1 第一章 晩冬
初めまして。本作にお越しくださりありがとうございます。
本作は、源平の世を舞台に、歴史の流れの中で“最善の判断”を探し続ける一人の女性の物語です。
甘さよりも静かなロマンと、少し切ない時間をお届けできれば幸いです。
それでは、第一話をお楽しみください。
第一章
晩冬
「あーっ! もう! どうして、現代には義経みたいな人がいないわけ!?」
チューハイの缶を、バンとたたきつけながら、月子は叫んだ。
「義経に会いたーい!」
「まーた、始まった。月子の『義経さまに会いたーい』が」
グラスで唇を濡らしながら、向かいに座った朋人が苦笑する。女性めいた言葉遣いと柔らかな物腰。だが、彼の性格は、言葉遣いや物腰ほど柔らかくはない。
「で? 今度はなにがあったの?」
問われて見返した朋人の顔は、霞がかかったようだ。思っていた以上に、自分は酔っているのかもしれない。決して、気持ちのいい酔いではないけれど――。
「月子が『義経さまに会いたい』って言うのは、必ずなにか嫌なことがあったときだもの」
図星を指されて、言葉を飲み込む。
「聞いてあげるから、言ってごらん。月子のことだから……恋愛関係じゃないわよね。男が出来たなんて噂も聞いてないし」
さらに、図星を突かれたが、それをごまかすように言い返す。
「男を見る目がまるでないアンタに言われたくない」
「失礼ね、ワタシにはワタシなりの基準があるのよ」
朋人は憎らしいくらいさらりとかわし、そして真顔になった。
「恋愛なんかで月子がこんなになるはずないし~。ってことは、研究のことよね?」
目を覗き込むように尋ねられて、月子は渋々話し始める。
「……いい加減に、やめろって言われた」
その短い言葉から、朋人は月子の言いたいことをわかってくれた。
「もしかして、義経北行伝説?」
「伝説じゃないわよっ!」
昼間、教授からさんざん言われた皮肉めいた口調と、非難ばかりの内容がよみがえり、思わず怒鳴り返してしまう。
「はいはい。ワタシは専門家じゃないからよく分からないけど、でも、それって、やっぱり邪道なんでしょ?」
邪道と言われれば、否定は出来ない。歴史学者には、常に一笑に付され続けててきたのだから。
義経北行伝説……源義経は衣川では死なずに、蝦夷に逃げたという説だ。もちろん、蝦夷だけではとどまらない。その後、大陸に渡り、ジンギスカンになったという、途方もない伝説。いくつかの小説でも取り上げられているし、舞台劇にもなっている。創作の世界なら問題のないそれも、歴史学者の中では、笑い話にしかならない。いつまでも執着するのなら、研究室を出てもらうことも考えると、今日、教授から最後通牒をつきつけられたのだ。
確かに、夢物語なのかもしれない。でも、諦めきれない――。
「かなりやばいの?」
相当ひどい表情をしていたのだろう。朋人が心配そうに尋ねた。
「やめなければ……たぶん失業」
さすがに、朋人の顔色も変わる。
研究に打ち込みたい月子にとって、今の環境――大学の助教は、願ってもない職だ。これを失うことは、かなりつらい。
「困ったわね~。ワタシと違って、あなたの場合、マジに研究の問題だから、開き直るわけにもいかないしね~」
そう言う朋人は、ゲイだとカミングアウトしたとき、研究から干されそうになったと聞いている。彼の場合は「プライベートは研究とは関係ない」と言い切ることで難を逃れたと聞いている。だが、月子の場合は、研究上のことなのだから、開き直りは通用しない。
「私……やめたくない」
「助教」をやめたくないのか、「研究」をやめたくないのか…月子自身にも分からない。
「すぐに結論を出さなきゃいけないの?」
「今月中に結論を出せって」
今は、二月。つまり、答えによっては、四月から、月子の席はないという意味だ。
窓の外では、今年何度目かの雪がちらついていた。
月子は抱え込んだ膝の上に顔を伏せた。朋人が子どもをなぐさめるように月子の頭を撫でた。こうして、何度朋人になぐさめられただろう。だから、今日も、教授に最後通牒をつきつけられたあとで、朋人のマンションに転がり込んでしまったのだ……ひとりでいたくなくて。
朋人とは同じ大学で同じ助教の職に就いている。ただし、学部は違う。史学と神経精神医学という、まるで違う畑でありながら、朋人と月子は仲が良かった。ふたりとも出世に興味がなく、我が道を行くタイプだった。
義経に男性の理想像を求める月子に恋人ができる可能性は少なく、また朋人も恋人に対する理想が高かったから、決まった相手はいないようだった。そんなところもふたりの気が合う理由になっていたのだろう。ただ、完全に男っ気のない月子と違って、朋人のほうは適当に遊んでいる様子だったが。
朋人の手が、月子のつややかな黒髪を撫でる。平安時代なら美人なのよ……とよく言って、朋人に笑われたものだが、今はただ慰めるためだけに触れている朋人の手は心地よかった。
だから……言ってみた。言っても仕方ない繰り言を。
「タイムマシンでも、あればいいのに……そうすれば、平安時代に行って、本当のことを調べられるのに」
その呟きに、返事が返ってくるなどとは、思いもよらずに。
「あるよ。タイムマシン」
あっさりと言われた言葉に、思わず顔を上げる。冗談……といおうとして、言葉を飲み込む。それほどに、朋人の表情は真剣だった。
「教授には内緒で作ってる。まだ実験段階だけど、完成はしてる。月子が命をかけてもいいって言うんなら、試してあげる。源平時代に……義経の生きていた時代に、飛ばしてあげるよ」
きっぱりと言い切った朋人の目の中に、月子は研究者としての情熱の炎を見た。
「ただし、帰ってこられる保証はない。それでも行く?」
月子は、迷わなかった。
「……行く。源義経のところへ」
実行の日は、「行く」と返事をしてからしばらく経ってからだった。
朋人の方の最終調整にも時間がかかったが、むしろ大変だったのは、月子の身辺整理の方だった。
突然姿を消してしまえば刑事事件と見なされて、一番仲の良かった朋人の警察の手が伸びてしまう可能性がある。そうならないための準備はしておかなければならなかった。
そして、すべての準備が整った時、朋人は、月子を彼の実家に連れて行った。月子は、その時はじめて、彼の実家が財閥系の資産家であることを知った。朋人がひとり暮らしをしているマンションのグレードから、庶民ではないだろうと予測していたが、どうやら桁外れだったらしい。
案内された地下室には、病院で目にしたことのある医療器具や、月子にはなんの目的で使われるのか分からない実験器具などが整然と並んでいた。
「朋人の実験のために、地下室まで作ってくれるの?」
ご両親は……と、答えのわかっている問いを口にする。
すると、朋人は皮肉な笑顔を見せた。
「ワタシ、小さい頃から成績優秀だったからね~。両親の自慢の息子だったわけ。今でも、お金だけは惜しまずに与えてくれるわよ~。学内で出来ない研究がしたいって言ったら、すぐにこの地下室作ってくれたし」
その笑顔が、少し淋しそうに見えるのは、気のせいだろうか。
それにしても、医学を学んでいる朋人が何故「タイムマシン」なのかと尋ねた月子に、朋人がおよそ科学者らしくない単語を口にした。
「月子は『輪廻転生』って信じる?」
輪廻転生……人は死んでも生まれ変わるというあれだろうか? 肉体は死んでも、魂は滅びないで他の身体に移っていくという……? なにかの聞き違いかとも思ったが、朋人が言った言葉は、確かにそれだった。
「ええと……信じるかと言われても……」
そんなことを深く考えたこともなかった。だいいち、それが「タイムマシン」とどう関係があるのだろうか?
「肉体は無理でも、魂だけなら、元の自分に戻れるってこと。つまり、輪廻転生を逆流するわけ」
朋人はそれから、詳しい説明をしてくれたが……基本的に文系の月子にはよく理解できなかった。
つまり、喜多見月子として生まれる以前の魂の在処に戻ることができる……ということらしい。何回も輪廻転生している中から、源平時代を生きた人を選んで戻れば、源平時代に行ける……つまりタイムマシンと同じことになるというのだ。
その後、朋人は医学用語も混ぜて説明してくれたが、文系の月子にはイマイチ理解ができなかった。
それでも、その熱心な口調から、荒唐無稽とは思えず、信じられる気持ちがした。
「義経って早死にだから~。うまくヒットするとは限らないし、月子の前世がどんな人間かも分からないから、そのへんは賭けになっちゃうし……」
ここまでは気楽な口調でいった朋人が、急に声をあらためた。
「人間相手に実験するの、はじめてだから、成功するって保証は出来ないわ」
「もし、成功したとして……こっちにいる私はどうなるの? 私の身体はって意味だけど」
「ずっと眠ってる。昏睡状態ってヤツ?」
「戻ってきたら、その昏睡状態から醒めるってことね?」
「そう。でも、戻ってこれるって保証も出来ないんだ、ゴメンね。それに……最悪の場合だけど、もしかしたら、死んじゃうかもしれない。それでもよければだけど……?」
挑みかかるような目で見られて……だが、月子は反射的にうなずいていた。
「やる。やってみる」
どのみち、このままでは研究は続けられない。生き甲斐とも言える義経の研究を取り上げられて、これから先、どうやって生きていっていいかもわからない。だとしたら、命をかけて試してみるのも悪くない……そんな風にいうと、朋人は黙ってうなずいた。
その目が少し潤んで見えるのは……月子の気のせいだろうか?
「朋人?」
呼びかけ、振り返った朋人の目に涙はなかった。やはり気のせいなのだろう。自分が不安になってるから、そんな風に感じてしまうのだ。
「なに? やっぱり、やめる?」
「やめない。ただ……痛かったりする?」
おそるおそる尋ねると、朋人はぷっと吹き出した。
「痛くはないよ~。安心して」
「よかった」
病院の診療室にあるような無機質なベッドに寝かされて、よく分からない器具を身体中につけられた。本能的な恐怖からか、身体が細かく震える。
「コワイ?」
朋人に訊かれて、素直にうなずく。こんなところで見栄を張っても仕方がない。
「少し……ね」
「さっきは脅かしちゃったけど……死ぬ危険性は少ないと思う」
それは、分かっていた。朋人は、親友を命の危険を伴う実験台にするような性格ではないから。
「朋人を信じてるよ。でも、うまく義経に会えるかどうかは心配だな。なにしろ、三十年しか生きていないしね。私の前世がその時に生きていた確率って、かなり低いんじゃない?」
「それは、案外大丈夫じゃないかって、ワタシは思ってる。だって、月子の義経さまに対する執着って、並みじゃないもの。これはもう、前世に因縁があったとしか考えられないでしょ?」
「意外と、義経本人だったりして?」
「だったら、すごいね」
けらけらと朋人は笑う。だが、その表情はどこか硬い。朋人も、かなり緊張しているのだろう。
「さあ、おしゃべりはおしまい。そろそろ、いいかしら?」
ポンと肩を叩かれて、いよいよだ……と思う。タイムマシンに乗る……ちょっと表現は違うかもしれないけれど、つまりそういうことだ。落ち着け……と言い聞かせても、心臓の鼓動が早くなる。
「戻ってこられる可能性もあるんだよね?」
「ええ。戻れる確率のほうが高いと思うわ」
「どうやったら戻れるの? 戻りたいときは、どうすれば?」
「戻りたいって、強く願えば、戻れるよ。もともと、精神的なものだからね。本人の意志次第ってとこがあるのよ。でも、本心から願えば、必ず戻れる……と思う」
「つまり……戻れないときは、心から戻りたいって思ってないってことなのかな?」
「そういうことね」
「じゃあ、私が向こうで死んじゃったら? こっちの私も死ぬの?」
「死ぬかもしれないし、戻ってくるかもしれない。でも、約束する。肉体が衰えないように、ワタシがちゃんと管理してあげる」
不意に「死」を身近に感じる。それでも、命をかけてもいいと決めたのだから……。
「覚悟は……決まったのね?」
黙ってうなずく。
「じゃあ……目を閉じて」
言われるままに目を閉じる。
カチッという音がした。朋人が、機械のスイッチを押したらしい。低いモーター音が聞こえた。やがて、眠りに落ちるように、月子の意識は消えていった。
お読みいただきありがとうございます。
月子の選択が、これからどんな波を起こすのか──ゆっくり見守っていただけたら嬉しいです。
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