子には未来を読む力があるのだと、自慢なさっていた」
「そんなのは、父の妄想です」
あわてて否定の言葉を繰り出す。知られてまずいという思いと、苦々しい後悔と半々の気持ちで……。歴史の知識があっても、結局、月子は何もできなかった。『毘沙門天の遣い』にもなれなかったし、平氏の滅亡を止めることもできなかったのだから。
「宗盛どのも、同じ様なことをおっしゃっていた。月子は、この義経の奇襲をすべて予見していたと。『鵯越えの逆落とし』も、屋島内裏の背後を衝く策も、壇ノ浦で漕ぎ手をねらうことも」
「まさか、予見していれば負けるはずがないではありませんか」
「宗盛どのは、後悔しているとおっしゃった。月子の言う通りにしていれば勝てたものを、女の言うこととばかにして取り合わなかったために、平氏は負けたと」
「それは、負け惜しみです。私には、そんな力はありません」
義経はそれ以上追及はせず、月子に微笑んでみせた。
「残念だな。月影が予見できるなら、私の……九郎義経の行末を教えてほしかったのだ」
義経の顔に、暗い影がさす。
「何か、あったのですか?」
「兄が……鎌倉の頼朝どのが、西国の御家人に使者を送り、申し渡したそうだ。『頼朝に忠を致さんとする者は、義経に従うべからず』と。私には勘当するという書状が来た」
義経は笑おうとした。だが、震える唇が、彼の不安を語っている。その不安を拭い去ってあげたいとは思うが…。
「残念ながら……私には一寸先も見えません。ですから、御大将の御将来も、予見どころか見当もつきません」
これは嘘だ! と良心が叫ぶ。月子は知っている。義経と頼朝の中はこの後険悪になる一方で、やがて、義経は罪人として頼朝に追われる身になることを。そして、ついには、奥州平泉の衣川の館で自刃に追い込まれることも。
それを止めたいと思っているが、絶対に出来ると言い切れるだけの自信はない。どんなに努力しても、平氏の滅亡は防げなかった。歴史を変えようと動いたために、有盛の心を傷つけてしまった。あの過ちを繰り返すのではないかという恐れもある。ことは慎重に進めなければならない。
頭を下げる月子に、義経は優しく言った。
「謝ることはない。行末が予見できないのは、当然なのだから。だが、鎌倉へは着いて来てくれるな? 宗盛どの父子、時忠どの父子を鎌倉に送り届けるよう、命令されたのだ」
その夜遅く、月子は一人で風呂に入っていた。忠信がよく、一緒に風呂に入ろうと誘うのだが、これには困っていた。何とかごまかして断り、こうやって深夜一人で入浴しているのだが、いつまでこのままですむか……不安ではあった。
この時代の風呂は蒸し風呂である。蒸し風呂で汗を流し、水を使う。浴衣のようなものを着ることもあるが、ほとんどは裸だ。東北の武士の忠信が、浴衣を着るとは思えない。現代の風呂に慣れている月子も、浴衣を着たままの入浴は気持ちが悪く、なにも身につけないことの方が多い。
浴室の小さな窓から星を見て、父を思った。時忠は流罪になるが、命は助かる……という歴史を知ってる。しかし、父はおそらく嘆くだろう。京都での生活しか知らない人なのだから。
ふいに、足音が聞こえてきた。誰かが、浴室に近づいてきている。灯りに気づいて、確かめに来たのだろう。急いで、燭台の灯を消す。しかし、間に合わなかった。
「誰かいるのか?」
大声でどなっているのは、忠信だった。月子は迷った。答えたほうがよいのか、黙って通り過ぎるのを待つか……。
「誰もいないのか?」
忠信の声は近づいてくる。戸を開けようとしているらしい。開けられては困る。とっさに判断して、
「私だ! 月影だ!」
と声を上げた。しかし、それと、ほぼ同時に忠信は戸を開けていた。月子の声は、忠信に聞こえていた。
「なんだ……月影か……いったい、こんな夜中に、どうして……」
そこまで言いかけて、忠信は声をのんだ。
月の明るい晩だ。灯を消しても、裸身は闇の中に浮かび上がる。
月子を見つめる忠信の目に、ちらりと炎が宿る……が、すぐに踵を返すと、後ろ手に戸を閉めた。
月子が身支度をととのえ外に出たときには、もう忠信の姿はなかった。
月子のまわりでは、ある人物の感情が、静かに、でも確実に色を帯びてきました。
少しずつ、確かに進んでいきます。
ここからの人間関係にも、ぜひ注目していただけたら嬉しいです。




