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氷底に秘めたるは

 パキン。

 洞窟の静寂を、乾いた音が割った。

 

 白く凍った與の肩先で、氷が薄く()がれ落ちる。

 ひとひらの羽のように、白い欠片(かけら)がふわりと舞って、消える。

 続けて胸元、背中、腕……音を連ねるようにひびが走り、ひとつ、またひとつ、凍てついた殻が割れていく。


 内側から呼吸が戻るように。

 硬く閉ざされていたものが、崩れてゆく。

 砕け散る欠片の奥から、白く曇った吐息が、かすかに漏れた。


 生きている。

 証のように、與の胸が上下する。

 

 その胸には、いつからか(ゆずりは)がいた。

 震える腕でしがみつくように、溶けゆく氷の冷たさにも構わず、その身を預けている。

 胸を濡らすのは溶けた氷か、涙か。


 與は、ゆっくりと目を開く。

 瞬きをひとつ、ふたつ。

 視界が(かす)むような眼差(まなざ)しに、じわじわと輪郭が戻っていく。


 目が合った。

 楪の目も、驚きに見開かれていた。

 ぽかんと、言葉を忘れたように。

 ぱちり、と瞬きを交わす。何度も。


「……は?」

 

 先に声を発したのは、與だった。

 

「お前、なんでここに——」

「與くんっ!」

 

 與の問いかけに、被せるように楪が声をあげた。

 着物ではなく、スキーウェアの濃紺。與の姿に、ここが現実だと知れた安堵と勢いからか、声が(かす)れていた。

 現実と理解した頭は、自分がしがみついていたことに気づく。楪は距離を置こうとしたが、腰に與の腕が回っている。戸惑いの目で與をうかがった。

 與もまた、楪の存在に眉をひそめ、現実感のなさに困惑していた。


「お前、本物?」


 疑わしげに問いながら、與は楪の顎をそっと持ち上げ、顔をまじまじと見つめる。目許には泣いた跡が残り、長い睫毛(まつげ)の先、うっすらと涙が揺れていた。

 

「あ~……どうりで美味いわけだ」


 ぽつりと零れたのは、冗談めかした、けれど気まずさを含んだ声。與は目を逸らすように苦笑いを漏らした。

 近すぎる距離もあって、楪はみるみるうちに頬を染める。


「與くん……近いです」

 

 小さな抗議に、與はようやく腕を解き、降伏するように両手を上げた。


「ハイハイ、悪かった」


 與の態度をどう受け取ればいいのか分からず、楪は反応に困りながら視線をあちこちに流し……、

 氷の床に横たわる人影を見つけて、頬を強張らせた。


「この人たち……!」


 絶句する楪の視線を追い、與もまた表情を引き締める。


「あの女、やっぱ攫ってたか」

「あの女って、もしかして……」

 

 そのときだった。

 吹きつける雪風とともに、白と淡紫の着物を纏った女が、するりと舞い込んできた。肌の白さも、髪の色も、冷気のなかで輝くように際立つ。

 

「わらわの氷籠を破るとは、やはり(あに)さま……」


 女は陶然とした声で、與に抱きつこうと身を躍らせ、ふいに止まった。

 與の前にいる楪の存在に気づいた。


「そなた……」


 流れた目が、不思議そうに楪を捉える。楪も女を見て瞳を開いていた。

 宙に浮かぶ女の身体。弱く渦巻く雪風に包まれ(なび)く、長髪と着物の袖。

 異質なその姿に、楪は確信を得た。

 

(雪女——!)

 

 楪の手が動く。スキーウェアの胸ポケットから、革の警察手帳をかっこよく取り出し——

 

 ……ては、いない。

 非常にもたもたとした手つきで。見れば、それは警察手帳ではない。ただの名刺入れだ。中から一枚の名刺を抜き取り、楪は掲げた。

 まるで印籠のように構えて言う。


「あやかし捜査官、朝美 楪です。あなたを略取・殺人の容疑で逮捕します!」


 キリリとした顔で宣言した楪の斜め後ろから、與の小さな声が聞こえた。

 

「お前、逮捕権あったっけ……」

「しっ。與くんは黙って」


 さっと手を出して、楪は與を牽制する。

 名刺の『事務補助員』の文字は、ちゃっかりと指で隠されていた。

 楪の中では、與は美人にホイホイついて行って捕まった——そんな認識だった。

 逮捕宣言は、與に任せられないと判断しての独断行動になる。


「あ~まぁ、現行犯ってことで見逃すわ」

 

 怪異相手なのもあって、與も楪の嘘に便乗した。

 やり取りを眺めていた、着物の女。

 楪の振る舞いを見て、くすりと唇を曲げる。


「人間の小娘ごときが、わらわを捕らえるなど……笑止千万」

 

 白い顔に、怒りにも似た狂気の笑顔を走らせ、女は両手を広げた。

 

「ぬばたまの髪を気に入った。わらわの手許で、雛人形として愛でてやろう」


 袖が翻った瞬間、冷気が裂くように(ほとばし)る。

 楪と女のあいだに、氷の鏡が浮かびあがった。鏡面に映る自分へ、楪の目が吸い込まれるように引き寄せられたが——

 與の手が、楪の目を覆った。


「目ぇつぶってろ。すぐ終わらせる」

 

 あたたかな夜色の世界。

 雪女に手加減してしまうのではと、不安をいだいていた楪が、與を信頼するに足る確かな声。

 楪は迷わず頷いた。

 

 閉じたまぶたの向こう、與は近くに置かれていた警棒を足で跳ね上げて掴むと、氷の鏡を一直線に(たた)き割った。

 雪女の顔に驚愕が走る。


「わらわの影見(かげみ)を、どうやって——」


 崩れ落ちる鏡の奥で、與はまぶたを伏せたまま口角を上げた。


「同じ手は、二度も喰わねぇなあ?」


 続く一閃(いっせん)が、鏡の残骸を跳ね飛ばす。

 與は目を閉じたまま、冷気の流れを読み取って踏み込むと、次の攻撃を繰り出した。

 焦った女は間一髪で(かわ)したが、爆風のような余波を受け、生み出した氷の(つぶて)ごと弾け飛んだ。

 

 氷壁に当たった女の身体が落ちる。

 反撃を防ぐために更なる攻撃を加えようとした與だったが、女からの反撃はなかった。

 代わりに、か細い泣き声が響いた。


「兄さまが……本気で、わらわを……叩いた……」


 声には、驚きと哀しみが濃く混ざっていた。

 さめざめと泣く姿に、與は数秒、拍子抜けしたように手を止めたが、

 

(……やっちまうか~)

 

 手加減する気は生まれなかったらしい。迷いなく手を振り上げた。

 が、すぐに楪の声が飛ぶ。


「ちょっと與くん! 待ってください!」

 

 制止されたものの、勢い余って地面を殴った警棒の一撃が、派手に氷を砕いた。その威力と躊躇(ちゅうちょ)のなさに、楪も女も目をみはる。


「おい、目ぇつぶってろって言ったろ」

 

 與から降ってきた小言に、楪はドン引きした顔を返した。


「與くん、泣いてる女性を叩き潰そうとしました……?」

 

 氷の床にへたりこむ女は、與の非情さを受け止めきれず愕然(がくぜん)としている。

 楪の表情の理由が分からないのか、與は片眉を上げた。

 

「怪異だから法に問われねぇだろ」

「そういう問題ではなく……」

「何が問題なんだよ」

「………………」


 話し合えない。悟った楪は、女の前にしゃがみ込んだ。

 

「大丈夫ですか? 少し、話を聞かせていただけますか?」

 

 凍りついたように與を見上げて固まっていた女は、ようやく楪を見た。

 殺人という重罪ではあるが、怪異側の理屈もあるかも知れない。

 怪異について理解を深めつつある楪は、真摯な態度で対話を求めた。

 

「どうして、この二人を殺してしまったんです……?」


 意識を取り戻した女は、焦りからか恐怖からか、ぶるぶると大きく首を振った。


「殺してはおらぬ。この者たちは拾ったのじゃ!」


 拾った。

 楪は、言葉の意味を図りかねて眉を寄せる。人に対して遣うワードではない。女の意図するものを推測しながら応えた。

 


「見つけた遭難者が亡くなっていたとしても、遺体を凍らせたり攫ってしまったりすれば、人間社会では死体損壊と同遺棄罪に問われることが——」

「おぉ、よく知ってんじゃん」


 説明する楪に、横から與が感心したように呟く。


「私は捜査官ですからね。勉強してます」


 胸を張る楪に、與は、ぼそり。


「正確には、お前は捜査官じゃねぇけどな~……」

 

 会話に交ざった與に、女がびくりと(おび)えた。逃げるように距離を取りながら、慌てて楪へと(すが)りつく。


「遭難者ではない! 私が見つけたときには、すでに何者かによって殺められた後じゃった。攫ったのは悪かったが……。(むくろ)であっても、美しい顔が獣に喰われるのは忍びないじゃろう? 護ってやりたかったのじゃ……許してたもれ……」


 哀願する女の言葉に、楪の瞳が大きく動揺した。


「え……?」


 ハッとして、與と視線を交わす。楪と目を合わせた與の表情が、険しく影を帯びた。

 

——すでに何者かによって殺められた後。


 女の言葉が事実であるなら、犯人は……?


 点と点が、薄氷のような線で繋がり始める。

 氷の底に眠っていた真相が、ひたりと浮かび上がってきた。

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