11 月影と呼ばれて
第二章に入りました。
月子はついに義経と出会い、これから彼と行動を共にすることになります。
歴史を知る月子と、歴史の只中を生きる義経――二人の間に、どんな関係が生まれるのか。
新しい局面の幕開け、お付き合いいただければ嬉しいです。
第二章
「名は?」
骨格のがっしりした、だがまだ若い武士がたずねた。その問いへの答えは、ひと睨みで済ます。
小舟で海から逃れたあと、月子は闇の中をただ走った。
だが、すぐに源氏の雑兵に見つかってしまった。
そして、月子の身柄は、雑兵から、今、目の前にいるこの若い武士に引き渡された。
彼は、ふたたび尋ねた。
「様子から見て、名のある平氏の公達と思われるが……違うのか?」
うなずきも、否定もしない。相手がしびれをきらすのが分かる。しかし、答えようもない。答えたくもない。
「いずれ調べれば、分かってしまうこと。言ってしまったほうが、よいと思うがな……」
そう言われて、思わず唇をかみしめる。その通りだった。平氏のほとんどの者は、入水して死んでしまった。だが、平宗盛など、何人か生き残っている者がいるはず。何よりも、父・時忠が生きている。月子を見れば、当然、娘だと言うだろう。
平月子だと分かれば、父のもとに帰されるに違いない。父は喜ぶだろう。娘が無事だったことを。平氏の生き残りの女は、それなりに使い道があるのだ。そして、父は最高の使い方をする。源義経との政略結婚という形で……。それだけは、何としても避けたかった。死んでいった有盛や知盛のためにも。
月子はもう恋をするつもりはなかった。有盛を最期の恋人にしたかった。それでも生き延びたのは、行末を見届けたかったからだ。平氏と、そして、源義経の。
そのためには――そう思い、月子は口を開いた。
「あなたが、誰なのか教えてください」
自分の運命を変えるには、歴史の知識を使うしかないのだ。
「自分は名乗らず、俺の名は聞こうというのか?」
若い武士はちょっと腹を立てたようだが、気を取り直して言った。
「まあ、いいだろう。俺は、佐藤四郎忠信という」
よかった! 月子は思わず叫びそうになる。「彼」ならば、よく知っている。
「それならば、源義経さまの御郎等ですね?」
郎等――つまり、義経の家来だ。
忠信ははっきりと驚きの表情を見せた。
「知っているのか、俺を?」
佐藤四郎忠信は、奥州平泉の藤原秀衡の家人だった。義経が兄頼朝の挙兵を聞き駆けつけようとしたとき、藤原秀衡が兄三郎継信とともに義経につけた郎等だ。継信は、屋島で教経に射抜かれた。
「平氏の公達は、義経の郎等には声もかけたくないのか?」
忠信をはじめ今この場にいる者は、男装が幸いして月子を男だと思っている。そう思われているうちは、「平月子」だと分かることはないだろう。生き残った平氏の者に会わないようにさえすれば、男を装い続けられるのだ。
「お願いします!」
地面に手をつき、頭を下げる。意識して、低めの声を出す。
「私を、源義経さまに会わせてください」
「御大将に?」
忠信はじっと月子の顔を見ていたが、やがて立ち上がり言った。
「お会いになるかどうかは分からないが、話だけはしてみよう」
「ありがとうございます」
義経に会ってどうしたいのか、はっきりとした考えがあるわけではない。ただ少なくとも義経に関する知識ならば、他の誰よりもしっかりとしている。ならば、自分を捕らえた武士が義経の手の者であったことを利用しない手はない……。「平月子」としてでなく、「男」として会えれば、運命を変えることができるかもしれない。
月子は義経の部屋に通された。この部屋も、つい先日まで平氏が陣地として使っていたものだった。
「連れてまいりました」
忠信が声をかける。義経は何か一心に書き物を読んでいたが、背を向けたまま、
「そこに座らせなさい。それで忠信は戻ってよい」
「しかし……」
忠信は不満そうな声を出した。自分が立ち去れば、二人きりになってしまうのが気がかりなのだろう。
「大丈夫だ。呼ぶまで来なくてもよい」
義経のきっぱりとした物言いに、忠信は去っていった。
「しばらく、待っていてください」
義経は背を向けたまま言った。それが自分に言われたのだと、一瞬分からなかった。だが、部屋には月子しかいない。
「はい」
と答え、義経の背を見つめた。華奢な身体つきだった。有盛も若くほっそりとしていたが、それ以上に小柄だった。鎧を身につけていないから、なおさらそう感じるのかもしれなかったが。
部屋の隅に、義経の太刀が無造作に立てかけられている。月子はそこまでの距離を、目で測った。義経より自分のほうが近い。月子の太刀は、捕らえられたとき取り上げられてしまっていた。
今ここで、義経に斬りかかったらどうなるのだろう。義経を殺すつもりはない。けれども、いくらかの怪我でも負わせることができたなら、運命を……歴史を変えるきっかけくらいにはなるかもしれない。今のうちだ……義経が振り向いたら、もう機会はなくなる。……義経の背をもう一度伺う。今は、何か一心に書き物をしている。
音を立てないように立ち上がる。義経の背は動かない。精一杯手をのばし、太刀を手に取る。
その重さに、一瞬、怯みそうになる。それを抑え込むように気持ちを抑え込み、鞘から刀身を引き抜く。
もう迷いはない。
そのまま義経の背に斬りかかる。
動作に無駄はなかった。しかし、次の瞬間、月子は義経に取り押さえられ、太刀は部屋の隅に投げられていた。
叫び声を上げようと口を開けた瞬間、温かな掌がふさぐ。息が詰まる。
「静かに! 郎等がかけつけてしまったら、あなたの命はない」
身体から、力がぬけるのを感じる。それを察したのか、義経の手は、月子の口から離れていった。
所詮かなう相手ではなかったのだ。月子は知盛の言葉を思い出していた。
『源義経という男、大した武将だ。敗れたのが義経ほどの武将相手だったことを、平氏は誇りにしてよいのではないかと思う』
涙がまた、あふれてくる。
涙に気づいたのか、義経は月子を離した。しかし、月子は泣き止めなかった。涙は後から後から溢れてくる。恥ずかしいと思いながらも、泣き止むことができない。まるで子どものように手放しで泣いている自分を分かっていながら……。
そんな月子の姿を、義経は何も言わず見守っていた。
ようやく顔が上げられるようになると義経は穏やかにたずねた。
「私は……この源義経は、あなたにとって誰のかたきなのだ? 父親か? それとも、恋人か?」
「恋人」と言われて、一瞬、どきりとする。女だと気づかれてしまったのだろうか……。だが、壇ノ浦ではたくさんの平氏の女たちも入水している。気づいているとはかぎらない。わざわざ、自分から言うこともないだろう……月子は返事をしなかった。
義経も、返事を期待していたわけではないらしい。
「気持ちは分からないでもないが……私を殺したとしても、死んだ者が帰ってくるわけではないだろう。生き残った者たちが人生を全うすることの方がずっと、死んだ者たちを喜ばすことができる、と思う。……そう信じていなければ、私はこの戦の責を背負っていけない」
最後のほうは、まるで自分に言い聞かせているようだったが、今の月子には響かなかった。
「あんなにたくさんの、平氏を殺しておいて……よくも、そんなことが」
苦い思いが、胸にこみ上げてきた。義経の言ったことは、知盛や有盛の言ったことと同じ意味だ。しかし、義経の口から聞くそれは、まるで違うことのように感じられた。
「すまなかったと思っている。あんな風に、女子どもまで、入水させるつもりではなかった。平氏が降参してくれれば……言い訳に聞こえるかもしれないが、命だけは、助けたいと思っていた」
義経は、ひどく苦しそうにそれを口にした。それは、意外な言葉だった。義経は、戦いに勝つことができて喜んでいるとばかり思っていたから。月子は、どう答えてよいか分からなかった。だから、話題を変えた。
「それで……私は、どうなるのでしょう?」
「名を明かしてくれれば、生き残った平氏の者たちと同様に」
「捕虜として、扱うと?」
「だが、死なせはしない。もう、戦は終わったのだ。これ以上、人を殺す必要はあるまい。何とか、生き延びられるように努力する」
「源頼朝さまが、それを許されますか?」
義経の瞳は曇った。
「私は全力を尽くす。私の恩賞と引き換えにしてもかまわないと思っている」
意外な言葉に、月子は戸惑う。歴史上では、義経は頼朝に断りなく任官してしまい、頼朝の怒りをかっている。報償に関しては、貪欲な人間なのではないかと思っていた。
しかし、事実はそうではないらしい。月子の心の中で、歴史上の人物であった義経が生身の人間になっていく。
もう少しこの人のそばにいたい……そう思った。
「名を明かしては、くれないのか?」
義経がふたたびたずねる。
「お察しの通り、私は恋人をこの戦で亡くしています。平の名は恋人とともに死んだ、と考えています」
義経は、考えこんでいた。ためらいがちに切り出す……ふりで、月子は言った。
「……もし、よければ……私を、あなたの郎等にしては下さいませんか? もう一度、別の人生を歩みたいのです」
「私の郎等になって、もう一度、私の命をねらうというのか?」
義経の顔に、その時初めて笑みが浮かんだ。だが、それは驚くほど寂しげな笑顔だった。
「そんなつもりはありません」
真剣な表情を見せる。それは演技ではなく、本音。このまま義経のそばで、郎等として過ごす……今、思いついたことだったが、月子にとってはすでに切実な願いになっていた。
義経は立ち上がり、廻廊へ出た。夜の空をしばらくながめていたが、やがて言った。
「望み通りにするとよい」
「ありがとうございます」
「名前がないと不便だ。私は、あなたを何と呼んだらいい?」
「義経さまのお好きなように、お呼び下さい」
義経は、まだ夜空を見つめていた。月が、中空にあざやかに輝いていた。
「……月影……月影と呼ぶことにしよう」
独り言のように、義経は言った。
月は静かに、変わらずそこにあった。
* * *
「男装の麗人は、月子に似合うけど……」
画面を見ながら、朋人はつぶやいた。
平氏の滅亡を目の当たりにした。そして、一夜が明けると、月子は、源氏の武将の前に突き出されていた。殺されるのではないかとひやひやしたが、その心配は杞憂だった。
それにしても、義経の郎等になるとは……。
「月子はなにを考えているの?」
歴史の流れに身を任せれば、月子は義経の側室になれる。もともと義経に会うためにタイムスリップしたのだから、ふつうなら願ったり叶ったり……というところなのだろうが。
「有盛クンとの恋に、どっぷりと浸っちゃったからねぇ」
有盛推しだった朋人としても、月子が「当初の目的通り」とばかりに、義経の側室になってしまったら、釈然としなかっただろう。けれど、男のフリをして義経の郎等になるというのは、意外すぎた。
「男になっちゃったら、恋が出来ないんじゃないかしら」
それに、月子は「もう恋はしない」と誓っていた。
恋のパワーが「変える」力になるとしたら、恋愛しない月子は、歴史を変えることもできないはずだ。
「まあ、人の『もう……しない』くらい、当てにならないものはないけどね」
特に、恋愛に関しては……。
恋はするものではなく「落ちる」ものだから。
もし、月子がまた恋をするとしたら……。
朋人は、新しい『登場人物』を思い浮かべた。
「今出てきてるのは、佐藤忠信と源義経」
もちろん、この二人以外にもたくさんの『登場人物』が現れるだろうが……。
「義経って、もっと圧倒的イケメンかと思ったのに、それほどでもないわね。顔はまあいいけど。忠信クンのほうは、がっちりとして男っぽいけど、顔がねぇ……」
このふたりのどちらかと、月子は恋をするのだろうか。有盛との恋を忘れて……。
その時、画面にノイズが走った。チラチラと見え隠れする文字を、朋人は必死に読んだ。
「名を変える=運命を変える」
読み取れたのはそんな文章。
月子は一度名前を変えている。「喜多見月子」から「平月子」へ。
そして、今度は「月影」。女とばれないための偽名ではあるけれど。
「喜多見月子」から「平月子」に変わったとき、月子の運命は大きく変わった。それならば、「月影」と名を変えたことによって、また、大きく変わっていくのだろうか。それが、他人から与えられた偽名であっても……?
「月子の人生の第三章?」
それとも、『月影』の人生が始まったのだろうか?
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
月子の立場も環境も大きく変わり、物語はさらに動き出します。
彼女が何を選び、何を守ろうとするのか……第二章も、どうぞよろしくお願いします。




