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12 生き直す

第二章、2回目です。

壇ノ浦後の、それぞれの生死が具体的に語られ、月子はようやく「失ったもの」と向き合うことになります。

忠信とのやり取りも増え、これからの月子の立ち位置が少しずつ見えてくる回です。


 月子は、その夜、部屋を与えられたが、ほとんど眠ることは出来なかった。夜が明けると、佐藤四郎忠信が食事を運んできた。食べ物をおくと、にらむようにして、


「どういうつもりだ?」


 と、訊いてきた。


「何が?」


 何を訊かれているか十分承知していながら、わざと聞き返す。


「何が……ではない! あのあと、御大将は、おまえを郎等に加えると言った。名前は『月影』と呼べと」


 にやっと笑ってみせる。忠信をさらに怒らせることを承知の上で。


「よい名だろう。義経さまがつけて下さったのだ」


 意図したとおり、忠信は怒った。単純で、御しやすい男だった。


「平氏の公達が、何を考えている!」


「平氏は滅んだ。私は、もう平氏の公達ではない」


 忠信は一瞬ひるんだ。その態度で、言い方がひどく暗かったことに気づく。残照の壇ノ浦の光景は、思い浮かべれば月子の胸をうずかせる。

 忠信は、ほんの一瞬同情を顔に浮かべたが、すぐにそれを消した。


「では、もと平氏の公達か。そんな者が、九郎御曹子の郎等などと」


 九郎御曹子という古風な言い回しが、月子を救った。残照の光景を振り払い、大声で笑ってみせる。


「何がおかしい?」


 忠信はますます怒った。月子は笑いを含ませた声のまま言った。


「たしかに、佐藤四郎忠信は、藤原秀郷(ひでさと)の末裔、信夫荘の荘司、佐藤元治(もとはる)のご子息。氏素性ははっきりしているが、あとの郎等たちはどうだ? 山賊あがりとか、僧兵くずれとか、得体の知れない人間ばかり。そんな中に、平氏の公達だった者が一人混じったからと言って、不思議はあるまい」


「おまえ、いったい何者だ?」


「名は、月影という」


「このっ!」


 怒りの限界を超えたらしい忠信は、月子の胸ぐらをつかんだ。

 抵抗はしなかった。源氏の武将に力でかなうはずがない。

 予想通り、忠信はどんなに怒っていても、無抵抗の人間を殴るような男ではなかった。胸ぐらをつかんでいた手をはなすと、


「何故、御大将のことをそんなに詳しく知っているのだ?」


 と訊いてきた。

 月子は答えにつまった。そして、自分の失敗に気づいた。つい、むきになって言い争ってしまったが、自分の知識をひけらかすようなことをしてはいけなかったのだ。黙っていたが、忠信は答えを待っている。しかたなく、


「敵の大将のことだ。少しは調べたさ」


 と言ってみた。納得するとは思えなかったが。案の定、忠信は切り返してきた。


「それにしても、詳しすぎる。だいたい、京の公家の連中にしたって、一ノ谷の戦の前までは、御大将の名前も知らなかった。それを、屋島や、長門にいたはずのおまえが……」


「平氏の間諜を、見くびらないことだな」


 苦しい言い訳だったが、幸い、忠信はそれ以上は追及しなかった。納得したというよりは、あまり細かいことに拘泥しない性質らしい。


「まあ、いい。とにかく、食べろ」


 忠信が差しだした食事内容をあらためて確かめる。たまり味噌を塗って焼いた握り飯、梅干し、そして里芋の茎の味噌汁……。


「どうした? 平家の公達の口には合わないか?」


「いや」


 平氏の食事は公家の影響を受け、塩分過多でやたらに堅い乾物や小麦で作った菓子などが主だった。野菜はほとんど見られない。

 それに対して、源氏は玄米に、魚、野菜のみそ汁といった健康食。体にしみていく味だった。


 ……平家は、食べ物からしてもう負けていたのかもしれない――


 そんな考えが、ふいに胸に浮かんだ。


「食わないのか?」


 忠信が、ふたたび催促をした。


「そんなに見られていては、落ちついて食えん」


「俺だって、いたくているわけじゃあない。御大将の命令なのだ。おまえはたぶん食わないだろうから、何としても食べさせろ…と」


 義経の好意に感謝して……というよりは、忠信に挑むような気持ちで、握り飯を手に取り口に入れた。妙になつかしい味がした。遠い昔とも思える、「喜多見月子」の時代に、祖母が作ってくれたものの味に近かった。


「平氏の公達は、どんなものを食べていたんだ?」


「魚の塩漬け、あわびの干物、(ひしお)色利(いろり)……」


「いろり?」


「鰹の煎汁だ。それから固塩、ご飯…祝いの席には、唐菓子もでる」


「聞き慣れない物が多いな。うまいのか?」


「干物や塩漬けは塩辛いから、たくさんは食べられない。もともと、たくさん食べられない上、礼儀がうるさいから、さらに食べられない。小食だから、体格も悪いし、力も出ない」


 そう言いながら、月子は出された食事を次々と食べていった。「喜多見月子」の記憶をたどれば、この食事の方が平氏のそれより自然に思える。


「本当に、変な奴だな。平氏の公達のくせに……」


「いい加減に、やめろ!」


 声が出た瞬間、月子自身がいちばん驚いていた。

 何故、忠信の言葉がそんなに気にさわったのか、自分でも分からなかった。忠信の最後の言葉を頭の中で繰り返し、ようやく納得する。おかげで、


「何を怒っている?」


 という忠信の問いに、答えることができた。


「もう平氏の公達ではない。佐藤どのと同じ、源九郎義経の郎等だ」


 忠信はしばらく月子の顔を見つめていたが、やがて言った。


「悪かった。もう二度と言わぬ」


 食事がすむと、忠信は手早く後片づけをした。そんなところも、平氏の公達とは違っている。平氏の公達は、日常の雑事などいっさいしない。しかし、忠信の行動に女々しさは感じられない。手際がよく、何故かたくましく思える。家事をする男がたくましい……というのも妙なものだが。

 忠信は懐から何かを書き付けた紙を出し、月子の前に正座した。


「もう一つ、御大将に命じられたことがあるのだ」


 忠信は書き付けに目を移し、少し言いづらそうに話を始めた。


「安徳天皇さまは、二位の尼さまに抱かれて入水なされた。ご生母の建礼門院さまも同じく入水なされたが、渡辺党の熊手にかかり引き上げられた」


 顔を上げ、忠信の表情を伺う。忠信は、つらそうな顔をしている。これは義経の配慮なのだろう。平家の生き残りである月子に、その最後の様子や生き残った者を教えてくれようとしているのだ。


「つらければ、あとにしようか?」


 忠信も、義経と同様、自分を気遣ってくれていることを知る。


「いや。続けて下さい」


 だれが生き延び、だれが死んだか、月子は歴史の知識として知っている。しかし、どこかに歴史どおりでないことがあるかもしれない。事実が知りたかった。


「門脇宰相教盛どの、修理太夫経盛どのの御兄弟は……」


 これから始まるであろう報告の厳しさを予感し、月子の指が震えた。


「鎧の上に錨を背負って入水なされた。また、新三位中将資盛どの、小松少将有盛どのの御兄弟は……」


 早くもあふれそうになる涙を必死でこらえる。


「従兄弟の左馬頭行盛どのとともに入水……」


 唇をかみしめる。ここで泣き出したりしたら、有盛と近しい関係だと知られてしまうかもしれない。

 しかしこらえようとした涙は、気がつけば床を濡らしていた。それに気づいた忠信が、一瞬言いよどむが、特になにも言わずに話を続けた。


「能登守教経どのは最後まで奮戦し、御大将を捜していたようだが……ついにはあきらめ、入水なさった。新中納言知盛どのは総大将としての指示を出しておられたが」


 軍議で論を戦わせた二人りの姿がよみがえり、息が苦しくなった。


「ほとんどの者が入水したのを確かめると、鎧を重ね着して海中へ……『見るべきほどの事は、見つ。今は、自害せん』とおっしゃったそうだ」


 忠信の声が、次第に涙をふくみ始めているのに気づく。


「……皆様、立派な御最期であったと聞いている」


 喉から声があふれそうになるのを必死で押さえていると、さらに静かな声が降ってきた。


「生き残られたのは、内大臣宗盛どの、右衛門督清宗(きよむね)どの父子。大納言時忠どの、讃岐中将時実どの父子……」


 忠信は深いため息とともに話を終えた。

 月子が、顔を上げずにいると、そっと部屋を出ていく足音が聞こえる。


 足音が聞こえなくなった瞬間、嗚咽が喉から溢れた。歴史の知識として知っていても、実際に昨日まですぐそばにいた有盛や知盛の死を知らされるのは、たとえようもなくつらかった。そして、忠信の言ったことは、月子の知っている歴史と寸分違わなかった。月子の抵抗は、大きな歴史の流れの中ではことのごとく潰えてしまったのだ。


「それでも……」


 と月子はつぶやいた。


「それでも……私は、源義経の妻にはならない」


 壇ノ浦の戦の事後処理をして、義経は、京都に凱旋。ほぼ同時に、平宗盛をはじめとする平氏の生き残りが都入りし、彼らは義経の館に預けられた。

 月子は「月影」として義経の郎等たちと行動をともにしていたから、それより前に堀川館(ほりかわやかた)に入っていた。意識して宗盛たちのいる場所には近づかないことにしていた。自分が「平月子」であることは、できる限り隠しておきたかった。理由はそれだけではない。「会いたくない」のが本音だった。生き延びることは、恥ではない……それは分かっている。だが、有盛も、知盛も死んでしまった今、どこか割り切れない思いもあった。死にきれなかった自分へのいらだちを、彼らにぶつけていただけかもしれないが。


 自分がこれからどう生きればよいのか……答えはまだ出せていない。

 現代に帰るという選択肢もある。だが、自分はまだここにいる。

 もし、本当に帰りたいのなら――あのとき……平氏が滅んだ時に、もう帰っていたはず。

 帰らないのは、帰れないからではない。

 きっと、まだこの世界にいたいと、どこかで思っているからだ。


 義経の北行伝説が真実でなければ、月子はこの時代で命を落とすことになるかもしれない。それでもかまわない。もし、近い将来、自分がその道を選ぶのならば、それなりの理由があるはずだから。

 当初の目的を果たすために、月子は、男装して義経の郎等に加わる道を選んだ。だが……これから自分はどうしたらいいのだろうか。このまま、流れに任せて生きるか、もう一度、知識を生かして、歴史を変えることに挑戦するか……。

 義経の衣川での死を阻止することはできるのだろうか? 平氏の時と同じようにそれが出来ずに、死にゆく人を見送ることになったら……あの辛さに、自分はもう一度耐えられるのだろうか……。思い悩みながら堀川館の庭を歩いていた。その歌は、自然に口に上っていた。


 一ノ谷の いくさ破れ

 討たれし平家の 公達あわれ

 暁寒き 須磨の嵐に

 聞こえしはこれか 青葉の笛


 庭に流れる水をながめながら、小さな声で歌った。「喜多見月子」だったときに、覚えた歌。この場合の公達は、敦盛を指す。しかし、脳裏に浮かぶ顔は有盛だった。


「変わった歌だな」


 不意に声をかけられ、驚いて振り向く。

 佐藤忠信だった。壇ノ浦の戦のあと、義経がどういう風に郎等たちに説明したのかは分からなかったが、彼らは月子をすんなりと受け入れた。もともと義経の身近な郎等というのは素性のはっきりしない者が多かったので、気にもとめなかったのかもしれない。


「月影、遠乗りに行かないか?」


 そんな気分にはまだなれない。黙っていると、忠信が言った。


「まさか、乗れないというわけではないんだろう?」


 とたんに負けず嫌いな性格が、頭を持ち上げる。乗せられているな……とも思ったが、引き下がることはできなかった。


「ばかにするな」


 案内された厩舎で、忠信は馬を二頭ひいてきた。一頭は鹿毛、もう一頭は栗毛だった。忠信の差し出した鹿毛の馬の口輪を取る。平月子として、馬に乗った記憶はない。けれども、「喜多見月子」にとって、乗馬は趣味のひとつだった。この時代の馬は初めてだが、サラブレットよりもかなり小型なので心配はないだろう。

 月子が馬に乗るのを見ると、忠信はにやっと笑った。やはり、してやられたな……と思ったが、なぜか不愉快ではなかった。忠信も馬に乗り、駒を進める。月子は後に続いた。


「川原をひとっ走りしよう」


 街中を過ぎると忠信は言い、馬に鞭をあてた。同じように馬を走らせる。風が、高く結い上げた黒髪をなびかせるのを感じる。ひどく気分がいい。この前、馬に乗ったのが、ずいぶん昔のように感じられる。久しぶりの乗馬は、悩みを吹き飛ばしてくれる。

 しばらく走ると忠信は、広い川原で馬を止めた。


「一休みしよう」


 そう言うと、馬を木につなぎ、川原へ下りていく。忠信は、けっして月子を待たない。どんどん、自分の速さで事を進めてしまう。ついてくる、と信じているようだった。同じように馬を木につなぎ、川原へ下りていく。忠信は寝そべっていた。黙って隣に横たわる。


 忠信は何も言わない。


 月子も何も言わない。


 さっきまでの悩みは、風に乗って消えていった。心は決まっていた。どんなことがあっても、自分は自分らしく生きるしかないのだ……と。

 何も語らないまま、時間が過ぎていった。目は雲の流れを見ていた。耳は、川のせせらぎと忠信の息づかいを聞いている。それがひどく心地よかった。


「月影」


 ふいに、忠信が言った。


「あの馬、おまえにやる」


「持ち主がいるのではないのか?」


「持ち主は死んだ……屋島で……」


 そう言う忠信の声は、かすれていた。


「佐藤三郎継信どのの馬か?」


 忠信は、体を起こした。


「知っているのか、兄を?」


 月子は黙ってうなずいた。屋島に浮かぶ唐船から見た光景が、目に浮かぶ。能登守教経が、義経めがけて放った矢……その前に立ちはだかった若い武士の姿。矢は、彼の喉を射抜いた。


「見ていた。舟の上から」


 忠信は横になり、眼を閉じた。その目から涙が一筋流れた。


「恨んでいるだろう、教経を」


「ああ、恨んでいた。壇ノ浦の戦の時まで。できるなら、俺の手で討ち取ろうと思っていた。だが、その気持ちも失せた」


「教経が死んだからか?」


「いや、おまえに会ったからだ。おまえが彦島に来た翌朝、平氏で死んだ者たちの名前を俺が言ったろう?」


 あの朝の胸の痛みが、よみがえってくる。


「俺は、何人もの名前を言った。俺にとっては名前だけの人間だったが、おまえにとっては、それぞれ思い出のある大切な人なのだと思った。それを死なせたのは、俺たちだ。だが、俺たちだって平氏の一人一人に恨みがあったわけではない。戦だったから、たまたま、敵味方になってしまったから。考えてみれば、兄の時も同じだ。教経も、兄に恨みがあったわけではない。平氏を……自分の身内を守ろうとして、矢を放ったのだ。だとすれば、戦の終わった今、俺が平氏の者に恨みを持ち続けるのは、まちがっている……そう思った」


 立ち上がり、馬のそばに行く。そして、馬のたてがみをなでる。


「私がいただいても、いいのかな?」


「乗ってもらったほうが、馬も喜ぶ。おそらく、兄もな……」


 忠信の隣に戻る。


「そういえば、義経どのも同じ様なことをおっしゃっていた。自分の恩賞に代えても、宗盛どのたちの助命を願い出るつもりだと」


「御大将らしい……」


 忠信は身を起こし、月子をまっすぐに見つめた。


「月影、あんな悲しい歌は、もう歌うな」


 あの歌詞をちゃんと聞いていたのか……。


「たくさんの身内が死んだのだ。そう簡単には忘れられないとは思う。だが、おまえがそうやって毎日鬱々とすごすことを、死んだ者たちは望んではいないんじゃないか?」


 有盛の……そして知盛の顔を思い出す。


「忘れろ、昔のことは。御大将は、お仕えするのに値するりっぱなお方だ。これからの月影の人生をたくすには、充分だと俺は思う」


 言い方は少し乱暴だ。だが、それ故に、その言葉は心に染みる。忠信の言うとおり、源九郎義経に残りの人生を託してみるのもいいかもしれない……。

 妻ではなく「月影」という名のひとりの武士として、源義経という名将に仕えてみるのもいい。行末が、悲劇なのは十分承知している。それでも、安泰な源頼朝に仕える気持ちにはなれない。頼朝自身とは会ったこともないが、やはり、人間として惹かれるのは義経なのだ。


 返事を待たずに、忠信は立ち上がる。振り向きもせず、どんどん馬の方へ行ってしまう忠信を追いかけながら、言った。


「佐藤どの……」


 忠信は振り返り、言った。


「『佐藤どの』はやめろ。誰も、俺のことをそんな風には呼ばない」


「では、何と?」


「『忠信』でいい」


 手綱を木からはずしながら、忠信は訊いた。


「俺に、話があったんじゃないのか?」


「ああ……。ありがとう。忠信の言うとおり、義経さまに――御大将に、月影の残りの人生を託してみる」


壇ノ浦の結末を、情報としてではなく「生きていた人間の視点」で受け止める月子の回でした。

ここでようやく、月子は“ただの傍観者”ではいられなくなります。

次回からは、義経の郎等「月影」としての物語が、少し動き出します。

文中の歌詞は唱歌「青葉の笛」からの引用です。

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